心の傷
緑風渚
心の傷
青葉は苦悩していた。
小説が書けない。
青葉の叔父は小説家で、いくつかの賞も取ったことのある知るひとぞ知る立派な小説家だ。
正月やお盆のときに親戚で集まるのを青葉は毎年楽しみにしていた。叔父に会えるからだ。叔父はひょろっとしていて少し猫背だが、ペンをとっているときは姿勢がよく凛としていて、とてもかっこいいのだ。
親戚の人たちは大学まで出て小説家なのかとか、まだ結婚しないだとか、小説だけで食っていけてるのかと口々に言っているが、叔父は全く気にしていない。
叔父は青葉にだけ教えてくれたのだが、最近スーパーでパートで働いているらしい。社会から隔離されているのは良くないらしく、小銭稼ぎと新たなネタを仕入れるために働いているのだそうだ。
羨ましい、と青葉は思っていた。
青葉は小説が好きだ。両親と叔父の影響で小さな頃から本を読んでいたというのもあるが、青葉は自分の知らない世界や人間関係の中に入っていけるのが好きだった。
人間一生の間に経験できることはあまりにも少ないし、世界は自分の目を通してでないと見えないため、他の人と自分は同じ世界を見ているようで実は違うものを見ていることを青葉は知っていた。
中学では図書委員になり図書館に引きこもりながら本ばかり読んでいたのだが、高校で文芸部のある高校に入学した青葉は優しそうな部長に誘われ文芸部に入ったのだった。
文芸部では主に小説と詩を書いており、青葉は小説なら今までたくさん読んできたし、叔父も小説家だから自分でも書けるのではないかと思っていたのだ。
しかしそんなに甘くはなかったのだ。
青葉は自分の世界が作れなかった。起承転結どころか起すら起こせないのだった。
部長は、
「そんないきなり書けるようにはならないよ。いろんな本を読んできてるなら真似から始めてみてもいいんじゃないかな」
と優しくいってくれたので、試しに書いてみることにしたが、青春小説を真似して書いたらなんだか日記のようになってしまい、全くと言っていいほど面白くなかった。
青葉は小説を書き始めたことで、小説を診る目が変わってしまった。どのような起承転結なのか、キャラクターはどのように設定されており、人物関係はどうなっているのかばかりが気になって小説を楽しめなくなったのだ。
憧れの叔父に少しだけ近づけて嬉しかったのだが、青葉は一つのことに気づいてしまい、とても落ち込んだ。
「闇」がない
小説を読んでいて気づいたのだった。どの主人公にも必ず闇がある。心の傷といった方が分かりやすいだろうか。主人公は暗い過去や辛い経験を持っているのだ。
しかし青葉にはそのような闇を表現することは出来なかった。闇を持っていないからだ。
青葉は自分の十六年間を振り返ってみた。両親のもとに生まれ、姉から可愛がられ、祖父母から可愛がられ、親戚にも可愛がられ育ってきた。
小学校も楽しかった。クラスの中心にいたわけではないが、いろいろなことに積極的に参加していたから友達は多かったし、親友もいた。中学校でも足だけは速かったので陸上部に入り、ごく普通の学校生活を送っていた。陸上部では短距離の方が好きだったが、顧問の先生から長距離の方が向いていると言われ長距離に転向してみた。長距離はしんどいものの、走っている時間が長いため、走ることが好きだった青葉は長距離も苦しくなかった。陸上長距離の友人たちとは共に練習をし続けていたので自然ととても仲良くなった。
高校に入っても、いじめられたり学校が楽しくなくなることはなくのんきに過ごしていた。
だから青葉は闇がないのだ。衣食住なに不自由なく生活していて、両親をはじめ、親戚や友達からの愛にも恵まれ、好きなことをしているだけだから闇を抱えるはずがないのだ。
小説を書こうと思い立ってから何冊か参考にしようと思って読んだ本がある。といっても前から読みたいと思っていた本なのだが、主人公の変化や背景に注目して読むとやはり心のどこかに暗い部分を持っていて、その暗い部分に関わる出来事が起きていると青葉は考えたのだ。
なにも起きない小説は小説ではなく日記かエッセイだと青葉は思っている。小説は伝えたいものがあり、そのために物語を書くのだ。
青葉は最近読んできた本をジャンル分けしてみた。すると青春小説や恋愛小説が多いことに気がついた。高校生の部活や学校が舞台だったり、大学生の恋愛模様を好んで読んできた。
なら複雑な人間模様を描けばいいのだろうか? しかし青葉はそんな複雑な人間模様を体験したことはなく、ストレートな感情しかぶつけあったことがないことに気がついた。
やっぱりだめだ。書けることがない。
ただせっかく文芸部に入ったのだから何か書きたい。憧れていた高校生活だ。部室に行くと、今日は珍しく人が多かった。
「なんだかプロの小説家とか会ってみたいよな~」
「なに考えて書いてるんだろうな。小説でご飯食ってる人は」
と先輩たちが話していた。
そうだ。叔父がいる。すっかり忘れていたが困ったら叔父のところに行けばいいんだ。
先輩たちが部室でダベりながらスマホをいじったりしている間、青葉はずっと叔父のことを考えていた。そういえば叔父の家には行ったことがない。一人暮らしと聞いているから連絡すればすぐ会えるだろうか。なにを聞けばいいんだろうか。青葉はいろいろ考えたが、とりあえず叔父に電話してみることにした。
その夜、青葉は叔父に電話をした。受話器の前で少し緊張する。両親には小説を書いていることは言っていないため、叔父に電話することも内緒だ。両親は青葉が叔父と関わるのを好んではいないようだったからもある。
「叔父さん、青葉です」
「お、どうした?」
叔父はいつもと同じ口調で電話に出てくれた。
「あの、今、小説を書いてて、ちょっと、悩んでることがあるんで、叔父さんに会いたいんですけど」
「お、小説書いてるのか! なんだか嬉しいなぁ。青葉の小説読んでみたい」
叔父は少し声が高くなっている。
「いや、まだ書けてなくて、叔父さんの家に、いってみたいんですけど」
「あぁ、いいよ。おいで」
「いつなら良いですか?」
「ぁーん、明日の午後でもいいよ。学校帰りにおいでよ」
「わかりました。ありがとうございます」
年賀状を漁り、叔父の住所を調べる。学校からはそんなに遠く無さそうだ。
翌日は授業に集中できず、先生の話が全然入ってこなかった。
六限が終わったらすぐに仕度をして叔父の家に向かった。
叔父の家は住宅街の一角のマンションで五階建てのまあまあきれいなマンションだった。スーパーでバイトしていると聞いていたので、貧乏なのかと少し思っていたがそうでも無さそうだと青葉は思った。
インターホンを鳴らす。
少ししてドアが開いた。
「いらっしゃい」
叔父に久しぶりに会い、青葉は嬉しくなってどう接していいのかわからなくなり、
「あ、えっと、こ、こんにちは」
とぎこちなくなってしまった。
叔父の家は思ったよりきれいに掃除されていて、原稿用紙が散乱していることもなかった。小説家の叔父のイメージがあまりにも適当だったかと青葉は反省する。
叔父はお茶を入れてくれた。
「で、小説が書けないって?」
青葉はうなずく。
そして自分が本を読んで考察した結果自分は小説を書けないのではないかという話を叔父にしてみた。
叔父は黙って青葉の話を聞いていた。そして青葉が話終わると何やら少し考えてこう言った。
「青葉は、幸せについて考えたことがあるか?」
幸せ。青葉は考えたことがなかった。
「小説を読む理由はさまざまだろうけど、僕は最後には幸せになる物語が好きだよ。僕も青葉と同じで比較的幸せに生きてきたからね」
「じゃあ叔父さんはどうやって小説を書いてるんですか?」
叔父は笑いながら答えた。
「それは教えられないよ。なんせ僕にとって書くことは仕事だからな。すぐに手の内を見せる訳にはいかないよ。まぁ、そうだな、そんな気にせずに書いてみろよ」
「それが書けなかったんですよ。傷つけてください」
「そんなこと言うんじゃない」
叔父は珍しく厳しい口調で諭してきた。
「傷ついて生きてこなかったのは幸せだよ。青葉は失ったものがないから。というか傷つけてと言われて傷つけるのも難しい話だね」
確かにそうだ。僕も傷つけられたいわけではない。
「青葉は今の幸せを噛み締めろ。確かに悲劇や暗い過去があった方が幸せは引き立つ。ただそれだけが小説じゃないだろ」
確かにそうだ。
「もっと自分で開拓していて。見えるものがあるはずだ」
叔父に会って話をしてから、なんもか筆が動くようになった。自分は闇を知らない。心の傷がなくても書ける物語がある。
幸せを考える。そこに答えがあると信じて。
心の傷 緑風渚 @midorikaze
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