ハルカナツキ

過ぎ行く春と、夏の終わり

『土曜日どっか行かね?』

ベッドに寝転んだままメッセージを送る。

すぐに既読がつき、返信がきた。

『明日は予定入ってる』

「はぁ・・・」

ため息と共に両手を投げ出す。滑り落ちたスマホが床に落ち音を立てた。

雨宮夏生、16歳。高2。

今し方彼女にデートの誘いを断られた。


   ※ ※ ※


中学に上がってすぐ、千秋、冬吾という二人の友人が出来き、以来3人で行動するのが常となった。

周囲からも、俺たちは歳の近い兄弟のような気安い間柄に見えたらしい。

落ち着きがあり面倒見のいい冬吾は長男。俺と千秋はどっちが兄か姉か何度も揉めた。

そして中学3年の秋、そんな関係にも変化が訪れる。

俺と千秋は付き合うことになった。周囲からの後押しというか、半ば強制された感もあったが、それでも俺は素直に喜んだ。

冬吾も変わらず、俺たちの傍にいてくれた。


千秋は普段からハイな奴だったけど、二人でいる時は輪をかけて元気に見えた。

初めは素直に喜んでくれていたんだと思った。

それからすぐ、気を遣われてるんだと気付いた。

千秋が作り、冬吾が整え、添え物のような俺がいただけ。

元々俺たち三人の輪はそうやって廻っていた。


千秋も冬吾も、本来輪の中心にいるタイプの人間だ。その他大勢の一人だった俺は偶然紛れ込んだだけで、自分の人間的価値を勘違いしてしまっていた。


自覚したら、以前のように自然に話せなくなっていた。

千秋も俺の変化にすぐに気付き、殊更明るく振る舞う。

そんな事を気にする奴じゃないのも知っているのに、俺は自分から壁を作り始めた。

千秋の方も察したのか、徐々に声をかけることも減っていく。

今では告白前より距離が出来てしまっていた。


   ※ ※ ※


それでも浅ましく関係を断ち切れない俺は、煮え切らない態度で二人に縋り続けた。

偶には自分からと声をかけたが断られ、図々しくも落ち込む。気晴らしにと財布とスマホを取り家を出た。

バスに乗り15分。馴染みの書店に入る。目当ての小説3冊、新人賞受賞の帯が巻かれた作品を2冊買い店を出ると、道路を挟んだ向こう側に見知った顔を見つけた。

「冬吾・・・と、千秋?」

距離はあったが、多分間違いない。

「予定、ねぇ」

まぁ、そうなのだろうと、むしろ納得さえしてしまう。

きっとあれこそ自然な形なのだ。

「楽しそうだったな、千秋のやつ」

なんとなく、回り道をして帰りたくなった。


母校の中学の前を通り、女子中学生二人とすれ違った。

「昨日三浦に何か私の心の声が聴こえたとか変なこと言われて」

「キモっ」

「思春期症候群だとか」

「ただの変態の妄想じゃん」

ヤバいねぇー、と笑い合い歩き去って行く。

「今でもあるんだな。あの噂」

思春期症候群。

在学中もその噂は存在した。不安やストレス、思い込みが起こす不可思議な現象。

いつの時代も、届かない願いは幻想を呼ぶ。

あの人も、何かを願う事はあったのかな・・・

校庭で部活をする後輩達を横目に、当時の憧れを想起する。

考え事をしながら歩いたせいで、直前まで目の前の人影に気づけなかった。

「おっと」

驚いて、少し過剰なくらい避けてしまう。

「すいません」

白いワンピースを着た小柄な女性だった。唾の広い帽子で目元は見えない。

「ちゃんと前見て歩かないと危ないよ。夏生くん」

「え?」

「3年ぶりだね」

唾を押し上げ、隠れていた顔が顕わになる。

「春香先輩?」

憧れだった先輩が、目の前に立っていた。


   ※ ※ ※


中学でも帰宅部だった。帰り際、部活中の陸上部が目に留まる。

軽快に土を蹴り、後続を置き去りにトラックを駆け抜ける。走るフォームも、なびく髪も、全部が輝いて見えた。

それから時々、グラウンドの隅や校舎の窓から陸上部の練習を眺めるクセがついてしまった。

そんな日々が暫くして、予想外の出来事が起きる。

「今日は練習見ていかないの?」

校門を出てすぐ、背後から声がかかる。

振り返ると春香先輩がいた。

「や」

軽く片手を挙げ挨拶してくる。

他の陸上部員が次々と横を走り去って行く。今日は外回りのランニングらしい。

「たまに練習見に来てたよね」

ばれてたのか・・・

「陸上に興味あるの?」

「いや、陸上は別に」

「ふぅん。陸上は、かぁ」

「・・・置いてかれますよ」

「おっとそだね。それじゃまた」

それから徐々に言葉を交わす事が増え、俺はますます先輩に惹かれていった。

一年が経過し、中学二年の春。

「試しに、俺と付き合ってみませんか」

なけなしの気合を総動員し思いを告げると、こんな提案をされた。

「一年間。一年経っても気持ちが変わらなかったらまた声をかけて?」

俺は歓喜した。

自身の感情に疑念はない。だから後は時間のみ。一年というのも、きっと受験が終わるまでという意味だと解釈した。


しかし約束の期限が来る前に、先輩は俺の前から姿を消した。


   ※ ※ ※


あれから3年が経った。

先輩は今でも約束の事を覚えているだろうか。

「帰って来てたんですね」

先輩は卒業を待たず海外へ留学したと、後に知った。

「うん。今夏休みで、ちょっと帰省中」

「そうですか」

高校どこに進学したの、向こうの生活どうですか、他愛ない会話が続く。

聞きたい事は他にあるのに、考えが纏まらない。

けれど別れ際、

「明日、時間空いてますか」

どうにか次の約束を取り付ける事だけは成功した。


翌日、日曜午前10時。

「おはよぅ、夏生くん。5分遅刻だよ」

「・・・先輩が、ですけどね」

俺の方が遅刻したみたいな言い方をしないで欲しい。

「じゃ、いこっか」

からからと笑いながら先輩が手を差し出してくる。

吸い寄せられるようにその手を握った。


それから二人で街を周った。

雑貨屋を冷やかし、ペットショップで子犬を撫で、服の感想を求められたり。

恋人のような一時を過ごした。

一頻り歩き周り、遅めの昼食も兼ね喫茶店に入った。

「今日はどうして誘ってくれたの?」

「休日に友達を遊びに誘っちゃおかしいですか?」

「夏生くんと私の関係って友達なんだ」

「保留にしたのは先輩ですよ」

「私は条件もつけたよね」

やっぱり先輩は約束の事を覚えていた。

「俺の気持ちは変わってませんよ」

「そうみたいだね」

「だったら、」

「夏生くん」

「・・・はい」

「千秋ちゃんと付き合ってるんじゃないの?」

グラスの中の氷が解け、カランと音を立てた。

「つい最近フラれましたよ」

「本当に?」

ハッキリと確認はしていない。

けど。

「千秋の事は、そこそこ理解してるつもりです」

「ちゃんと確認した?」

「それは・・・」

「話はそれからね」

それから先、何を見て何を話したかぼんやりとしか覚えてなかった。


「・・ぃ、・・き」

誰かの呼ぶ声に意識が覚醒し始める。

「夏生ってば」

「何だ千秋か」

「何だとは何だよ失礼なヤツだな」

翌日の月曜も、授業中の記憶はほぼ無い。これは単に寝ていただけだが。

「それより、今週どうする」

「何かあったっけ」

恋人としては多分、もう解消の頃合いだと恐らくお互い思っている。それでも千秋は俺と友達は続けてくれるつもりらしい。

「花火大会。一緒に行こーぜ?」

「人混み嫌いなんだけど」

「おっさんか」

「冬吾と行って来いよ」

むすっと、露骨に不満そうな顔を見せる。

「後で行くつっても遊んでやんねーかんな!」

理由自体に嘘はない。これで花火大会は冬吾と行くだろう。

それまでに俺も自身の気持ちにケリを付けなければならない。


帰り道、待ち合わせてもいないのに再び春香先輩と出会った。

「昨日ぶりだね」

「ども」

ちょうど先輩の事を考えてたところです、とは言えないが会いたかったのは事実だ。

「春香先輩」

「何?」

「一緒に花火見に行きませんか」


当日、待ち合わせの10分前。会場の最寄の駅で先輩を待っていた。

現地集合でもよかったのだが、先輩がホームステイ先にスマホ忘れてきたとのことで、合流を先にした。

待つ間、一人妄想に耽る。先輩はどんな浴衣で来るだろうか。濃い目の色、深い紺色に赤系で大きめの柄、花火の柄が良い。目を閉じて、先日見て来た浴衣を想起する。

「こんばんは、夏生くん」

すぐ近くから声が聞こえた。

目を開けると、イメージ通り紺の生地に花火柄の浴衣を着た先輩が立っていた。

感情を押し殺し、静かに息を吐く。

「先輩」

「うん?」

「浴衣。凄ぇ似合ってます」

「ありがと」

にしし、と歯を見せて無邪気に笑った。

「それじゃ行こうか」


会場に近づくにつれ、周囲も随分人が増えて来た。

「手、どうぞ。人多いので」

今回は俺の方から先に手を差し出す。

「女の子慣れしてきたね」

「俺だってもう高2ですしね」

「千秋ちゃんのおかげかな」

「千秋は女子にカウントされてませんよ」

「でも付き合ってるでしょ?」

「形だけでしたよ」

「本当かなぁ」

「本当ですよ」

「なら、」


「夏生?」


背後から声がした。見なくても誰かは分かる。

「千秋・・・」

振り返ると浴衣姿の千秋がいた。

驚いた表情で俺と先輩の顔に交互に視線を彷徨わせる。

隣には当然冬吾もいて、無言で俺と先輩を見ていた。

長い沈黙の後、最初に口を開いたのは春香先輩だった。

「久しぶりだね、千秋ちゃん、冬吾くん。私の事覚えてる?」

「覚えてますよ。陸上部の、」


「・・・来ないんじゃなかったのかよ」


冬吾が答えるのを、静かだが鋭さを伴う声で千秋が遮った。

視線は真っすぐ俺を捕らえている。

「・・・人混みが嫌としか言って」

「屁理屈なんかいいっ」

悲痛な声が響いた。

「嫌なら最初からそー言えばよかっただろーがっ」

険悪な空気が、周囲にも伝播する。

「もういいっ」

千秋は大きく表情を歪ませ叫び、来た道を駆け出す。

「千あっ、」

「ついて来んなッ!」

小さくなっていく背中を、俺たち3人はただ黙って見続けた。

「追いかけないの?」

先輩が冷めた目で問う。

「・・・でも」

「後で後悔するよ」

「後悔は先にできませんよ」

「夏生くん」

いつもの軽口にも取り合ってくれはしなかった。

「私の事を、言い訳に使っちゃだめだよ」

「俺は・・・」

「夏生」

そこで、静かに成り行きを見守っていた冬吾が口を開いた。

「先行く。多分、いつものトコだ」

それだけ言って走り出す。

「で、夏生くんは?」

「・・・・・」

最後くらい、一緒に花火を見たかったんだけど。

「少し、場所を変えませんか」


喧噪から離れ、近くのベンチに並んで座る。もうすぐ花火が打ちあがる時間だ。

叶うなら、このまま静かにその時を迎えたかったがそうも行かない。

俺はこの物語を終わらせなければいけない。

「先輩に聞きたいことがあります」

「なに?」


「あなたは誰ですか?」


「春日井春香。18歳。夏生くん達と同じ中学出身の一つ上の先輩だよ」

突然の謎の質問にも素直に答えてくれる。

「その浴衣、超似合います」

「ありがと」

「どこで借りました?」

「駅裏の小さなお店。この辺、そこしか借りれるとこないみたい」

「そうですね。知ってました」

「そっか」

間違いであって欲しかった。


「あなたは、俺が生み出した幻だったんですね」


先輩は何も言わない。

「あなたは俺にとって、都合が良すぎる存在だった」

会いたいと思った時に現れ、望む言葉をくれる。

「思春期症候群」

迷信だと思っていたけど、原因はそれしか思いつかない。

「それがあなたの正体です」


先輩はスマホを忘れて来たと言った。

けどSNSでアカウントを検索すると、ここ数日間も更新があり、海外での写真がいくつも投稿されていた。

じゃあ俺が会っていたのは?

そこから思春期症候群に結び付けるのは飛躍し過ぎだと自分でも思ったが、なぜか確信があった。

だから、布石を打った。

前日に件の店に赴き、一着の浴衣に目を付けた。店員に同じ柄の浴衣の有無や、予約状況を確認して、今日もここに来る前、店に張り込みその浴衣が借りられていくのも確認した。

けれど先輩はあるはずのない浴衣を着て現れた。

「以上が俺の推理です」

「・・・70点てトコかな。穴だらけな推理の気もするけど」

「そうですね。でも、こんな推理もう関係ないんです」

気持ちはようやく固まった。


「俺、ずっと先輩の事が好きでした」


向き合い、真っすぐに視線を合わせる。

「その気持ちは今も変わりません」

「けどもっと大事にしたいやつが出来たんです」

「でも自分じゃ釣り合わないって、諦めの口実に先輩を利用しました」

「けどもう終わりにします」

「俺はあいつが」


「千秋が好きです」


「今までありがとうございました」

立ち上がり、乱暴に目元を拭う。

「今度こそ、ちゃんと言います」

「うん」

背を向け、走り出す。

「頑張って」

ベンチにはもう誰も座っていなかった。


こうして、俺は自身の初恋に幕を下ろした。

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ハルカナツキ @hkasasagi

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