オリュンピア:幕間劇
エアハルトが音頭を取ってから大会の雰囲気は大きく変わった。そもそも八強ともなれば試合数は四試合しかない。さっさと進行すれば昼に差し掛かる前にすべて消化してしまう。もちろん、熱戦ともなれば尺は稼げるだろうが、其処に期待するのは運営として怠慢であろう。
ゆえに――
「さあさあ、アルカディアが誇る劇団『白き翼』の剣劇も佳境を迎えます。勇者アレクシスが最後の魔王と一大決戦! おお、なんということだ、精強を誇る連合軍の兵士たちが魔王の槍の前にばったばったと薙ぎ倒されていく!」
エアハルトの進行で繰り広げられる剣劇。子供向けかと思いきや凄まじいレベルでの殺陣に大人までも息を飲む。
それもそのはず、魔王役の男は何を隠そうクロード・フォン・リウィウス、アルカディアの大将でありネーデルクスの三貴士の一人なのだ。
対するアレクシス役は――
「やあやあ我こそは黄金の翼耀けしアレクシスである! いざ尋常に勝負!」
マリアンネ・フォン・ベルンバッハ。アルカディア最大の劇団白き翼のトップスタアであり千両役者。万の貌を持つというのは自称であるが、数多くの役に成りきり劇団のエースであることに疑いはない。
「愚か者が。我を誰と心得る!? 地上最後にして最大の魔王であるぞ!」
魔王役のクロード、ノリノリかと思いきやセリフは他の劇団員が入れている。
同世代の友達でさえ見せた事がなかったため知る由も無いが、このマリアンネ、器用を通り越して武人もかくやという殺陣を見せていた。
ラファエルやベアトリクス、クロードでさえ戦う姿など見たことはなかったので、劇中でも驚きを隠せない。
旧知であるウィリアムも驚きに苦い笑みを浮かべていた。神は彼女にいったい何物を与えると言うのか。それをこういった場で初めて披露するのが何とも彼女らしいと、兄と呼ばれた男は笑うしかない。
「マリアンネさん凄いね。戦う姿なんて初めて見たけど戦場でも通用しそうだよ」
「私、あの人昔から苦手なんだよね」
「……ええ!? ミラは懐いていると思ってたよ」
舞台の下で観戦するアルフレッドとミラ。次の試合を前に劇を観戦する余裕があるところは、さすがと言ったところ。図太いのだ基本的に。
「ほんとの昔は、ね。でもさ、思春期越えると、たぶん、どの女の子も苦手になるんじゃない? 私に限らず、さ」
「……さっぱりわからないや」
「試しにあの人の良い所言ってみてよ」
「顔」
「……真顔で即答するところがあんたの悪い癖よそれ」
「……?」
首を傾げるアルフレッドに「ハァ」とため息をついてミラは劇に眼を向けた。
「私には腕っぷしがあるけどさ、それ以外全部負けてるし。大多数の他の女の子が、あの人に勝てるとこ、挙げられる?」
「……ああ、なるほどね。それは、難しいなあ」
「しかもさ、外付けの付加価値をぶん投げてでも、実力と魅力だけで確固たる地位、トップスタアじゃん? そりゃあ嫉妬もするってもんよ」
「その癖、何をしても映えるからね、あの人は。馬鹿なことやっても、妙なことをしても、結局彼女が笑えば絵になってしまう。確かに、女性にとっては不条理な存在だ」
男役でバシッと魔王を退治するマリアンネ。その姿はまさにヒーローそのもので、子供たちのみならず、老若男女から大喝采を一身に受けていた。魔王役のクロードですら、少し見惚れているのが此処からでもわかる。
それによっていろいろ人間関係がこじれそうで、何となくしか知らないアルフレッドでさえ嫌な予感に下っ腹がきゅっとなった。
「素晴らしい劇でした。進行役の私が、知らず拍手をしていたほどに。さて、次の演目も白き翼が担当いたします。その後、ゼナ・シド・カンペアドール対ミラの決戦が待っておりますので、皆さましばしの間このわたくしにお付き合いくださいますようお願い申し上げます」
元、とは言え王族が大衆に頭を下げる図。上座に座る者たちにはあまり好評ではないだろう。しかし、エアハルトにとっては玉座に座れなかった時点で地に堕ちたも同然。この地に来て地べたの心地よさを知り、そこで己が可能性を試してみようと前向きに生きている。
彼の中ではすでに貴族、市民、奴隷という線引きは薄れつつあった。
人間は、使える人間か使えない人間か、それが全てであり、位を上げようと下げようと、根本的な資質と言う意味では、経験則で比率に大した差はなかった。
「さあ、お色直しも終わったようです。我らアルカディアが誇る劇団『白き翼』の歌姫、先ほどは勇者として世界を救った英雄と同一人物ながら、まったくその残滓すら見えぬ荘厳なる美しさ、皆皆様におかれましては、是非に! 酔いしれてください」
エアハルトが指し示す方向――
「歌姫、マリアンネ・フォン・ベルンバッハの登場です!」
大輪の華が、咲き誇る。大衆が、美しいモノに見慣れた王侯貴族が、それでもなお言の葉を紡げぬほどの美。
アルカディアが誇る二人の美姫、歳を経てなお色褪せぬと思っていたが、女として全盛を迎えし彼女の前では、恐ろしいことに褪せて見えた。
「うわぁ、きれえ」
その花弁は日輪。誰もが目を引いてしまう。
「……ほらね」
「……言葉に、ならないや」
ミラはため息。アルフレッドは、あまりの眩しさに目を細めてしまう。
中央に立ち、一礼する姿は、先ほどのヒーローの面影はない。声を失う大衆、老若男女あらゆる視線が、あらゆる感情と共に引き寄せられてしまう。アルフレッドは痛感してしまった。作り物は、『本物』には勝てないのだと。
「不愉快よな」
クラウディアは歯噛みする。まさか、時を超えて、あの女が全盛期の姿で甦って来たかのような感覚。同じく全盛期であった己とそれに比する妹。月と太陽が揃いぶみで、なお上書きしてきたあの笑顔。小憎らしい、あの女。
未だ、あの男の思い出に居座る女。
「……そう、彼女は、そうでしたね。ベルンバッハ、覚えていますよ、美しい人」
エレオノーラは微笑む。あの時、愛する人と輝く彼女を見て、初めての敗北を知った。並ぶに足る素養。作り物を一蹴する『本物』。自分たちもそうであったが、彼女はより強かった。
その血統、雰囲気まで、そっくりである。
ただ一つ違うのは、彼が隣にいないこと。
その笑顔がまるで剣のように見えたこと。
「曲目は、彼女の、ベルンバッハに伝わる子守歌です。すべてに、許しを与える歌。優しく、残酷な、彼女の全てを、お聞きください」
マリアンネの瞳が、真っ直ぐにただ一人を見つめて――
「奪われたなら許しましょう」
ウィリアムの眼が、大きく見開かれた。
「盗まれたなら許しましょう」
少しだけ違うが、だが、それはまさしくあの歌で、ベルンバッハが知るということは、きっとその大元はあの人で、それで――
「殺されたなら、許しましょう」
美しい調べ。夏の、陽光の匂いがする。彼女が歌っているような錯覚、彼女が、許してくれているような、幻想。ウィリアムは、その音色に、その笑みに、彼女が温めてきた剣に、貫かれていた。ジワリと染み出す、あの時封じた想い。
許されぬ行いであった。許されて良い訳がない。自分の弱さが、彼女を切り捨てる選択を選ばせた。自分の歪さが、そうせねばならぬほど歪んでいた己が――
透き通るような声、良く響く歌声。歌を聞かせる造りではないこの舞台で、その不利を圧倒してのける歌唱力と雰囲気は、まさに歌姫と呼ぶにふさわしい。
ただ、その彼女は今、劇団としてではなく、仕事としてではなく、己が信念を、情念を、愛を、絶望を、悲しみを、喜びを、己に出来る歌に乗せて運んでいた。エゴ、ようやくこの舞台に立てた。彼の前に、前座ながら立つことが出来た。
だから、ぶつける。自分のありったけを。気づいてしまった、真相を。ベルンバッハの闇と、彼の生きざま。何よりも愛した姉の、想いを。
そこに自分が介在する余地はない。それでも、忘れないで欲しい。色んな事があっても、時が流れても、彼女はそこにいたのだと。貴方を愛していたのだと。
忘れないで、あの人のことを。
「――あなたを産んだ、美しき世界を、愛して、頂戴」
消え入るような、結末。何も伝わらないかもしれない。何も届かないかもしれない。所詮はただの歌、姉たちが断片的に覚えていたモノを繋ぎ合わせた紛い物。もし、あの人がそれを歌っていたら、彼はどういう顔をしていただろうか。
嬉しそうな貌だったろうか、怒った貌だったろうか、悲しげな貌だったろうか――
マリアンネ・フォン・ベルンバッハはもう一度真っ直ぐに彼の眼を見つめ、そしてぺこりと一礼をする。終わりを悟った観衆は、一斉に立ち上がり大きな拍手を、歓声を彼女に向けて送っていた。短い時間であったが、素晴らしい歌声、魂のこもった歌唱。
人々は彼女の美しさに酔いしれ、その背中ですら瞬きもせず見つめてしまう。
「……くそ、少しは、近づけているつもりだったのに、なあ」
クロードは魔王の衣装を脱ぎ捨て、遠くから彼女の姿を見ていた。あまりにも美しくて、侵し難い雰囲気。彼女が、己とは別世界の人間だと再認識させられる。どれほど上り詰めようとも、所詮は貧民の出。どう着飾っても、釣り合わない。
「ベア、どうしたんだい?」
「……いや、つくづく、狡い存在だな、と。そう思う自分に、嫌気がさしていただけだ」
ヒーローにもヒロインにも成れる存在。狡いと思っても仕方がない。何よりも彼女は、同じ世代で、同じモノを欲しているのだ。嫌でも比べてしまうし、悲しくなるほどに大きな差があった。
女にしては武骨な手を見て、苦々しい笑みを、浮かべるしかない。
「……母上が、歌ってくれた子守歌だ」
「へえ、結構有名なの? 私のところも同じの歌ってくれてたなあ」
「どうなんだろ? こういうの、疎くてさ」
やはり、彼女も知っていた。新たに現れる共通点。わかり切ったことの、再確認。あらゆる要素が、彼の道を照らし出していた。それは、詐称の道。悲しみに、喪失に満ちた、悲劇の物語。自分とは違う、笑えない、物語が其処には在った。
「歳か? まあ、すげえ良い歌だったな。ちと、子供向け過ぎるけどよ。理想、そうだな、間違いなくガキ向けだ。現実に即してねえ。世の中には、許せないこともあるだろう?」
「ああ、そうだな。許してはならぬ者は、いる」
「おう。ってマジ泣きかよ。年取ると涙もろくなるってのは本当だな」
「そうか、俺は、泣いているのか。いつぶりか。とっくに、乾いたものだと思っていたよ」
目の端から、つうっと流れる一筋の光。忘れ難き喪失の、悔恨の歴史。あの時はああするしかなかった。今でも、同じ状況ならああしただろう。そして、彼女は何度でも、それをあの笑顔で受け入れるのだろう。
(俺に、泣く資格など、ないのにな、ヴィクトーリア)
彼女の背に、いたずらっぽく笑う向日葵を見た。それは今にもこっちへてくてくと歩いてきそうで、やれやれとそれを受け入れる己が――そんな、残滓。幻想。
これは、ちょっとした幕間劇。ほんのちょっとの、つかの間の休息。
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