第78話 セッタとシバ

 私は絶句した。


「どうしたの?セッタ」

 急に止まった私に、小声で母さんが話しかけてきた。


 私は尻尾で母さんを誘導する。

 そこならメグルが見えるはずだ。


「ッ…!」

 母さんも驚きのあまり、言葉を失っているようだった。

 あの優しいメグルが小動物を殺していた。


 私達は基本的に、食事の為以外に生き物を殺さない。

 メグルも割り切ってはいるが、その最低限の殺生せっしょうでさえも嫌っているのだ。


 だから、彼が食べる事のない小動物を、何度も何度も、原型を留めなくなるまで石で叩き潰す姿は、異様としか言いようがなかった。


 小動物は一匹ではなく、周りに何匹も、メグルを囲むように群がっている。

 彼らは何故か逃げようとしなかった。

 それどころか、近くで仲間が殺されてもピクリともしない。


 メグルの顔と体には返り血がかかる。

 肉が潰れる音と、彼の荒い息遣いだけが聞こえて来た。


 一匹が一つになると、メグルはまた新しい標的へと石を振り下ろす。

 何度も、何度も、何度も。


 返り血を浴びたメグルは息苦しそうに、立ち上がると、今度は小鳥を標的にした。

 あの鳥は彼が愛してやまない種類の鳥だったはずだ。


 青い翼に白い腹、翼の縁は黄色く彩られており、その鳴き声はとても可愛らしい。

 くりくりした瞳、首を傾げるような動作。

 メグルはその全てが好きだと言って、良く、家の前に種をまいては彼らに与えていた。


 母さんもメグルが彼らをどれだけ好きだったか、知っているだろう。

 なんせ、母さんはその自慢話をメグルから聞かされた末に、頬を膨らませ嫉妬したぐらいなのだから。


 そんな彼らにメグルは石を振り下ろす。

 メグルの顔が苦しそうにゆがんだ。


 もう…。もう見ていられない!


「やめて!」

 先に飛び出したのは母さんだった。


 石を振り下ろそうとしていたメグルは母さんに押し倒される。

 その瞬間、小動物たちは正気に戻ったかのように、一斉に逃げ去った。


「か、母さん…」

 私はゆっくりとメグルに近づいた。


「姉さんまで…」

 メグルは持っていた赤い石をゴトリと地面に落とした。


「ち、違うんだ、母さん!これは!…姉さんも聞いて!」

 メグルは必死に叫ぶ。


 しかし、母さんはメグルに抱き着いて、顔をうづめたまま動かなかった。

 私も、今のメグルとは目を合わせられない。


「僕だってしたくてしたわけじゃないんだ!でも…でも、こうすればシバが戻ってくるんだよ?!」

 …生き返る?

 私はそこであの夜の事を思い出した。


 あの時、シバは死んだはずのファイストと歩いていた。

 彼女から生気と言うものは感じなかったが、確かに歩いていた。


 …あり得るのかも知れない…。

 だが、少なくともこんな小動物をいくら殺したところで、シバを蘇らせるかてにはならないだろう。

 それこそ、人間の村、一つ分の対価がいるはずだ。


「…あ!シバ!…ほら!二人とも!シバが来たよ!」

 メグルの声に、彼の視線の先へと顔を向ける。

 母さんも顔をあげてその方向に目をやった。


「シバ!」

 呆然ぼぜんとする母さんの下から抜け出したメグル。

 彼は嬉々ききとしてソレに抱き着いた。


 メグルにシバはと呼ばれたソレ。

 ソレは立っていることが奇跡と言わんばかりに腐敗していた。


 メグルが抱き着いた衝撃で、ソレから黒々とした液体が飛び散る。

 酷い腐臭だった。


 しかし、メグルは気にした様子もなく、ソレを頬擦ほおずる。


 もう完全にダメだった。

 シバの体も、メグルの心も。


「ワゥ」

 楽になりたいんだろ?シバ。


 私がそう問いかけると、生気のないシバの顔がこちらを向いた。

 意識があるのかは分からない。

 唯、音に反応しただけかもしれない。


「バウワゥ。ワゥ。ワゥワゥ」

 大丈夫だ。メグルは私達が責任をもって面倒を見る。

 お前と同じ目には絶対に合わせない。


 私はシバのよどんだ眼を見つめる。

 メグルは不思議そうに私たちのやり取りを観察していた。


「あっ、シバ」

 数秒の沈黙の後、こちらに向けてシバが歩きだした。


 今にも崩れ落ちてしまいそうな足取り。

 しかし、私にはとても力強いものに感じた。


 シバは私の前で倒れ込む。


 きっと、シバはこの時を待っていたのだろう。

 私達がメグルに向き合うその時を。

 最後の最後まで優しい奴だ…。


「ワゥ」

 気付いてやれなくて、すまなかった…。


「ワゥワゥ」

 それと、お疲れ様。


 シバは静かに目を閉じる。

 私はその首元に食らいついた。

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