絶望と希望の物語

碧い高鷲

始まりの物語

 最初に供述しておきますが、これは私の物語ではありません。私はあくまでも第三者で、この物語に登場する彼と彼女とは全くの無関係です。ただ、私は彼と彼女の日記を通してつながっているだけです。あまりにも不確定で、不安定で、とても小さいつながりですが、私はどうしてもこの物語を目に見えるものにしたかったのです。形として、残したかったのです。そして、それを誰かに知ってもらいたかったのです。見てほしかったのです。私だけではなく、誰かと共有したかったのです。だから、私はこうして文章を書いています。しかし私が書く文章は、この物語の登場人物である彼と彼女の日記を私なりに解釈したものです。私自身、この日記を物語にしたものがあまり良い出来になるとは思いません。謙遜ではない事実です。そこは、許容してもらいたいです。お願いします。しかし、わかってほしいことが一つあります。絶対にこの物語で得るものはあります。断言できます。私がそうでしたから。確かに文字というのは情報が少なく、不安定なものです。それに物語は、読んだ人の数だけ色々な解釈があります。千差万別です。私がそうだったからと言って、他の人がそうであるという保証はどこにもありません。それは、あまりにも傲慢です。しかし、それでも、読んでください。字を追ってください。物語を想像してください。あなた自身も物語に入ってください。共感してください。新しいことを発見してください。好きになってください。愛してください。そうすれば、きっと彼と彼女も嬉しく思うはずです。私も読者の皆さんをそうさせるように頑張りますから。



 生まれた時からというか、自分に形ができた時から僕はずっと暗闇の部屋にいた。光はなく、あるのはただのもやもやした黒色だけ。それに加え家具もなく、天井もなく、床もなく、色もない空間。僕は水の中みたいに、力を入れずとも下に落ちることがない、とても不思議な状態でもある。星がない宇宙というのが、一番しっくりくるのかもしれない。そんな、普通の人だったら発狂してそうな空間に僕はいる。でも、居心地は悪くない。むしろ、ここにいるのが定められているように、とても落ち着く。何十年も過ごしてきた部屋みたいに、ここにいるのが当たり前だと思ってしまうほどだ。そんな代わり映えのない空間に、変化が起こった。光が差したのだ。僕の真っ黒な空間に、手を差し伸べるような光が。それは、とても眩しくて、優しそうで、暖かそうで、じんわりと左胸あたりに熱が生まれるのを感させるほどだ。後ろには、慣れ親しんだ空間。前には、新しい光。今まで、ここにいるのが当たり前な僕にとってそれは、異物だと恐れることがあってもいいはずなのに、僕はその差し伸ばされているような光に手を伸ばしていた。そう、この感情は……

 初めに感じたのは熱だった。その後に、感じ取ったのは音。そして最後は、真っ黒な闇。さて、一つずつ整理していこう。まずは触覚から。背中に当たる硬い感触から伝わってくる熱と、全身をじんわりと撫で回すような熱を感じた。それと、妙に右手が熱い。次に聴覚。風に揺られ、お互いの葉と葉を擦り合わせあっている木の音と、僕と微妙にずれて聞こえてくる、とても小さな呼吸音。最後に視覚。これは、黒。ただそれだけ。でも、真っ黒ではない。雲のような形をした濃い緑色や本棚の形をした暗い赤色が浮かんでいる。全てが黒色ではなく、複数色というのは見慣れた光景であるはずで、逆に一色だと気味が悪いと普通は感じるだろう。しかし、黒以外の色が邪魔者だと思ってしまった僕は、おかしいだろうか。いや、感受性豊かと思っておこう。僕が得られた情報である、これらをまとめて、わかることが三つ。一つ、今はとても暑いということ。二つ、僕の隣に誰かいること。三つ、僕は少し感性がおかしいということ。直ぐに確認しなければいけない案件は、三ではなく二だろう。僕の隣に誰かがいる。そう思い始めると、一の妙な右手の理由が予想できる。これは誰かと手を繋いでいるのだろう。特に毛で覆われている感触はないし、僕の手から跳ね返ってくる感触は、人の皮に覆われた人の筋肉だろう。しかも、やけにすべすべしていて、僕の手に収まることができるくらい小さい手だ。これらのことを踏まえて考えると、これは人の手で、尚且つ女性の手の可能性が高いということがわかる。いや、待て。決めつけるのは、早い。もう一歩先に思考を進めろ。これは、男の手かもしれない。もしかしたら、ジェルでコーティングされた手なのかもしれない。これから目を開け、女性の手だと思い、右隣をみると、筋肉が異様に発達した野蛮な男がいたらどうしよう。しばらくは羞恥と絶望で眠れなくなってしまう。いや、待て。大丈夫だ。筋肉男は僕の手に収まるような小さな手はしていないだろう。それに仮にジェルでコーティングされていたら、独特な匂いが少なからずあるはずだ。それは僕の嗅覚に反応していない。いや、待て。筋肉男ではなくても、これは少年の手ではないのか。幼い少年少女は体格に大きな差はなく、女性と間違える可能性が高い。それに、すべすべな手と、小さな手のことも辻褄が合ってしまう。なんてことだ。見落としていた。いや、待て。それは別にかまわないのでは。仮に少年だとしても、それは気味悪いことではないはずだ。大丈夫だ。感触だけだと受け取れる限界があるので、女性か、少年の二択は絞れない。よし、最も信頼感がある視覚に頼ろう。むしろ、もっと早く視覚を使って確かめれば、直ぐにわかったものを。愚かなり、僕。そう思い、意識を感じ始めてから、数秒経った後に僕はやっと目を開ける。目を少しずつ開けると、光が差し込んでくる。眩しい。太陽の光が、直接入ってこようとしているので、なかなかに目を開けられない。目を少しずつ慣らしていく。数秒。やっとのことで目を完全に開くと、そこには雲一つない青空が広がっていた。一つの色と、一つの光。とても壮大な景色だ。僕らは当たり前のように見ているけれど、こんなにも不思議な光景は他に中々ない。僕らの当たり前ってなんだ。いや、そんなことよりも早く確認せねば。ほんの少しの緊張はあったが、先程の結論を思い出し、安堵する。そして、首を横に曲げる。まず、情報として欲しいのは手の情報。先程から思考したものが合っているのか、不安だったからだ。答え合わせをする。よし、正解だ。想像通りの小さくて、とても滑らかそうな手だった。さて、運命のご対面といこうか。女性か、少年か。できれば、女性であって欲しい。理由は男性の性だと言っておこう。手から腕へ。こんなに太陽に焼かれているのに、日焼けをせず眩しいほどの白い腕だった。そこから、肩へ、首へ、そして頭へ。果たして…… そこにあったのは、少女の顔だった。ほっ。安心すると同時に、驚いた。なぜか少女も目を開いて、こちらを真っ直ぐ見ているのだ。先に起きていたのか。いや、違う。それならば、僕に声をかけるなり今もなお繋がっている手を離すなり、気持ち悪いと思って僕を殴り飛ばすなり、何かの動作をしているはずだ。ならば、僕と目の前の少女は親しい関係なのか。いや、違う。だって、僕はこの少女のことを知らない。肩に掛かる程度の少し長めの黒い髪と、とても活発的で少女の真っ白に対立するような黒い目も、下の唇に重なってできたような上の唇も、全てが全て新鮮なものだった。ならば、なぜ。一秒の約半分。わかった。目の前の少女も今、僕と全く同じタイミングで、目を合わせたのだ。なんと、凄い偶然だろうか。しかし、間違ってはいない。その証拠に彼女の活発そうな目が、驚きで少し揺れたからだ。この視覚情報だけで決めつけるのは、少し早計だと思うが、それは目の前の少女に聞けば良いだけの話である。しかし、僕が聞く前に殴られはしないだろうか。例えば僕が生物学的にも性格的にも女性だとして、目を覚ました瞬間になぜか誰かと手が繋がれていて、その手が男性のものだとしたら、僕は迷わずその男に固く握りしめた拳をお見舞いするだろう。しかし、仮に僕がするのがいいが、それが受け取る側になると話は違ってくる。なんとも理不尽な話だと思い、憤慨するだろう。ならば、殴られる前に退却すべし。そしてあわよくば撃退すべし。思考間数秒。僕は、直ぐ様に『目の前の少女』から手を離し、距離を取る。『目の前の少女』から、『少し遠くになって呆けている少女』になった。そして、撃退する構えに入った。利き手である右手を、握らずに手のひらを開き、軽く指と指の間をきつく締めて、少し遠くになって立ち上がってこっちを見ている少女に手の小指の辺を向ける。小指の辺の骨を武器として、盾としても使う。そして、左手は硬く拳を握り、いつでも相手のお腹に攻撃できるように、腰のあたりで腕を引く。そして最後に、攻撃した反動で体勢が崩れないようにするためと、『少し遠くになってこちらを不思議そうに見ながらも一応は構えている少女』に合わせて、腰を落とす。これが、僕の撃退する構えだ。なんとも合理的で論理的で完璧な体勢なんだろうか。それに比べ、『少し遠くになって笑いを堪えるような顔をしている少女』は、なんとも無様な体勢だろうか。哀れみの感情を抑えきれない。ふっ、と鼻で笑うと、『少し遠くになった僕の顔を真似しているように顔を変えている少女』は、同じく鼻で笑った。その仕草が癪に障り、僕はその体勢をできるだけ崩さぬように、『変顔をやめてこちらを冷たい目で見ている少女』に向かって走る。気合を入れるために、腹のそこから、熱い咆哮を放つ。そして、『だんだん近くなった僕の気合の咆哮で身震いしたのか顔を伏せて震えているしかしこうしてみると活発そうな目の原因は大きな目にあったんだなと思わせられざる負えない少女』に、剣のように鋭くなった僕の右手と、ダイヤモンドのように固くなった僕の左手を彼女に突きつける。その直後、がくんっ、とした音を僕の聴覚が捉えたときには、僕の視界は揺れて、真っ黒に染まっていった。その、暗くて恐怖心を煽らせるような一つ色に僕は安堵を覚えていた。

 意識が眠りから覚めてからの約数秒間はあまりにも思考が遅くなってしまう、という思考を眠りから覚めてからの数秒の間に感じていた。しかし、その数秒間が終わった後に僕の思考はゆっくりと流れ始める。一秒の半分の半分。いや、待て。おかしいぞ。僕がはなった最高にして最強の攻撃を繰り出したのまでは覚えている。そこからの記憶が全くない。なぜだ。いや、考える必要などない。多分すぐ近くにいるであろう、『僕に何をしたかは分からないが絶対に許すことはないだろうと僕の絶対に許さない脳内ブラックリストに載った少女』に聞けばいいだけの話だ。そうしてつむっていた目を開く。起きてから、自分の愚かさを恥じた。なぜならば、僕は日陰で仰向けになっていたからだ。太陽を僕から守ってくれていたのは、神社の屋根だった。僕らがさっきまで寝ていたのは神社に続く石の道だったようで、多分と言うか、確実に、『心優しきあの少女』が運んでくれたのだろう。そうだよ。別にあの少女は何もしていない。僕の勝手な勘違いで、少女に罪はない。全くない。自分の愚かさにはほとほと呆れたものだ。自己嫌悪と羞恥と罪悪感で押しつぶされそうなのを我慢して、素直にあの少女に謝ろう。そう決心し、僕は立ち上がり、少女の方へ足を向ける。あの少女は神社に続く石の道の奥、下に続く階段の一番上に立っていた。僕は、とても緊張した。しかし、これをしなければ男ではない。そう固く決心をし、わざと足音をたてるようにして少女のもとへ向かう。わざと足音をたてる理由は聞かないでくれ。ただ、自分から声をかけるのは恥ずかしくて怖いなどというとても惨めな理由なんかではない。決して。だんだん少女へ近づく。僕が、より一層大きな音をたてて少女の少し離れたところで止まる。そうすると少女が振り向く。白いワンピースだけという、とても簡素で少し薄着の格好をしている。長い黒髪と、こんな夏なのに日焼けしていない白い肌が程よいバランスをとっている。少女が振り向く。活発そうな大きな目が、僕を射抜く。僕は、少女に誠心誠意謝ろうと、頭を下げる途中で少女の声が聞こえた。

「君の急に襲い掛かってくるという、おかしい精神と、気味が悪い声を発した時はとても面白かったよ。ああ、それと男女差別をするつもりはないけど、男性が女性よりも体格で勝っているのは確かなのに、あっさり敗北した君はもっと面白かった。正直、すごい滑稽だった。ありがとうね。私を笑わせてくれて。名前もわからないか弱い女の子に急に襲った上に返り討ちにあった、か弱い滑稽な少年くん」

 ……やはり、この少女は襲って正解だとそう確信した。





 その少女の明らかとした挑発の言葉を投げかけられた僕だが、しかしあながち間違えでもないと気づき、何も言えない僕をまた目の前の少女は笑った。ははは、無様な僕。そして、『絶対に許さない脳内ブラックリストの最重要迎撃対象として再び登録された少女』に、僕は謝ることをせずに質問をした。

「君は誰なんだよ。そしてここはどこだ。生憎僕は記憶喪失らしいから、教えてくれ。今のは水に流してやるから」

 そう、僕は記憶喪失だったのだ。記憶喪失というのは不思議なもので、言葉とか体の動かし方や常識的な知識などは喪失していない。ただないのは、自分が何者で、周りがどこなのかということである。ここで僕が少女に質問をした理由は、二つある。一に、少女が僕のたまたま僕の近くにいて、僕がこのことを知っているんじゃないかと期待できる唯一の存在だからだ。二に、少女の言ったことを、脅迫的に質問してなかったことにしたかったからだ。衝撃的な事実に同情をしてくれて、さっきのことなんて忘れてしまうだろうという、希望的観測に期待した。さて、僕のこれからの将来を分ける大事な案件だ。心して聞くことにしよう。僕の質問を聞いた少女は、細くてきれいな眉をひそめながら返答した。

「わかんないや。だって、私も記憶喪失だもん」

「なめんな」

 そう、間髪入れずに文句をいうと不満の声が帰ってきた。

「しょうがないじゃない。何もわかんないだもの。それに、なめるなと言った君も記憶ないんでしょ? お互い様じゃない。しかも、私は記憶が無いのに襲われたのよ。だから、私様じゃないかしら」

 はっ。何言ってんだこいつは。ちょっと頭の残念な子なのかもしれない。なんだよ私様って。お互い様というのと比較してそうなったのか。なんとも、残念だ。最初は僕のほうがこの少女に劣っているかもしれないと思ったけれど、そうではないのかもしれない。いや、そんなことよりも……

「二人共記憶喪失というのは本当にありえるのか。いや、そんなことはどうだっていい。考えるべきはそこじゃない。これからどうするかだ。とりあえず、この神社を降りるか。よし、そこの残念少女。行くぞ。君も記憶が無いんだろう。記憶探しの旅としようじゃないか」

 そう、二人が偶然同じ場所に仰向けになっていて、偶然二人が記憶喪失だということはひとまずおいておこう。まずは、情報収集だ。そのためには何処かに行かないといけない。しかし、一人で行くのは正直に言って心細い。だから、この少女に勧誘をした。別に他意はない。これが男性だったとしても、二人でともに歩んでいただろう。多分。

「なんかすごい不敬な呼び方された気がする。まあいいけど。私もそれを考えていたから。でも、この世界で探す気になれるかな。私は行きたいと思えるけど、君はどう思うのかな」

 どういうことだ、と聞く前に、少女は目線を前方へ向けた。僕もそれにならう。山の上にあるこの神社では、街全体を見ることができる。そして、見たものは、滅茶苦茶に壊れた世界だった。驚きはあった。なにせ、すべてが壊れているのだから。もう、元の街の輪郭なんてわからない。あるのは、ただのコンクリートの塊が連なっているだけだった。世の中ってこんなに広かったんだ、と思わさせられるほど建物が倒れていた。もう一度言おう。驚きはあった。でも、それだけだった。なにせ僕には記憶がない。だから、この景色はとても破壊的で、破滅的で、とても目に入れるのが恐ろしいもののはずなのだけれど、僕がいた世界と全く別の世界のように感じてしまうのだ。僕の反応を見た少女は、満足そうに言った。

「やっぱりね。君は驚きはするけれど、この光景を見てもあまり取り乱さないと思っていたよ。だって、私と同じで記憶がないもの。ゲームの世界みたいだなって割り切れることが出来ると思ったよ。わかった。私は君と一緒に旅をすることを誓うよ」

 ああ、なるほどね。この少女、改め彼女は、僕を試したのだ。この光景を見せて取り乱すようではこの先で、足手まといになると。自分の枷になってしまうと。だから、なんの忠告もなしにこの光景を見せたのだ。きちんと割り切っている人だ。さっきは残念な子だと思っていたけれど、これは上方修正しないといけないらしい。

「こちらこそよろしく。ところで、僕は君の事をなんて呼べばいいのかい?」

「君とかあなたとかでいいんじゃない? 多分、この言葉を使っても不自由はないんじゃないと思うし」

「よし、了解した。ではこれからの長い間、改めてよろしく」

 多分、この淡々とした会話をこの世界というか、この世界で過ごした記憶がある人が聞いたら、怒ることだろう。なぜなら、僕と彼女の間には誰も入ることはないだろう、つまり誰かが生きているとは思っていない、もしくは生きていたとしても生きる希望も何もない廃人だろうと確信している前提で話しているからだ。大いなる侮辱だ。しかし、別に間違っていない。こうして、僕は偶然か必然かわからないが、知り合った彼女とお互いの記憶を探すために、この壊れた世界を旅することにした。




 その旅は、大まかな計算で一年くらい続いた。旅の経緯は詳しくは語らない。なにせ、僕と陽気な彼女との旅を事細かに語ると、本当に十年くらいは話してしまいそうだから。でも、何かを語るとしたら、とても楽しかった、だろうか。だれもいない世界で、二人っきり。多分、誰も味わったことがないから伝わらないと思うが、とても良かった。そう言っておこう。短い文章だが、これくらいじゃないと止まらないのだ。十年話しても足りないくらい、本当に大切なものだから。僕と彼女の思い出が、一つの素敵な絵を完成させるためのパズルのパーツみたいに、彼女と過ごす時間の一秒一秒の全てが大切なもの。最初は、ただの旅の同行者だと思っていたが、一緒に過ごしていくうちに、とても心地が良いと感じ始めた。恋心、家族愛、友情、いろいろな人間の絆の名称があるが、僕と彼女はそういうものではないと思っている。他人が作った関係性では、所詮他人が作った範囲でしか親愛を育めないからだ。そう思えるくらい、僕は彼女と一緒にいることが幸せだった。本題を始めよう。結局僕らがこの旅で記憶を取り戻すことはなかった。しかし、この旅で得た重要な事が四つほどある。一に、この世界は地球という星で、尚且つ僕らがいるところはその中の日本という国だということだ。二に、この世界というかこの日本では、全国に渡り、この崩壊した光景が続いていたこと。三に、生きている人間は意外にも多くいた。しかし、どの人間も予想通りに廃人となっていた。四に、僕らは人間ではないこと。以上だ。さて、なにから話そうか。まずは、一から順に語ろうか。僕らがいるのは地球という星で、僕らがいるのは日本という国というのは、さほど重要なことではなかった。この情報は、崩壊した街の中にあった図書館などから貰った情報だ。僕らは、旅をしている間この図書館というところを見つけては本を読み、知識を蓄え、僕らの記憶の手がかりになるものを探していた。しかし、結果はさっき言ったとおりだ。僕らがなぜ、日本語を知っているのにも関わらず、日本ということを知らなかったのはまだわかっていない。二は、この日本全てがはじめに見たこの世界の光景と、全く同じ状況だったということだ。僕らは、この崩壊した世界の原因はわからない。でも、少なくともこれは人為的なものではないということだ。これは、自然災害だ。天が行ったような規模の災害だから、僕らは安直に天災と呼んでいる。この天災の原因はわからない。僕らは別に科学者とかではないから。でも、世界が人間によって壊されていることは、本の内容から知っていた。人間は愚かだとは思うけれど、僕らにとっては関係ないことだ。三は、生きていた人間はいたが、予想通りなにも感じていない廃人だったということ。多分人間というのは、自分では処理できないような危険に瀕すると、なにも感じなくなるのだ。いや、感じなくしているのだ。自分の心が絶望に押しつぶされて壊れないように。四は、多分僕らの記憶についての最大のヒントだろう。僕らは人間ではない。とても非科学的で非論理的な内容だが、根拠はある。まず、この日本を一年で歩いて周るのなんて不可能だ。別に、徒歩ではなく車や自転車を使ったわけではない。というか使えない。ビルや橋などが壊れているのだから。話を戻そう。僕らが、この異常な短期間で旅を遂げたのは、僕らには睡眠や食事が必要なく、疲れを一切感じなかったからだ。これは常人には不可能だろう。だから、僕らは結論づけた。僕と彼女は人間ではない。以上が僕らの旅の成果だ。収穫はあったけれど、確信的な僕らの記憶、もとより正体がわからなかった。だから、僕たちは決心しなければならない。僕と彼女自身を見つけるために。(日記より抜粋)






 僕らの旅は終わり、僕らはスタート地点であるあの神社へ向かうことにした。少し落ち着いた場所で、大きな選択をするために話し合いたかったからだ。大きな選択、それは、海を渡るか否かだ。日本という国は島国で、他のところへ行くには大掛かりな材料と技術と知識と知恵が必要だからだ。そう思いながら神社へ続く階段を彼女と登る。登っている最中に、彼女が話し始めた。

「あのさ、一つ提案があるんだ。どうにかして、人間たちを正常に戻すことはできないかな? いくら私達が何時間も活動できるからと言っても、限界があると思うんだ」

 ふむ。悪くない提案だ。しかし、

「どうやって正常に戻すかだな」

 僕らは記憶がなく、人間ではない。だからなのか、廃人となっている人間を見ても何も思わなかった。だからこそ、この案は今まで実行してこなかった。しかし、潮時かもしれないな。流石に二人じゃ限界がある。

「なんか適当に慰めておけば、すぐに正気に戻るんじゃない?」

 彼女は頭がいいが、性格が残念だ。

「まあ、前提としてその言葉が届くかどうかだね」

 そんな会話をしていると、階段の一番上が見えてきた。懐かしい。僕と彼女はここで出会ったんだな。しかし、まだ疑問に思っていることがある。記憶喪失で尚且つ人間ではない僕と彼女。あまりにも共通点が多すぎる。考えられるのは、これは断片的な共通点ではなくて、もっと根底にある大きな共通点の派生に過ぎないのではないかということ。じゃあ、一体それは…… そういう思考をしていると彼女が僕が言われたくない黒歴史を、遠慮なく言ってきた。もちろん僕は聞こえないふりをしていた。やがて、神社に続く石の道が目線の高さまでくると、人影があった。神社の脇にある石像にもたれかかって、座ってうつむいている青年がいた。

「あの子が第一号ね」

 彼女がそう言うと、素早く階段を駆け上がり、青年のそばに駆け寄る。全く、彼女の運動神経はとても人とは思えないほど凄まじい。いや、僕らはもともと人間ではなかったな。そんな、非人間のジョークに独りで笑っていると、彼女が青年の肩に触っているところだった。なんも変哲もない、ただの接触。けれども、それが起きた。彼女の一部と言うか、彼女を作っていた光というか、もやもやしたのが青年に移ったのを見た。それと同時に、彼女と同じように、僕を作っている光のようなものが青年に移るのを見た。光がその青年に移ると、青年はうつむいていた顔を上げた。その顔は、今までに見た廃人とは違う、色がついた顔だった。魂が抜けたような目ではない生きた目から、涙がこぼれた。この天災において絶望している人を初めて見た。涙など、とうの昔に枯れてしまったという人だらけだった。しかしそれだけではない。その涙に溢れた目の奥にあるかすかな希望も初めて見た。なぜだ。単純に思った。人間を正常に戻すという提案は悪くなかったんだ。しかし、成功する確率は極めて低いと思った。なぜなら、目の前の世界が全て壊れているのを見れば、誰しもが壊れてしまうだろう。それでも、正常な人間がいたとすればそれこそ異常だ。だが、今までそんな異常者はいなかった。いないのが当たり前だった。でも、それでも、できてしまった。その原因は確実に僕らにある。紐解いていく。僕らの正体や、記憶について解けると思った。直感的に。今まで見たもの、感じたものを全て揃え、見つめ直す。そこから導き出される答えは…… あった。でも、非科学的で、非論理的で、ひどく信じられないことだけれども、確信があった。なぜならば、僕ら自身が非科学的で非論理的な存在だから。これは、間違いではないのだろう。存在がわかれば、そこから芋づる方式で今までの謎が全て解けていく。思考を続けているとふと、目に極度な潤いを感じた。それは、悲しみ。そうかこれが、正しければ…… 僕はとっさに彼女を見る。彼女も僕を見ている。多分、結論が出たのだろう。ならば、言うしかない。彼女が僕と同じ結論だとしたら、この質問に答えが返ってくるはずだ。

「君の名前はなんだい?」

 笑っているだろうか、泣いているだろうか。わからないけど、ひどい顔をしているだろう。


「私の名前は、『希望』君の名前は何?」

 彼女も、笑っているか、泣いているか、わからないひどい顔をしていた。

「僕の名前は、『絶望』」


 そう、僕らは感情の集合体だったんだ。人は、喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、そういった感情を普通に持っていた。面白い事を言えば人は楽しみ、悪いことをしたら人は悲しんだり怒ったりする。人は当たり前に感じていた。そしてそれは、無尽蔵で四六時中感じている。体内から無限に湧き出るように感じている。制限などないかのように。そして何より、感情は目に見えない。どんな色をしていて、どんな形をしていて、どんな大きさなのかがわからない。空気中に漂っているわけでもないし、体内にそういうのを蓄える器官もない。ただ自然に膨大に溢れ出てくる。それが、感情だ。しかし、それがなくなった。天災という人間の叡智など軽々超えた災害が起こったからだ。許容できない人間は感情を持つことをやめた。いや、自らやめさせた。現実を見ることがひどく怖いものだと感じたから。ストップをかけた。自分が壊れないように。では、今まで無尽蔵に溢れていた感情はどうなったか。集まった。行き先のない感情たちは、漂っている内に仲間を集め、成長していった。それが少なくとも日本という国にいたほぼ全ての人の感情が集まった。膨大な量になった。それは、今まで見えなかったものを見えるようなくらいに。そうして出来たのが、僕と彼女だった。僕は『絶望』という感情の集まり。彼女は『希望』という感情の集まり。だから、あの青年は絶望を得た。希望を得た。僕らが接触することによって、あの青年は正常に戻ったのだ。そういうことだったんだ。なるほど。理解した。自分の存在がわかったことにより、僕らは一歩前に進んだ。けれども……これからは、どうする。何を目標に生きていく。彼女と何を持って生きれば良いんだ。わからない。いや、違う。そもそも、そうじゃなくて……

「ねぇ」

 彼女から声がかかった。思考していた脳を彼女が払拭した。彼女はとても強い目をしていた。何かを決心したようだ。何かを決めたんだ。それは、どっちを選んだのだろう。

「これから、どうするの?」

 彼女は、僕の答えを聞くつもりのようだ。僕らは、元々存在しないものだ。人間でもなく、犬でもなく、虫でもない。そんな、形あるものから与えられた存在ではない。感情という不確かなものから生まれたんだ。いないものがいるという矛盾は、どこかで修正しなければならない。されるべきなんだ。そういうのが、当たり前。それは、わかっている。そんなことは、もうわかっている。けれども……僕は……

「僕は、人間を元に戻さずにこのまま生きたい。世界の理に反した生き方かもしれないけれど、そうしたい」

 僕は、確固たる決意で彼女を見る。

「そっか……でもさ、それはだめなんだ。私たちは元々いないものなんだよ。それでも、ここにいる。そういう矛盾はいつか取り除かなきゃいけないんだよ。確かに、自分がいなくなるというのは怖い。私だって怖い。でも、そんなのあの第一号くんたちも一緒だよ。あの子達はこの世界にいるべきで、私達がいなくなるべきなんだよ」

「違う……」

「え?」

「そういうことじゃないんだ。僕は、自分がいなくなるのが怖いわけじゃない。嫌なんじゃない。僕は、僕は……」


「君と離れるのが嫌なんだ! 僕は君ともっといたい! 話したい! 一緒に笑っていたい! 一緒に同じものを見て、一緒に何かを感じていたい! 僕は、自分が消えるのが怖いんじゃない。僕は……僕は……君と二度と会えなくなることが、たまらなく怖いんだ…… だから、一緒に生きよう。この誰もいない壊れた世界で二人っきりで。いっぱい話そう。色々なところへ行こう。幸せに生きよう。いいじゃないか、別に。僕らがそう生きたって。人間なんかどうでもいい! ただ君といたい! ただ、それだけなんだ……」


 僕は願うように彼女を見る。僕の提案を受け入れてほしい。否定しないでほしい。僕らが元々存在しなかったものだとしても、今は存在している。生きている。人間の感情と引き換えて、釣り合わないものだとは思うけれども、それでも、僕は君といたい。何を犠牲にしても。だから、彼女も見捨ててほしい。人間を。それだけだから……

「そっか、そうなんだ。なんだか、うれしいな。そんな風なことは言われたことがないから」

 彼女の頬が紅潮している。

「じゃあ……」


「でも……残念ながらそのお願いは頷けないな」


「え?」

 『絶望』を感じた。絶対に、裏切らないと思ったのに。今まで過ごしてきた時間が嘘だったみたいに。そんな、はっきり言うなんて……

「私、ちょっと怒ってるんだよ。だって、私と君が膨大な感情をあるべきところへ戻したら、まるで私と君に間がすごい遠くなるみたいな言い草するもの」

 『絶望』から怒りが湧いてくる。

「……は? 何言ってんだよ。僕は『絶望』で君は『希望』なんだぞ! 反するものだぞ! 真反対にあって、対立する者同士だぞ! きっと、僕らは世界で一番遠い存在同士なんだ。だって、そうだろ? 人にとっては、『絶望』というのはマイナスなことで、疎外されるべきで、忌み嫌うべきものなんだぞ。それに比べて、君はどうだ。人にとって、『希望』は人間のプラスの感情の象徴であって、全てのものから愛される存在なんだぞ。これを、対極と言わずになんというんだよ!? なあ、教えてくれよ!」


 目の前の世界が赤く染まる。彼女がふざけていることに、僕は激しい怒りを感じた。僕は、必死にすがっているのに、彼女はまるで気にも留めない。そんなことがあっていいのか。いや、あってはならない。それなのに彼女は……


「対極じゃない! 私と君は、一番近いところにいるんだよ!」


「え?」

「だって、そうとしか考えられないじゃない! 誰かが『絶望』する時は、その人は必ず『希望』を見出そうとする。誰かが『希望』を感じている時は、『絶望』に目がいってしまう。そういうものじゃない! それに、見なかったの? あの第一号くんには、私だけが触れたんだよ? それなのに、君の光も吸い取られたんだよ? つまり、私たちは表裏一体なんだよ。君がいるからこそ、私がいる。私がいるからこそ、君がいる。そうでしょ!?」

 視界が澄んで、広がるのを感じた。心に小さな灯火がついた感じがした。何か温かいものが体を包んでくれているような気がした。『希望』を感じた。ああ、あの時の光は君だったんだ…… 僕があの『絶望』の空間にいる中、光を差し伸べたのは。ああ、すごいな。この感情は……憧れだったんだ。僕も、彼女のようになりたい。僕も、もっと明るくて、彼女のように自分が誇れるようなものになりたい。

「……そっか。そうなのか。そんなことだったのか。」

 ただひたすらに、追いかけていただけだったんだ。人間が作った絆の名前に、当てはまらなかったのはそういうことだったんだ。脳内にきれいな空気が循環するような爽快感を感じた。やっぱり、僕は君のことを愛しく感じているんだな。

「ねぇ」

 彼女が僕を見る。僕も、彼女を見る。

「これから、どうする?」

 彼女の長くて黒い髪が揺れた。黒髪の隙間から見えるのは、壊れた世界。そして、人間。

「そうだね……僕らは――――」




 いかがだったでしょうか。正直、うまく書けた気がしません。でも私自身、これを書ききった事に満足しています。いえ、わかっています。そうですね。まだ、彼と彼女の物語は終わってません。最後のセリフもまだですし、これから旅を始ようという終わり方をしています。しかしそれは置いといて、ここまで読み進めていっていかがだったでしょうか。面白かったでしょうか。楽しめたでしょうか。ちゃんと好きになってくれたでしょうか。ここまで読み進めてくれているということは、それなりに読めたと解釈してもいいのでしょうか。まあ、いいです。さて、読者の皆さんはわかっているでしょうが、彼と彼女の物語はまだ始まっていません。これは、いわゆる物語のプロローグです。始まる前の物語です。そして、これから私は彼と彼女の日記を参考にして物語を書きます。ちょっと待て、という声が聞こえた気がします。この物語に出てくる彼と彼女の日記を参考に書いたんじゃないのか、という疑問があるでしょう。結論から言います。ごめんなさい。私は嘘をついていました。私は、とても嘘つきですから。これは、彼と彼女の日記を使って書いたわけではありません。また、声が聞こえます。物語の途中に日記から抜粋という文字があっただろう、と。ごめんなさい。これも嘘をついてしまいました。私は、とても嘘つきですから。彼と彼女が書いた日記は、実は、このプロローグの後から書き始めたものでした。だって、この小説のタイトルは『絶望と希望の物語』です。『絶望と希望の日記』ではありません。それに彼と彼女らは、日記を誰かに伝えるために書いている訳ではありませんでした。お互いの自己満足のために書いていました。それがあり、彼と彼女の前提知識がないと読めなかったような代物でした。では、なぜ私がこのプロローグの物語を知っているか。もっというと、誰のためにも書いていない彼と彼女らの日記を知っているのか。それは、言いません。あえて、言及しません。怒るのならそれでいいです。この文章を目で読んでいって嘆息するのなら、それでもかまいません。ですが、一つだけ事実が残っています。この物語は、まだ続いているということ。それだけです。あなたの考えていることが意味がわからない、と思う方もいるでしょう。しかし、私はそれでもここで終わらせます。中途半端に終わらせることに意味があるのですから。最後にもう一度供述しておきます。この物語はある物語が始まる前の物語です。まだ、始まってすらいません。けれど、気をつけてください。私はとても嘘つきですから。

 


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絶望と希望の物語 碧い高鷲 @Oshidame

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