青春ブタ野郎は迷い猫の夢を見ない

金沢居士

第1話

遠くで波の音がしている。

少し遠出をして海岸に来たはいいものの、1人で散歩するにはあまりに寂しい。

しかし、気晴らしには丁度いいかも知れない。


聞こえてくる心地よいさざめきに身を委ね、砂浜に足跡を作り続けていると、少し先に白猫がいるのが見えた。

海を見つめ、魚を狙っているのだろうか、咲太が近づいていることに全く気に留めていない。

さらに近づくが、やはり動かない。

そろそろ触れるかな、という距離まで近づいた。

すると、


「どうしよう……」


女の子の声が聞こえた。

辺りを見渡してみるが、咲太と、猫と、いつまでも続く海と砂しか見えない。


空耳か、と思い直してもう一度猫を触ろうとする。


「ずうっと、このままかな…」


先程と違い、今度ははっきりと聞こえた。

なるほど、と納得した咲太は心の中の思いを口に出した。


「なんで猫が喋ってんだよ」



***



「ふぇっ!?」

と可愛らしい反応を見せた猫は、飛び跳ねて体を咲太の方に向けた。

威嚇するかのように四肢と尻尾をピンと張らせていた。

どうやら人間が接近していた事に気付いていなかったようだ。


「今、なんておっしゃいました!?」

「だから、なんで猫が喋ってんの?」


猫は安堵するように、体を地面につけた。


「良かったぁ……もう、誰にも気づいてもらえないかと……」


よくわからない事をその猫は言っていた。

何か訳アリのようだ。


「本当に良かったです……あれ?でも、あんまり驚かれないんですね。喋る猫なのに」


自らの異常性に自覚を持っているらしい。


「驚きを通り越してリアクションが取れないんだよ」

「そういう感じですか」

「そういう感じだよ」


コミュニケーションは普通に取れる。

むしろ、咲太との会話を楽しんでいる節すら感じる。


「で、結局、君はなんなの?」


先ほどと同じ質問をする。

すると猫は喜びの表情から一転して、深刻な声で問いかけて来た。


「私の話、聞いてくれますか?」

「面倒くさい話じゃなければ」


猫は姿勢を正すと、彼女の話を始めた。


「実は、目が覚めたら猫になったんです」



***



「私は、平凡な小学五年生です。

……だったんですけど、今日、朝起きたら猫になっていて」


滔々と喋ってはいるが、顔には困惑の色がはっきりと見て取れた。


「お母さんにも、お父さんにも必死に私だよ、と伝えたんですが、何故か私の声はただの鳴き声に聞こえているようで……」


その時を思い出したのか、猫は一瞬、声を詰まらせた。


「その時は本当に困りました。いっぱい泣いて、街の中を駆け巡りました。

私のことが見えている人はいないのか、

私の声が届いている人はいないのか。

けど、やっぱり誰にも気づいてもらえなくて。途方にくれてこの海岸へ来たんです」


聞いているだけで背筋が凍る。

小学五年生の女の子が、ある日突然、誰にも認識されなくなる。

その辛さは、想像を絶するだろう。


「よく、ここまで頑張ったね」


白猫は首をこてんと傾げ、戸惑った仕草を見せた。


「そうでしょうか…? 泣いて、叫んで、ぼーっとしていただけですよ」

「それでも、だよ。君は本当によく頑張ったと思う」


猫は「頑張った」という言葉を反芻させて、噛み締めていた。

それを咲太が不思議そうに見つめていると、白猫は照れ臭そうにえへへ、と笑った。


「実は、ですね。『がんばったね』って言葉が、私の三大好きな言葉の一つなんです」

「へぇ、他は?」

「『ありがとう』と『大好き』です」


大好き、と言う時にすこしもどかしそうにしていたのは、少し早い思春期だろうか。

いつもの咲太なら少女の言葉を、まるでお子様ランチのような褒め言葉だな、と笑っていただろう。


しかし、その言葉は何故か胸に染み入るようだった。

身に覚えはないのだが、その3つの言葉は、咲太にとって大切なものだと、心が告げている。


「そういうお兄さんは、どうしてここへ?そのお年頃特有の黄昏ですか?」


まさか小学生にそんなことを言われる日が来るとは。

咲太は言い返そうとしたが、何故か彼女には勝てる気がしなかった。

そして何より、彼女の言っていることは間違いではなかった。


「そうだね。思春期の男は色々と辛いんだ」

「ふふっ、正直なんですね。いいことだと思います」


白猫の声は、とても小学五年生の女の子とは思えない、大人びた声だった。



***



会話が途切れ、2人は海を眺めていた。


「実は、ですね」


少女は、独り言のようにぽつぽつと喋り始めた。


「どうしてこうなってしまったが、少しだけ心当たりがあるんです」

「悪い魔女に見つかったとか?」

「違います。今時の子はそんなにメルヘンじゃないですよ?」


咲太も十分今時の子の範疇だが、小学生と中学生の壁は大きい。


「私、小さい頃、心臓に病を抱えていたんです。移植が必要なくらい、結構重いものだったんです。そのせいで、ものすごく親に心配をかけていて」


あぁ、と嘆息する。

前にヒットした映画で、同じような内容のものがあった。

結局、その映画の女の子は、病の知名度の低さによって亡くなっいた。


「ちょっと前にヒットした映画、ご存知ですか?桜島麻衣さんが主役をやっていた」


桜島麻衣というのは、売れっ子の子役女優だ。


「丁度僕もその映画を思い出してた」

「あの映画の子と同じ病だったんです。あの子は死んでしまったけれど、映画がきっかけでドナーが増えたおかげで私は助かったんです」


そういえば新聞でも、ドナー数が増えたとか言っていたような気がする。


「まぁ、そういうことがあったので親にとても心配をかけさせちゃったんです。今は完治しているんですけど、どうもその時の心配が今でもあるようで……」

「あぁ、なるほど。過保護なんだ」


少女は頷く。


「育ててもらったことや、こんなに手のかかる病を治してくれた親にはとっても感謝しているんです。でもやっぱり、最近はもうちょっと自由にしてほしいと思っちゃう時があって……」


親の束縛というのは、愛ゆえのものだったとしても子供には伝わりにくいものだと思う。

ましてや、心の成長が早いこの子のことだ。

親の束縛はとても重く感じるだろう。

しかし何より、


「それをわかってもらえないことが、一番辛い」

「そうなんです!」


少女は食い気味に反応した。

実際、親にわかってもらえないということはとてつもなく辛い。

生まれた時から当然のようにあって、唯一無二と言える心の拠り所。

そこで自分を理解してもらえないとなると、いつも踏みしめていた地面が崩れ去るような感覚を覚える。


「よくわかりましたね」

「わかるさ。伊達に長く生きてないよ」

「たった数年じゃないですか」

「5年だよ。案外長いだろう?」

「あぁ、そうですね、私の半分です」


納得してくれたようだ。


「で、それがどうして猫と繋がるの?」

「そうでした、すっかり忘れてました」


この白猫は天然なのかもしれない。


「親の束縛が辛いと思った時、ふと通学路で見た猫を思い出したんです。自由気ままで、生きたいように生きる、猫を」


少女は視線を上げて、その時のことを思い出すように続ける。


「それから、ずっと心のどこかで憧れていたんだと思います。あぁ、私もあんな風に生きて見たいな、って」


それは、今まで聞いてきた大人びた少女の話とはかけ離れた、年相応の願いだった。


「だからこれは、きっと神様からのプレゼントなんです。猫になりたいと願っていた、私に対する」

「随分とポジティブなんだね」

「そうでしょう?」


胸を張って自慢げに答えた白猫から、嬉しそうな表情が見て取れた。


「最初は戸惑ってましたけど、今はすごいいいことをさせてもらったなぁって。猫になってやったことは情けないことばっかりだったけど、思い返すと初めてのことばかりで、楽しかったんです」


果たして自分が突然猫になったときに、この結論にたどり着けるだろうか。

願いの幼さとはかけ離れた、達観した着地点だった。

だが、共感できる部分はあった。


「少しわかる気がするよ」

「本当ですか?」

「猫になりたいって思うことについてはね。ほかはさっぱりわかんない」


白猫はあはは、と髭を揺らせる。


「最近、ちょっと人間関係がめんどくさくてね。僕も猫になれるならなりたいよ」


正確に言えば、猫にさせてあげたい、だろう。


「良いですよ〜猫!」

「良いな〜猫」


猫との下らない会話には、胸の傷に絆創膏を貼ってくれるような、心地よさがあった。



***



夕日が沈み始め、海は赤い光を反射していた。


「そろそろ、帰らないと…」


少女は、寂しそうな声でつぶやいた。


「娘じゃなくて猫が帰ってくるってのも面白いな」

「もー、捻くれてますねー。

でも、確かにこの魔法はいつ解けるんでしょうね?12時を過ぎたら元に戻るとか……」

「やっぱりメルヘンじゃないか」

「あはは、バレちゃいました?」


少女の声を出す猫を見て、咲太はお留守番中の妹のことを思う。


「僕もそろそろ帰らなきゃな。家族が待ってる」

「そうですね、淋しいですけど、ここでお別れしましょう」

「そうしようか」


白猫と咲太は立ち上がり、ズボンについた砂を払って、歩き始める。


「今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」

「こちらこそ、本当にありがとう。心が少し、軽くなった気がするよ」


白猫は見上げて、嬉しそうな声を出した。


「本当ですか!?それは良かったです!」

「どうしてそんなに喜ぶんだ?」

「だって、出会った時は、今にも倒れそうで、思いつめた顔をしていたんですよ?」


この白猫には、全てお見通しだったのか。

やっぱり勝てる気がしないな、と苦笑いする。


「だから、自分の話でもして、少しでも気が紛れてくれたら良いなぁ……って、思ったんです」

「君は優しいね」


自分が猫になったっていうのに、他の人を気遣えるのか。

数え切れないほど重ねた感心をまた重なる。


「ありがとうございます。 ……でも、私の目標にはまだたどり着けそうにないです」

「目標?」


ええ、と白猫は照れたように笑った。



「優しさにたどりつくために、私は今日を生きているんです。昨日の私より、今日のわたしがちょっとだけ優しい人間であれば良いなって、思いながら生きています」



思わず足を止めた。

その言葉は、心にあたたかい何かを。


「あ、あれ?なんかまずいこと言いました?」


少女が心配そうにこちらを見上げてくる。

遅れて、自分の頬が濡れていることに気付いた。

自然と涙が零れていた。

どうにかして涙を止めようと努力するが、自分でもわけがわからないくらいに涙が溢れてくる。

全く聞き覚えのない言葉だというのに、懐かしさで胸がいっぱいになる。


「大丈夫、大丈夫だよ」


あぁ、と涙の正体に行き着く。

少女の言葉に、救われたのだ。

先が全く見えない暗闇で、もがいていた自分に、道を照らしてくれるような、眩い輝きを持った言葉だった。

涙の洪水が止まったところで、少し深呼吸をして心を落ち着かせた。


「止まりましたか?」

「あぁ、止まったよ。本当に、ありがとう」


ありがとう、と言われた猫はにっこりと笑顔を作った。


少し歩いた後、道が分かれたところに来た。


「僕はこっちだけど」

「あぁ、反対ですね」


少女は残念そうにつぶやく。


「今日は本当にありがとう」

「いえいえ、こちらこそ」


咲太はしゃがんで、白猫の頭を撫でると、少女は目を細めて気持ちよさそうにする。


「それじゃあ、また」

「はい。また」


白猫と咲太は別々の道を歩き出した。

少し歩いて、名前を聞き忘れたな、と考えたが気にすることではなかった。

また会える気がしていたからだ。

少し歩いて、咲太は後ろを振り返る。


そこにあったのは、白いワンピースを着た少女の後ろ姿だった。



×××



あの人と別れてすぐ、自分が元の姿に戻っていることに気付いた。

家に着いたら、お母さんとお父さんにどんなことを言われるか、ちょっぴり心配だった。

怒られるかな、と怯えていたけど、家のドアを開けると、何故か優しい声で「おかえり」と聞こえるだけだった。


不思議に思ったけど、少しおしゃべりしたら謎は解けた。

周りの人には今日も私は普通の生活を送った記憶があるみたいだった。

お父さんの「今日の私」の話を聞いてると、世の中は不思議が一杯だなぁ、と面白おかしくなって笑ってしまった。


お父さんはそんな私の顔を見て、悪戯に成功した子どものようだと言う。

私もそれくらいの年なんだよ、と心の中で舌を出した。


だいぶ疲れていたので、ご飯とお風呂を済ませて、すぐにベッドに向かった。

布団の中で、今日のことを思い返す。

あのお兄さんとはまた会えるだろうか。

そんな期待で胸を膨らませる。


次会った時は、今日恥ずかしくて伝えられなかったことを言えるだろうか。

猫になった理由は、あれだけではないと。

夢で見た、初恋の人との出会いのきっかけが、猫だったという事を。


初恋の人に、どこか似ていたあの人のことを思いながら、私は眠りに落ちた。




その日、夢の中で私が見たのは、制服を着た青年の後ろ姿だった。

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