パペット・ブライド ~傀儡姫のお輿入れ~
一花カナウ・ただふみ
プロローグ
優しい花の香りを乗せた風があたしの黄土色の髪を撫でていく。ドレスの裾がふわりと広がるのを気にしながら、復興を始めた城下町に視線を落とす。崩れていた建物のほとんどは
――この景色も今日で見納めか……。
ここは小高い丘に建つアスター城のそばに設けられた墓地。そこにある展望台から、あたしは城下町を見下ろす。
隣国ロゼット帝国に侵略され、戦火は町を焼いた。その結果はあたしの後ろに並ぶおびただしい大小の石碑が表している。何の罪もない多くの一般市民が犠牲となった。
「――あっ! メローネ姫さま!」
呼びかけられて、あたしは声の主に視線を移した。花束を抱えた幼い女の子がこちらに駆けて来る。その後ろを、母親らしい女性が追いかけてきていた。
「こんにちは。今日は墓参りかしら?」
女の子に視線を合わせるようにしゃがんで微笑む。
町の人々との交流に対し家臣たちは「言葉遣いが粗くなる」と言ってあまりいい顔をしなかったが、あたしはこっそり城を抜け出してはこのように触れ合っていた。町の人々の顔を見るのがとても好きなのだ。
あたしの問いに、女の子はこくりと頷く。
「あのねあのね、姫さま訊いていい? この国を出て行ってしまうって本当?」
純真な瞳を見て、あたしは言葉を詰まらせる。この女の子の言っていることは正しい。あたしは明日このアスター王国を発ち、ロゼット帝国に嫁ぐことになっている。十六という結婚適齢期に達したあたしを、都合の良い人質として選んだのだ。
「姫さま、いなくなっちゃうの? もう姫さまと会えなくなっちゃうの?」
「――こら、リリア。メローネ様、お困りじゃないの」
あたしの顔に困惑の気持ちが出ていたのだろう。母親はすぐに女の子を引き離した。
「なんで? お母さんも言ってたでしょ? この国の英雄たる傀儡姫さまがいなくなったら心配だって――」
「リリアっ!」
慌てて母親は自分の娘の口をふさぐ。そして、あたしに申し訳なさそうな顔を向けた。
「あ、いえ、良いんですよ。不安に思うのももっともでしょうから」
先の戦いに幕を下ろしたのは、この国に伝わる絡操人形技術だ。絡操人形を使役する傀儡師のあたしが城下町のすべてが焼き払われる前に動き、焼失を免れた。そのときの活躍を町の人々は英雄として称え、傀儡姫と呼び慕ってくれた。
「ですが、あたしにはやらねばならないことがあります。武力に頼らず、別の方法でこの国を守るために」
立ち上がり、女の子とその母親の両方の顔を見る。不安な気持ちはいっぱいあった。それでも、そんな気持ちを少しでも国民に見せるわけにはいかない。あたしは精一杯演じる。
「安心してください。このアスターを二度と火の海にしないためなのですから」
はっとした顔の母親。その手が緩んだらしく、抑えられていた女の子はするりと抜けて、あたしの前に来るとにっこりと微笑んだ。
「――がんばって! メローネ姫さま。会えなくなっても、ここから応援してるからっ!」
言って、女の子は自分の持っていた花束から一本、香りのよい花を引き抜いて差し出す。あたしは素直にそれを受け取った。
「ありがとう」
礼を言うと、女の子は母親の元に駆けていく。二人は頭を下げると、目的の場所に向けて歩いていった。
「――墓前に供える花なんかもらって、不吉だな」
ひょっこり現れて声を掛けてきた相手に視線を移す。
新月の夜を想起させる闇色の髪と黒檀の瞳。浅葱色のつなぎ姿で、がっしりとした体格はその厚手の服を着ていてもわかる。羽織っているアスター王国の紋章入りの上着は、彼が国に所属する絡操技師であることを示していた。あたしの幼なじみであるエンシだ。
「不吉ってあんたねっ! 好意でくれたものに対して失礼じゃない!」
「おうおう。敵国に嫁ぐってのにずいぶんと余裕なことだな。――で、依頼されてたルークスの最終調整が終わったぜ。連れて行くんだろ?」
親指で後方を示すエンシ。指した先には、色白で真冬の月影に似た銀色の長い髪を持つ、線の細い少年が立っていた。優しく微笑む様は、彼が人形であることを忘れさせる。ルークスと名づけられた彼は、あたしが嫁ぎ先に連れて行くことを許された唯一の絡操人形だ。
「あぁ、ありがと。調整、ずいぶん掛かったのね」
「戦闘行為ができないようにするのが少々手間でな。まぁ、問題ないだろうよ」
ぶっきらぼうで口は悪いが、エンシは十七という齢ながらも国に認められた腕利きの絡操技師だ。ルークスを作ったのも彼であり、ルークス自体の出来も他の高名な絡操技師からお墨付きをいただいている。アスター王国の最高技術がこの絡操人形に込められているといっても過言じゃなかった。
「――俺の作品、大事に使ってくれよな?」
「わかっているわよ、エンシ。壊したりするもんですか、絶対に」
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