花溜まりの君へ

あかね

第1話

「私はね、幽霊なんだよ」

二人並んで歩く木漏れ日の下、彼女はそう言った。

嘘だ、と口に出すことはできなかった。

これが手紙やメールだったら、そんなはずはない、と笑い飛ばしたかもしれない。しかし、普段話す時は柔らかさを孕むその声と表情は真剣そのもので、それが、彼女が本気だということを物語っていた。

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彼女と出会ったのは、高校生になったばかりの頃だった。


僕の住む町のはずれには森があって、その森を奥まで進んでいくと、花畑が広がっている。森の奥深くにあるせいか、人が来ることは全くと言っていいほどない。放課後はそこでのんびりと過ごすのが僕の日課だった。


その日も、いつもと同じように花畑の端の方でゆったりと本を読んでいた。

日が傾いてきた頃、眠気をいざなう花の香りが鼻腔をくすぐり、あまりの心地よさに木に寄りかかってその場でうとうとと眠ってしまった。

一時間ほど経った頃だろうか、すぐそばにに誰かがいる気配がして、僕は目を覚ました。重く張り付いたまぶたをなんとか持ち上げると、

「あ、起きた。」

目の前に、僕の顔をのぞき込んで笑う、見知らぬ少女がいた。


「君は放課後はいつもここに来てるの?」

よいしょ、と少女は僕の隣に腰を下ろした。

「そうだよ、毎日ここでごろごろしてる」

寝起きのせいか少しぼやけて見える彼女に、僕と同い年くらいかな、などと考えながら答える。

「ふーん、じゃあさ、私も毎日ここに来ていい?」

「別に僕の所有地とかではないからいいけど…。そもそも僕にわざわざ聞かなくてもいいのに」

「だって、なんかこの花畑のヌシって感じがするんだもん、君」

ふふっ、と笑いながら彼女は言った。

「なんだそれ、」

つられて僕もふふっ、と笑ってしまった。


最初に話しかけられたときは、初対面の割には馴れ馴れしいな、と戸惑いもあったが、話しているうちにそんな感情はすぐに消えていった。

結局、それから小一時間ほど他愛ない話をしていた僕らは、すっかり夕日が沈みきってしまいそうなことに気づき、急いで森を出た。

彼女の家は僕の家と正反対にあるらしく、森の出口で別れることになった。

「ありがとう、今日は楽しかったよ!」

「僕も楽しかった、ありがとう」

じゃあまたね、と彼女に背を向けて帰ろうとしたその時、

「あ、待って!」

「?」

「名前、まだ聞いてなかった!あ、ちなみに私の名前は彩季。『彩る』に季節の『季』で『さき』って読むの」

「いい名前だね。僕の名前は優希、『優しい』に『希』で『ゆうき』って読む」

「君もいい名前じゃん!」

二人ともいい名前なんだね、と僕らは笑い合った。ひとしきり笑い終わったところで、

「もう日も沈んちゃったしそろそろ帰ろうか」

「そうだね、じゃあまた明日」

「うん!また明日!」

僕らは帰路についた。


これが僕と彩季の出会いだった。


それからは放課後に花畑に行くと、必ず彩季は僕よりも早くそこにいて、僕を迎えてくれた。特に何かをするわけでもなく、本を読んだり、寝たり、くだらない話で盛り上がったりして、日がかげったら家に帰る。

時折、彩季は何か思いつめたような表情をすることがあった。でも、それはほんとに一瞬で、たぶん僕の見間違えなのだろう。

代わり映えのしない日々だったけれど、とても楽しくて幸せな毎日だった。そんな日々が僕の、僕らの日常で、まるでこんな日常が永遠に続くような、そんな心地がしていた。


それが、儚い夢だったと知るのは、六月も半ばに差し掛かり、梅雨前線が産声を上げ始めた頃のことだった。


その日は雨だった。だから、花畑には行かなかった。それだけで終われば、次の日には記憶の隅に追いやられているような、ただの日常の一コマだった。

けれども、じめじめとした雨は連日降り続いて、花畑に行けない日々も続いた。

花畑に行けなくなってから七日目の朝、ようやく雨が止んだ。


放課後、久しぶりに彩季に会えることに心を踊らせながら、ぬかるんだ森を慎重に進んで花畑へと向かった。しかし、そこに彩季はいなかった。連日の雨があがったばかりだから、理由はきっとそれだろうと思った。

だけど、次の日も、そのまた次の日も彼女は花畑に来なかった。

連絡先は交換していなかった。彼女から交換しようと言ってきたことはもちろんなかったし、僕も毎日会えるものだと勝手に心の奥底で思っていたのか、連絡先を交換するなど考えたこともなかった。

なんで交換しておかなかったんだ、と少し後悔した。


それからも花畑に彩季がいない日々は続き、気づけば花畑の周りの木々が紅く色づく季節になっていた。

彩季のことはまだ心に残っていたし、無事でいるのかどうか心配だった。だけど、人間というものは、どうしようもないことに関しては思っている以上にあっさりと諦めをつけられるようで、僕は彼女のいない日常にすっかり慣れてしまっていた。


そんなある日、花畑に先客の姿が見えることに気づいて、僕は慌てて駆け寄った。

「彩季!」

彩季は僕の声のする方に振り向き、笑顔を見せた。

「優希!」

「こんなに長い間どこに行ってたの?」

僕は息を切らしながら尋ねた。

「それについてなんだけどね、私、優希に言わなきゃいけないことがあるの」

「言わなきゃいけないこと?」

「うん。だからね、少し森の中を散歩しながらお話しない?」

以前よりも少し元気がなさそうな様子に少し困惑しながらも、僕はうん、と頷いた。

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そして、話は最初へと戻る。


「あんまり驚かないんだね、なんかつまんなーい」

「だって、すごく深刻そうな顔してるんだもん」

「え?!」

彩季は慌てた様子で自分の頬をペちペちと叩いた。

「なんか恥ずかしい…」

そうぼやきやながらも、彼女の顔には笑みが戻っていた。


「でもさ、幽霊ってことは彩季は僕の前に現れたあの日に死んだってこと?」

「ううん、違うよ。私が死んだのは六年前のこと。」

「六年前…?」

そこに何か引っかかるものを感じたが、それが何なのかは分からなかった。

「そう、六年前。私もね、毎日あの花畑に通ってたの。」

何かを懐かしむよう微笑みながら彩季は言った。そうして、彼女は過去の ー 彼女の生前の

ー 話を始めた。


もともと内気で友達の少なかった私は、高校生になって友達と離ればなれになって、一人ぼっちになったの。

そんな時、一人で静かに過ごせる場所を探してふらっと森に入って、花畑を見つけた。それからは毎日、その花畑へと足を向けたの。

一人でいることなんて気にならないくらい、すごく楽しい毎日だった。

でもね、そんな楽しい毎日もあっけなく終わっちゃったの。夏の終わりごろだったかなぁ、ーーー


「あ、」

彼女がそこまで話したところで、僕は思い出した。六年前の夏の終わりごろ、確かその頃は、無差別連続殺人事件が起こった頃だ。次は自分が殺されるんじゃないかと、毎晩びくびくしていた。

「どうしたの?」

「あ、いや、彩季もあの通り魔の被害者だったんだな、って思って」

「そうそう。でもね、成仏できなかった。無差別殺人に巻き込まれたのが恨めしかったからじゃない。」

少し目を伏せて、彼女は言った。

「一人でいるのは楽しかったけど、たぶん心のどこかではやっぱり友達が欲しかったんだと思う。でも、幽霊になって透明になって、誰にも見えなくなったから、成仏も出来ないし友達もできない毎日だった。」

まあそのおかげで優希と出会えたんだけどね、と彩季ははにかんだ。

「それでね、君と友達になって、本当に楽しくて。君に何も言わないまま成仏しちゃうことが怖くなったの」


いつの間にか、僕らは森を出ていた。いつも帰る方とは逆方向の出口、海が見える出口に僕らは立っていた。彩季はててて、と小走りで僕の前に行き、くるりと振り返った。

「だからこれで最後なの。」

「最後ってどういうこと?」

口ではそう言いながら、本当は分かっていた。彼女は自分の過去を語り終えた。

だからーーー

「本当は分かってるんでしょ?」

と、悪戯っぽく微笑んで彩季は言う。

彼女を背中から照らす落陽は、その身を海に沈め始めていた。

「私ね、優希と出会えたのは運命なんじゃないのかなって思うんだ。今まで透明で誰にも見えなかったのに、君には見えた。君が、透明な私に色を付けてくれた。」

彩季は、ゆっくりと落陽に染まっていく。

「ねぇ優希、私は優希と友達になれて本当によかった。この世から消える前に、すごくいい思い出ができた。」

僕の視界に映る彼女はぼやけていた。声を発すれば嗚咽になりそうな気がして、何も出来なかった。

「短い間だったけど、とても幸せだったよ。」

ありがとう、その言葉と同時に、彩季の姿は落陽に溶けてしまった。

「う、うぇ、うああああああああああ」

僕は堪えきれずに声をあげて泣いた。太陽が水平線の向こうに隠れてしまうまで、ただただ、泣き続けた。



次の日に、花畑に小さなお墓を作った。ちゃんとしたお墓はもう別の場所にあるだろうけど、彼女の好きだったこの場所に作ってあげたかった。

「喜んでくれるかな」

そう呟いたとき、優しい風がそよそよと、僕の体を撫でた気がした。

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花溜まりの君へ あかね @yorugakuru

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