call my name

きばなし

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 咲太と麻衣のデートは突発的なことが多い。

 お互い少し平凡とは言い難い身の上だ。

 麻衣はテレビを点ければ見ない日はないといえるほどの実力派女優。芸能界に復帰した今もやはりスケジュールは事務所に管理されていて、休みは決して多くない上に不安定である。

 対する咲太の方も、妹と2人親元を離れての生活だ。平日は学校。放課後、週末もアルバイトとなかなか2人の時間が揃うタイミングは少ない。

 必然、麻衣の突発的な休みに咲太がすり合わせをして、2人で外出するのがいつもの流れだった。



 久しぶりの週末に重なった休み。デートはの舞台は梓川家だった。

 お互いの休みを確認した電話口で、咲太から切り出してきたのだ。


「明日は、僕の家で過ごしましょう」


 らしくない、断定的なもの言いだった。

 テレビ番組でお笑い芸人MCの強引な振りにも慣れていた麻衣の思考が、一瞬停止する。

 息を呑む声は聞かれていないと信じたい。


「かえでちゃんに何かあったの?」

「いえ、全くそういうわけでは」


 まずとっさに浮かんだ懸念は否定された。

 声の調子からも、なにか隠しているわけでもないだろう。

 一般的には彼氏の家に上がり込むこと自体、男女交際している間柄で特別なイベントという認識で間違いないと思うし、そもそもが梓川家には頻繁に入り浸っているのだ。

 そうなるとデートといえばいつも街に繰り出す形になっている。


「ダメだったら普通に外にしましょうか?」

「ダメってわけじゃないけど」


 言い淀んで、言い淀んでしまった事実が無性に悔しい。

 相手はここ最近では誰よりも顔を突き合わせている生意気な年下の彼氏であり、だからこそ迂闊な隙を作ってしまったことが、麻衣のプライドにチクリと甘い傷をつけた。


「かえでちゃんはどうするの?」

「もちろん、家にいますよ」

「家族同伴のデートってこと?」

「麻衣さんのご希望ならそういうプランでも」


 それはそれでどうなのだろうか、と麻衣は思うが、不思議と不快感はなかった。

 かえでちゃんは良い子で、きっとそういう休日の使い方も悪くないように思う。


「それともやっぱり2人きりの方がいいですかね」

「……私に『2人きりが良い』って言ってほしい?」

「すげぇ言ってほしいです。できればちょっと甘えた感じで」

「それじゃあ、明日は咲太の家でのんびりしましょうか」


 え~、と未練がましい声を上げる咲太に取り合わず、麻衣は予定を詰めていく。

 下心も真心も裏も表もすべて乗せた媚びを売る咲太と、それをあしらい掌で転がす麻衣。

 それでも思えば結局、当初の咲太の要望が通る形になっている。

 じゃれ合うように自尊心をくすぐられ、こうやって彼に乗せられてしまうのだ。

 麻衣は見え透いた彼の策略に乗ってあげているだけと、当てのない強がりと言い訳を心の中でしてみる。

 悔しいような嬉しいような、むず痒い感情を覚えるのはこんなときだ。


「それじゃあ、明日ね」

「はい、麻衣さん」


 そんないつもの他愛ないやり取りで、デートはの舞台は梓川家となった。



 * * * *



「きょ、今日はかえでは! いないものとして扱ってください!」

「……かえでちゃん?」


 梓川家の玄関で、かえでは麻衣の顔を見るなりそう要求した。

 顔が真っ赤なのは、玄関にかけ出迎えてくれたことが原因だと思うことにする。


「かえで、今日のために隠れ身の術と変わり身の術をますたーしました!

 わかいふたりに、あとはまかせて、かえではドロンします!」


 自家発電でヒートアップしていくかえでは、一方的にまくし上げた後はその宣言通り「ドロン!」と口頭で叫ぶとドタドタと諸手を挙げて自室へ駆けていく。

 きわめて小規模の嵐が吹き荒れた玄関に、何事もない顔で咲太が姿を現したのはすぐその後だ。


「……と、いうことらしいです」

「妹に余計な気を遣わせるんじゃないの」

「かえでがそういう機微を理解してくれるようになって兄としては感激ですね」


 わざとらしいぐらいの感情表現をする咲太に荷物を預けて、麻衣は勝手知ったる様子で上がり込む。

 いつもの梓川家なはずだ。

 部屋の間取りは当たり前として、別に家具の位置も変わったりしているわけじゃない。

 デートだからと、そういう気取った小細工をする咲太ではないと思うし、そもそも昨日の今日で改装もなにもあったものではない。

 それなのに、らしくない鼓動の高鳴りを麻衣は感じていた。

 意図的に作り出した時間を、彼の自宅で過ごすことに使う。その意味を改めて考える。


「言っとくけど、夕飯までだからね」

「今日の晩は麻衣さんの手作りかぁ」


 要らない言質を与えてしまった気がする。

 元より作るつもりではあったが、アドバンテージもといサプライズをひとつ握りつぶしてしまったのは残念だ。

 本当に少し柄にもない緊張をしているのだろうか。子役上がりの大女優は、今まで自分が緊張した場面を思い返す。

 主役に抜擢された朝ドラマのロケ入り。初めての舞台挨拶。歳月を経て再び共演させていただいた大御所俳優さんとの大事なシーン。

 カメラの向こう、何万何億の人に見られることで培ってきた度胸とプライド。今この場所それと自分にとって同等の思い入れがあるというのか。

 おそらく、そうなのだろう。強がりでもなく、そう思えた。


「麻衣さん?」


 名前を呼ばれる。振り返る。

 一瞬、自分がどんな表情をしているかわからなくなった。いつもスタジオで描く表情の動きがあまりに自然にできたから。

 ただ自宅でデートをするこんなことで? いつもと変わらないこの場所で?  我ながら単純すぎではないか。

 それでも。

 多分自分は、今笑えている。笑っているのだと、麻衣は思った。



 * * * * *



 自宅デートはつつがなく、穏やかに時間を流していった。

 昼過ぎだということで、昼食は咲太が簡単な料理を振る舞った。

 十代後半という年齢の男の子にしては手馴れた手つきで作られた親子丼は、“おいしい”の許容範囲内で“男の子らしさ”が見え隠れする大味な味付けがされていた。

「塩と砂糖と醤油とみりんがあれば、だいたい何とかなるもんですよね」とは咲太の弁。

 厨房に立つ者の共通見解として、麻衣も同意した。

 昼食はかえでも囲んでのものになった。

 かえで曰く「今は隠れ身の術中なので、かえではいないものとしてお話してください!」とのことだったが、食後にプリンが出てきたあたりまでその設定を覚えていたかどうか。


 食後には2人でソファに座って動画鑑賞。

 かえでに買い与えたという動物園の動物たちの1日を映したブルーレイディスクだった。

 ゾウ、ライオン、シマウマ、ナマケモノ、ワニ、ペンギン、パンダ。

 ゆったりと檻の中を闊歩し、眠る彼らの生体を解説しながら映していく。


 ひどく緩慢な時間は、麻衣自身にとっても驚くほど新鮮だった。

 小学生の頃に芸能界に飛び込んでから、いつだって何かを考え、何かしていた気がする。

 忙しなく動く世界と自分の速度に、心が付いていかなかった時期があった。

 そのことにすら慣れてしまい、上手にやれるようになってしまった時期があった。

 衝動的にそのすべてを投げ出して、どこにも飛んでいけずたゆたっている時期があった。

 そうして今、異性と並んでコロコロと転がるパンダを眺めている。

 どこが悪かったなんて言わない。ただそうやって今までの時間を静観することができる今が愛おしかった。

 こんなこと、隣でぼんやりしている咲太にはとても言えたことじゃないけれど。


 飽きたとき用にと気を利かせてレンタルしてくれていた映画はそっちのけで、「上野」「旭山」「天王寺」「京都」「那須」と5本の動物園を見終わったときには、どっぷり日が傾いてしまっていた。

 ディスクをしまう咲太の背中に、麻衣はずっと抱いていた疑問を投げかける。


「ねぇ、どうして今日は家だったの?」


 パチンと容器にしまう音が響いて、咲太は宙に視線をさまよわせた。


「まぁどうして、っていうほどのこともないんですけど」


 咲太の彷徨う視線は自分のおぼろげな感情を掴もうとしている。


「いつも麻衣さんはテレビに出てるじゃないですか」

「芸能人だからね」

「街へ繰り出しても、まぁ結構二度見されたり、振り返られたり」

「まぁ、芸能人だから」

「麻衣さんはホントに有名だからなぁ」

 

 丁寧に順番ごとにケースを棚へ差し込みながら、心底感心するように咲太は息を吐いた。

 だから気疲れしたというわけじゃないだろう。気後れしたというわけでもないだろう。

 咲太がそういう繊細さとは無縁なことは、誰よりも麻衣が知っている。

 麻衣は慌てず次の言葉を待った。

 何せ、今日は時間が贅沢なほど有り余っているのだ。


「だから多分、他の誰もいない場所で麻衣さんを堪能したかったんだろうな……と思う」

「……かえでちゃんがいるじゃない」

「かえでは家族なので、ノーカンです」

「……そ」


 納得できるような出来ないような、理屈。

 けれどそんなものだろう。別に麻衣も、何か確定的な答えを求めていたわけではないのだ。


「つまり、咲太は私をひとり占めしたかったと」

「麻衣さんと、麻衣さんの時間を」

「女優“桜島麻衣”の貴重な休日を使って」

「できれば、女優“桜島麻衣”の舞台から降りた麻衣さんと」

「女優の私は嫌い?」

「僕と会える時間が少なくなる原因の女優の麻衣さんを恨めしく思うかも」


 それでも当然のように“嫌い”という言葉を使わない咲太にくすぐったくなる。

 彼は私を、ドロドロに甘やかして。それでも私が“弱い考え”のときには背筋を正してくれる。

 特別な意味がなくても、会いたいと思う。当たり前のように隣にいて欲しいと思う。



「ねぇ、咲太」

「はい、麻衣さん」


 咲太が振り返る。クセの強い明るい茶色の髪、眠たげな瞳。年下の彼氏。


「咲太」

「……麻衣さん?」

「咲太」


 名前を呼ぶ。名前を呼ばれる。

 初めは困惑していた咲太も、挑戦的な年上の彼女の瞳に意図を感じ取った。


「咲太」

「麻衣さん」

「咲太」

「麻衣さん」


 ――咲太、麻衣さん、さくた、まいさん、サクタ、マイサン、SAKUTA、MAISAN。


 その名前を忘れていた時期が咲太にはあった。

 届かないその名前を、それでも呼び続けていた時期が麻衣にはあった。

 麻衣は声音を変え、感情を変えて、囁くように、叫ぶように、咲太の名前を呼んだ。

 降り積もるように、満たすようにその名前を呼び合う。


 そうやって、ひとしきり2人で堪能した後、どちらともなく笑い合った。


「コレ、何の遊びですか?」

「さぁ? けどご褒美にはなったでしょ?」


 そんなことを言われては、咲太にそれ以上の反論の余地はない。

 流石にこれ以上を求めるのは欲張り過ぎというものだ。


「ファミレスでこんなことやってたバカなカップルには蹴り入れてやろうかと思ったこともあったんだけどなぁ」

「実際やってみた感想は?」

「やっぱりバカみたいですね」


 そう言って肩を竦める咲太に、麻衣も同意した。

 演技でやれと言われても、感情を入れるのに苦労するだろう。




「……今度の休日には、外にでましょ」

「やっぱり自宅デートは退屈でした?」

「そういうわけじゃないけど……」


 どこでもいいのだと麻衣は思う。自宅でも外でも。

 咲太がいて、自分がいて。2人でお互いを試し合いながら、じゃれ合いながら。

 特別な意味がなくても、会いたいと思う。当たり前のように隣にいて欲しいと思う。



 それでも――




 ――今度の2人の時間は、私の大事な人を大勢に見てほしい。





 だなんて、日の沈む空に目を逸らしながら、麻衣は思った。

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