第14話 人食い廃墟-10 潜心-終わりと目覚め
“私”にとって“娘”は宝であった。
両親は旅行先の不運な事故により亡くなった。
もともと病弱だった妻は、娘を出産すると同時に逝ってしまった。
親戚はおらず、そりのあわなかった弟とはもう何年も会っていない。
私にとって唯一の家族であり、なににも代えがたい存在。
なににもまさる第一の存在、それが我が子。
私の人生のすべて――
彼女のためなら亡き両親から継いだ大変な仕事も辛くなかった。
どれだけ若造だ青二才だなどとなじられようと、彼女のために身を粉にして働けた。
彼女のためなら自分の命も惜しくなかったのだ。
「それが……なぜだ?」
私は彼女の前でうなだれる。
もう二度とあの無邪気な笑みを見せることはない彼女。
横たわり、目をつむったまま二度とまぶたを開くことのない彼女の前で――
「なぜだなぜだなぜだ……」
――ご主人さま! お嬢様が階段から落ちて……!
仕事相手との契約会議を終え、ちょうど自宅に入ったところ。
玄関の扉開くと悲鳴が上がった。
“誰の声だ”とか“なんで悲鳴が上がるのか”とかそういうことなど。
まったく考えはしなかった。
駆けつける侍女が目に入るどころではない。
私の目には娘しか映らなかった。
――頭を紅く弾けさせた彼女だけが、私の視界を占めていた。
……そこからは今まで、記憶は断片的だ。
見るからに“命が終わっている”彼女を抱え、運転手の制止を振りきる。
自ら車を走らせ、病院に駆けこんだおぼろげな記憶しか残っていない。
周囲にわめきちらし、何を言い放ったかも覚えていない。
――しかし結果はこれだ。
彼女は――娘はもう、この世界にはいない。
「いない……いない?」
私の俺の世界は娘がいる世界が世界だろう?
私は自分の命を捨ててでも彼女を娘のために生きると決めていたのに娘がいない。
じゃあこの世界はなんだ?
俺の生きている意味はなんだ?
この世界はもう“終わった”。
俺は私はそっと胸ポケットのペンを手に取る。
フタを取ればそれはとてもするどくて、人一人の命を簡単に奪えるぐらいの機能は備えている。
俺は恨む。
世界を恨む。
娘のいない世界を。
生きる意味のないこの地獄を。
死ね。
死ね死ね死んでしまえ。
全部全部なにもかも全部。
俺も死ね。
そしてなにより――
“娘”が幸せになれますように。
「またあの笑顔を見せてくれ」
――俺はペンを右胸に突き立てる。
そしてこの世界に“娘”が生まれた。
遊び相手を見つけて一生閉じこめる無邪気な“娘”が――
◆
「ん……あ……?」
樹は“誰か”の背で目を覚ました。
――そもそも自分は眠っていたのか。
いつ眠ったのか、自分が眠っていたことさえわからない。
頭に残るのはあの記憶。
“娘”の父である“誰か”になっていた経験。
そしてその死の感覚――
自分が潜心(ダイブ)した記憶さえ時の彼方に忘れ去ってしまうような、それだけの経験をしたのだ。
「……って、宇田川先生……?」
ふと自分を背負っている“誰か”が、嗅ぎ覚えのある匂いをまとっていることに気がついた。
誰か――彼女が歩みを進めるたびに夜風がシャンプーの香りを振りまく。
彼女の髪が樹の鼻先をくすぐらせ、それが長い黒髪であることにも気がついた。
「そうだよ教子先生さ」
「ユリ先輩」
誰か――それは自分たちの顧問である“宇田川教子”。
それを陰から顔を出したユリが伝えてくる。
「樹くんが無事で本当によかったわ。一時は目を覚まさないんじゃないかと……」
「未來先輩……そうか、俺たちはあの“廊下”に閉じこめられていて、俺は潜心(ダイブ)を……」
樹はようやくはっきりしつつあった頭で現状を思い返した。
肝試しメンバーにいなかった教子がこの場にいること。
夜風によって気づいた、ここがあの洋館のなかではなく外であること。
それらの異質な情報が、またふたたびおぼろげな頭を混乱させる。
「細かいことはあとだ。あの“人食い廃墟”から救われた、ってことだけ知ってたらいい」
教子は樹を落ち着かせるように言う。
「今はただ、私の背で休め」
樹は教子の言葉により、また目を閉じた。
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