In Water

緑風渚

In Water

 僕は人間関係が嫌いになった。

 念願の高校に入ってから僕はさまざまな部活に興味を持った。しかしどれも中途半端になってしまい、どの部活にも真剣に取り組まなかった。

 高校には屋外プールがあり、泳ぐことは昔から好きだったので水泳部に入部した。ほかにも軽音、生徒会、美術部に入部した。全て興味があったからだ。しかし、軽音は他のメンバーのやる気があまりないため僕もほとんど練習に参加しなかった。生徒会では面白そうだと思い役員選挙に出で当選したため入ったものの、思っていた生徒会とは違ったため割り当てられた仕事しかやらなくなっていた。絵が描きたいという理由で美術部にも入ったが、文化祭の準備などがめんどくさかったのであまりいっていない。

 そして僕は人間関係は恐ろしいほど苦手だと気づいた。

 思ったことをすぐ口にするし、自分の主張をすることも大好きだし、話さなくていいこともペラペラ話してしまう。言葉を選ばず誤解を恐れず何でも言っているときが多く、思ってることを全て吐き出していたのかもしれない。

 それは部活を真面目にやっている人にとっては不快でしかないだろう。冷静に考えればわかるはずだ。しかし友達、そして居場所を探していた僕は気が付かなかった。

 僕は自分を偽ることをやめたのだ。高校ではありのままで生きていくと決めたのだ。

 自分を偽って生きるのと、ありのままで生きるのはどっちが楽だろうかと考えた。偽った方が人間関係はうまくいくだろう。しかし、本当の友達を見抜くことは難しい。僕は高校で真の友達を見つけようと思った。だからありのままで過ごしてみた。が、それは予想以上にうまくいかなかった。

 そのせいで僕はどの部活にも安定した居場所がなかった。

 自分のせいで生んでしまったこの状況に僕はうんざりしていた。

 どこからでも陰口をたたかれ、心から信頼できるような友人はいない。どの部活でも仲良くしているように見えるのは上辺だけで、本当は仲良くなんかない。上辺だけでも繕ってくれるだけましかもしれない。しかし、本当に楽なのは本音をぶつけてくれることだと今は思う。

 僕は友達の定義についても考える。一緒にいたら友達なのか?

 それは違う。

 僕は何でも話せる友人が真の友達であり、本音をぶつけられるのが真の友達だと思う。僕は常に思ったことをすぐ口にしているため、何でも誰ふり構わず話しているように見えるだろうが、自分の内面、核となる大事な部分に関しては誰にも話していない。

 なにはともあれ自分でこじらせた状況に自分で苦しんでいた僕は、何も考えなくてもいいように六月の冷たいであろうプールに向かっていた。

 

 六月上旬。屋外のプールに入る気温じゃない。僕はそう思いながらプールに向かう。もう高校二年なのだ。去年水泳部で一年間過ごしてわかった。個人競技だからってなあなあにしていい部活ではなかった。人数が少ない分、部活に来ないと目立つのだ。

 黙って更衣室の中に入り、さっさと着替える。

 今日はコースロープが張ったままなので、すぐにでも飛び込んで練習できる。

 寒いからだろうか。今日は練習に来ている部員が少ない。先輩も一人しかいない。これはちょっと勝手なことをしても許されるだろう。僕は七コースあるプールのど真ん中、四コースの飛び込み台に手をかける。

 一気に体を後ろに引き、思いっきり冷たい冷たいプールに飛び込む。一瞬で水に包まれる。20℃の水が体に突き刺さる。水面は波一つない。なめらかな絹のようだ。水を掻いていく自分の細い腕。高校二年になればもっと強靭で屈強な肉体になるものだと思っていたが、去年の冬の筋トレに行ってなかった報復か。おそらく同級生のなかで一番貧弱な体つきをしている。

 体を包み込む寒さの中、僕はプールを一人泳いでいた。百メートル泳いで少し休んでいると先輩から話しかけられた。

「お前、飛び込みうまいな。今度みんなに教えてあげろ」

 僕は耳を疑った。僕は煩雑な人間関係が嫌になって水泳部に来たのに、ほかの部員と関わるのは御免だ。

「お前、高二のなかで浮いてるだろ。もっと仲良くしろ。お前面白そうな奴だから、どうにでもなるよ」

 お前は俺の何を知っているんだ、と怒りそうになったが先輩は微笑みながら僕のことを見ていたので、なんだか変わった先輩だなと思っていた。

 

 分厚い雲が覆う空。今にも雨が降りだしそうな中、今日も僕は冷たいプールに飛び込んだ。これだから曇りの日のプールは嫌いだ。おまけに昨日の雨のせいで水温はいつもより低い。徐々に体が冷えてくる。足がつるのも時間の問題だ。黒いゴーグルのせいで薄暗い景色がさらに薄暗くなる。

 それでも僕はプールが好きだ。水のなかで身体を動かし前に進む。たったこれだけのことがこんなにも気持ちいいなんて。

 滝沢先輩のおかげか、こんなに寒い日に毎日部活に行っているせいか、だんだん更衣室であいさつしたり、話したりする人が増えてきた。他の先輩たちにも認識され始め、あまり慣れていないが年上の人とも話すようになった。

 しかし寒い。梅雨時は雨が降っていても練習は続ける。まあどうせ濡れるから関係ないと言えば関係ないのだが、体温は確実に奪われていく。練習後の暖かいシャワーだけが救いで、そのためにひたすら泳いだ。


 梅雨が明け、だんだん蒸し暑くなってきた。太陽が間もなく本気を出す。

 僕はコースロープも張られていないプールに一番乗りで飛び込む。

 幾何学的に輝くプールの底を見ながら、今まで知らなかったプールに僕は入った。波紋もなにもないまっさらな水面。それに乱反射して模様を描く夏の太陽。梅雨が明けたと思ったら夏の空になっていた。

 新しくしたゴーグルのせいもあるだろうが、曇りのない水の中はまるで海にいるようだった。黒いゴーグルのせいで濁ってみえるプールなんか比べ物にならないぐらい綺麗だった。いつもより数倍広く見えるプールに一人でいる時間が至福だった。

 泳げば泳ぐほどこの世界は崩れていく。誰かが泳ぎ始めた。滝沢先輩どろうか。その人の回りの水が波打つ。もうその下に綺麗な幾何学的模様はない。そこにあるのはただふらふらした流れだけだ。

 ゆらゆらゆれる光。青く晴れた空。今日は練習がはかどりそうだ。


 期末一週間前。

 にもかかわらず僕はプールにいる。最高だ。去年だったら来ていないだろう。テストなんでどうでもいい。

 飛び込み台から思いっきり飛び込む。本当に気持ちいい。プールの底が海のようだった。自分しかいないプール。輝く太陽。梅雨が明け本格的に夏がやってくる。日差しが熱い。

 水がぬるくなってきた。太陽の偉大さを感じる。

 友達ができた。と言ってもまだ真の友達かどうかはわからないが。一緒に泳ぐ知り合いができたと言った方が適格か。滝沢先輩と仲良くなりよく話すようになった。先輩は僕にバタフライを教えてくれた。苦手だったのでありがたかった。

 

 期末テストが終わり、僕は急いでプールに向かう。またあのプールを独り占めしたい。

 五コースから思いっきり飛び込む。水底に自分の体の影が映る。自分が泳いでいるフォームが見える。自分の周りには太陽の光を受けてゆらゆらと波打っている水があり、この世界には自分しかいないのではないかと錯覚させた。

 しかしすぐに彼が飛び込んできた。滝沢先輩だ。先輩と二人でだだっ広いプールを優雅に使う。体育の授業のプールなんかとは大違いだ。滝沢先輩と練習前に勝手に泳ぐようになってから僕は五コース、先輩は三コースを使うようになった。

 僕らはのんびり泳ぎながら、別々のことを考えている。仲良くなったからと言ってあれこれ話したりはしない。ただこの距離感が心地よかった。こんな人間関係もあるんだなと思った。

 プールの水もだいぶ温まっている。六月のプールを返してほしい。泳いでいると体が火照る。


 夏本番。夏休みも始まり、宿題なんてものはなかったことにしながら、僕は部活に毎日行った。日焼けは最初の二、三日は痛いものの黒くなってしまえばどうってことはない。

 夏休みが始まる前にほかの三つの部活にはすべて退部届を出してきた。そして今まで迷惑しかかけてこなかったことを部員たちに詫びて、きっぱりやめることにした。このことを喜んだ人も多いだろう。

 そのことを滝沢先輩に話すと

「お前が抱えてたしがらみはそんなたくさんあったのか」

 と笑いながら、きっぱりやめたことをほめてくれた。

 これは滝沢先輩の助言だった。めんどくさくなっているんだったら辞めてしまえ、と。そして水泳部に集中しろ、と。

 滝沢先輩のおかげで他の部活を辞め、水泳部のコミュニティの中に入れてもらった。そこはとても居心地のいいものだった。

 僕は友達作りにあがいていただけなのかもしれない。その代償はあまりにも大きかったが、滝沢先輩に会えたことで世界は一変した。


 夏の日差しは容赦ない。プールの水温はガンガン上がるし、プールサイドも焦がしていく。プールサイドに水を撒いたら熱湯が作れそうなぐらいだ。

 しかしやっぱりプールは気持ちいい。ついでに去年とは違う点もある。一緒に練習する仲間がいて、滝沢先輩がいて、居場所がある中で泳いでいる。これがどんなに楽しいことか。

 水着もキャップも新調して、練習に毎日参加した成果が表れ、百メートル平泳ぎのタイムが二か月で四秒近く縮められた。滝沢先輩と勝負できる日も近いかもしれない。

 先輩は引退前の最後の大会に向けてひたすら練習している。その姿を見て自分も頑張る。

 滝沢先輩のおかげでこうして水泳部で居場所を見つけ、真の友達を見つけるにはまだ遠いかもしれないが、自分のことを受け入れてくれる人達に出会えたことで、今の僕がある。

 夏休みにすべきことは水泳部しかない。そう思えた。

 キラキラと光り揺らめく水の底。

 その透明な水に身を任せ、僕は今日も泳いでいる。

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