第12話 人食い廃墟-8 決意と潜心(ダイブ)

「“潜心(ダイブ)”するですって……?」


「ええ、潜心(ダイブ)します」


 未來の問いに、樹が応える。


「未來先輩は言いましたよね? “ここは陣地”、“陣地は霊力の顕在化”だって。だとするならこの“迷い廊下”は、その陣地使用者の霊力のなかにいるというわけです。その者の腹のなかにいるようなもの……」


 樹はゆっくりと膝をつき、床に手を触れた。


「“潜心(ダイブ)”は霊力のもとを辿り、その者の核となる本質に飛びこむ能力。“霊力を辿る”ということはつまり、本体が目の前にいなくとも陣地から発動ができる……と、思います」


「“潜心(ダイブ)はリスクを伴う”。師匠(センセイ)は言っていたわ。相手の正体を知る前に行うのはなおさら……」


「わからないのなら、なおさらですよ。俺は知らなきゃならない、見極めなきゃならない」


「追い女――及川さんのときのように?」


「はい、そうです。“彼女”のように救うべき対象であるかどうかを、この目で判断するんです」


「……わかったわ。くれぐれも気をつけて」


「はい」


「……私も心配してるんだからな!」


「ありがとうございますユリ先輩。でも先輩はゆっくりして、余計なことはしないでくださいね」


「なにおう!?」


「ははは……じゃあ行ってきます」


 樹は床に手をついたままゆっくりとまぶたを閉じた。


 そして精神(こころ)は沈んでゆく――



『――よ。起きて……』


「ん……む……?」


 誰かの声が耳に届き、“樹”はゆっくりとまぶたを開いた。

 全身にふわりと触れる感触に、“自分はベッドに寝ていた”のだと気がつく。


『パパ! 朝だよ起きてー!』


「ぐはっ!」


 元気のいい声とともに“少女”は飛び上がる。

 横たわる樹の腹におもいきりダイブした。

 樹はうめき声を上げる。


『もーパパはお寝坊さんだなー』


「はは……手厳しいね。おはよう“×××”」


 自分の意思に反して声が出る。


 樹は少女の頭をなでつつ、その“少女”の名を呼んだ。

 しかしそれは自分の声であるはずなのに、“少女”の名前の部分だけがノイズがかって発せられた。


 撫でる行為をしつつ、樹はとてつもない違和感を感じていた。

 いや――“あまりにも自然すぎること”に違和感を感じるのだ。


『どうしたの? パパ』


「いや……パパはお寝坊さんだからね。朝が得意じゃないんだ」


『パパは私がいないとダメダメさんだね〜』


 ――俺はこの子の父親だ。


 誰かに教えられたわけでもなく、その役割を命じられた記憶もない。

 だが樹は無意識に、自然に、“自分はそうなのだ”と思ったのだ。


 その証拠であるように樹は、強いられているような不快感を一切感じていなかった。

 それどころか“自分はこの子の父親だ”という“あたりまえのこと”に何の疑いがあろうか――そんな気分さえ感じられたのだ。


 ――ここはいつもの潜心(ダイブ)空間とはちがう。


 樹はこの“あたりまえ”に感じられる世界に飲まれかける。

 それでもわずかに残った“斎藤樹そのもの”の意識で思考し、この空間について考察する。


 いつもの潜心空間は言うなれば“宇宙空間”。

 ふわりとグニャリと無重力のような。

 追い女――及川真奈のときのような空間だ。


 こんな現実世界と相違ないような潜心(ダイブ)空間は初めてである。


『パパ今日は日曜日だよ。約束の日!』


「約束?」


 再び自分の意思に反する言葉が口をついて出る。

 言わされている言葉のはずなのに、自分がそう考えて声を出したような感覚が、樹を混沌へと導く。


 居心地のいい混沌へと――


『もう! 忘れちゃったの? 今日はいっしょにおでかけする日だよ』


「……ごめんな×××」


『えっ……』


「パパ、今日もお仕事があるんだ。大事な契約……お仕事相手の人とお話しなきゃならない」


『そんな……』


「本当にごめん。また別の日に必ず約束は守るから」


『……ぶ』


「×××?」


『だいじょうぶ! お仕事はだいじなことだもん、×××我慢できるよ』


「ありがとう×××」


 妻帯者どころか彼女すらいたことない“樹”は、我が子にそうするように、“少女”をまた撫でた。


 “少女”とは出会ったばかりである。

 それなのにひどく愛おしく感じる。


 もうなんの疑いも無くなりつつあるその感情は、樹を“誰か”の世界へと飲みこんでいった。

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