人狼は孤独を駆け行く

夕凪 奏

**プロローグ**

遠くに白虹を背景にした街が見える。その街の中でも最大の建物、王宮のガラス窓は太陽の光を反射して輝き、商店街の旗は気持ちよく風に吹かれていた。

 それを遠くから見る少年がいる。彼は崖の上からその様子を睨みつけていた。

 「ルゥク、そろそろ帰ろう。人間に見つかったら殺されちゃうよ」

 銀髪と碧い目が木の裏からこっそりと現れた。ルゥクと呼ばれた少年は「ああ」と生返事をして身を翻し、碧い目のもとに戻る。

 「ラオ、ここまで来るのに人間に出会わなかったか?大丈夫だった?」

 ルゥクは先ほどの厳しい顔とは一変し、柔らかな笑みを浮かべてラオの頭を撫でた。ラオは嬉しそうにルゥクに抱きつく。ラオはルゥクより頭二つ分ほど小さかった。

 「帰ろう、ルゥク」

 二人は森林の道なき道を歩いた。いつものようになるべく足音を立てないように。だが、枯れ葉の上だ。足音を立てずに歩くのには限界がある。

 パキッ

 木の枝が折れる音が響く。ラオが踏んでしまったのだ。ルゥクは冷汗が出るのを感じながら一度立ち止まって人間の気配を探る。ラオは真っ青になって震えていた。

 「大丈夫そうだ。行こう」

 小声で呟き、なるべくラオが音を出さないように細い道をつくってあげる。もうすぐで家に着く。

 「みーつけた!」

 草むらから男が飛び出してきた。彼の後ろには銃を持った男たちが数人立っていた。その代表らしき男は自らを「シグレ」と名乗り、深く丁寧にお辞儀をした。声は明るいが、顔をあげたときのシグレの眼はまったく笑っていない。

 「なんですか?」

 見つかってしまったなら仕方ない。ラオを守るように立ち塞がる。シグレはそれを見てくすりと笑う。ルゥクは怪訝な顔をしてシグレを見つめた。

 「いや、失礼。微笑ましいなと思いまして。まずはお名前をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか?」

 「俺はアシュウ、後ろにいるのは弟のソウ」

 相手を敵か味方か見極めつつ、偽名を名乗ってやり過ごそうとする。

 「よろしく」

 シグレが手を差し出す。それは本来ならば普通のことだが、ルゥクは疑った。だがここで握手しなければ逆に疑われると思い、握手する。次の瞬間、視界が一転した。背中から叩きつけられる感触が伝わり、同時に痛みが体を襲う。

 「油断したな。お前、ルゥクだろう。こっちは弟のラオだな。政府からの命令だ。お前たちを政府で保護する」

 シグレの声が低くなり、言葉が二人の上にのしかかる。ルゥクは咳込みながら、あくまで冷静に訊ねた。

 「代償はなんだ。ただで保護なんて言わないよな?」

 「思っていたより賢いな。獣人なんて馬鹿なだけかと思っていた」

 ルゥクを見下ろしながらシグレは考えるふりをして心の中では嗤っていた。ルゥクはそれに気づいていち早くラオのもとに戻り、背に隠す。

 「代償は労働だ。人が街で働くように、お前たちにも仕事を課す」

 「それは政府に縛られろ、ということか?」

 「そうだ」

 シグレは悪びれることなく答えた。即答かつ反論を許さない答えだ。ルゥクはこの場の状況を再確認して、肯定した場合と否定した場合の最悪の場合を考えた。肯定した場合、二人とも二度と自由にはなれず、否定した場合はきっとラオが人質に捕らわれる。少し考えて一つの打開策を思いついた。

 「わかった。だが一つだけ条件がある」

 「なんだ?」

 「命令には従う。その代わりにラオを見逃してくれ。ラオがこれからここで安全に生活できるように、取り計らってほしい」

 シグレの性格によっては半殺しにされる、危険な賭けだった。だが、そこまでの危険を犯すほど、ルゥクはラオを守りたかった。

 「……いいだろう」

 この言葉を望んでいたのにも関わらず、ルゥクは拍子抜けしてしまった。第一段階は勝った。一瞬遅れて打開策第二段階の準備をする。

 「ありがとう」

 言い終えるとともにシグレの懐に飛び込む。だがその姿は人間ではなく、狼だった。シグレはその爪を躱しざまに狼の前足にナイフを突き刺す。狼はドサッと音を立てて落ちた。

 「白旗をあげたと思ったら攻撃か。残念だったな。それ以上抵抗するようだったらお前のいう弟を人質にするぞ」

 予想はしていた。どんな約束でも、結局は信頼がなければ成立しない。ルゥクはシグレを簡単に信用するほど馬鹿ではなかったがシグレもまた、ルゥクがそういう性格だと見抜いていた。第二段階の賭けはルゥクの負けだ。

 「ルゥク!嫌だ、いやだよ……死なないで、独りにしないでよ……」

 ラオが狼から人間に戻ったルゥクにすがりつく。それをシグレは容赦なく引き剥がした。

 「やめて、やめて!連れて行かないで!」

 「じゃあお前、このままルゥクを殺したいのか?」

 シグレは無表情で問う。ラオは泣きながら首を振った。シグレはそれを確認してからラオと距離を取り、睡眠剤を注入してから応急処置をして抱え上げる。

 「ルゥクとの約束だ。お前の生活を安定させる代わりに、ルゥクを連れて行く。そこにお前の感情などなんの意味もない」

 シグレはラオの心に深い傷を負わせて去って行った。後に残ったのは、森に響くラオの泣き声とルゥクの血痕だけだった。

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