No.07 右手の拒絶

 気付けば、シャープペンを持つ手が震えていた。

 傍らの本棚の上にある置き時計は、午前三時を指している。

 十一月も半ばになると、深夜はさすがに冷え込む。私は椅子を引き、ひざ掛けをもう一度深くかけ直した。つま先がしびれるほど冷たくなっていることに、そのときやっと気付く。

 ――今日のノルマが終わるまで、あともう一息だ。


 学校と塾の予習と復習を終えた後は、ひたすらセンター用の問題集をこなす作業だ。

 レッドシートでやり込む勉強法は肌に合わなくて、いつもがりがりと答えをノートに書き込んでいる。

 おかげで中指のペンだこは膨らむばかりで、見ための悪い指になってしまった。集中するとついペンを強く握り締めてしまうのも、原因の一つになっている。


 少し目を閉じて眉間を押さえる。

 蛍光灯の明かりが、まぶたの裏に残像を作った。

 この前の懇談のことを思い出す。


「数学がねぇ……」

 眉間に皺を寄せ、担任は顎に手をやった。成績表に三人で頭を寄せ合う構図は、我ながら可笑しい光景だと頭の片隅で思う。

 母は隣でため息をついた。

「今何時に寝ていますか」

「二時、くらいです」

「それなら、あと二時間勉強できるじゃないですか。受かりたいでしょ」


 目を開ける。シャープペンを握り直した。

 回想を振り払う。


 出窓から夜の冷気が侵入する。寒さにつま先を摺り合わせながら、私は再び問題集へと身体を向けた。

 シャープペンを握りなおし、ノートに書き込もうとする。

 不意に手が、またぶるぶると震えだした。

 ――あれ。

 確かに室内は冷えているが、格別寒いというわけではない。

 暖房を点けると眠くなるからと、いつもこの室温の中でやっているのだ。身体も慣れているのに。


 左手で、少し右手を温める。

 手は凍えるどころか、じんわりと汗をかいていた。べたつく嫌な汗だ。

 すう、と胸に穴が空いたような、変な気分になる。なぜか心臓が早鐘を打ちはじめていた。


 少し深呼吸して、気を取り直し再びノートに手を向ける。また、手が震えだした。今度は一層激しく。

 我ながら異常だった。

 震えを抑えられず、シャープペンを取り落とし、肘の辺りにあったプリントがばらばらと床に散る。

 呆然とし、思わずカッとなった。震え続ける右手を容赦なく机に叩きつける。何度も何度も。痛覚が麻痺して、ただジンジンと熱くなっても叩く。

 叩きながら、嗚咽がこみ上げると同時に泣いていた。唸るように泣く。


 どうかしている、と頭の片隅で冷静に自分を見つめる声が告げる。しかし止められなかった。


 胸に空いた穴はもう、広がり続けるばかりだった。

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