さいわいなことり
夏村響
第1話
間近で手品師というものを見たのは初めてだった。
その人は夕暮れ時の、街灯の光も届かない薄暗い街角に立って、行き交う人々を優しい眼差しでみつめていた。
黒のタキシードに赤い蝶ネクタイ、手には白い手袋を、顔には目の辺りだけを隠す黒い仮面を付けている。そして時折、低いがよく通る声でなにやら呼びかけていた。
ぱんと白手袋のその手を打ち鳴らし、彼は言う。
「さてさて、みなさま。世にも珍しい小さな奇跡をご覧に入れましょう」
そして、その手をゆるりと上に掲げると手の平をこちらに向けて彼は言葉を続けた。
「種も仕掛けもございません」
思わず、私は吹き出していた。
手品師の常套句。本当に言うんだ。
「そこのお嬢さま」
と、気を悪くした様子もなく、彼は私を手招いた。
え? 私?
と、どぎまぎして、慌てて辺りを見回すと、そこに佇んでいるのは私ひとり。通りを歩く他の人々はそこに手品師がいることにすら気が付かないのか、一瞥もなく通り過ぎてゆく。
その様子に私は少したじろいだ。
まるで私だけ違う次元に取り残されたような、心細い気持ちになったのだ。
「さあさ、どうぞこちらへ」
白い手袋のその手がゆらゆらと私を招く。
気が付くと、私は手品師の前に立っていた。
仮面の下で、彼は柔らかく微笑み、軽く会釈する。それにつられて、私も頭を下げた。
「あなたが欲しいものを私は出して差し上げることが出来ますよ」
「はい?」
「あなたのために、小さな奇跡を私は起こせるのです」
私はきっと眉間に皺を寄せていたに違いない。
めんどくさい相手に捕まってしまったと心から思った。
「まあ、そのようなお顔をされませんように。せっかくの美貌が台無しです」
「……美貌」
そんなものあったけ?
私は挑むようにこう言った。
「奇跡って、何をしてくれるんですか?」
「これを」
彼はすっと、自分の両手を私の前に差し出した。何かを掬うように両手の平をお椀の形にして、そっと優しく。
「……何もありませんけど」
憮然として言う私に、彼はひとつ頷いた。
「私を信じて、よくこの手の平をご覧ください」
「信じる? 初対面のあなたを?」
「私はあなたにさいわいを出して差し上げることができます。それはつまり、今、あなたを悩ませているわざわいを取り除いてあげるということです。すべては信じていただくことから始まります」
「……私を悩ませるわざわい?」
どきんと胸が鳴る。
不意に、私の脳裏に
彼は私の男だ。
あえて彼氏だとか恋人などという甘い表現は使わない。そんな存在ではない。
仁志は五つ年下で付き合い始めた頃は、彼はまだ大学生だった。今は大学も卒業して、とっくに社会人として働いていなければならない年齢なのだけど、残念ながら仁志は無職だ。
プライドの高い彼は、就職活動の際、大手の一流企業しか相手にしなかった。そして、大手の一流企業は仁志を相手にしなかった。
いつまでも理屈をつけて働かない息子に怒った両親は、彼を実家から追い出した。追い出された彼は、当然のように私の部屋に転がり込んだ。
年下の仁志を、私は溺愛している。
だから、働かない彼を受け入れ、その気持ちを尊重した。
そうして三年が経った。
そうして私は心身ともに疲弊したのだ。
「……さあ、よくご覧ください」
手品師はもう一度そう言った。
信じるわけじゃない。信じるわけじゃないけど、縋るように、私はその白い手の平をみつめていた。
どのくらい時間が経っただろうか、やがてその手の平の中に丸い小さなシルエットが浮かんできた。それはもぞもぞと動きだし、ついにぴろろろと可愛い声で鳴いた。
「ああ! ことり!」
思わず、声を上げていた。
手品師の手の平には小さな青色のことりが収まっていたのだ。そして、その羽根の青の、なんと鮮やかで美しいことか。私は何度も目を
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