思春期症候群の看破

我舞 皆奈

思春期症候群の看破

「起りーつきをつけーれーい」

日直のいかにもやる気のない号令を聞きながら私は教室を出た。

まだ帰りのLHRをやっている他のクラスを横目に見つつ早足で廊下を歩く。

いつもなら幼なじみの遊馬が来るのを待ってから一緒に帰るのだけど、ラブレターを渡した当日にその相手と一緒に帰るなんて勘弁して欲しい。直接渡す予定だったから名前を書いてなくて、それに思い出したのは直接渡すなんて無理と遊馬の鞄に入れた後のことである。理由を話して回収することなんてできない。毎日一緒に帰っている遊馬に今日は一緒に帰らないと言ったら理由を説明しなきゃいけなくなるのは目に見えていたのだからこうする以外に方法はなかったのだ。

私は歩きがダッシュに変わるぎりぎりの速さで校門に向かって歩く。下駄箱で靴を履き替えて玄関を出て、少し歩けば校門だ。そこを抜ければあとは踏切を渡って江ノ電に乗るだけだ。うちの高校の生徒で埋めつくされる七里ヶ浜駅の中で私一人を見つけるのは容易ではないはずだ。あとは七里ヶ浜駅から電車に乗って最寄り駅から徒歩2分の場所にあるマンションまで歩いて帰ればいい。校舎に私がいないことを不審に思った遊馬が後から家に訪ねてきても居留守を使えば問題ないはずだ。

これでは話を先送りにしているだけと分かっていても他にどうすることもできない。とりあえずとりあえずの策を取り続けているうちになにかいい案が思いつくかもしれないではないか。

と、半ば現実逃避気味にそう考えたところで私の背後から声が掛けられる。

「おーい、咲ー!待ってよ!」

聞き間違えるはずもない。物心付いたときからずっと一緒に育ってきた声なのだから。

仕方なく足を止めて振り向く。走って逃げるという選択肢が一瞬だけ浮かんだが却下する。どうせ駅で追いつかれてしまうしこれ以上怪しまれたくない。

遊馬はタッタッタッとリズミカルな靴音を響かせながら近づいてくると私のすぐ前まできて止まった。

視線を合わせると遊馬の整った顔が目に入ってきてドキッとする。目が大きく、鼻筋が通っている。顔中に疑問を浮かべていてもなお愛嬌がある。遊馬ってこんなにまつ毛長かったっけ?いやいや私何考えてんだ。という私の思考を

「どうかした?なんか急ぎの用事でもあった?」

遊馬の質問が遮った。

身長が180センチ以上ある遊馬と喋るとき、私は遊馬を見上げる形になる。私も背が低いわけではないのだけどあくまで女子の中では、だ。遊馬のそれには遠く及ばない。

そんな訳で必然的に私は遊馬を少し見上げながら質問に答えることになる。

「あ、いや、そういうわけじゃないけど……」

もしかして鞄に入れた手紙に気づいていないのだろうか。

「?そう?じゃあ帰ろ」

「……うん」

意外だった。てっきりこいつは理由を聞いてくるものだと思いこんでいた。逆の立場だったら私はそうするから。なのに先を歩き出した遊馬の横顔にはもう少しの疑問も残っていないように見えて思わず口に出してしまう。

「……理由とか、聞かないの?」

自分から掘り返してどうする。良くわからないがなかったことにくれたのだからそのままにしておけば良かったのに。

遊馬は振り返ってんーっと少しだけ考えるような素振りをした後、

「ちょっと気になるけど、咲が言いたくなさそうだったから」

そして

「言いたいことあるなら聞くけど」

と続ける。

どうやら善意で聞かないでいてくれたらしい。そういえば遊馬はそんなやつだった、と思い直す。

「別にない」

そう、と言って再び遊馬は歩き出す。歩幅も、私に合わせてゆっくりにしてくれていることを私は知っている。クラスメイトからは感情が薄いとか思われているらしいけど優しいやつなのだ。

その後、たわいない話をしつつ、校門までの坂を歩く。

遊馬がその話題について話を始めたのは校門をでて踏み切りの青信号を待っているときだった。

「ねぇ、思春期症候群って聞いたことある?」

私達が雑談をしているとき、ほとんどの場合主に話しているのは私で遊馬はもっぱら聞き役だ。だから遊馬が話題を振ってきたことに私は少し驚いた。

「名前だけなら。どういう意味なの?」

「ネットで噂になってる不思議な現象のことらしいんだけどね」

「ふーん。それで?」

軽く相槌を打って続きを促す。

「俺、それになっちゃったみたいなんだよね」

転んで足を擦りむいちゃったんだよね、というかのような何気ない調子で告げられたそこ言葉に私の思考がピキっと音を立てて凍った。いやいや、何を言ってるんだこいつは?遊馬ってこんな冗談を言うタイプだったっけ。

思わず立ち尽くしていると、いつの間にか踏み切りを渡っていた遊馬と距離が空いてしまっていた。数歩大股で歩いて追いつく。

「どういうこと?」

「ついこの間からなんだけど、何か物を触るとその物の記憶?みたいなものが見えるようになって……」

冗談ではなく真面目に言ってるのだろうか、という考えが頭を過る。

「……それってすごい不便じゃない?」

「……うん。っていうか信じてくれるの?」

「いや、信じてはないけど」

遊馬が言いそうな冗談じゃないかなって思って、と告げると遊馬はとても嬉しそうに笑った。

「で、相談なんだけどさ。」

「うん」

病院に行くのに付き合って欲しいとか?でもネット上の噂なんて誰も本気で信じてなんていないだろうし、そもそも、そういうのは親と一緒に行くべきなんじゃないだろうか。

「今日手紙をもらってさ」

「え?」

思わず声が出た。今の話と手紙がどう繋がるのか。というかその手紙っていうのは私の入れたラブレターのことなのか。これは見つかっていないと思ったら見つかっていたパターンか。同時にいくつもの疑問が浮かんできて軽くパニックになる。

「誰からの手紙なのか表にも裏にも名前が書いてなくて。洸太が言うには絶対ラブレターだって言うんだけど触っていいと思う?」

と、遊馬が鞄を開けて私の入れた手紙を見せてくる。

ちょっと待った。物の記憶が見える状態で私が書いた手紙を触るということは差出人の私のことがバレるってことじゃないか?

「ダメ!ちょっと待って絶対ダメ!」

私は思わず叫んでいた。最悪だ。告白した時点でバレるもなにもと思うかもしれないが気持ちの問題だ。心の準備ができてない。今はバレたくない。

「でも触らないと内容も見れないし」

「見なくていいから!そのまま捨てて!」

「さすがにそれはダメじゃないかな」

どうしよう。このままだといずれ遊馬は手紙を触って私からのものだと気づいてしまう。物の記憶を見る、というのがどういう意味なのかはよくわからないがもしあの手紙を書いてるときの顔を遊馬に見られたりするんだとしたら自殺ものだ。そうこうしているあいだに遊馬は鞄から手紙を取り出そうとしている。私はなにも考えが浮かばないまま遊馬より先に手紙を奪い取って後ろ手に隠す。

その時だった。突然、海の方から猛烈な風が吹いてきて私の手の中から手紙をさらった。一瞬で私の手の届かないところまで飛んで行った手紙は風が止むと同時に重力に引かれて海に繋がる川に落ちる。手紙は下流へと流れる途中で川に沈んで見えなくなってしまった。視線を感じて前を向くと少し咎めるような顔をした遊馬がこっちをじっと見ていた。当たり前だ。いくら幼なじみとはいえ誰から来たかもわからない手紙を横から掠めとって挙げ句の果てに紛失するというのはどう考えても褒められたことじゃない。

「大丈夫、あれ入れたの私だから」

「え、そうなの?」

「そう」

「でもなんでわざわざ手紙にしたの?直接言えばよかったのに」

直接言えなかったから手紙にしたんだよ。でもその通りだ。手紙なんて私には合ってない。伝えるなら直接、面と向かって。それくらいじゃなきゃきっとこいつには伝わらない。

「それで、用件は?」

でも、それは今じゃない。言うならもっと派手に、誤解のしようもないくらいの状況で言ってやろう。

「いや、なんでもないよ」

だからそれまでは、まだ幼なじみのままで。

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