オリュンピア:弱き者たち
「……どういう状況ですか?」
アルフレッドが仲間の集う宿舎に戻ると、そこには不貞腐れながらカイルの頭にしがみつく少女と、それを見て高速貧乏ゆすりで苛立ちをあらわにするミラ、その周りでディムヤートやロゼッタがおろおろとしていた。
我関せずのバルドヴィーノとイヴァンはストラチェスに興じ、アテナはそれを観戦。黒星は行方不明と言ったところ。
他の者は空気を察して別に連れ合いと酒場にでも繰り出しているのだろう。
「ひ、姫様が、その、申し上げにくいのですが――」
「国守様のご苦戦なさる姿に、少しだけ、ご機嫌を損ねられまして」
「ああ、そう言うことか。ごめんね色々と心配をかけて」
アルフレッドが聞きたかったのは、どちらかというと何故カイルたちが此処に居るのか、だったのだが、彼らは彼らで気を回す余裕もないのだろう。
何しろアスワン・ナセル級の怪物が目の前に鎮座し、如何に次代の女王とは言え気を損なうに値する無礼千万なふるまい。
気疲れして仕方がないだろう。
「先日はご挨拶しそびれました。お久しぶりですカイルさん」
「ん、ああ、元気だったかアルフレッド」
「カイルさんが鍛えてくれていたおかげで、何とか元気でやっています」
「なら良い。あと、この娘をどうにかしてくれんか? 俺が無理やり引きはがすわけにもいかんし」
「剥がせばいいでしょ剥がせば。甘やかしてどうすんのよ」
「まあまあミラ。すぐに対処するからさ」
何故此処に居るのだろうという疑問は一旦横に置き、アルフレッドは不貞腐れている少女に眼を向ける。
ぷいとそっぽを向く少女の前でアルフレッドはひざをついた。
『ただいま戻りました女王陛下』
『…………』
『御心配をおかけしてしまいましたね。今日の相手は、とても強かった。難しい、強さだったのです。全力を出せば勝てるという簡単な手合いでもなかった』
『ならば、あの男よりも、強かったと申すか?』
『いいえ、アスワン・ナセルは別格。あれは全力を出しても勝てない相手でした。己を超えて初めて勝負になった相手。今のところ彼ほどの強者はおりませんよ』
『であれば勝て。私に苦戦する姿を見せるな。今日の貌は、国守に相応しくない』
『心得ました我が君』
『わかればよい』
少女は機嫌を直したのか抱けとばかりに両手を広げる。恭しく少女を抱くアルフレッド。ぎゅっと少女の小さな手が離すなとばかりに服を掴む。それを見て「あン?」と貧乏ゆすりを加速させるミラ。
「……その娘と、その、ミラの母親には、何か関係があるのか?」
「遠い、遠い、祖先が同じ系譜と言うだけです。俺とカイルさんだって似た人種ですけど、生まれは全然違うでしょう? 関連付けるには無理がありますよ」
「そ、そうか。その、ミラの母は、あまり親のことは話さなかったし、おそらく何も聞いていないし知りもしなかったから。何かわかればと思ったんだが」
「……知識に意味はありませんよ。彼女のルーツが何処で、どういう民族なのか、それをカイルさんが知ったところで、何もしないのであればやはり無意味」
「……どうしたアルフレッド。随分と――」
「まだカイルさんのルーツを辿った方が意味のあることでは? ミラにとっても」
「ッ!?」
カイルの目が、大きく見開かれた。愕然と、後ずさる姿に娘であるミラもまた小さくない驚きの念を覚えていた。子供の頃から泰然とした雰囲気で、何があっても揺らがぬ鉄の父、揺らいだのは、それこそ母の死くらいのものだったはず。
「エスタードでは、今、独立運動が盛んに行われています。かつてのカンペアドールたちによる無計画な侵略で、無駄に広がり過ぎた版図を狭めながら、属国という形で運営を任せていこうという機運が高まりつつあるのです。とある地方で、独立に手を上げた国がありました。その名は」
「やめてくれ! ミラ、帰るぞ! 娘は返した! 俺はもう――」
「グレヴィリウス」
ぽかんとするミラ。突然激昂したカイルに、ディムヤートとロゼッタが失神しそうなほどうろたえている。じっと、カイルの目を見つめている少女は『なるほど』と小さくつぶやいた。
化け物のような強さの中に潜む、弱さを見出したのかもしれない。
「……アーク・オブ・ガルニアスか」
「ええ、俺にとっては祖父同然の存在です。そして、今の身分上は、本当の祖父になるでしょう、ウォーレン・リウィウスも、貴方の父君を知っておられました。直接の面識はなかったそうですがいい噂ばかりだった、と」
リウィウス、その名を聞いてカイルの動きが硬直する。それを見てみぬふりをし、アルフレッドは話を続けた。
「何よりも、俺は旅の途中で、グレヴィリウスの方々にお会いし、話をしました。彼らは待っています。ずっと、掲げるべき王の帰還を。賢王スヴェンの――」
「もうしゃべるな。口の軽い男はどこにいる!?」
「もういません。俺が、殺しましたから」
カイルの頭に、冷水が浴びせかけられたかのような怖気が走る。こわごわと、アルフレッドの貌を覗き見る。そこに浮かぶ表情に、またしてもカイルは守れなかったのだと知った。
父と同じ、哀しげな笑み。必要な犠牲と知り大切なモノを斬った、あの眼。
「彼らもこの地に来ているはずです。属国とは言え一国として数えられるのですから、このお祭りには当然参加しています。お会いする気があるのなら、いつでもお声かけください。俺が、彼らと貴方の橋渡しを致しますよ」
「結構だ。俺は、一人でさえ潰れそうなんだよ」
「誰だってそうですよ。赤の他人千人より、愛する人ひとりの方が大事。それは、誰しもが同じ感情を抱きます。奴隷も、貴族も、王でさえ。無関係な他者よりも一つの愛の方が重い」
「……だったら」
「だからこそ、誰かがそれを捻じ曲げてでも、例外と成らねばいけないのです。愛を捨て空虚な愛を万人に向ける。平等なる社会機構、それが王ではないですか?」
カイルは、何も言えなかった。何を言っても言い訳になりそうで、何を言っても逃げになりそうで、息子同然に可愛がっていたアルフレッドどころか、娘にすら眼を向けられない。
ずっと、逃げてきたモノが、急に目の前に現れて、カイルを蝕む。
「生まれついての奴隷もいれば、生まれついての王族もいる。俺にはどちらにも、生まれながらに背負わねばならぬ業があるように思えますがね」
しばらくは去って行くカイルの背を見つめていたが、路地の先に姿が消えると哀しげに目を伏せるアルフレッド。
「何故それほど突っかかる? 彼が動き出して、お前に何のメリットがあるというのだ?」
バルドヴィーノの問いにアルフレッドは頭を掻きながら答える。
「人々の意識変化に役に立つ、かな。天地を知る王は、どれだけいても良い。それにね、彼女は俺の大切な友達なんだ。彼女の中にある、ずっと燻っていたコンプレックスを、あの人の行動で消し飛ばすことが出来るのなら、恩人でさえ俺は言葉で斬ろう」
「そうか。まあ良い。俺は明日で落ちるだろうが、あくまで全力を出させてもらう。そのせいで彼らを成長させることになっても、恨むなよ」
「もちろん。貴方にその役目を課したのは、他ならぬ俺じゃないですか」
「ある程度レベルが高くないと奇跡にならない。演出のための底上げ、そのための駒、か。今となっては必要だったとは思わんがな」
「ですね。皆、本当に強くなってましたよ。明日じゃ、勝てないでしょう」
にこやかに微笑むアルフレッドを見て、
「相変わらず分からん男だな」
バルドヴィーノはくすりと微笑んだ。
「ただの酷い男ですよ。今日もそう、自分の利のために、恩人を泥沼に引きずり込もうって言うんですから。本当に、ただただ酷い」
アルフレッドは苦い笑みを浮かべていた。父のように慕っていた男の傷を抉り、少しでも自らの道のために、ほんのわずかであっても妥協しない。
悪魔のような己の姿を鑑みて、それでも笑うしかない己の道を想い、アルフレッドは王の笑みを浮かべていた。
○
「ねえパパ。さっきのこと、よくわからなかったし、聞かれたくなさそうだから聞かないけど、一個だけ聞かせて。ママはね、お友達を作りなさいって、一人でも良いから作って、その子を大事にしてあげてって、哀しそうに言ってたの。きっとママにはそう言う友達がいたんだと思う。パパも、そういう友達、いた?」
「……ああ、いる。いた、か」
「ママの友達と同じ人?」
「ああ、そうだよ」
「大事に出来た?」
「出来ていたら、もう少し歯切れよく答えているさ」
「……後悔、してる?」
「しない日はない。あの時こうしていれば、俺の人生はそんなことばかりだ。お前だけだ、俺が胸を張って何かを成せたと言えるのは」
「私もさ、後悔してるんだ。あの日、負けちゃったこと。アルカスから出るのが怖くて、待つって選択肢を取ったこと。いつの間にかさ、あいつ、強くなっちゃって、守らせてくれなくなっちゃったよ、パパ」
親子だからこそ、こぼすことの出来る弱気。
「わかってるんだ。もう、私に出来ることなんかないって。あいつ、あんなのでも王子で、私は、違うから。パパとママが必死になって私に道を作ってくれたのもわかっているの。でも、王子様はやっぱり遠過ぎるよね。だから――」
ミラは、迷いを振り払うように真っ直ぐと前を見つめた。
「明日で最後。後悔なんて、微塵も残さないから」
生まれを受け入れながら、それでもなお前進し、最善を尽くす姿に、カイルは娘の成長と、己の停滞を見た。もし、自分が、何か行動を起こせば、良くも悪くも変わるのかもしれない。
何かを、変えられるのかもしれない。
「帰ったらバリバリ働くからね。目指せアルカス一の鍛冶師!」
「はは、大きな夢だな」
「私が手伝ってあげるんだもん。当たり前でしょ」
嗚呼、とても幸せな時間。されど、そこには小さな棘があった。妥協と言う、諦めと言う、踏み出す恐怖と言う棘。突き立っているのは娘か、運命か、それとも己か。喪失が己を弱くした。
だが、いつまでも止まって朽ちていて良いのだろうか――
皆が前に進もうとしている。娘でさえ、現実と折り合いをつけた上で最善を尽くさんと覚悟を決めている。己はいつまで、足を止めているのか。いったいどれだけの人間に周回遅れにされれば気が済むのだろうか。
娘の晴れやかな顔を見る。その顔には、母親とは別の鉄仮面が張り付いていた。晴れやかな表情の下にある本当の気持ち。
それを、汲み取ったなら――
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