夕暮れ、暗闇

@AMMMU

第1話

放課後の夕暮れ。橙に染まりきった世界の中で、愛の言葉を紡いだ。

いや、そんな綺麗な言葉ではない。誠実で、純真ではあったが、当時の自分の性格では乱雑な言葉しか言えなかった。照れ隠しの言葉すら言わずに渾身のストレートを。

恋心をそのまま伝えて、丸裸な自分をそのままぶつけて。玉砕覚悟?いいや、まったく。

きっと、好意的な返事が返ってくると思っていた。彼も同じ気持ちでいたから、じゃなきゃ私なんかにわざわざ近づかないだろう。この日この場所に時間通りに姿を見せることだってしなかったはずだ。

彼のおかけでしたたかになった私は、色んな子に相談をしながらも、男子のグループにも聞こえるような声で告白の相談を続けていたのだから。

逃げ場は封じた。あとは受け入れて欲しかった。

だから、彼は-----


「おれは、どうしても好きになれないや」


さっきまで見えていた彼の顔は、夕陽で見えなくなっていた。

ああ、いや、見えないんじゃなくて、これは。思い出せないのか。

当時の思い出はどんどん薄らいでいく。自分と彼のたっている場所さえ最初からあやふやだった。

唯一心に埋め込まれて無くならないのは、夕焼けと拒絶の言葉だけ。

熱した楔は、今もくすぶり続けている。



夢の世界が壊れた。一人暮らしを始めてから定期的に見てしまうこの夢は、朝の気分を普段以上になんとも言えないものにしてくれる。


「また、あの夢……」


だいたい10年くらいたった今でも酷い出来事だったと思う。

誠実で純真?逃げ場を塞いでおきながら、そんな性格が成り立つとでも?言葉に偽りはなくても、言葉にできない部分は偽りだらけじゃあないか。

彼も彼で小学生というコミュニティで告白した少女を振ることによる身にかかる不利益について理解していたのだろうか。

とはいえ、人を振ったすぐ後に

「付き合い始めたことにして、適当なタイミングで別れたことにすれば互いに火の粉には振りかからないと思うんだ」

なんて言ってしまう肝っ玉を持った男にこの考えは無用だろう。

彼が私を振った理由も、考えても無意味だ。いくらでも予想は立てられる……立てられるような女の子でいるべきではないのだが、予想出来てしまうのは仕方ない。


昨日多めに作った夕ご飯を朝ごはん代わりにして済ませ、身支度を整える。今日の授業は二限からだ。

それでも慌ただしくうごいているのは、あの夢を見た日の行動は決まっているから。くすぶっていただけだったはずの楔が、再び灯り始めてから。


彼の家に行く。

未練にまみれた日々は今日も私の後ろ髪を引いてった。


そもそも、彼の家に行くのは別に今までの私の人生で習慣づけられた行為ではない。彼とは小学三年あたりからの付き合いであったが、激動の小学生編が終わり、一緒の学校に行っていたのは中学まで(一緒に、ではない)。高校は別だった。大学生になって家を出た。一人暮らしを始めた。そしたら出会った。いや、わけがわからない。

一人暮らししている場所の近くで彼もまた一人暮らしをしていた。いろんな大学が密集している都会に出たのが間違いだったのか。何なら彼に直でどこに行くのか訊くべきだったかもしれない。まあそんなことが考え付くほど数ヶ月前の私は彼の事を思っているわけではないのだけど。

久しぶりに会った彼は、以前よりもっと魅力的に――――――なっているはずもなく。そもそも三年会ってなくとも気づけるくらいの変化の度合いだ、記憶の中の彼と大した違いは存在していなかった。小学生の頃から大して変わらぬ幼さが残る顔立ち、幼さが残る体躯、そんなくせに考え方には幼さは対して残っていない。かといって生意気というわけではない。優しいのだ。達観していた。ともすればそれは甘いともとれるほどに。いや、甘々だった。明確に彼は甘かった。

宿題の写し、掃除の交代、遊び道具は人に譲るし、年度末にやる6年生とのお別れ会の中心にもなっていたりした。彼を見てればおのずと『憎まれっ子世にはばかる』ということわざにしっくりきてしまうほどだった。要は彼の周りにいるだけで誰も彼も憎まれっ子的立ち位置を体験することができた。

任せておけばやってくれたし、任せる前からやってくれていた。先生からの評価を高くしたいと彼は言っていたが、どう考えても内申点で評価するような範疇じゃないこともたびたび行っていたのだ。


だから、彼の事はあまりよく思っていなかった。

余りにも犠牲的な献身をする姿はあまりにも自分と対比的で。


彼の住んでいるマンションに来た。スマホの機能で見てみたらだいたい2キロ半くらいの位置関係だった気がする。玄関のチャイムを2回ほどならしたら、電話がかかってきた。彼の名前が出ている。

LINEは交換していない。彼から拒否されてしまった。悲しい。まあ彼は押しに弱いところがあるからそのうち聞きだせるだろうし、それに断るということは断っても嫌われないだろうという信頼関係に裏付けされた行動であるからして云々。

とりあえず電話に出よう。


「また?」

「まただよ。というか、確かめもせずに電話をかけるのはリスキーじゃないの」


こちらの問いかけに答えることなく、電話が切られる。そして、鍵を開ける音が聞こえた。寝巻のままげんなりした顔の彼がしょぼしょぼしたにらみを利かせていた。


「最近来る頻度多くなってないか?いい年齢なんだから、知り合いも選別する時期だぞ。なにより来るときは正直アポ欲しいし、ああいや、そもそも来ないで欲しいし、なにしに俺の家に来るんだ?彼氏が欲しいんだったら引く手数多だろうに」

「パジャマでお出迎え」

「幻滅したか?上出来だ。対象外の好感度を下げるのは必須だからな。今までお前が朝早くに来るたびに着替えていたが、もう面倒なんだよ。もう少し法整備が整ったらストーカーでしょっ引いてやりたいほどだ」

「今日の授業は?」

「午後からだよ。まったくほんとに何しに来るんだか」

「あなたに会いにだよ」


舌打ちをされた。必殺の一撃はみじんも彼の心に刃を通せずに砕けてしまったようだ。

なぜか、小中学生の時と比べてずっと当たりが強い。成長すれば人は変わる、男子三日会わざればなどという言葉ではこの方向性の進化はしないはずだ。フェアリータイプがどくタイプになっている。

狭い玄関を抜けて、いつも以上に早口な彼の文句を聞きながら、部屋に入る。

前に来た時と同じ、殺風景な部屋だ。ごちゃごちゃした部屋だが、趣味につながりそうなものは何もない。机の中でも漁れば、彼の個性が見えてくるのだろうか。それでも最低限のスペースは確保できていて、電気ケトルが低いテーブルで電子音を鳴らしていた。

インスタントコーヒーの瓶を開けながら彼が質問する。


「コーヒー」

「いらない」

「朝ごはん」

「食べてきた」

「健康的なこって…」


それぞれが低いテーブルの対角に座りながら、彼はコーヒーを作り始めた。

大きなマグカップになみなみと注がれたコーヒーはとても熱そうだ。そして、嫌味を言いながらそれと苦闘を強いられている彼の姿はそれなりにポイントの高い光景に思える。

一瞬そう思ってしまった自分にむかついた。

せっかくだし、いじわるしてやろう。


「私の告白はいる?」

「胃もたれする。供給過多。胃潰瘍。すり寄る男にくれてやれよ」

「二回も胃にダメージがいってる!」

「突っ込みどころはそこでいいんですかね」


私との会話に煩わしそうな顔をしながら彼はテレビをつける。朝のこの時間はたいてい、ニュースの後に入るような討論会が行われている辺りの時間だ。しばらくチャンネルを回しても、似たようなものしかやっていない。と、あるチャンネルで、彼のリモコンをいじる手が止まってしまった。

このニュース番組では、わが子への虐待やそれによる死亡についてちょっとした特集が組まれている様子が見て取れる。

はっきり言ってしまえば、見ていてあまり気持ちのいいものとは思えない。

別のチャンネルに変えないか、提案しようと彼の方を向いた時。

サーっと彼の顔から血の気が引いていくのが見えた。しかも怒りに震えるような、悲しみに暮れるような顔で――――――ともすれば、加害者が自らの行いを悔いるような顔で。

彼の代わりように思わず、私は訊いてしまっていた。


「どうしたの?」

「…ああ、うん。大丈夫だ。ヤるんだったら避妊くらいしろよって思っただけだよ」


そんなことを考えているような顔に見えなかったのは先ほどの顔を見ていれば一目瞭然だった。

何を彼はしてしまったのだろう。その疑問はついぞ口から出せぬまま、彼はコーヒーを飲み終えた。


「ちょっと着替えてくる」

「授業は午後からって言ってなかった?」

「いまさらパジャマ姿が恥ずかしくなったなんて話が訊きたいわけじゃないだろ。いいからそっぽ向いてて」

「誘ってる?」

「誘ってない!!性別を逆にしてから言ってくれ!男の衣擦れの音も需要ないだろ!」


衣擦れというより服をかごに投げ込んでる音しか聞こえない。

あと下を脱ぐときに慌てたのか、転んでドバァン!なんて音もさせていた。

しばらく悶絶するようなかぼそい声がしていたが、何でもないように彼は戻ってきた。少し涙目で。


「お前は確か二限からだったよな」

「何事もなかったかのように話題を持ってかないで。ちょっとうるんでるよ」

「ナニモアリマセンデシタヨ!」


力強く言われたら何も言い返せない。何も言い返せないので頭を撫でてあげた。


「あーう!」

「うわっ、たんこぶだこれ」

「あっ、やめて。ごしごしぐりぐりしないでやめっ、やめろ。痛い痛い痛い!攻守が、攻守が逆転してる!!」


私の手を無理やり払いのけながら、彼は謎の構えと共に私との距離をとる。

どうせこの部屋は狭い。じりじりと追いつめてれば、いつかは捕縛できると思う。が、そんなことで嫌われたくないので、ごめんね、と小さく謝りながらもとの位置に戻った。


「もうしない?」

「しないしない」

「ならいい」


彼は私の横を通って、無造作に置かれたリュックを持ち上げながらしゃべる。


「話をもとに戻すけど、二限からなんだよな?」

「そうだけど」


乱れた着衣を直しながら、彼は私の言葉に続けて、いや、少しばかり迷いながらこう言った。


「午前の授業、サボる気ある?」


小学生の時から体だけは大して変わらずに大分成長してしまった彼の、それなりに魅力的な提案だった。



電車に乗って少し移動する。

駅から少し離れたところに、そのカフェはあった。

また彼はコーヒーを飲んでいる。


「いつも飲んでるよね」

「味がわかるわけじゃないんだ。ただ、この苦いのが何らかの刺激になればいいなって思って飲んでる」


なんだかよくわからなかった。思えば昔から、彼自身が何を考えているのかを輪郭だけでも見えたことはなかった。

小学生の頃の彼は前にも思い出した通り、何かにつけて優しい子だった。それに対して私は、何かにつけていじわる?陰気?まあとにかくいい子ではなかった。ひどい言葉も言ってしまっていたような気がする。

よく分からないという観点で見れば、彼も私も似たようなものだったのだろう。実際にしていることにはひどい差があるけれど。

彼との出会いは小学三年生で、クラスが一緒になった時までさかのぼる。


一ヶ月もたてば、クラスの中でのグループ分けは大抵終わる。

当然のようにどこのグループにも属していない私は、クラス全体を俯瞰するような形で観察が可能だった。みんな仲良くやっているグループもいれば、誰がカースト制の餌食になっているのか、なんてのもうっすらと見えていた。

そんな中、いろんなグループに顔出ししている変な奴がいた。

サッカーをやっていないのに、いつの間にかサッカーグループの会話に混ざっていたり、女児もののアニメの話題にも全く気後れせずについて行ったり。

器用だと思った。楽しそうだと思った。狭苦しそうだと思った。憎いと思った。

彼は、自由にも不自由にも見えた。


そして、彼はとうとう―――――。



「おーい、どうしたんだ」


現実に引き戻される。曖昧な記憶でもそれなりにおぼえているものだと改めて思いなおした。まあ、いわゆる補正というやつである程度の補強はされているだろうが。

目の前の男は何を思ってあの時話しかけてきたのだろう。


「小学生の頃のをちょっとね…」

「あらやだ郷愁ってやつ?」

「違うよ、私達が初めてあった時の事を思い出してたの」

「それを郷愁と呼ぶのでは…?ま、こっちとしてもちょうどいいか」

「ちょうどいいって?」

「いい機会なんだよ。朝のあのテレビとか、小学生の時の思い出は。あの時、なんで俺が振ったのか知りたくならないか?」

「へ?」


いま?ここで?10年来の謎が解かれるの?こんなところで自分の黒歴史の真相が暴かれるの?こんな赤裸々な話なら、別に彼の家でやればよくないか?

いや、というかこの流れはまずい、いつの間にか攻守が。

私の体が得体の知れない寒気を帯びた瞬間、彼はマシンガンのようにしゃべり始めた。


「ま、ともかくこういう時はべたに行こう。お互いの馴れ初めを思い出そうじゃないか。いやーなつかしいな。はじめて話した時は本当にひどかった。一週間無視ってお前、どう考えたっておかしいだろ。ほら、先生がみんな仲良くしましょうなんて軽く言うもんだから、俺もほっとけなくって。付きまとい始めてから二ヶ月くらい経って、ビンタされたときあったよな。ビンタするくせにお前の方が苦しそうなんだもの、しょうがないからより一層かまったなあ」

「待って、ちょっとねえ、」

「仲良くなるまで半年くらいかかったか?まあ、仲良くなったというか、どこ行くにしてもお前が後ろにいたりするようになったくらいだったけど。今思い出すと、小学生が一番異性との関わり……というかお前との関わりが多かったというか。七夕、プール、遠足はなんだかんだで楽しめたし、バレンタインデーは本当に」

「あああああああああああああ!!」

「喫茶店で騒がしくするなって。とにもかくにもあの頃は本当に言語化不可能なくらいには楽しかったよ。お前もだんだん自分で交友関係広げるようになってきて、正直嬉しかった」

「あああああああぁぁぁぁぁぁ………」


語彙が消滅しかかっている。人間は何でもいいから一つの感情が前に出過ぎると知能がだいぶ低くなることが体感できた。


「で、小学六年生の頃にはお前はもう立派に女の子やるようになったわけだ。さらに言えばモテた。まあ素体は今のお前を見ればわかるように可愛かったからな」

「可愛いって思ってたの?」

「そらまあ、事実可愛かっただろ。猫背、長い前髪を直せば美人の出来上がりだったし」

「えっ、私今告白されてる?」

「してないよ。後でな」


情報量が多い。小学生の時の事を言われたかと思ったら、可愛いって言われた上に後で告白してくれるとまで来たもんだ。というか、今それを言うのはプロポーズどんなのがいい?だなんて質問をしちゃってるのと同じでもうその言葉自体が告白なのでは?

それでも彼はこちらの事などお構いなしに言葉の爆撃を続けていく。


「んで、小六になって劇的に生まれ変わったお前さんは男子のあんなことやこんなことの対象になったわけだ。そこで俺は気付いたんだよ。むかつくなって」

「なんでそこまで条件そろってて当時の私は振られたんですの!?」

「興奮しすぎて口調が変わってるぞ。振った理由は……言っても怒らない?」


ここまできといてそれはない。ともかく、彼はどうやら言うのもはばかられるような理由で当時の私を振ってくれたらしい。


「今更ここで撤退を許すと思う?というか私が怒るような理由であんな無残に振られたの」


彼はばつの悪そうな顔をして、見つめる私から目をそらした後、ぽつりと言った。


「ずるだと思ったんだ」

「ずる?」

「だってそうだろ?お前がぼっちだったから俺はお前を助けたけど、なんつーか、その流れで俺を好きになるってのはずるじゃん!そもそもお前が可愛くなくても俺は助けたわけだし。俺を好きになるんだったら、あれだ、俺にしかない何かを好きになってもらいたかったんだ。お前に優しくするなんて、誰にでもできた。誰にでもお前は救えた!それじゃ、嫌だったんだ……俺の席は誰にでも譲れるものだったから」


いつの間にか逸らしていた目は、私の目の前のテーブルを見つめるような形になっていて、ともすればそれは懺悔に近い形になっていた。うつむいた顔にはじわじわと汗が噴き出て、きっといろんな感情がないまぜになって、それが汗というものになって全身からあふれ出ているのだ。

そしてそれは、私も同じだった。汗ではなく、涙という点で違いが出てしまったが。


ふざけるな


そう口に出せたらどれほどよかったのだろう。どれだけスカッとできただろう。コイツの言い分は、まったくこちらの思いをくみ取っていない。こんな考えを残したまま、あの夕焼けの場所に来たのなら、こちらの一世一代の告白の言葉なんかみじんも聞こえていなかったんだ。これはもう、ダメだ。あの時の恋心そのものを否定していたのだ。

なんで優しくしたんだ。なんで一緒に過ごしたんだ。そう叫びだしたくなった。

だけど、自分の口から出たのは全く違う言葉で。


「表に出ろ」


今まで口にしたことのないような、喧嘩の合図を口にしていた。



色々と割愛するが、目の前には豚さんに変わり果てた例の男がいた。


「ぶぶふぃ……」


めっちゃビンタした。泣きながら。

昔した泣きながらのビンタよりやってて苦しくなかったのは、全面的に向こうが悪かったからだろうか。それとも、彼自身が自分が悪い方の人間だとわかっていたからだろうか。

だけど、どんなに彼を豚さんにしても、心の何かが治る様子を見せない。ようやく、治りそうになったのは、ビンタし続ける私の手を彼が止めた時だった。

もうすでに2/3ほど豚さんだった彼は私の手を見てつらそうな顔をしていた。

なんでそっちがそんな顔をしているんだと、むかついたから逆の手でぶった。この間、時間にして2秒もなかった


「これ以上お前が傷つぶほぁ!?」


なんかたぶんおそらく格好いいことを言ってる最中だったけど、関係なしにぶたせていただいた。

突然だけど、人は笑いに抗いがたい生き物であり、特に説教している途中でもなんだか笑ってしまうということはよくあることなのだ。

例にもれず、私も、彼の変な声で少し笑ってしまった。いや、うん。実に不謹慎だと思う。さっきまで実際に私は本気で怒っていたのに。

あと数発くらいで終りにしよう、などと思ってしまうじゃないか。

が、目の前の珍妙な生命体はまったく懲りずにこう言ってきた。


「って思ったほど痛くねぇな。やっぱり利き手を封じておけば存外ダメージは少ないのでは?」


もう10発くらい多めにはたいた。



「今日歯磨きできるかな…」


寒空の下、公園で彼はパンパンにはれた顔を携帯のカメラで確認しながらつぶやいた。

何とも無様な姿だが、10年ためてきた錆を落とすにはそれくらいがいいだろう。

まあ、まだ落としていない錆もあるから、そっちも落としてしまおう。


「で、告白の話だけど」


彼が嘘だろ?という顔でこっちを向いてくるが、今度はこちらが構わずにしゃべる番だと思ったので、そのまま続けた。


「どんな内容で話を進める気だったの?」

「どんな内容って―――」


ひるんでる間に言葉を続ける。


「あんなひどい真実を叩きつけといて、まさか本当に告白できると思ってたの?普通ならあのカミングアウトで愛想尽かして破局するにきまってるでしょ?」

「破局の前提条件成り立ってないでしょ俺たち。元からボロボロの関係性ですよ?」

「いいからどんな内容で話進めようとしたのか話してみてよ」


やはり彼は押しに弱い。どんどん詰問していくと、そのうち諦めたように公園のベンチに腰掛けた。

あと、ご丁寧にも私の座る場所にはハンカチを敷いてくれた。

少しばかり彼は目頭を押さえると、淡々と話し始めた。


「告白の内容か。小学生の時の話に戻るんだけどな。俺に特に話しかけていた金髪のヤツ覚えてるか?」

「名前は覚えてないけど…ギリギリ」

「上出来。そいつは何かと俺に頼ってくる、というか、ほとんど宿題と掃除の交代目的なんだけどな」

「悪ガキの代名詞みたいなやつね」


彼は小さく、そうだな。と同意の言葉をつぶやきながら、ため息をついた。


「そいつがだいたい半年くらい前だったかな、ニュースに名前が載ったんだよ」


予想がついた。この話の流れで、件の彼が社会的に良いことをしたとは考えにくい。

目を覆いながら、彼は絞り出すような声で続きを語る。


「児童虐待だった。自分の息子を殺していたんだ。たぶん、高校を出てすぐに結婚でもして作ったんだろうな。赤ちゃんは火傷に打撲に切り傷。あばら骨は折れていたらしい」


彼から出ていた雰囲気が暗いものに変わっていく。


「でだ、あいつに舎弟みたいにくっついてたやつもいたんだ。こっちは影が薄いけど、わかるか?」


静かに私は首を振った。私の小学生の時の交友関係などそもそもたかが知れている。六年生の時に特に仲が良かった女子と、男子なら彼しか覚えていないのだから。あとはぼやぼやした何かの集合体にしかならない。


「そっか。二人いたんだがな。それとなく調べてたら、どうやら二人ともつかまっていた。片方はパチンコ店での暴行罪、もう片方は未成年者との淫行だった」


わからない、なぜ彼らがこんなことをしてしまったのか、ではなく。

何故、私にそんな話をするのだろう。


「三人ともさ、俺が特によく見ていた奴だった。お前とは違う意味でだ。あいつらが目の前で宿題を必死に写すさまを滑稽だとも思ってしまっていたし、小学生レベルのテストで満足に点も取れない姿を娯楽にして楽しんでいた」


彼は自虐的な笑みを浮かべる。べたべたに顔に張り付いてしまったその顔は、生気と呼べるようなものは何一つ見いだせなかった。


「もしも、もしもだ。あいつらに俺がまともに勉強を教えていたとしたらどうなっていたと思う?いいや、そんな深くかかわらなくたっていい。単純に宿題を見せずに、次の宿題からはあいつら自身の手でやらせるようにしていたらどうなっていたと思う?」

「それは、だって」


理解した、彼は自分のせいで彼らが不幸になってしまったと思いこんでいる。実際はそんなことはあり得ない。努力すべきところで、努力しない選択肢を選んでしまったのはあいつらであって、その道を選択させたのは目の前で罪の意識に悩んでいる彼ではない。


「こんなことにはならなかった。あいつらから成長の機会を奪ったのは俺で、あいつらが幸せをつかむ手を伸ばせなかったのは、俺が伸ばさせなかったからだ!!」

「むちゃくちゃだよ、それは」

「そうかもしれない。だから、俺はお前に会いに来たんだよ。俺はお前に楔を打ち込んでしまったのかもしれないって思ったから。俺に深くかかわった人の中で、まだお前はどん底に落ちていないから!」


お前はまだ、幸せになれる。彼の眼はそう語っているように思えた。ともすれば、贖罪の場を探し続けた咎人のようで。そのくせ、まだ希望はあると語っている貧しい者のようにも見えた。


「これだけを言うのに随分遠回りした。だけどしょうがなかったんだ」


顔のはれはある程度ひいて、そこそこみられる顔になった彼は私の手を握りながら目を見て言った。


「俺は、君を幸せにするために君に会いに来たんだ。俺が君に残した苦しみを全部取り除くために」


静寂がお互いの隙間を駆け巡るように感じた。

体が熱い。どういう事なんだろう。耳が熱い。心臓が熱い。目の前がよく見えない。

おかしいおかしいおかしい。

手が寂しいから、指を絡めた。寂しさが埋まらない。

体が寂しいから、隙間風が入らないように彼を引き寄せた。寂しさが埋まらない。

唇が寂しいから、触れてみた。寂しさが埋まらない。


もう、彼のすべてがなければ、私の寂しさは埋まらない。

だから、ずっと一緒にいて欲しい。


ふっと、彼は私の顔を引き離した。いやだ、寂しい。

隙間風が体を抜ける。いやだ、寂しい。

何よりも強固だと思っていた指の絡まりが解ける。いやだ、寂しい。


「ああ、よかった。これで俺は――――」


彼の、顔が、寂しく、笑った。


「君を自由にできるんだね」


名前を、――と呼ぼうとした時。




彼が、彼の小さな体躯が吹き飛ばされた。

というより、厳密には殴り飛ばされた。


「おい、大丈夫か!?」


なにかが目の前でしゃベっている。ああいや、なにかじゃない。たしか、こいつは。私がよく絡んでる大学のグループの一員だったか。良く話しかけられるが、私個人にとっては特に興味のわかない対象だった。良く自分が属しているスポーツのチームの自慢話をしていた気がする。


「なんで、ここに…?」


必死に紡いだか細い声がスポーツマンのどこかの琴線に触れたのか、彼はますます憤りながら、携帯のLINEを見せてきた。


そこには、私が無理やり部屋に入れられてる(ように見える)写真。(実際には、彼の家に初めて行ったときに、玄関でずっと待つ宣言をしたところ、中に入れられた)


彼が私の隣で衣服を脱いでいる写真。(いきなりの雨の時に私に傘を貸してくれた時)


私が彼の事をビンタしている写真。(ついさっきの出来事だ)


色々、誤解を招きそうな写真が詰まっていた。


そして、この公園の名前が入ったメッセージの後にこう続いていた。


『言わなくてもわかると思うけど、彼女はコイツに苦しめられている。君は親しいんだろう?助けてやってくれないか。彼らは上の名前の公園にいるよ』


目の前のスポーツマンは、読み終えてつらそうな私を見て、ますます憤慨したようだった。


「このメッセージを見て、最初は疑ったんだが、実際君は午前の授業に参加していなかっただろう?だから、心配して来てみたら、君は無理やりあいつにキスされていて……」

「…ちがう、違うよ。無理やりなんか……!」

「分かってるよ、きっと仕返しされるのが怖いんだろう?でも大丈夫だよ、こんなことをする奴だ、きっと、パソコンとかスマホとか、とにかく他の情報端末に悪事の証拠が入ってるはずだよ」


そんなことは気にしていない!そんなことはどうでもいい!全部嘘っぱちだ。

なんで?誰がこんなことを?


名前も思い出せないスポーツマンは、いまだに倒れている彼の近くによると、体を探り始めた。きっとスマホを探しているのだろう。仰向けになるように彼を転がす。

探し当てたのか、スマホを引き抜くと彼を一瞥してこう言った。


「クズ野郎め、絶対に警察に突き出してやるからな」


彼にはどのように聞こえたのだろうか、わからない。意識がはっきりしているかどうかも定かではない。ただ、立つこともかなわない体のまま小さく言い返した。


「いいよ、中古でよければくれてやる」


あれほどまで悪意に満ちた彼の顔を私は見たことがなかった。ゆがんで二度とは戻らないような笑顔をして、彼は。

瞬間。

ぐしゅ、という音がして、スポーツマンによってその顔面が踏み砕かれた。


止める間もなかった。いや、止めようとしていたのか私は

何もわからない。何もわからないまま、私は意識を手放してしまう。

先にあるのは、ただのどん底だった。



警察の、聴取を受けた。

どうやら、彼は私に対する病的なストーカーで、無理やり肉体関係を迫った挙句、リベンジポルノをちらつかせて関係を持ち続けていた。ということになっているらしい。

私本人が何を言っても無駄だった。彼に長らく支配されてきた恐怖が抜けきっていないのだろう、というわかりやすい理由をつけられて、封殺された。


彼の部屋には私の写真がいっぱい張り付けてあったらしい。

嘘だ。そんなものはなかったはずだ。

彼の部屋には私の痕跡があったらしい。

当たり前だ。何度も無理を言って入り浸った。

彼のパソコンには私が大学にいる写真や、プライベートなことをしている写真があったらしい。

嘘だ。そもそも彼と私の大学は別の大学だ。そんなものを持っているはずがない。


聴取の内容も、彼が行っていたことの説明も、何もかもが自分をだまそうとしているように感じた。

なにより、リベンジポルノとして成り立ちそうな写真が、まったく見つかっていない。どちらかといえば、スポーツマンに送られていた写真の方がリベンジポルノが成り立ちそうな写真だった。直接的な写真はないが、してそうに見えるだけで、大衆には十分なのだから。

結局、スポーツマンに送られてきた写真の送信元はまだわかっていないらしい。

面会も断られた。どうやら、彼自身が拒否をしたようだ。


彼の無罪を証明できるものが何も見つからない。

一筋の光明すら見いだせない今の状況は、まさに底の底で。

それでも、私は自分がまだ沈んでいく様な錯覚を覚えて――――。

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