わたしに気づいて
暑い。暑すぎる。
学校の補習が終わり、さて下校しようと思ったのだが、この暑さなら残って自習に勤しんだ方が正解だったと後悔した。
目の前に伸びるアスファルトの道は、遠方でゆらゆらと灼熱に溶かされている。
うるさく蝉が喚き散らす中、信号はまだ変わらないのか、日差しを嫌いながら信号機に目をやると、赤く照らされている紳士はまだ律儀に直立していた。
刹那、世界がぐにゃりと曲がる。赤い信号の光がいくつにも見えた。
「学校戻った方がいいかな」
身体はやはり暑さにやられている。
「大丈夫? 熱中症には気をつけてね」
急に横から声がした。
「あ、ありがとうございます……?」
おかしい。いやに可憐な女子高生が、きらきらと輝くペットボトルを僕に向けている。
線の細い輪郭、透き通ってしまいそうなみずみずしい肌。カフェオレのような茶色の髪の毛は、前頭部で端整に編み込まれている。この人は、頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能……。良いところを上げだしたらキリがない程の完璧女子高生、かつ、ずっと憧れだった先輩。
そして彼女は、この交差点で事故が会った次の日から、二度と僕の前に現れることはなかった。
なんでここにいるんですか、そう聞こうとした瞬間、美少女はろうそくについた小さな炎ようにゆらめいて──
「あんたどうしたの? もう青よ?」
急に後ろから声がした。驚き、振り向く。
「き、君は?」
そこには美少女が、僕をじっと見つめて立っていた。その姿は、どこか憧れのあの人に似ていた。
「そういうことを訊くときは、自分から名乗るのが相場だと思うけど?」
凛とした態度で僕を睨む。なぜだか迫力に欠けている。
「君は僕のことを知ってそうだけど」
「……知らない、と言えば嘘にはなるわね。まあ、これは確認みたいなものよ」
確認ということは、この美少女は僕のことを調べ、探していたのだろうか。そう思うと悪い気はしなかったので、一応丁寧語を加えて応えておいた。
「やっぱり」
本当に僕を探していたらしい。口元が緩むのを抑える。惚けていると、黒いローファーが靴音を鳴らして横断歩道を渡っていった。
「それで、君は?」
眩い純白のブラウスはこの学校の制服だが、この美少女に見覚えはない。
「分からないかしら。ほら、これでどう?」
そう言って、彼女は濡れ羽色の黒髪を馬の尻尾のように束ねた。
「先輩……」
先輩が、運動する時や気合を入れる時にいつもしていたポニーテールだ。どこか似ているどころじゃない、もはや髪色さえ本人かのように見える。
「そう、そしてわたしはその妹」
「妹? 先輩は一人っ子だと思ってた」
「まあ、知らないのも無理ないわね」
「それはどういう……」
そこまで言って僕はは口を閉じた。どうやら彼女は話が耳に入っていないらしい。眼前の僕すらも背景にして、どこか遠くを見つめている。
やけに右手が重いと思ったら、ペットボトルを持っていた。ラベルには黒い石の隙間を縫うように、白く川の水が流れている様子が描かれている。
このペットボトルは、誰から……。
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