わなび

美翔 和穂

第1話

 

 図書館は人の夢で満ち満ちていた。図書館内に設けられた大して広くもない学習スペースでは、夏休みの真っ只中というだけあって、多くの学生が黙々と勉強していた。

 森井 しゅんは大きく欠伸をして、夢に向かって走っている学生たちを眺めていた。手元には真っ白な大学ノートと、クルトガのシャーペン、消しゴム。他の学生が開いているような分厚い参考書の類いは、どこにも置いていない。

 されど、瞬もまた、ひとつの夢を抱えて図書館に来ていた。「作家」になり、多くの人を喜ばせる何かを作りたいと考えたのは、サッカー部を引退し、将来について考え始めた時だった。1ヶ月ほど前に七夕があり、近所のスーパーでは短冊を書いて自由に飾るコーナーがあった。暇だったので色々探していると、大小様々な字で書かれた「さっかーせんしゅになりたい」だったり、はみ出そうなほど勢いの良い「彼女が欲しい」だとか。微笑ましい些細な夢や、冗談半分の大きな夢の中に、瞬はそれを見つけた。


「沢山の人を感動させる小説家になります。」


 願望ではなく、強い意志の籠った宣言だった。整然と書き連なる文字に迷いはなく、瞬の視線はしばらく釘付けにされていた。家に帰ってからも、度々あの短冊のことを思い出した。いつしか、自分にも人を感動させる何かを作れないかと思うようになっていた。中学、高校とサッカーを続け、休日には友達とゲームしたり、遊び歩いてただけの自分の作品に、多くの人が感動する。

 進むべき道が照らされ、その先にいる自分は笑っていた。

 しかし、いざ進み出すと歩きにくく、すぐに疲れてしまう。

 気付けば友人たちと寄り道をして、何も考えずに笑っていた。

 独りになるのを見計らって、焦りが押し寄せてくる。黒い波が心臓を揺さぶり、濃い霧が光を遮る。

 夏休みに突入した今も、何を作るのかさえ、ロクに決まっていなかった。

 かれこれ10分ほど、クーラーの冷風に当たって雑想していると、右隣に人の気配を感じた。胸に大きく「FILA」と書かれた白いTシャツに、ジーパン姿の西川 良子りょうこは、瞬のクラスメートだった。2年生から同じクラスで、顔と名前は覚えていたが、話したことは1度もない。他の女子高生らしく大勢で群れて騒いだりせず、決まった3~4人で静かに暮らしていたという印象。肩にかかるくらいのショートカットが好きだと言った瞬の友人が、一時期よく彼女の名前を口にしていたことを思い出す。最近は言わなくなったことに、同時に気付いた。

 西川さんはadidasのピンク色のリュックから、勉強セット(ノート、参考書、筆箱、電子辞書)を取り出す。手早く準備を進め、入室から1分経たずして動かない風景と化した。

 瞬は手持ち無沙汰に感じて、右手でシャーペンを回す。首を折り曲げ、勉学に励む人形たちに囲まれると、自分が場違いな存在であるように感じた。誰かがページを捲る音、軽い咳払い、押し寄せる沈黙が、瞬を拒んでいる。瞬はそれを飄々と躱して、ノートに短い言葉を書き込んだ。


「人の夢。」


 右隣に意識を向ける。西川さんは英語の参考書を睨みつけながら、ペンを小刻みに動かしていた。

 彼女にも夢があり、今はそれを叶える為の準備をしている。「大学入試」という名の駅で、希望の学部の車両に乗る為に、誰かを蹴落とさんとしている。多くの人間が乗り損ねる中、彼女だけは悠々と席に腰を落ち着けるだろう。鬼気迫る顔を見て、瞬はその様子を想像した。

 瞬は乱雑な文字で「西川良子」と書いた。次いで、その下に丁寧な文字を書き連ねていく。


「中学、卓球部」

「高校、帰宅部」

「帰って勉強するか、アニメの絵を書く」

「中学で1回付き合っていた」

「両親は良い大学を出て、公務員に。親の理想が高い」


 流れるように書き出されるそれは、瞬の想像の中に住む彼女の過去だった。浮かんできたイメージを、そのまま写す。黒鉛が擦れる音だけが室内に響く。やがて過去は現在いまに追いついた。


「将来はグローバルな職に。英語を猛勉強」

「両親が納得する職で、自分もそこそこ興味がある」


 最近は暇になれば図書館に来て、こうして「人の夢」を勝手に創造していた。主に高校生くらいの男女が対象だった。社会人らしき人々は、瞬の想像の範囲を超えた人生を送っているからだ。この暇潰しは、家で適当なスマホゲームをやるよりは少し有意義だった。


 正面の壁に掛けられた時計を見ると、4時半を指している。今日は日曜日だから、5時で閉館となる。瞬は黒のリュックにノートと筆箱を入れ、席を立った。同じく帰りの用意をしている人がちらほら見られる中、西川さんは忙しなくペンを動かしていた。


 学習室を出ると、暖気が体を包み込む。体を限界まで上に伸ばすと同時に、大きな欠伸が出た。ゆっくりとした足取りで歩いていると、数人が足早に抜き去って行く。自分と周りとでは、流れる時間の速さが違うような気がした。今もなお開き続けているこの距離は、今日進んだ分を示している。瞬が図書館を出た頃、周りには誰もいなかった。


「······帰ろ」


 短く呟いて駐輪場へと向かう。生温い風に当てられ、体が徐々に熱を帯びていく。自転車の前まで着くと、瞬はシャツの袖で額を拭った。


「あの······森井くん」


 リュックに突っ込んだ自転車の鍵を探している時、透き通った声に名前を呼ばれ、振り返る。そこには、さっきまで隣に座っていた西川さんが、無表情で立っていた。なぜ声を掛けられたのか、動機はおろか感情さえ分からず、瞬は棒立ちしていた。やけに蝉の声が鮮明に聞こえてくる。瞬の意識はそこにだけ向けられていた。

 異様に長く感じられる沈黙に痺れを切らしたのか、西川さんが再び口を開く。


「森井くん、さっきノートに何か書いてたよね?」


 ああ、そうか。瞬はそこで理解した。西川さんは怒っているのだと。隣で勝手に自分の人生を妄想されたことに腹を立て、一言物申しに来たのだ。瞬は、僅かでも自分に都合良く考えたことを心の中で嘲笑う。

 理解はすれど、瞬は焦燥に駆られていた。夏休みのささやかな暇潰しを、どう説明すればいいのか悩む。両手をGパンのバックポケットに仕舞い、目線を四方八方に泳がせた。西川さんは無表情のまま、こちらに視線を向けていた。


「えーっと、その、なんつーか······」


 上手く言葉が見つからず、口をもごもごさせるだけの自分が、不意に西川さん視点となって脳裏に映し出される。その姿が酷く醜く、恥ずかしく見えて、瞬は覚悟を決めた。

 西川さんの両の目を見て、大きく口を開く。


「め、飯食いに行かん?」


 その言葉を聞いた西川さんは目を見開き、次に口元を抑えて笑った。


「えー、今から? まだ5時だよ?」

「うん、でも、そっちのがゆっくり話せるし。ドリンクバーあるし」

「ふーん、お金無いって言ったら?」

「奢る」

「じゃあ行こ。自転車取ってくる」


 さらりと身を翻し、軽快に歩く西川さんの後ろ姿を見て、瞬は気付く。


「あれ、怒ってなくね?」


 ***


 図書館から自転車で10分もしないファミリーレストランに入り、ドリンクバー2つと、西川さんのチーズケーキを注文した。店内は客が少なく、話し声もまばらだった。テーブル席で向かい合う2人は、話を切り出さないままスマホを弄っている。話を切り出すべき人間である瞬は、SNSのタイムラインを見ながら、どう切り出せばいいかを考えていた。


「さ、早く教えてよ」

「え? ああ、うん」


 いつの間にかスマホを仕舞っていた西川さんが口火を切った。先を越されてしまったことに、瞬は軽く落ち込みつつも、言葉を紡ぐ。


「えーっと、その、あれは最近の暇潰しで、他の人の過去をそうぞうしてノートに書いてて·····」

「へーえ、じゃあ今日だけじゃないんだ」

「そうなりますね」

「見せてよ、隣からじゃ名前しか見えなかったから」


 瞬は言われるまま、リュックからノートを取り出し、そのまま差し出した。少し恥ずかしさを感じて、西川さんがノートを捲っている間は、スマホを弄っていた。

 ややあって、チーズケーキが届いた。西川さんが「ありがとうございます」と言って小さく頭を下げるのを見て、瞬もそれに倣う。店員が軽くお辞儀をして去った所で、西川さんはノートを閉じる。


「とりあえず、飲み物取ってこよ」


 そう言って立ち上がった彼女を見て、瞬は思っていたよりマイペースな人だと感じた。アイスコーヒーを持って来た西川さんに「森井くんは?」と促され、適当にメロンソーダを注ぐ。駐輪場で感じた緊張は薄れつつあった。だが、テーブルに置かれた自分のノートを目にすると、それは直ぐに浮き上がってきた。

 ふと、なぜ自分はこんな状況に置かれているのかと疑問を覚える。答えは正面に座っていた。西川さんは悠然とコーヒーにミルクとガムシロップを混ぜている。同級生の女子とこうして、2人でファミレスに入るなんて、考えてみれば初めてだ。西川さんはそうでもないのだろうか。などと考えていると、顔を上げた彼女と目が合う。


「大学はもう決まってるの?」


 本題だと思って身構えた瞬は、拍子抜けしたように返事をした。


「ああ······決まってないよ、指定校推薦でどっか受けようと思ってるけど、学部が決まってないから、大学も決まらない」

「平均評定は?」

「あー、3.8くらいかな」


 西川さんは「ふーん」と息をつきながら、フォークでチーズケーキを切る。店内は冷房が効いているが、瞬の背中には汗が滲み出した。楽しい会話を展開しなければ、西川さんの機嫌が悪くなる。

 瞬は、女子から悪い評価を付けられることを極端に恐れていた。その為、女子と会話する時は常に自分を客観視し、印象が悪くなりそうな行動は避ける。

 瞬は今の状況を客観視し、変にびくびく怯えて、相手の出方を伺っている自分を見た。これでは駄目だと、瞬は口を開く。


「西川さん、俺の書いたやつ、どうだった」


 西川さんはフォークを皿に置き、口元を抑えて言った。


「どうも何も、全く当たってないよ。中学も高校もテニス部だし、絵なんて描けないし、彼氏も出来たことないし」

「まじ? うれしーような悲しいようなって感じだわ」


 西川さんの声色と目元で、笑っているのだと分かった。瞬にとって想像が当たっていようがいまいが、問題ではなかった。


「じゃあ、『将来はグローバルな職に』ってやつは?

 あれが1番自信作なんだけど」

「それ私が隣で英語勉強してたからでしょ? それだけで勝手に世界飛ばされたくないんだけど?」

「ははっ、ごめんごめん」


 互いに調子が上がってきたのを感じ、瞬は流れを止めないように質問を投げる。


「じゃあ、西川さんの夢って何?」


 西川さんは丁寧に切り分けたチーズケーキを口に運ぶ。その姿はさながら貴族のようで、瞬は純粋に見とれていた。彼女は小さく顎を上下させながら、手の平を瞬に向ける。それが小休止の合図だと分かって、メロンソーダを少し飲んだ。

 食べ終えた西川さんは、最後にコーヒーを一口飲んで、テーブルに置かれた紙ナプキンで口を拭った。その間、瞬はスマホゲームをに興じていた。食べ終えたのを見て、そのままポケットに仕舞う。


「私の夢かぁ、まぁ、大学進学かな、今のところは」

「あーね、やっぱ高いとこ?」

「まぁ、そこそこ」


 学部まで訊くのは気が引けて、一度そこで会話が止まる。が、すぐに西川さんから質問が飛んだ。


「森井くんは?」


 瞬は「あー」と言葉を濁しながら、視線を泳がせる。適当な外壁を建てて、自身の核を守るのか、それとも曝け出すのかという二択で逡巡した。

 人の悩みは大抵、50/50であるとネットの記事で見たことがある。瞬はそれに感銘を受け、なるほどと感じたのだった。

 人が迷う時はいつも、「やるか、やらないか」の2択でしかない。そのどちらにもメリットとデメリットがあり、無意識がそれを吟味する。どちらかハッキリしている場合は、無意識が決断するが、50/50になった時、その決断は自我に一任される。

 瞬の自我は、「やる」方を選んだ。


「あー、まぁ、大したあれじゃないんだけど──」


 スーパーで見た短冊の話、何かを作りたいが何を作るかは決まっていないこと。初めて誰かに話したが、自分で話してみると、何だか安っぽい話のように思われた。

 西川さんは終始頷きながら話を聞いていた。時々目が合って、瞬は自然に逸らした。一通り話を終えて、西川さんの反応を見る。


「へぇー、それって、すごいね」

「そうかな?」

「だって、その短冊1枚が森井くんの将来を照らし出したってことでしょ? それってすごい事じゃない?」

「あー、うん。そうかも」


 いきなり詩的な事を言われ、戸惑いながらも瞬は頷く。素直に感心している様子の西川さんを見て、話した事に対する後悔は無かった。むしろ高揚感が湧いてきて、全身が熱を帯びる。

 西川さんはストローでアイスコーヒーをかき混ぜながら、「そっかぁ」と呟いて、瞬に視線を向ける。


「じゃあ、小説書いてみたら?」

「え、俺が?」


 瞬が自分を指さすと、西川さんは大きく頷く。


「このノートに書かれてる人達みんな良いキャラしてるから、後はジャンル決めて展開作るだけでまとまると思うよ」

「へぇー、いいね、やってみてぇわ」


 瞬が発した言葉には、あまり感情がこもらなかった。テーブルに置かれたノートを取り、誰かの過去が書かれたページを開く。文字を視界に入れるだけで、読んではいない。そこに西川さんが身を乗り出してきて、早口で語り出す。


「この男子とか、小中高と野球やってて引退した今は警察官になるために公務員試験の勉強中って、めっちゃ真面目そうじゃん?

 で、こっちのあんまし成績良くなくてグレ気味の女子と恋愛させてみたり、とか?」


 頭の中で、「面白そう」と「面倒臭そう」が入り交じる。その処理に意識を取られ、脳が自動で返事をしていた。


「あーね、うん、いいんじゃね?」


 ことこくと頷いてみせる瞬に、西川さんは怪訝そうな顔で恐る恐る尋ねた。


「······もしかして、そんなに乗り気じゃない?」

「え? あ、いやいやそんなことないよ、ちょっと色々考えてただけ。面白そうだなーとは思うよ」


 慌てて弁明すると、西川さんは「そっか」と安堵の声を漏らす。瞬は自分の返事にあまり抑揚が無かったと反省した。


「あれ、もうこんな時間、帰らなきゃ」


 西川さんは瞬の後ろに目線をやって、そう呟く。つられて瞬が振り返ると、壁に掛けられたアナログ時計が6時半を知らせていた。1時間はここにいたのかと、瞬は驚く。

 視線を前に戻した時、西川さんは水色の長財布から1000円札を取り出していた。


「あ、いや、俺が払うって」

「いいよ、奢られるの苦手なの。お釣りも要らないから」


 有無を言わせぬ西川さんの意思に、瞬は気圧されてしまう。「あっ、ご馳走さまでーす」と言って、ぺこりと頭を下げるばかりだった。


「小説、出来たら見せてね、じゃあ」

「うぃっす」


 西川さんは軽く手を振って、足早にファミレスを後にした。瞬は彼女が自転車に跨り、姿が消えるまでを目で追い、それから大きく溜息を吐いた。


「どうしてこうなった······」


 未だに情報を整理し切れていない。全ての元凶である、目の前に広げられた自分のノートが、余計に思考を妨害する。

 西川さんと入れ替わるように、家族らしきグループが何組か入店した。そろそろ店を出ようと、ノートをリュックに仕舞うと、ポケットの中のスマホが短く震えた。

 取り出すと、LINEの通知が一通。サッカー部にいた頃ずっとつるんでいた友達2人とのLINEグループに来ていた。


 龍也たつや『あしたひま?俺ん家こいよ』


 すると、間髪入れずにスマホが震える。


 佑晴ゆうせい『暇なわけねーだろ、勉強だわ』

 龍也『午前中やって、午後あそぼ』

 佑晴『えー』

 龍也『はい決まり』


 瞬は通知をタップしてLINEを開く。そして、慣れた手つきで文字を打った。


 瞬『なにすんの?』

 龍也『カラオケ、飯、サッカー』

 瞬『あね、行くわ』


 短い時間でLINEを終わらせ、領収書と西川さんの1000円を持って立ち上がる。情けない気持ちや申し訳ない気持ちが湧いてきて、瞬はわざわざ自分の財布の1000円と入れ替えた。次に会ったら返そうと心に誓う。

 小説のことは、考えることを放棄した。


 ***


 夏本番とはいえ、下着1枚の姿に扇風機の風を当て続ければ肌寒い。瞬は目が覚めるなり、飛び起きてタンスへと向かう。NIKEのロゴが入った半袖半パンのスポーツウェアを、素早く着用した。

 部屋の壁に掛けられた時計の針は、11時20分を指していた。もうすぐで一日の半分が終わる。しかし、今日は午前3時まで起きていたことを考えれば、実質8時20分起きだと瞬は解釈していた。


「ふあぁ、ねみー」


 大きな欠伸を1つしてから、階段を下りて1階のリビングに向かう。今日は月曜日だから、両親は仕事に行っていた。瞬は洗面台で顔を洗って、ドライヤーとヘアワックスで髪型を整える。鏡に映る自分は、真剣な顔で前髪を捻って束感を出そうとしていた。結局面倒になり、横に流して終わらせた。

 その後、昼のニュースを見ながら朝食兼昼食のカップラーメンを食べる。夏休みに入ってから1日2食が普通になった。毎日同じ工程で作られるインスタント麺の味に飽き飽きしつつも、自分で作ろうとはしなかった。


「おいしくねー」


 ぶつぶつと文句を言いながら食べ終えて、すぐに立ち上がる。スープの溜まった容器はそのままで、瞬は洗面台で歯磨きを始めた。忙しない動きで1周、2週と、歯ブラシを往復させて済ませる。

 次は何をしようと考えていると、ポケットの中のスマホが震える。見れば、龍也からのLINEで『はやくこい』とあった。


「やべ、いそがねーと」


 思ったまま口に出し、瞬は玄関に急ぐ。昨日図書館から帰ってきて、そのまま放置されたリュックと、トレーニングシューズの入った袋を掴んだ。

 扉を開けるとすぐに熱気が襲ってきて、思わず腕で顔を覆う。空には雲1つ浮かんでおらず、野放しにされた太陽がこれでもかと陽射しを振りまいている。

 憂鬱になりながらも自転車を漕ぎ、龍也の家に着いた頃には、大量の汗が頬を流れていた。


「おつかれ」

「バカあちぃんだけど」


 出迎えた龍也に半笑いで労われ、瞬は家に入る。2階に案内されて入った龍也の部屋は、漫画の詰まった本棚に、ひんやり素材の布団が敷かれたベッド、最新ゲーム機に専用のテレビと、男子高校生にとっては豪華だった。

 テレビの前に置かれた小さな折りたたみテーブルで、佑晴はこちらに背を向けて勉強をしていた。


「おっす」


 彼の背中に声をかけると、ゆっくりと振り返り、「おす」とだけ返された。夏休み前に会った時より、どことなく痩せたと瞬は思った。


「こいつ家来るなり勉強し始めてよ、話振ってもすぐ切りやがる」

「とーぜんだろ、勉強してんだよ」


 佑晴は吐き捨てるようにそう答える。それから数秒間の静寂が訪れ、すぐに龍也が動いた。


「よし、カラオケ行くぞー。あとトレシュー忘れんなよー」


 佑晴はしぶしぶと立ち上がり、瞬は何も言わずついて行き、3人で暑い暑いと喚きながらカラオケに行った。

 龍也は流行りのロックバンドの曲を熱唱し、佑晴は女性シンガーの高いキーの曲を軽々と歌いこなす。瞬はといえば、誰でも知っている昭和の名曲や、アニメの曲を選び、盛り上がりもしなければ盛り下がりもしない、そのくらいの歌声を披露した。

「相変わらず選曲が渋いな」と、カラオケに来てから機嫌の良くなった佑晴に言われた。

 1人2時間は歌い、店を出た頃には日が落ちかけていた。3人は大きく体を伸ばして、「疲れたー」などと言いながら自転車に跨る。


「んじゃ、いつもんとこ行くか」


 3人の中学はバラバラだったが、遠かったわけではなく、サッカー部の試合で頻繁に顔を合わせていた。そのため、瞬が高校で出会った生徒で、1番最初に話をしたのが今の2人だった。一緒にサッカー部に入部届けを出し、練習や試合の時もずっとつるんでいた。その時によく練習していた公園に、瞬たちは到着した。

 そのままサッカーの試合が出来るくらいの敷地に芝が生え揃い、周りをタータントラックが囲っている。地元の人が運動をする時は、大抵ここに来る。現に、大勢の中学生らしい男子がサッカーをしていたり、タンクトップに半パンの中年男性がランニングをしていた。瞬たちは人のいない場所を陣取り、適当に感覚を開けてパス回しを始めた。


「龍也ー、AO入試っていつって言った?」


 瞬が龍也にパスをする。


「あー、確か1週間くらい」


 龍也から佑晴へボールが蹴られる。


「面接練習とか何かやってんの?」


 佑晴は瞬へボールを蹴りつつ、体は龍也へ向けていた。


「いや、別に。先生に来いって言われてるけど、めんどいからあんま行ってない」

「やば」


 瞬は軽く鼻で笑って、ボールを一旦止めた。


「佑晴は勉強してどこ行くんだっけ?」


 次は佑晴に向けてボールを蹴った。


「文系3教科でも受けられる国公立行くんだよ、じゃなきゃ大学行くなって親に言われたっ」


 佑晴は龍也に向けて強めにボールを蹴った。


「うぉっ。大変だねー、勉強頑張ってるやつは。俺は一足先に受かってバイトすっから」


 不敵な笑みを浮かべている龍也を見て、瞬と佑晴は乾いた笑みを返した。


「瞬は?」


 龍也の質問を載せたボールが転がってきて、瞬は1度足で止める。


「とりあえず大学行ってからかなぁ」


 そして、嘘でも真実でもない抜け殻を載せてボールを返した。「そう」と言って、龍也は受け取る。


「それより、長谷部のAOの話聞く?

 アイツ、面接中に馬鹿でけぇ屁こいたって」

「は、まじで?

 あははははは!」

「しかも、『すみません、我慢できませんでした』って謝ったらしい、あははははは!」


 2人と遊んだり、駄弁ったりしている間、瞬は将来のことなど気にせず楽しんでいられた。それから1時間ほどボールを回しながら雑談をし、龍也の「腹減った」を契機にしてお開きになった。

 家に帰って瞬は、昨日と同じようにリュックを玄関に投げ捨てる。

 その日は、YouTubeを見ながら寝落ちした。


 ***


 龍也たちと遊んだ3日後、瞬は小説を書いてみようと図書館に来ていた。家でやろうとすると、どうしてもスマホに手が伸び、気付けば横になってYouTubeを見ている。更にタチの悪いことには、「小説の書き方」で検索をする、語句の意味を調べるなどの理由で触っても、同様の結果になる。そのため、未だにジャンルすら決まっていない。スマホの利便性をここまで呪ったのは、瞬にとって初めてだった。

 昼の学習室には今日も多くの学生の姿があり、勉学に励んでいる。瞬の隣で数学の参考書と睨めっこをしている西川さんも、その1人だった。瞬が学習室に入った時に目が合い、隣に座らざるを得なくなってしまった。

 白紙のノートを開いたままぼーっとしていると、隣からすっとシャーペンが伸びて、余白に何かを書き出す。

『どこまで出来たの?』

 シャーペンの伸びてきた方向を見ると、西川さんと目が合った。瞬は書かれた言葉の下に、なるべく綺麗な文字で書いた。

『ジャンルも決まってない』

 西川さんは少し難しそうな顔をして、その下に続けた。

『好きなジャンルないの?』

『強いて言えばスポーツ』

『小説じゃ無理だよ』

 そこで瞬の手が止まる。しばらく考え込んで、ふと、今思い出したかのように文字を書き始めた。

『ホラーサスペンス的な。人がどんどん殺されてくやつ』

 西川さんは「えーっ」とでも言ってそうな顔をした。

『人いっぱい必要じゃん』

『2人』

『すぐ終わるね』

 筆談のために西川さんが瞬に身を寄せる度、甘い香りが鼻腔をくすぐる。すぐそこにある細い肩を、抱き寄せてみたいと思った。一刹那の間浮かんだ恐ろしい欲望は、正常な理性によって鎮められた。瞬の人生を揺るがしかねない重大な攻防の間、西川さんはノートを取って何かを書き込んでいた。返ってきたそれには、左のページに「キャラクター」、右のページに「展開」と書かれていた。そこに書いてまとめろということなのだろう。瞬が西川さんの方に目を向けると、自身溢れる笑顔で頷かれた。

 ジャンルが決まれば、設定や展開はすんなりと決まった。

「舞台は学校」「2ペアの男女が閉じ込められる」「怖いやつに追いかけられる」「4人の騙し合い」「朝になり屋上で愛を確かめる」

 文字に起こしてみると何か違和感があり、瞬は首を捻った。隣にいる西川さんのノートをトントンと叩くと、すぐに顔を上げこっちを向いた。瞬が黙ってノートを差し出し、彼女も黙ってそれを受け取る。そしてスっと目を通し、赤ペンで色々と付け足して返した。

「閉じ込められる←何で?」

「怖いやつ←誰?どういう姿?」

「騙し合い←どうやって?」

 付け足されていたのは、全て質問だった。具体的でないという指摘だと分かったが、自分の中でイメージは出来ている。とりあえず書けばいいだろうと瞬は考えていた。

 静かな空間で、他人と一緒にペンを動かしていると、自分も頭が良くなっているような気分になった。西川さんを驚かすような小説を書いてやろうと、まずは4人が閉じ込められるシーンから書き始めた。

 それから1時間経っても、瞬は最初のシーンから進んでいなかった。文字数にすれば、100文字程度。今は、場面を表現する為の言葉を調べようとして、携帯ゲームに手を出している。

 堪えきれずに、西川さんが小声で話しかけてきた。


「······進んだ?」

「ぼちぼち」


 そう言って3行ほどしか書かれていないノートを見せ、「全然進んでないじゃん」と呆れられていた。瞬は再開しようと思ってノートと向き合うが、次に何を書けばいいのかが分からない。文の上の4人は今、薄暗い校舎の中で戸惑っている。

 では、ここで怖いやつを出そうじゃないか。

「あわてふためく4人の前に、明らかに、怖そうな見た目の、人らしき生き物が、迫ってくる。手には刃物を持っていた」

 句読点を惜しげも無く使い、徐々に迫ってくる様子を表現してみた。瞬の頭の中では、2mを超える巨漢が、鼻息を荒くして、手には血の付いた大きなナタを持っている。

 その後、怖いやつに追われ離れ離れになる4人。お互いがお互いを探しながら、怖いやつから逃げ回る。


「騙し合いはどこいったの」

「いや、無くした」


 小声でツッコんで来る西川さんに、瞬は適当に答えた。何も考えずに書いたら、すぐに散り散りになってしまった。消すのも面倒だから、このままにした。


「で、この次は?」

「あー、1人死ぬ。あと、この後友達と遊ぶから、もう帰るね」


 瞬は嘘をついた。そそくさとノートを閉じ、シャーペンと一緒にリュックに放り込む。西川さんは時計を見て、4時という中途半端な時間に疑問を覚えたのか、いないのか。「じゃあね、続き頑張って」と軽く手を振った。

 冷房のよく効いた部屋にいたせいでら前から尿意を催していた瞬は、急いで出口付近にあるトイレに駆け込んだ。


「あー疲れたー」


 誰もいないのを確認して、気の抜けた声を漏らしながら、用を足した。意識する物が無くなると、無意識に浮かんでくるのは、さっきまで書いていた小説のことだった。


「思ったよりめんどくせーから、もう図書館来んの止めようかな」


 手を洗いながら、鏡に映る自分に向かってそう言った。向こうの自分は見つめ返してくるだけで、否定も肯定もしてこない。


「どーせ、学校じゃ話しかけてこねーだろ」


 無表情で、そう言い放った。


 ***


 母親の仕事がある日以外は、殆ど龍也の家に行っていた。2人でゲームをしたり、断る佑晴の家に押しかけてサッカーに連れ出したりした。既に龍也の合格は決まっており、今は近所のコンビニでバイトをしていた。東京に住むということで、そのための資金を集めているらしい。龍也の割に計画的だと感心していた瞬は、まだ大学のことを何も決めていなかった。

 そんなある日、七時頃になって家に帰り、母親と向き合って夕飯を食べていた時だった。瞬は、適当に付けたクイズ番組を見て、箸を止めて答えを真剣に考えていた。


「瞬、テレビ消して」

「え、なんで」

「いいから」


 母の有無を言わせぬ迫力に、瞬は嫌な気配を感じつつ、テレビを消した。直後、母と自分の咀嚼音だけがリビングに響いていた。

 母は飲み込んでから、口火を切る。


「あんた、大学決めたの?」

「まぁ、だいたい」

「どこ?」


 瞬は俯いたまま黙り込む。1度も調べていない瞬に、大学の名前など出せるはずが無かった。


「指定校がどうこう言ってるけど、そんなんでホントに大学行けんの?」


 指定校推薦について何も知らない母がごちゃごちゃ言ってるだけだと、瞬は自分に言い聞かせる。


「いっつもスマホばっか弄ってゲームしてんだから、それで調べりゃいいのよ」

「うん、うん」


 適当に相槌を打って、ご飯をかき込んで、味噌汁で無理やり流した。これ以上ここにいると、爆発してしまいそうだった。


「どーせやりたいことも無いんでしょうから」

「は?」


 母のその言葉で、瞬の堪忍袋の緒が切れる。


「やりてーことくらいあるっつの、余計な口挟むんじゃねぇよ!」


 少しおかずが残ったテーブルに箸を思いっ切り叩きつけ、瞬はスマホを持って2階に駆け上がった。酷くムカついて、自分の枕を何回もベッドに叩きつけた。ムカついたのは、母の無遠慮な発言と、本当に何もしていない自分自身に対してだった。

 瞬はLINEを開いて、龍也にLINEを送る。

「明日も行くわ」

 すぐに返事が来て、5時にはバイト行くからそれまでなら、ということだった。5時に家に帰るのは嫌だ。どこかで適当に時間を潰そうと瞬は明日の計画を立てる。

「大学······どこでもいいなぁ、俺は何を学べばいいんだろう······」

 瞬は眠気が訪れるまで、地元から隣県の大学まで1つずつネットで見て回った。が、どれを見てもピンと来るものは無かった。


 ***


 瞬はほぼ毎日のように龍也と顔を合わせ、自分の部屋より龍也の部屋で過ごした時間の方が長かった。その日はクーラーの効いた部屋で寝そべりながら漫画を読んでいた。

 5時になるのはあっという間で、あと7時間で1日が終わってしまう。龍也は玄関で「俺は1日の最後にしっかりバイトするのさ」と、楽しそうに話していた。


「龍也、俺昨日母ちゃんと喧嘩したんだけど」

「へぇ、何で?」

「大学決まってないから」

「じゃあ決めりゃーいいじゃん、何で今日ずっと漫画読んでんだよ」


 龍也が鼻で笑って答えるのは、もはや癖であった。性格がよく表れているから、瞬は嫌な気はしなかった。「そうだな」と笑って答えて、家を出る。

 自転車に跨り、今日はいつもより気温が低いことに気付く。涼しい風に体を押され、もう1周間は入っていない図書館を通り、近所ではここにしかないカラオケ店の前で信号に止められる。カラオケ店の反対側には、初めて女子と行ったファミレスがあった。

 そのまま真っ直ぐ行くと、DVDやCDレンタルも出来る大きな本屋が見えてくる。最近は漫画もレンタル出来るようになったらしい。

 これからはここで時間を潰そうと、店内に入る。まずは小説のコーナーを突き抜けて、漫画を見ようと、文庫本の置かれた棚の方に向かった。

 すると、どこかで見たFILAの白TシャツにGパンを履いた、西川さんがいた。瞬は咄嗟に踵を返し、足早に店を出る。恐らく姿を見られていない筈だと思っていた。


「まじか······いるとは」


 自転車の前まで来て、瞬はこれからどこに行くかを考える。カラオケはお金がかかるし、あとはスーパーか飲食店しかないし······。


「ねぇ、森井くん」


 透き通った声に名前を呼ばれ、瞬は諦めて振り返った。そこには、無表情の西川さんが立っていた。


「······小説は書いてないよ」


 瞬は開き直ったようにそう言った。西川さんは小さく頷いて、「だろうね」と呟く。


「公園行こうよ《ルビを入力…ルビを入力…》、人が少ないとこ」

「じゃあ、イオンの隣のとことか?」


 彼女はまた小さく頷いて、瞬の横を通り過ぎる。西川さんの自転車は、瞬の2つ隣にあった。すぐに解錠して、風に押されるようにスっと漕ぎ出した。瞬も慌ててついて行く。

 国道に沿って走っているため、多くの車が瞬たちの横を走り去っていく。瞬の前を走る西川さんは、ゆっくりとペダルを回し、やがて瞬に並んだ。


「私ね、小説書いてるの」

「え?」


 それだけ言って、西川さんはまたスっと前に出た。何かを言おうとしたが、車の音に掻き消されてしまうと思い、胸にもやがかかったまま、公園に向かった。

 イオンの隣にある小さな公園は、遊具の類は一つも無く、生い茂った芝の上に何個かのベンチを置いただけの場所だった。この辺りには小さな公園が幾つもあるが、遊具が無いのはここだけだった。そのため、小さな子どもからの人気は低かった。

 2人は1番端のベンチに並んで腰を落ち着け、そのまましばらく黙っていた。瞬は西川さんが喋り出すのをひたすら待つつもりだった。そして、ぽつりぽつりと、西川さんが言葉を吐き出し始める。


「創作ってさ、すっごい難しいことなんだよね」


 瞬は「うん」と小さな声で答えた。


「私も見たよ、森井くんの言ってた短冊」

「えっ、あれ西川さんのじゃなくて?」


 瞬はさっき西川さんに「小説を書いてる」と聞いた時から、そうだとばかり思っていた。彼女は目を瞑って静かに首を振る。


「私じゃないよ、そんなに本気じゃないから」

「そ、そうなんだ」


 何か気が利くことを言うべきか、瞬の心臓は鼓動を早めていた。


「でもなんか、すごいよね、なりますって言いきれるの」

「うん」

「私もそうなりたいな」


 西川さんの言葉はふわふわと空を舞い、消えて無くなった。


「森井くん、大学はもう決まった?」

「いや、まだ······昨日、それで親と喧嘩しちゃって」


 瞬は申し訳なさそうにそう言って、今日初めてちゃんと西川さんの顔を見た。彼女は哀れみの混じったような、複雑な顔をしていた。


「こんなこと言っていいのかわからないけど、森井くん、大学ちゃんと調べてる?」

「ま、まぁ、昨日ネットで見たよ」

「それで、全部知った気になってない?」

「え?」


 西川さんの語気が、どんどん荒くなってきたのを感じた。


「小説だってそう、文章力見た時から無理そうだと思ったけど、まさか会いにすら来なくなるとは思わなかった!

 いったいどういう神経してんの?」


 瞬は何も言い返せず、黙って聞いていた。


「私のお母さんもそう、別に私が勉強してようがしてまいが構わないくせに、『ホントに受かるの?』なんて聞いて! 何も知らないくせに! 私が1番不安なのに!」

「西川さん······」


 大声で怒鳴り散らす女子をどうしたらいいのか分からず、瞬はただその言葉を聞いていた。


「はぁー、もうやだ、家に帰りたくなくて本屋行ったけど、森井くん見たらもう我慢出来なかった」


 散々怒鳴ったあと、西川さんは両手で顔を覆った。顔は夕日に照らされてなのか、恥ずかしさからなのか、真っ赤だった。


「西川さん、俺に読ませてよ、その小説」

「何で急に」


 両手で覆ったまま、顔だけをこっちに向ける西川さんに、瞬は思ったことをそのまま口にした。


「俺って大分ちゃらんぽらんに生きてたって、自分でも分かってたんだけど、西川さんに言われて、俺には何かを作るための技術も才能も無いなって分かって、頑張ってる西川さんの作った小説は、きっと面白いんだろうなって」


 後半は自分でも何を言っているのかがわからなかった。けど、西川さんには伝わったみたいだった。


「ありがと。はぁー! 勉強頑張ろーっと! 森井くんは何を頑張るの?」


 西川さんは勢いよく立ち上がって、大きく万歳をした。瞬もつられて立ち上がり、両手を大きく上に掲げる。


「俺は、行く大学決めて、遊びながら仕事もして、人並みの幸せを手に入れる!」

「一気に普通の目標になったね」


 西川さんは綺麗な歯を見せて笑う。瞬はこれくらいが俺には丁度いいんだと笑って答えた。


「私ね、人生もまた一種の創作だと思ってるの」

「うわ、作家っぽいこと言ってる」


 ぽいって何、と、二の腕を強く叩かれる。


「私たちはこれから、苦難もあれど、後悔はしないように生きていくから。これが小説のクライマックスなら、私たちの未来を暗示する描写を最後に添えるでしょうね」


 西川さんはきょろきょろと辺りを見回す。瞬もつられて視線を巡らせた。

 周りにはそれなりに新しそうな民家と、小さな森がいくつか。夕焼け空に点在する雲に目を凝らしても、何か特別な形には見えない。足元も探してみるが、芝が綺麗に生え揃っているくらいだ。

 瞬は諦めて、さっきから熱心に探している西川さんに声をかける。


「何かあった?」


 西川さんはこっちを振り返って笑う。


「なんも無い!」

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わなび 美翔 和穂 @gorogoro5656

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