第三章:戸惑いのコトリバコ
「コトリバコ……ですか?」
零はあごに手をやり考えるように呟いた。
相手は40代前半の男性。恰幅もよく、黒い本革の手袋は裕福さを醸しだし、とてもではないが、零の経験上こういった人物は心霊現象を信じるようなたちに見えなかった。しかしそれは第一印象。人の大切な心は、深く関わり合わなければわからない。そもそも『黒猫』に訪れてくるならばまだしも、『クロネコ』に訪れた時点で、ある程度は認めていると言うことなのかもしれない。
「私は信じたくないのだがな。だが、ある事実が、無視をしていられないと騒いでいる」
「ある、事実ですか」
「先に言おう。申し訳ないが私はオカルトは嫌いだ。宗教等も信じるに値しないと考えている」
「…………」
それについては、肯定も否定もしなかった。宗教を信じる信じないは個人の問題である。にもかかわらず、その考えや主張を無意味に押しつけてくるのであれば信じる、信じないに関係なく批判をするのだが、そういった様子もみせないので言葉を出す必要性が感じられなかった。
「もちろん、君たちのことを嫌っているわけではない。そういった需要もあることを認識している。私も信じたくないのに、その可能性しか考えられなくなったから、君たちに頼んでいるわけだからな」
「では、お話しください。オカルト話だと嫌悪感が生じるのであれば、カウンセリングだとでも思っていただいて結構ですから」
「……事の発端は先々月。私の父親が死んだ。形式上葬式なども行った後、遺品を掃除していたらこのようなものが出てきてな」
そう言ってカバンからとりだしたのは20センチ四方の木箱が写った写真。そして小さなブロックがパズルのように、複雑に組み合わさっている。これが本当にコトリバコなのだとしたら、形から推測するに、それは『ロッポウ』であろう。
道具の使った呪術。『クロネコ』としても興味がわいて出てしまうものだ。
「父は昔から骨董品などを集める趣味があってな。明らかに手の込んだ木箱だったから、もしかしたらなにか有名な骨董品の可能性もあると思い調べてみたんだ。私は骨董品に興味はないが、もしも珍しいものであるのであれば金に換えるのも悪くない。それに、大切な存在を処分されるなど、マニアにとってはダメージも大きいだろうしな」
「そこで箱の外見などを検索しているうちにみつけたのが、コトリバコですか?」
「最初は検討するのもばからしく思っていたんだが、無視することができなくなってな」
一拍おかれる。組まれている手の甲に力が入っているようで、皺がよった。
「私の娘が謎の病で倒れた。死んではいないが意識も取り戻していない……偶然なのかもしれないが、具合が悪くなり出したのがこの木箱を家に持って帰ってすぐだ」
「心的ダメージを受けたという可能性は?」
「娘はあまり実家の方に顔を出すこともなくて……父、つまり娘からすると祖父と仲がよかったとか、そういうこともない。忙しかったこともあって、告別式にすら来なかったぐらいだしな」
「なるほど。それで可能性として私どものところへ訪れたと」
「先にも行ったとおりカルトはさっぱりだ。にもかかわらず、話を聞く程度には君たちのことを知っていた」
「お褒めの言葉と受け取ります」
「……それで、どうだろうか?」
「とりあえずは受け取らせていただきます。こちらで調査もいたしますが……もしもの時はその木箱を拝見させていただくべく、お家に伺わせていただくかもしれません」
「わかった」
最初に渡しておいた書類も書き終えると、彼を送り出す。
「あなたに幸せを」
トンと、書類に目を落とす。店先に回ってみると心がレジ前にいた。
「光さんは、どういたしました?」
「……お手洗い」
「そうですか。とりあえず、こちらが今回の依頼者、依頼内容です。そして心。これをどう見ますか?」
「……ロッポウ」
チラリと見て即答をした。コトリバコとすら言っていないにもかかわらずに。
「あなたもそう考えますか」
「……それ以外考えづらい……これ、どうするの?」
「無視、はできませんよ。これが本当であろうが、なかろうが」
考え込む心。コトリバコのことをよく知っているからこそうかつなことは出来ないと理解しているのだろう。知らない事への恐怖はあるが、今回ばかりは知っているからこそ恐怖をする。特に女性である心にとってすれば、彼女の霊力を持ってしても対抗できるか怪しいのだから。
「あれ? お客さんは帰ったの? 確か娘さんが倒れたとか、らしいけど」
お手洗いから帰ってきた光が零を認めるとそう尋ねてきた。それに対しては頷くことで返事とし、少し迷ったあと彼女に尋ねてみる。
光はあくまでも一般人である。その一般人の思考として、都市伝説などをどこまで知っているかを聞き込むのも悪くはない。
「光さんは、聞いたことありますか? コトリバコの話を?」
「コトリバコ? ……あー、名前だけなら聞いたことあるかも。なんか都市伝説だっけ?」
「そうですね。元はネット掲示板に掲載された怖い話です。その書き込みの真偽のほどは不明ですが……私たちプロはそれの存在を確認してます」
「……えっ?」
さらりと零が言った言葉にぽかんと口を開けた。世の中に流布している都市伝説を、あると断言されたのだから無理もない。
「あの投稿された文自体は正しい部分と、間違っている部分とがありました。ただし、コトリバコの除去に携わる人間が代を重ねるごとに、どこかで勘違いなどが生じることを考えると、それだけで完全な嘘と断言はできません。そもそも、コトリバコの作成方法は地域によって多少異なると我々の中では結論を出しているので、その中の一つかもしれませんからね。なおさらわかりません。それより、議論すべきは正しい部分。コトリバコの数え方、その効果……。偶然正解をしていた、なんて考えるには無理がありますから」
「えっと、まずコトリバコの効果って? 呪いってのはしってるんだけど……」
少しだけ平静を取り戻したのか、光は指を折りながら首をかしげた。どうやら整理をしているらしい。
「簡単に言いますと生殖能力を有する女性、または子に害を及ぼすというものです。もっと正しく言えば、苦しんで死ぬことになりますね」
「死ぬって、ダメなやつじゃない!?」
「ちなみに、数え方は……呪いの強さからイッポウ、ニホウ……と増えていきます。今回話題に上がっているのはこちら。その形状からすると、ロッポウ。ロッポウはその中でも強力な方です。最大はハッカイですが、ハッカイを作成できるのは一個までという縛りがあるので、実質チッポウが最大、その次がロッポウです」
「は、はやく助けにいった方がいいんじゃないの!?」
至極まっとうだ。これだけ聞けば今すぐにでもどうにかするのが正解ということになる。
「安心してください。コトリバコは近づきさえしなければ安全です。それに、話を聞く限り、コトリバコのように思えると言うだけですから。コトリバコと決定することができないんです。いえ、正しくはコトリバコだとはどうしても考え難いのですよ」
「どういうこと?」
意味を理解することができないらしい。
一度自身の知識を消して、これまで光に聞かせた話だけを取り出す。『若い娘が倒れた』、『写真はコトリバコのロッポウと酷似している』、『コトリバコはプロがその存在を認めている』……、コトリバコである可能性が非常に高いことが推測される。むしろそれだと断定して動いた方がよいほどだ。だが、零の言葉のニュアンスはコトリバコなどあり得ないともとれるだろう。そしてそのニュアンスは間違っていないのだ。
「……コトリバコは母さんが、全国を回って全て解呪、処分しました。残っているはずなんかないのです」
「あ~、ごめん。これ驚きすぎてなにも感じれなくなってるやつだ。梢さん何者なのよ、いったい」
頭を抱えてみせる光。その、どこまでも人間じみた仕草に思わず笑みがこぼれた。
「母さんはああ見えて小道具を使った不思議な道具関係にめっぽう強いですので」
「わけがわからないから、とりあえず梢さんがコトリバコを処分したというのは受け止めるよ。それでだけど、じゃあ今回のはコトリバコじゃないと言うこと?」
「贋作ということも考えられますけども……。この時点ではなんともいえませんね。母さんに情報をもらいたいところではありますが、肝心の存在は、今日はどこかへ行ってますし」
梢は朝から旅をしてくると言い残してどこかへと去って行ってしまった。その旅というのはどれほどのものかは零たちにも預かりしれぬところがある。
ただのデパートへの買い物の時もあれば、本当にバスで他県へと旅行に行っていたことさえある。
「……考えられる可能性としては、ただの偽物。コトリバコの残り。コトリバコに似た別の何か、というところ?」
「そうですね。私もその方針でいろいろ調べてみようと思います。実際のところは出向く必要があると思いますが……。今回は私が仕事場に向かう必要がありますね。心と光さんは間違っても近づかないようにだけ気をつけてください」
「……わかってる」
「素人の私にできることは何もないからね」
二人の了承を得て今回の情報をまとめ上げるべく自室へと戻る。
コトリバコ……。もしそれが本当に存在し続けるのであればできうる限り早く除去する必要がある。あのような悲劇をもう一度起こすなんてことになっては――――ならないのだから。
「こちらですね……大きな家です」
東京都田園調布の一角にその屋敷はあった。屋敷というのはややオーバーだっただろうか。しかし、平均水準を大きく上回った家の前に立つと、自然にそんな感想が抱かれたのだ。自身の霊力を最大限までに引き上げて様子をうかがう。体をすくう悪寒。吐き気。恐怖。
少なくともここには、何かしらよくないものが憑いていることは確かなようだ。
「じゃあー、早速入りましょうかー」
「待ってください、母さん」
マイペースにことを進めようとする母、梢を止める。今回はことが大きい。梢についてきてもらい対処するのが正解であるとふんだのは間違いではないだろう。梢自身には危険がないことは承知しての願いだ。
ちなみに梢は依頼主が来た日の夜、何食わぬ顔で帰ってきた。どこに行っていたのかを尋ねてみると、山登りという返答が得られていた。
「まずですが、この感覚はコトリバコのそれと同じなのですか?」
「うぅ~ん……。そうともいえるし、違うともいえるかな」
「どっちですか?」
「作成方法の違いで微妙に感覚が違うからわかりませーん。とぉ」
答えになっていない答えを返した後、ピンポーンという間の抜けた音が響く。インターホンを勝手に押していた。やれやれと首をふってインターホン越しの応対。入出を許可されたように、門はゆったりと開かれた。
「よく来てくれたね……」
依頼人の男性がその門から現われる。
「はい、やはり現地調査の方を進めていこうと思いまして。こちらは、クロネコの支配人でもある霧桐梢です」
「こんにちは~」
普段のペースを崩さないようすで笑顔で挨拶する。
その挨拶もさることながら、上から下まで梢のことを観察した後、彼はまさかといった具合に口を開けた。
「霧桐……ということは」
「えぇ。私の母です」
「お、お母様、ですか」
初めて表情が崩れたように思えた。無理もなかろう。とはいえ、光と違い、直球なことを言わないあたり大人ともいえる。心霊現象に精通している零ですら、梢のことは分からない事ばかりなのだから、光の方が自然ともいえるが。
「では、まずはコトリバコの方を見させてもらってもよろしいでしょうか?」
「あぁ……、それは構わないがが……、失礼ながらそちらの方は大丈夫で?」
「女性なのにということですね。大丈夫ですよ、私どもはプロですので」
「あぁ、そうだな。失礼した」
その一言で納得をしたらしい。どうして大丈夫なのか、なにか策があるのか聞こうとしない辺り、本当にオカルトは苦手なようだ。
なんにしてもそれ以上は無駄話をすることもなく、納屋まで着いた。
「こっちにあるのだが……。大切なものはあらかた片付けているから、好きなようにいじってくれて構わない。コトリバコ自体は中央にある」
「ありがとうございます。何かありましたらご在宅の方にお伺いすることもあるので、その場合はどのようにすれば?」
「あぁ、まっすぐに行けば広縁があるからそこで声をかけてくれればいい。すぐに向かうから、またそこで案内をするよ」
「わかりました」
「了解です。じゃあ、私たち調べていきますねー」
相も変わらずのマイペースで扉の中に入っていく。零も頭を下げその姿を追いかけていく。
納屋の中は特別何かあったわけでもなく、本当にコトリバコのみがおいてあった。不穏だ。まがまがしい。
「さて、こちらがコトリバコですが……母さんはどのように感じますか?」
「うぅん……まだ微妙ねぇ。確かにコトリバコのような感じもするけど、どこか納得もいかないような気もする。なんていうか、コンビニで肉まんとあんまんとピザまんを同時に買ったら、どれがどれかわからなくなったような感じかなぁ」
「その例えはわかりませんね」
そもそも肉まんとあんまんはまだしも、ピザまんは特徴的なのでわかりやすいと思うのだが。
「たとえ、だけに?」
「……残念ながら思いつきませんね」
おそらくここに光がいればツッコミで喉をからしていたことだろう。頭の中で光を思い浮かべながら、慎重にコトリバコを手に取ろうとした矢先、梢が無遠慮に手に取る。この大胆さはさすがの一言に尽きるだろう。
「確かに形はロッポウね。呪いの強さ的にもそう感じる。きちんと年代をはからないとわからないけど、制作されておよそ80年という感じかな……。でも恐ろしいよね。80年といえば戦争ちょっと前。そんな中にこんな呪いに頼るなんて、一番怖いのは人間とはよく言ったものだ」
「人の悪意ほど、よめないものはありませんもんね……」
そんな談笑をしながらも持ってきたルーズリーフにびっしりと文字を連ねていく。
いくつもの特徴を重ね合わせ、仮説をたてては否定していく。その先に見える唯一の答えを探し出すために。
気がつけば二時間もの時が過ぎ去っていった。
「さて、私は一つの結論に至りました」
「うん、母さんも同じ。だけどそうなると気になることがあるんだよね~」
「おや? だとするならば同じ結論に至っているかもしれませんね」
「至ってるかもじゃなくて至ってるの。同じ考えよ?」
「……ふふっ。そうでした。母さんのことを少し忘れていました」
普段は一緒に仕事をすることがないのでどうしても忘れがちだが、この人のチートっぷりは口に出せば語りきるのに何時間かかることだろうか。ひとまず読心術があるのは、零視点で確定のように感じている。
「では、この謎をどのように解きますか?」
「うぅん。依頼者に聞き取りかな~。そこら辺は任せるわよ~」
「はい、かしこまりました。では、切り崩していきましょう。長い時間かけて、なぜ、”まがまがしい”、コトリバコの”まがい物”があるのかを」
「うぅ~ん。控えめに言って100点」
「母さんの評価は嬉しい限りです」
依頼者の言うとおりに広縁で声を出すと、すぐに広間へと通された。そこの下座について依頼者がやってくるのを待つ。
「いや、すまないね。家内も病院の方につきっきりで。簡単なものしかないが」
「いえ、お気遣い、心にしみます。いただきます」
彼から出された紅茶とカステラを口に運ぶ。甘すぎず、ちょうどいい飽和で、卵そのものの味がミックスされ口内に美味を奏でる。クロネコとして仕事をしていると、こういった高級菓子を出されることが往々にしてあるのが嬉しいところだ。
梢はルーズリーフを広げてペンをくるくると回している。ちらりと確認したところそれっぽい絵も描いてあるが、これはただの落書きだ。
「さて、私に聞きたいことがあると言うことだったが。その前にいいかい?」
「はい、何でしょうか?このルーズリーフについてはメモですので気にはなさらないでくださいね」
「あぁ、そのことじゃない。いや、それも少し気にはなっていたが……。ともかくだ、結論から聞くとアレはコトリバコなのか?」
「まだ、確定的なことはわかりません。そのための聞き込みということでもあるのですが……その不確定要素、かつ、我々が現在出している、仮説でよろしければお伝えいたしますよ?」
「あぁ。頼む」
彼が少し前のめりになった。唇が引き締まっていく。
「アレは、コトリバコではない可能性が非常に高いです。コトリバコのまがい物でしょう」
「まがい物……。よかった」
ほっと胸をなで下ろす依頼者。その依頼者にこれからの聞き込みはかなり残酷なものになるのだが……。仕方があるまい。結論としては、コトリバコのまがい物で間違いなさそうなのだから。
「では、質問を開始します。まず、あなたのお父様の享年をお教えいただきますか?」
「父の? 92だが」
「お父様はどちらに?」
「港区の方だ」
「そちらのお産まれで?」
「いや、元は神奈川の方の出らしい。ただし、私自身は東京生まれだ。いつごろ上京してきたのか、その詳しいことはわからないが、少なくとも戦時中は神奈川の方にいたことは間違いない」
そのことをメモしていることを横目で確認しつつも、頭の中で年表を立てていく。その度に仮説が背中を押していく。
コトリバコの作成方法が地理によって多少変わるということからもわかるように、こういった地域の話を詳しく聞き出すことは大切だ。特に元々部落である土地や、一部の神様を信仰していたりするとそのことも調べる必要がある。
「……娘さんの状態をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「内容にもよるが、大丈夫だ」
「では、いくつか質問の方をさせていただきます」
と、小さく前置きをしてから中に切り込んでいく。
「まず血圧は?」
「詳しい値までは忘れたが、かなり低い水準を保ってる」
「では、体温も?」
「平熱はおよそ36度6分ぐらいだったのだが。現在は35度7分までに落ち込んでいる」
「コトリバコを受け取ってから倒れるまでの間はおよそどれくらいで?」
「葬儀の終わった後に引き取ったから……まぁ、一ヶ月程度だが」
「その間月経などは通常通りに来ておりましたか?」
「なっ……。いや、そんなことまでは私の預かりしれぬところであるが、なぜそのようなことを?」
さすがにそこまで見ず知らずの人間に教えられないという想いも乗せられて尋ねられる。ここで突然、無意味な質問をするとも思われていないから、一蹴をするわけにもいかない、ということであろうか。
「コトリバコではありませんが、コトリバコに近い性質のものであるというのが私どもの見方です。そしてコトリバコについて調べたならご存知ですよね? コトリバコは女子供に呪いを発揮すると言うことを。そして女性は閉経をしているか否かも重要であることを。ここまで言えば月経のことに関しての重要さもわかるとは思いますが?」
「……少し待っててくれ。今、連絡を」
「あぁ、でしたらお待ちください。まだ質問をしたいこともあります。そのつどわからないことがあったらいけませんので」
零としてはわからないことがこれからもどんどん出てくることは想定済みなのだが。驚かせすぎて心臓麻痺にでもなられては困る。幽霊と会話することができても、蘇生をすることはできない。
「あ、あぁ……。他にも聞きたいことがあるんだな?」
「はい。次にですが体に斑紋のようなものが出てきたりはしませんでしたか?」
「いや、それはないな」
「でしたら、この値がどうなっているかをそれぞれ正確に伝えてください」
そう渡した紙にはヘモグロビン値を始め、血小板数等、主に血液検査でわかる値が書かれている。
「……わかった。尋ねてみる。カルテなどは病室の方に保管しているからすぐにわかるはずだ」
小さく頭を下げて見送る。その後横目で梢を確認する。
「さて、ここまできてですが、どのようにお考えですか?」
「こんな感じ。計算値的にもこれはコトリバコではないと出てる。せめて斑紋が出てくれば下級の存在と一蹴できたんだけどなぁ」
「私もそれにかけてみましたが……非常に残念です。しかし、どうすべきか」
「どうすべきもなにも、簡単よ。きちんと対処してあげたらいいだけ」
「解呪はお任せいたしますよ? 私はその値がはっきりしたら依頼者に説明を行いますから」
「お母さんに任せなさい」
どこか信頼ならないのは勘ぐりすぎなのだろうか。しかしその実にある強さは本物であるので結局のところ信頼に足るのだから不思議なものだ。
カステラに手を伸ばして食べきったところで依頼主が帰ってくる。
「各値はこうなっているらしい。それと月経のほうだが問題なく来ていたとのことだ」
「……なるほど。わかりました。母さん」
「うん、一刻も早く、だね。行ってくる」
立ち上がり再び納屋へと戻る母親。一刻も早くという言葉から少々目を大きくさせて身を乗り出す依頼主。
「なっ……何かわかったのか」
「それは私の方から説明させていただきます。ただし、残酷な現実に向き合うことができるのであれば、ですが」
その言葉に息をのむのがみてとれる。
「……しかし、知らなければ、納得がいくまい」
「私のような若造がいうのもなんですが、知らない方がいい真実というのもあります。ご安心ください。例え真実から目をそらしたとしても、なんの不便もありません。しかし、そらさないというのであれば、その先にある未来と、自分で向き合うことになると言うことです」
「……いや、教えてくれ。少なくともコトリバコを持ち込んだ私には、それを知る義務があるはずだ。家族にその真実とやらを伝えるかどうかも私が決めよう」
一瞬の間の後、決意のこもったような瞳で零を見据えた。零もまた微笑こそ崩さないがそれに応える。
「わかりました、ではお伝えしましょう。今回の怪事件に隠された悪意を」
そう前置きをする。どこからか鳥のさえずりという、場違いな音楽が鼓膜を揺らした。
「まず、はじめ。私どもはこれをコトリバコではないのでは、という前提で捜査を始めました。その理由はいくつかあるのですが……一番の理由は、コトリバコなど存在しないというところにあるのです」
『コトリバコなど』と、『存在しない』という言葉の間には”もう”という言葉がつくのだが、そこまで説明を始めるとややこしいのでそのような言い回しとした。あまりこの世界に詳しくなる必要性は彼にない。
「では、あれは何なのだ? まがい物、という言葉を使っていたが」
「コトリバコにとてもよく似せて作られた贋作でしょう。ですが、言葉に惑わされないように。贋作だから効果が薄いということはないのです。むしろ、贋作だからこその悪意の強さ、恐怖などからより威力はますこともある……。まぁ、特例ですが、そういった例外もあるということです」
「……今回がそれだと?」
「はい。症状をお尋ねしたのは贋作にどのような効果があるのかをはかるため。各値から導き出した答えから解呪をしていくためです。そして今回の性質は、恨みです」
「父は、誰かに恨まれていたのか?」
その問いに首を横に振る。小鳥のさえずりは相も変わらず、狂ったように一面に響いている。
「逆です。恨んでいたんです、お父様は」
「父、が? じゃ、じゃあ」
「あれを作ったのは間違いない。お父様です」
「馬鹿な! なぜ……。何のために」
立ち上がる依頼主。冷静に茶をすすり零は返す。
「何のためにかはわかりませんよ。しかし、証拠ならあります。まず、呪いの性質は子孫を断つタイプ。そのためコトリバコを模倣したのでしょう。どこでコトリバコのことを聞いたのかは不明ですがね。さて、その呪いを作成するのに必要なのは、対象の血液。その右手に隠された手の甲の傷、なぜついているのですか?」
「……なぜ、それを?」
「こんな日にわざわざ手袋をつける必要など、ありませんからね。となるとそれは何かを隠しているのかという推測が可能になります。それに今回は血液を必要としているという呪いですからね、あなたの血が使われている可能性はかなり高いんですよ」
「……そういうことか。確かに私の手の甲にはひどい傷がついている。物心がつく前の傷だからわからないが……。理由を聞いてもはぐらかされてきた」
そっと手袋が外された。醜い、と許容されそうな傷がしっかりとついていた。
「おそらくお父様が傷をつけたものでしょう。悪意をもって……。しかし、コトリバコの性質を含んでいたために対象者には聞かずに、女性に限定をされてしまった」
「……どうして、父は……」
「先にも言いましたとおり、そこまでは私にはわかりません。ですが、人の悪意は時として暴走をします。なにかきっかけがあり絶望した彼は自分という存在を許せなかった。しかし、自殺をするのも絶望の中にいる彼には許せなかった。絶望を伝染させたかった。その対象として選んだのが、自分の子供だったのでしょう」
「………………」
「そろそろ母の解呪も終わった頃です。娘さんも呪いの力が弱まって、いずれ目を覚ますことでしょう」
頭を下げてその場を辞しようと立ち上がる。もちろん、呪いを解呪するだけで対象者が健康に戻るというわけではない。これは霧桐家だからこそできる芸当である。
「代金の請求などは後ほど、お手紙で郵送させていただきます。値段に物言いがありましたらまたおいでください」
立ち上がる零とは反対にすとんと座る依頼主。そして、小さな声で語り始めた。
「……父は妄信的にある宗教を信じていたらしい。しかし、その宗教が詐欺まがいのことを行っていたことが、明らかになったことがあるということを、母から聞かされていた……。もしかしたら、そのときに絶望をしたのか」
「悪意の恐ろしいところは伝染をすることです。あなたが悪意の伝染を拒否するには、自分の行いを、可能な限り客観視する必要があることでしょう」
それらの言葉から息が抜けたような声が漏れる。心情穏やかなものではないであろう。その心も下手をすれば悪意と変わり害をなすこともあるが、彼の様子からはそういった様子は見られない。いずれ心が平穏に戻るであろう。
「ありがとう、助かったよ」
その言葉にはいつもの言葉で返す。梢の姿が遠くに見えた。その手にはコトリバコが乗っている。
「あなたに幸せを」
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