自殺志願者は永遠に溺れる

和葉流

第1話

空は、どこまでも青く、広く。だからこそ僕のことを拒否し、嘲笑った。


残暑が服の端から首筋、太もも、下着の隙間まで、あらゆるところに手を伸ばして撫でてくる。森から聞こえる一匹きりのミンミンゼミの声は、末尾がどうしようもなく弱々しくなって、途切れ途切れになって、もうすぐ仲間の後を追うことは明白だった。砂が入って来るかのように、ざりざりとしていく喉。

目の前には、空の青とのコントラストが眩しすぎるくらいの朱色の鳥居。五色の組紐が吊られた鈴がからからと音を立てる。

そう、ここは神社だ。もうこの場にいないはずの彼女の香りの幻影が鼻をかすめる。僕はぼうっと立ち尽くしていた。でもそよ風に吹かれ膝から崩れ落ちた。


僕は彼女にフラれた。完膚なきまでに。僕のパンドラの箱からは希望までもがぴょこんと飛び出し、空になった箱の中には今までのよりもより深く粘っこい希死念慮がするりと入り込んでは支配した。


これは、とある自殺志願者の独白である。


春の日射しがどうしても嫌いだった。生命が芽吹くための柔らかい慈愛の光だからだ。別に今理不尽な目に遭っているわけでもなければ、ニヒリズムにかぶれたわけでもない。ただただ生きる意味を見いだせなかった。青年期特有の情緒不安定、より砕けた物言いをするなら中二病ないし高二病。言いようはいくらでもある。僕にとってはなんでも良かった。それを定義する意味もなかったからである。

入学式の日も、当たり前のように希死念慮に苛まれ、目の下にはクマをぶら下げる。寝不足という訳ではないのに、だ。鬱々としているだけで顔には出るらしい。頭を下げ、日光に当たろうとはしなかった。当時の僕はといえば、死にはしたくても嫌いなものは避けたい。とんだ矛盾だ。死は人類にとってすべからく本能的な恐怖を呼び覚ます忌むべき象徴なのだから。と自嘲を繰り返していた。


彼女に出会うまでは。

彼女は、入学式の看板の脇に立って、向かい来る新入生やその保護者に、「ご入学おめでとうございます」とセミロングの上品に見える癖を持つ髪を揺らしながら、優しく声をかけていた。両手は前で重ねられ、お辞儀はきっちり30度。それだけで彼女が育ちがいいことがわかった。わかってしまった。庭の隅でただただ繁茂しているだけのドクダミのような僕とは一生涯相容れない。だから僕は絶対に彼女と関わらないようにするため、距離をなるべく置いたまま、校門をくぐったはずだった。

「ご入学おめでとうございます」

それなのに、後ろから声が響いた。思わずぎょっとして振り向くと、僕の目の先に彼女のビターチョコレートのような色の、彼女の目玉があった。その目玉はとても澄んでいていっそのこと贋作のようだった。ああ、その目玉が、薄い皮膚で閉じられて、見えなくなって、ああ。長く、少しだけ上に向いたまつ毛が慣性のままふんわりと揺れる。薄桃色の唇が薄く、三日月のように歪められて、上方に。両端とも。

彼女の表情が、僕には一瞬分からなかった。笑っているのだと気づいたとき、僕は不恰好なお辞儀と言えないお辞儀を一つ返すことしか出来ないまま、足早に、逃げるように立ち去った。


その時の僕はといえば、無様極まりなく、羞恥で穴に埋もれたくなっていた。もう二度と、あの人には近づかないとはらはらときらびやかな花びらを舞い散らせる桜に誓った。しかし、その誓いはあっけなく、それこそ桜のように散って行った。


しばらくは彼女を避けられていた。ところが太陽が隠れがちになる梅雨時、太陽に成り代わるかのように、彼女が僕を見つける回数が増えた。彼女の微笑みは僕には毒だった。それこそ春の陽光の如く、日陰でしか生きられない僕を焼いていくのだ。僕は彼女に笑いかけられる度、笑いというには歪んだ顔をしてやり過ごすのが常だった。


毒を食らわば皿までという言葉がある。梅雨が明け、誰も彼も陽光という名の熱線を避け始める頃合になると、僕は避けていたはずの彼女を追いかけるようになっていた。そう僕は、毒を受けすぎた結果ある種の中毒になってしまったのである。

今となっては、友人もいない、家族との関係も冷えきった、大した趣味もない僕でも、差し出された皿が毒でも食らいつく程度の欲はあった、と推測することが出来る。だが熱線に焼かれ日々を過ごしていた当時の僕には、てんで彼女を追いかける理由が見当たらなかった。解明したいという欲に一時希死念慮は払拭され、代わりに彼女以外のあってないような人との関わりを断ち、本の世界に閉じこもった。

その時、夏休みだったということも手伝って、三桁を超える本を読んだ。その中に当時の僕が求める答えはあった。今馬鹿馬鹿しい答えに変わった答えが。

恋。

たった一文字のその答えにたどり着いたときには、夏休みは終わりに差し掛かっていた。


そして僕は勢いのまま衝動的に彼女を神社へと呼び出し、告白した。そして、あのいつもの微笑みより少しだけ困ったような顔でごめんなさい、と言われた。その時、僕は自分の恋に潜む真の感情を理解した。否、希死念慮が囁いたという方が正しいか。

自尊心だ。虎になるほどではないけれど生存には充分な量の自尊心。陽光を真っ向から受けるには足りないけれど自惚れるには充分な自尊心だった。

僕は、彼女の近くに行けると自惚れていた。僕は、彼女が自分を受け入れてくれると自惚れていた。

僕が見ていたのは、泡沫の夢だった。けして恋などという崇高な感情を僕は持っていなかった。あったのはただの自己愛だ。自分をロマンティックなヒーローに仕立て上げたかっただけの稚拙な自己愛。

元を辿れば、自己否定と自己愛は同一のものだと言う。自己を守るため自己を否定し世渡りを円滑に進めるのが自己否定の意義だ。もしそれが真実ならば、僕の本質は何も動いてはいなかったことになる。ただ性質が反転しただけだ。

例えばの話、あぶくが弾けたあと、そこにはそこに何が残るだろうか? 答えは簡単。そこにあぶくがあったということしか変わらない現実だ。

同様に、僕も恋もどきをしたという事実以外何も変わらなかった。これからも僕は、恋もどきという事実を食べて大きくなった希死念慮を抱えながら、それでも死ぬ勇気を持てないまま無意味に、怠惰に日々を過ごして行くのだろう。 それはきっと彼女だってそうだ。僕が知らない友人や家族に、あの優しい微笑みを見せながら日々を有意義に過ごして行くのだろう。


そこまで考えて、僕は再び立ち上がる。無意味な日々を繰り返すために。

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自殺志願者は永遠に溺れる 和葉流 @kazuharyuu

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