不眠
言無人夢
第1話
まぁ、何はともあれ。彼の話をまずはさせて欲しい。
彼。ここでは仮に佐上くんと呼ぶことにしようか。
佐上くんは不眠症を患っていた。いつからかと問われれば、数ヶ月前から。
今朝も一睡もできないままに起きた彼は、これから学校へと向かうところだった。
「……」
不眠症の原因は様々に考えられるが大雑把にまとめて、結局はストレスによるものが大きい。
佐上くんの生活におけるストレスはいかほどなものだろうか。
ちょうど彼が教室に至る。
一面から、腫れ物を見るような視線に晒される。
痛いほどの沈黙。
「……」
別にいじめられてるわけでもない。突き刺さる視線のほとんどは同情にも似たものだった。
同情。
つまりは線引き。
お前は可哀想な向こう側。私たちは上から目線のこちら側。
……いやよく見ると。もちろん全員が全員その種類の視線というわけでもない。
混ざるのは、仄かな罪悪感。
彼だけをスケープゴートにした、かつての共犯者たちの視線が入り混じる。
「……」
しかし間もなく避けられる。
佐上くんが見渡すだけで。歩くだけで。それらの視線は次々と剥がれ落ちていく。
自席へ。
その前方。二席手前には空席。机の上に花瓶の置かれた。
空席。
授業が始まる。
不眠を長く患うと、覚醒時の意識は常に散漫とした状態が続くようになる。
佐上くんにしても事情は同じで、居眠りできたわけでもないのに。気付けば授業中の記憶はなく、今この時はすでに放課直後だった。
「……」
帰宅の途へと向かう周囲に合わせて席を立ちかけながら、どうして自分は眠れないのかと考えてみる。
……いや、考えるまでもない。理由はわかりきっていた。
わかりきって、なお克服できないそれは。ある種の呪いじみて思われた。
「本当に呪いなのか……?」
いつの間にか、自室。
返事など、もちろんない。
明かりも点けぬままに夕暮れ。手の先も見えないほどの暗がり。それらは沈黙を以って佐上くんをすっぽりと包んでいた。
返事はない。
「どうして俺だけなんだよ、なぁ」
返事はない。
「返事はない、じゃねぇんだよ! その声やめろよ……頭の中で終始ブツブツブツブツ、……おかげで俺、全然眠れないんだよ」
そう、佐上くんは眠れない。
「復讐、なのか? 何すれば許してくれるんだよ……俺だけじゃなくて、もっと他にもいただろ。なのにどうしてだよ……」
返事はない。
「……」
翌朝。
吹っ切れたような顔で昼頃、ふらりと教室に現われた佐上くんの手には、どこから仕入れてきたのかサブマシンガン。
唖然とするクラスメイトに向かって掃射。教室を血の海に変える。
阿鼻叫喚。
沈黙。
「なぁ、これでいいか? なぁ?」
屋上へ。
屋上の、『僕』が飛び降りたその柵のもとに。
牛乳瓶。タンポポを挿して。
「ごめんよ××××。……死ぬまでイジメて、悪かったな」
彼はその場で銃口を咥えて、あっさりと自殺する。
あっさりと、眠ってしまう。
……。
…………。
しかし『僕』だけは眠れない。
佐上くん主導のクラス全体からのイジメが原因で自殺して以降。どうしてか『僕』の意識は途切れることなく、こうして語り続けている。
この声が佐上くんにだけ聞こえてしまった理由も、正直なところよくわからない。
別に彼に特別恨みがあったわけでもなく。この世に未練があるわけでもなく。
ただただ『僕』も、眠れないだけなんだ。
……。
…………なぁ。
聞こえてるんだろ? 君もこの声が、さ。
君も眠れないのか?
君も佐上くんみたいにいつか狂うのか?
……。
でも最後には『僕』を差し置いて、眠ってしまうんだろうな。
不眠 言無人夢 @nidosina
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