群青の瞳

チョコレートマカロン

喫茶店の一角にて


【僕の敵は、僕しか居ない。君の敵は、君しか居ない】



「あの……、どこかでお会いしましたっけ?」


「ううん」


「じゃあ学校の役員さんか何かで?」


「いやいや、無関係無関係」


「……じゃあ、僕が何か物を落とした……とか?」


「え? 何か落としたの?」


「……いや、別にそんなことは無いですけど。落し物を拾ってくれた、とかじゃないんですね。

 なら、あなたに対して失礼になることでもしましたか?

 もしそうなら謝罪しますよ」


「ん? んーん。

 別になーんにもしてないよ?」


 えっと……じゃあこの状況、時間をどうやって説明するつもりなのだろう?

 怪訝に思いつつ、アイスコーヒーのストローをくわえ込んだ。

 今日が何曜日であるか。そんなどうでもいいことは忘れたけれど、平日であることには違いない。

 レンガ模様の壁に掛けられた時計に視線を向けると、時刻は午前10時すぎ。

 天候は晴れの中の晴れ。

 つまり晴天――そこまではいい。

 問題は、どうして一人で来たはずなのに、目と鼻の先に女性が座っているのだろうという話だ。

 平日の忙しい午前10時にもかかわらず、学生である僕がなぜ優雅に有名チェーンの喫茶店でアイスコーヒーを啜っているのかというのはつまらない話なので置いておくとして。僕は彼女、つまり目の前にいる女性に全く面識が無い。

 だというのに、何故こうも親しげに語りかけてくるのだろう?

 まるで幼少期以来の友達とか親友とか。

 そういう類の、近しい距離。

 初対面にしては近すぎる距離が、僕と彼女の間には存在していた。

 ゆっくりとアイスコーヒーを水の染みたコースターに置き、視線を彼女へと向ける。

 年齢は――たぶん20に届くか届かないか……くらいだ。

 眉は細くもクッキリとしていて、瞳は珍しい群青の蒼色。

 肌は白い。濁りのない、透き通るような白い肌。

 しかしその純白に対するように、彼女の髪は黒い烏漆をしていた。

 流れ落ちる清流のように繊細で、しかし透けることはない黒幕の如く、彼女の内面を秘匿する前髪。

 長く伸びた後髪はシンプルにヘアゴムで括りあげ、いわゆるポニーテールを作っていた。

 服装に目を向けると、白いシンプルトップスとジーパン。

 装飾品はほとんどない。翠のペンダントだけが、寂しく胸元にぶら下がっていた。

 あれは……翡翠とかいう石か?

 一瞬エメラルドかと思ったけれど、それにしては濁り過ぎている。

 透明だけれど、不透明な……なんだか曖昧な宝石だ。


「ん、どうかした?」


「……いえ、別に」


 彼女は飲んでいたフラペチーノをテーブルに置くと、眉根を潜めて僕に視線を向けた。

 じっと眺めていたせいで目が合ってしまい、急いで視線をアイスコーヒーの水面に逃がす。

 しかし……まぁ、間違いないだろう。

 瞳が蒼くて美人で、抹茶のフラペチーノを幸せそうに飲む知り合いを僕は知らない。

 確信した。

 そんな特異な人物が知り合いなら間違いなく覚えているだろうし、このイケイケなおねえさんと対極に居るような僕が知り合いのはずが無い。

 なにか勘違い、もしくは人違いをしてるんじゃないだろうか?


「……たぶん人違いですよ。僕、あなたのような方知りませんし」


「えぇっ、うっそだぁ!」


 妙な反応だ。

 僕が知っていることを前提に話していたのか?

 ちょっと変わってる……というか、随分な変人だ


「うっそだぁ、じゃ無いですよ。本当です。

 歩んできた17年間で、初めてあなたのような奇妙な人を見ました。図鑑に載りますよ」


 割と皮肉を込めて言ったのだけれど全然効いてないらしく、訝しげな表情だけ浮かべて首を傾げた。


「……ん? あ、そっか……17なのか今」


 それどころか、そんなよく分からないことをボソリと呟いた。


「17ですよ。

 ……もしかして、ナンパの類ですか? 

 逆ナンとか言うあれ」


「それは絶対無いかな。だって顔、好みじゃないもん」


 なんだ、残念。

 そしてなんだこの人、失礼だな。


「言っておきますけど、僕はこれでもあなたより可愛い彼女が居るんです。

 確かにあなたは美人ですけど、外見だけじゃ僕は落とせませんよ」


「嘘でしょ」


「嘘です、よくわかりましたね」


「そりゃあそれだけ説得力のある顔してたら、ねぇ?」


「……」


 すごい失礼だなこの人、礼儀をしらないのか?

 まぁもっとも、正論だから返す言葉もない。

 僕は嘆息を漏らしながら言った。


「しかたないですね、分かりました。

 ご褒美に、ショートケーキ奢られてあげますよ」


「奢られて……て、全然ご褒美でもなんでもないよね。

 まぁいいけど。

 というかそんな風に言わなくても、ケーキぐらい買ってあげるのに……」


 そんな言葉を言い残して、女性は立ち上がった。

 黒い長財布を持って立ち上がったところを見るに、本当に買ってくれるらしい。

 冗談のつもりだったけれど……、まぁここは僕も多少図図しくいこう。

 ショートケーキ、食べたいし。


「ご馳走様です」


「ふふ。遠慮のない子は、嫌いじゃないよ」


 にっこりと微笑んで、そのまま行ってしまった。

 ふむ、どうやら悪い人じゃないようだ。

 まぁそれはいいのだけれど……、ますます何の用事なのか分からなくなったような気もする。

 ナンパの下りは冗談だったとして、学校に行かないことを指導する立場の人間でもないだろう。

 立場的に、ケーキを奢ってる場合じゃないし。

 だとすると街中でなにかしらの接触を持った、くらいしか考えつくことは無い。

 僕の知らない身内の誰か……とかなら面白いけど、僕の家系はあんな美人の生まれる家系じゃないし……。

 それにしても、何であんなに馴れ馴れしいのだろう?

 たとえ喫茶店で友達が居たのを見つけたとしても、僕は勝手に相席したりはしない。

 たいして関係のない人とは尚更だ、全く理解できない。

 それとも僕が忘れているだけで、実はかなり親しい間柄なのだろうか?

 幼いころに面倒をみてもらったとか……いや、だったら久しぶりー、とかの一言くらいあってもいいはずだ。

 はて、本当になんであの人が居るのか皆目検討もつかない。


「――おまたせー。ご注文の品はこちらで間違いないでしょーか?」


 考え込んでいたら、いつの間にか茶色のトレーを手にした美人が横に立っていた。

 どうやらもう買い終わったようだ。


「あ、間違いないです」


「はぁーい」


 彼女は笑うと、テーブルの上にトレーを乗せて席に着いた。

 トレーの上には二つのケーキ。

 純白のクリームが丁寧に塗れたショートケーキに、きめ細かいカカオパウダーとアーモンドスライスが乗ったチョコレートケーキ。

 真ん中には白いナプキンに包まれたフォークが二つあって、それぞれのケーキが対を成すようにおかれていた。


「へぇ。チョコレートケーキ、ですか」


「うん、そ。

 私チョコケーキ大好きでさー。

 あ。言っておくけれど、これはあげないからね」


「別に要らないですよ。チョコレートケーキ、昔から好きじゃないですし」


「そなの?」


 彼女は自分の方にチョコレートケーキとフォークを引き寄せつつ、首を傾げた。


「えぇ。……なんか甘くて」


「えー、なにその男子高校生みたいな理由。

 それ言ったら、ショートケーキだって甘くない?」


「僕はこれでも男子高校生ですよ。

 ……でも何故かショートケーキは大丈夫なんです。

 理由は……自分でもよく分かりませんけど」


 チョコレートケーキに限った話じゃなくケーキ自体、僕はそんなに好きじゃない。

 気分の問題なんだろうけど、なんだかショートケーキ以外は砂糖の量が倍になっているような気がする。

 甘ったるくて食えやしない。


「ふーん、なんか人生の9割損しているような気がするけど……んー、おいし!」


 フォークで掬い取ったチョコレートケーキを口に運んで、彼女は言った。

 人生の9割の損――何気ない言葉、悪気の無い言葉なのだろう。

 けれど、僕は疑問を抱かずには居られない。

 どうしてそんな簡単に、他人の人生の価値を決められる?

 そんなもの主観の押し付けだ。

 他人がどんな人生を、苦悩を、喜びを、悲しみを背負って生きているのかも知らず、簡単に自分の経験で発言する。

 あまりにも罪深い、傲慢。

 何もこれは彼女に限った話じゃない。

 簡単に発言する人間はごまんといる。

 たった言葉一つ。

 それだけで感動を与えることも、喜びを与えることも出来る。

 でも言い換えれば、人を傷つけることも、ましてや殺すことだって容易というわけだ。

 鋭利なナイフを持つ責任を、もう誰しもが忘れてしまった。

 誰も彼もが道化師で、誰もかもが殺人鬼だ。


「……おいしいですね」


 苦い何かを中和しようと、フォークを手にとってショートケーキを口に運ぶ。

 ほんのりと甘いクリームが口の中で溶けた。

 普通においしい。


「そ? それは良かった!」


 笑顔を浮かべた彼女の顔は、あまりにも透けて見える。

 とても眩しい。

 その後しばらくはどうでもいい会話をして、残りのケーキを平らげた。


「ご馳走様ー」


「ご馳走様でした」


「おいしかったねぇ、やっぱりケーキはどこの喫茶店もおいしいよ。うん」


 幸せそうにいう彼女をみて、このタイミングしかないと思った。

 ここにきてようやく、ずっと抱き続けた疑問を口にすることが出来た。


「あの、そろそろ質問に答えてもらってもいいですか?」


「ん、質問? なんだっけ?」


「理由ですよ、なんであなたが僕の前に座っているのか……という疑問です」


 見据えて、僕は言う。

 当然のように僕の目の前に座って、一体何の用事だろう?

 まさかケーキを奢るために居るわけないし、学校へ行かない僕を諭しに来たという風でもない。

 でも、用事がないというわけでもないはずだ。


「じゃあさ、その前に答えてほしいんだけど」


 彼女は人差し指と親指に挟んだフォークを僕に向けて続けた。


「――この後、暇だったりする?」


 息を呑んだ――詰まった。

 これは……単なる偶然か? 

 それとも…………分かって、言ってるのか?


「…………暇じゃないです、忙しいですよ。」


 強張った顎を動かす。一応話せてるけれど、冷静さを欠いているのが自分でも分かった。


「ふーん。……それはどんな理由で?」


 見通したような目で、彼女は僕を見た。

 なんだか自分の腹の底を弄られているようで気持ち悪い。

 なんでそんなことを聞くんだ?

 別に僕がどうしようが勝手じゃないか。


「何で……そんなことを聞くんです?

 別にこの後、僕がどうしようと勝手でしょう。 

 あなたと一体何の関係があるんです?」


「関係あるよ、すごく。それもかなぁり密接に、ね。

 さて、私は答えたよ。今度は私が聞く番。

 この後、君はどうするつもりなのかな?」


「……家に、帰りますよ。 

 昼食をとってから、読みかけの本を読みます。

 その後仮眠をとって、出された課題を終わらせる。

 そうやって安寧を貪ります……終わりです」


「……」


 彼女の返答は、沈黙。

 何かを考えるような、僕を推し量るような……そんな目をしていた。

 突き刺さるような視線に、脈が加速する。

 そんな沈黙が耐えられなくて、僕は立ち上がった。


「……もういいしょう? 帰ります。

 ……ケーキご馳走様でした。それじゃあ」


 カバンを抱えて、踵を返す。

 すぐにその場から立ち去りたくて、まっすぐに出口を目指した。


「――


 けれど、たどり着くことは出来なかった。

 立ち止まる。

 後ろから聞こえる言葉に、すりつぶしたような声を漏れた。


「嘘、なんて……、吐いてないですよ」




「……別にいいよ。人は一日に5,6回の嘘を吐く。

 それが当たり前、嘘を嫌悪するのは偽善者の証拠なわけだし。

 結構だと思うよ」


 何を……何を言っている?

 振り向くと、彼女はいつの間にか立ち上がっていた。


「自分から言えないなら、私が言ってあげるよ。

 確かにこんなこと、言えるわけないもんね」


「何を言って……」


 じゃあ、この人は……この人は……。


「君さ。


 ――死ぬつもりだよね」


「……」


「この後、死ぬ予定だったんでしょ。 

 だから学校も行かないで、家でも部屋に引きこもってる。

 そうでしょう?」


 観念して、うなずいた。

 これ以上隠しても仕方ないし、何より隠し通せる自信がない。


「……僕のこと、よくご存知なんですね」


「まぁ……、それなりにね」


 彼女はそういうと、微笑みを浮かべた。

 初めての感覚だった。

 死ぬ、死にたい。

 その言葉を口にすると、大体の人間は哀れんだような目をする。

 そして「何かいいことあるよ」、「生きてればそういうこともある」と、心にもない言葉をつらつらと口にする。

 いままでがそうだった。

 だから死ぬと白状した相手に、こんな穏やかな目をされるのは衝撃といって良かった。


「そう……ですか」


「うん。……席、座る?」


「はい、そうします」


 提案に乗って、僕は先ほどの席に戻った。

 同時に彼女も座る。

 車が一つ、店の前を通り過ぎた。


「あの……、どうして僕が死のうと思っているの知ってたんです?」


 彼女はなんともないというように、普通に答えた。

 自殺志願者の僕を目前に、動じた風もなく。


「内緒、いずれ分かる事だとは思うよ。

 それもまぁ、生きてればの話だけどね」


 言って、彼女は残っていたフラペチーノを飲み干した。

 ズズズッという音の後に、僕は再度たづねる。


「……止めないんですか、僕が死ぬこと」


「もしかして、誰かに止めてほしかったり?」


「まさか。

 僕がそんな、構ってちゃんに見えます?」


「そのテンションで構ってちゃんは……きもい」


 きもいって……。


「……毒舌って言われません?」


「言われるよ、よく分かったね。

 まぁ、親ゆずり……かな? 父親のほうだと思うけど」


 どんな親だろう。

 酷い悪人相が脳裏にこびりつく、顔が見てみたい。


「でもま。いずれにしても止めに来たっていうのは間違いないかな。

 私は君を助けに来た救世主、って。

 そういうわけさ」


 ビシッと人差し指を突き出して、ウィンクしてみせる彼女。

 まぁ、似合ってないことはない。


「そう……ですか」


 でも、少し残念だった。

 もしかしたら自分の死を悼むことなく、笑顔で送り出してくれる人に出会えたと思ったのに。


「ん、どしたの? 折れたユリみたいに首曲げちゃって。

 せっかく悼んでくれる人が居るって言うのに、ご不満?」


「……えぇ、まぁ。

 僕にとって悼んでくれる人が嫌なんですよ、たまらなく」


 ふぅん、と唸るようにして彼女は腕を組んだ。


「ずいぶんと偏屈というか……へその曲がった考え方だね。んじゃ、それはどうして?」


 両手を上に向けて、業とらしく首を傾げる。


「さぁ? 自分でも、いまいち良く分からないんです。

 でもしいて言うなら……人嫌いだから、ですかね。

 最期の最後、死ぬ時まで付きまとうな。


 ――辛辣に言えば、そんな具合です」


「うっはぁ、毒舌ぅ」


「あの、ブーメランって知ってます?」


 ブスリッと、何かが突き刺さる音が聞こえたような気がして思わず訊ねた。

 彼女はもっちろーん、と揚々とした声で言う。

 ドヤ顔のつもりだろうか? 

 馬鹿にしか見えない。


「知ってるよそのくらい。あのー、マンモス狩るやつでしょ? 

 あれ、滅茶苦茶危ないんだって。

 遠心力だかなんだか忘れたけど、普通に木の棒ぶつけるより何倍も……」


「馬鹿なんですか?」


 物知りですね。


「なっ! ……ひっどいなぁもう!」


 本音と建前を間違えた。

 見ると頬を膨らませて、怒っているという表情を前面に出してきた。

 しかしそんな表情をしただけで、大人っぽさが掻き消えて幼さが際立つというから不思議だ。


「嘘だもん、嘘。知ってるよそのくらい。

 ノリ突っ込みくらいしてくれてもいいのにさぁ、釣れないなぁ」


「冗談ですよ、冗句の冗に談笑の談です」


「漢字の方までどうもご丁寧に」


 彼女はそう笑うと、頬杖をついて窓の景色を眺めた。

 つられて視線を投げると、車がひたすらに往来している。

 それはなんだか、時間の流れを模したように見えて、直に時の速さを触れたようだった。


「はぁ……死ぬのか、君」


「その予定です。まぁ、あなたが邪魔しなければですが」


「なーにいってんの」と、彼女。


「私は君を救うメシアって、そう言ったはずだけど?」


「自称、付け忘れてますけどね。

 一方的な善は、多角的に見た時の悪だって少し自覚した方がいいですよ」


「余計なお世話だよ。

 ……まぁそれでさ、私。

 あんまり暑苦しいの、好きじゃないんだよね」


「というのは……、たとえば?」


「生きろとか、死ぬなとか。

 そういう無神経な説得の類」


 あぁ、なるほど。

 たしかになんの責任も持た無いで綺麗事を並べられるのは僕も好きじゃない。


「同感です。無神経な言葉の羅列をぶつけられたところで、別に生きたくなるわけじゃない。むしろ生きることが苦しいみたいに聞こえて、尚更生きたいなんて思わないですよ」


「でしょでしょ? ただの御託。社交辞令より中身のないスッカスカの同情だよね。

 そこでですねー、私は考えました!」


「おー、ワックワクするなー」


 棒読みの返答にも構わず、彼女は笑みを浮かべたまま肩掛けバックに手を突っ込んだ。

 しばらくゴソゴソしてから、徐ろにそれを取り出す。


「……トランプ?」



 手に握られていたのは、古いトランプだった。

 あの柄――多分、僕が持ってるものと同じだ。

 マジックにチャレンジしようとしてネットで本格的なものを買ったけど、結局パーティゲーム用になってしまったトランプ。

 それと同じだった。

 随分と陳腐なもので、汚れている上に、箱の角には穴さえ空いていた。

 中身を取り出してみてもやはり使い込まれているようで、随分と茶色がかかっている。

 しかし中身のカードはピッシリと端が整っていて、いかに大切に扱われているのかが伺えた。


「そ、トランプだよトランプ」


 取り出して、カードを切りながら彼女は言う。

 素早く無駄のない動きを見るに、どうも手慣れているようだった。


「えと、なんでトランプ……?」


 訊ねると、彼女は流れるような動作でリアルシャッフルをさっと決め、出来たカードの山をテーブルの真ん中に置いて言った。


「――賭けてみない? 君の運命」


 ふと浮かべた表情は、明らかに自殺を止める人間の顔じゃなかった。


「僕の運命を……賭ける? 」


 訝しげに首を傾げると、彼女は付け加えた。


「ん、簡単なこと。

 君は死にたい、でも私は君を止めたい。

 ならここは1つ、ポーカーで決めることにしようよ。

 やり方は……知ってるよね?」


 僕はこくんと頷いた。


「そかそか。

 じゃあ、君が勝てば死んでいいよ。

 私は止めないからさ。

 でももし私が勝ったら、君は死ねない。

 絶対に死んじゃダメ。

 勝負は1回、交換は2度までオーケイ。

 ルールは絶対で、勝っても負けても文句なし。

 どう?」


 ふむ、なるほど。

 たしかに単純で明快なルールだ。

 下手な説得、根拠の無い根性論よりよっぽど清々しい。


「でも、待ってください。

 もしあなたが勝ったとして、僕が絶対に自殺しないとは限りませんよ? 僕が約束を破るかもしれないじゃないですか」


 別に僕が勝った場合はいいけど、彼女が勝った場合。

 僕が約束を破らないとは限らない。

 未来の行動を縛れない彼女に、未来の僕を止める術はない。


「んん、それは大丈夫」


「何故です? ……あの、まさかとは思いますけど、南京錠のかかった部屋に監禁するからとかいいませんよね?」


「いや、ないよ! それどこのサイコロホラー?」


「サイコホラーです」


「もとい、サイコホラー? 私そんな極悪人に見える?」


「薔薇にはトゲが……じゃなくて、薊にはトゲがありますからね。

 特にあなたは毒が強いですし、そのくらい普通にやりそうだな、と」


「やっぱり監禁したくなったかも」


 まじかどうしよう、今すぐ逃げた方がいいかもしれない。

 そんな風に思ったのが伝わったのか、彼女は「うそうそ」と言って笑った。


「冗句だよ冗句。冗談の冗に、文句の句」


「漢字までどうもありがとうございます、とか言えばいいですか?」


「よろしい。

 ……ま、大丈夫なんだよ。

 君は絶対に約束、破らないからさ」


 あまりにもさり気なく言われたので、一瞬反応に迷った。


「僕のこと、本当の本当によくご存知ですね」


「うん……そんなの今更だよ、今更」


「そうでしたね」


 僕は今まで、17年という人生で。

 たった一度も約束を破ったことが無い。

 理由は別にないを

 普通に生きていれば、約束を破るなんて僕には考えられない事と言うだけだ。

 破るくらいなら、初めから約束などしなければいい。

 そんな僕の本質を、彼女はとっく見抜いていたというわけだ。


「でも、まだです。

 このゲームで賭けるのは、僕の命。これはいい。

 でも、あなたはノーリスクだ。

 あなたは僕を止められないと言うだけで、何も損をしませんよね?

 これじゃあ、ゲームは破綻します」


「ふむ……確かに。

 私は既にかけてるつもりだったけど、君から見たらそうだね」


 既に賭けている……?

 もしかして、僕が死ぬことが影響するのだろうか?


「でもま、そうだね。わかったわかった。

 それじゃあ君は、私に何を要求する?

 君が決めていいよ」


 そうくるか、ちょっと意外だった。

 でもまぁ、そんなの初めから決まってる。


「じゃあ、あなたの正体。

 それを要求します」


「へぇ……、わかった。いいよ。

 でも、本当にそれでいいの?

 若い衝動をぶつけてくるんじゃないかって、私少し身構えてたのに」


「ぶつけますか?」


「いいけど、ビンタは覚悟してね」


 要求の選択権は僕にはあったように思うのだけれど、果たして聞き間違えただろうか?

 彼女は少し考えるようにして、1回頷いた。


「ま、いいよ。別に。

 どーせ負けたら、バラそうと思ってたし」


「そうなんですか?」


「うん。君が死ぬなら、隠す理由が無いからね……っと」


 言って彼女は、ケーキの皿だのフォークだのコップだのをテーブルの隅にやった。

 ゲームをするのに、たしかに邪魔だ。

 ましてや、命が賭けられたゲーム。

 大金のかかったカジノより、よっぽど性質が悪い。


「じゃあ、そろそろ始めようか」


「えぇ。……そうですね」


 不敵に笑んだ彼女に、朴訥とした返事を返す。

 一枚、二枚、三枚、四枚、五枚。

 手前に交互に配られたカードを一瞥して、僕は彼女に視線を向けた。

 青い目も、僕を見ていた。

 彼女は言う。


「よろしくね、迷える子羊ちゃん。

 必ず君を、救ってあげるから」


 僕は言う。


「よろしくお願いします、地獄の門番さん。

 その先、通してもらいますよ」


 そして、ゲームは始まった。




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