オリュンピア:持たざる者の悲哀

 先ほどまでとは対極、あまりにも激しい連撃がパロミデスを襲う。荒々しく、我流ゆえの型に嵌らぬ動きはパロミデスの処理速度を大きく逸脱していた。しかも、荒々しさの中に嫌らしさが垣間見え、泣き所を的確に鋭く突いてくる。

 真っ直ぐ進もうにも前に出れない。

「どうしましたか? 押し通すのではなかったのですか?」

「ぐ、こ、のォ!」

「初動で振り被り過ぎです」

 出鼻を、速度がほとんど乗る前に押さえられる。力で勝るはずのパロミデスが、力で押さえつけられてしまうのだ。同じ腕力でも位置、タイミング、体勢次第で圧勝にも完敗にも成り得る。パロミデスは、負けていた。

「繋ぎの動きも粗い」

 攻撃と攻撃の繋ぎの動作、今までの相手からは狙われたことも無いかすかな隙。ちょっとしたぎこちなさも見逃さない『眼』。

 見えないところでも『見る』ことができる。その恐ろしさと手に負えなさにパロミデスは焦り、それが悪循環へといざなっていく。

 そこに壁があった。

 あまりにも高い壁が――武の名門たるギュンターは大将軍マクシムを輩出して以降、いつも天才の前に屈していた。ストラクレス、ベルガーという天才たちの前では比較にもならず、出世頭であった『黒羊』のキモンでさえ麒麟児であったヤン・フォン・ゼークトに一度として勝ったことはなかった。

 彼が去った後の戦場で名を上げたが、それもまた頂点たるストラクレスの右腕として、副将であったベルガーの代わりとして――

「俺は――」

 今期待されている己も、ちやほやされているほど強くはない。賢くも無い。愚直に努力を重ねた凡人、自らが一番よくわかっている。伸びしろで言えば要領の良いランベルトの方がよほど上であると本人は思っていた。

「貴方の望みは何ですか? それが曖昧なままでは、出せる力も出せませんよ。建前は捨てるべきです。私は、嘘が嫌いですし、私に嘘は意味を為さない。言の葉で何を紡ごうとも、人の鼓動は正直ですから。真実は、音に出るものです」

 何を言っているのか分からない。正直、今のパロミデスは敗北を前に心が折れかかっていた。誰よりも励んできたつもりであった。ストイックに毎日を生きてきた。それでも足りぬと世界は言う。

 超えられない壁が立ちはだかり、勝機が見えない。

「おや、残念。音に、圧が消えましたね」

 オルフェの槍が巧みにパロミデスの足を払う。まともにそれを受け、無様に倒れてしまうパロミデス。勝ち目などない。

「これで――」

 とどめの一撃。それは鋭く旋回し、敵対者の喉元にまで飛翔する。

 もう、これ以上やっても――


「パロミデスー! がんばれー!」


 折れかけていた。否、折れていたのかもしれない。それでもその声は、パロミデスにとって天恵にも等しく、切れかけていた集中力を取り戻すことが出来た。耳をすませば、『彼女』だけではなく皆が声を張ってくれている。

「兄上ー!」

「負けんなパロ!」

「ガッツよガッツ!」

「頑張ってください!」

 彼らの声が、消えかけていた心の炎に風を送る。あの頃とは違う。家族数人で、まるで人質のようにアルカスへ訪れたあの頃。周り全てが敵に見えた。

『ようこそアルカディアへ! 私イーリス、貴方のお名前は?』

『…………』

 天使がいた。

『俺様の名前はランベルト、アルカディア最強の剣士になる男だぜ!』

『…………』

 親友が出来た。

『ランベルトが負けたぞ』

『大したもんだなぁ、やっぱギュンターって強いんだな』

『…………』

 沢山の友達が――

『楽しかったね、パロミデス君』

『…………』

 壁が――

「「「「がんばれパロミデス!」」」」

 あまり口数の多い自分ではなかったが、そんな自分にも周りは構ってくれた。いつの間にか居心地が良くなったアルカディア、アルカスと言う場。

 オストベルグは愛している。祖国への誇りは、染まってしまった今でも持ち合わせているつもりであった。

 しかし、一番ではなくなっていた。

「……愛されていますね。素晴らしい音です。極限状態で、この音が続くとは思いませんが、それでも豊かな音であることには変わりない。好いお友達ですね」

「ああ、得難い――友だ」

 パロミデスは、折れかけた心をそのままに、新たな闘志を抱いて立ち上がる。自分が、弱いのはわかった。理想を、完璧を気取ったところで届かないこともわかった。それでも自分を応援してくれる人たちがいる。

 平凡な男だと分かっても、優秀さくらいしか取り柄の無いつまらない自分でも受け入れてくれる友が、愛する人が――いる。

「俺は弱いな」

「ええ」

「だが、もう少し付き合ってもらうぞ」

「構いませんよ。まあ、ついてこれるなら、ですが」

 オルフェの圧が高まる。これで決めるとばかりの雰囲気。

「また、これかッ」

 肌がひりつくような、心の底から湧き上がる怖気。勝ち負け以前に、根源的な何かが違う。ギルベルトやグレゴール、シルヴィアらとの稽古でも感じた、何か。わからないし、抗えない。

 戸惑う気持ちはあるが、それに振り回されるのはやめる。

「俺は馬鹿なんだ。わからんものは、わからん!」

 どうせ、出来ることは真っ直ぐ進むだけ。

「またそれですか。それでは抜けぬと、教えたはずですよォ!」

 オルフェの猛攻であっさりと押し返されるパロミデス。応援で心は高まろうとも、平凡な己では突然覚醒などと都合の良いことは起きない。

 そんなことも本人は理解している。自分はそう言う星の下に生まれていないし、今更英傑を目指そうとも思わない。

「弱かろうと、間抜けだろうと、俺にはこれしかないんだよ! 馬鹿にするなら好きにしろ! 俺に出来るのは、ただあるがままを出すだけだッ!」

 パロミデスは一呼吸おいてから、幾度となく壁にぶつかっていく。その度に押し返され、弾かれ、潰されて、それでもなお、立ち上がり前へと突き進む。愚直に、真っ直ぐと、その眼はただ前へと――

「……ほう」

 彼は間違いなく馬鹿であった。平凡でもあった。それでも、彼が積んできた努力、その時間だけは非凡であったのだ。確かに、頭の良い、要領の良い努力ではなかったかもしれない。だが、愚直に積み上げたモノは、いつの間にか要領を超え、才能を超え、無駄を削り、理に適い、最適化される。

「随分とこじんまりとまとまりましたね。……正解ですよ」

「…………」

 一心不乱に剣を振るう。等身大の想いを込めて、邪念も、嫉妬も、尊敬から来る反発も、全て捨てる。馬鹿が、一丁前に考えてもから回るだけ。考えずに、今までやって来たことだけにその身を捧げる。

 彼らに、恥ずかしい姿は見せられないのだから。

 たった一つの想いを除き、全てを捨てた彼の剣は豪快さの欠片も無く、小さくまとまった剣であった。平凡を、基礎を突き詰めたかのような動き。センスは感じないが、小さくまとまっている分隙は少なく、コンパクトな分迅い。

 その上で、彼の積み上げたモノが其処に乗る。膨大な時間と、幾多の苦悩。ありとあらゆる外的要因を前に、それでも真っ直ぐ進んだ愚直の道。

 小さく、無駄がなく、それでいて、それほど破壊力を損なわぬ剣。

 地味だが、そこには確かな修練の跡が見えた。

「なるほど、それが貴方の選んだ音ですか。素敵ですね」

「ウォォォォォォオオ!」

 気づけば、両者の打ち合いは拮抗し始めていた。

「……うん、それでいい」

 離れたところで戦いを眺めていたアルフレッドは、静かに微笑んだ。


     ○


「おいおい、さっさと終わってると思えばまだ続いてんのか」

「殿下、随分長いトイレでしたね」

「便秘なんだよ。っつーかこっちこそ驚きだっての。どんだけ長いこと打ち合ってんだあいつら? じゃれ合いにも限度があるだろ」

「コンパクトで良い剣だぜ? ま、実力差を何とか根性で埋めている感じだけど」

「やりようによってはさっさと終わらせられんだろ。あの空気感、ユリシーズさんたちと同じで相当修羅場をくぐってやがる。おっさん連中を見てみろよ、昔を思い出してんのか武者震いをしてんぜ。戦場の匂い、殺気がそのままプレッシャーにってな」

「殿下も俺らもまともな戦場なんて知らんだろうに」

「だから、あえて修羅場に突っ込んでんだろ、経験積むためによ」

「ヴァイクの件ですか。……そんな無謀に私たちを巻き込まないでください」

 ヴァルホール勢が見下ろす戦い。長く、とても長い戦いが繰り広げられていた。


     ○


「ハァ、ハァ、ハァ」

 息は切れても心は切れず。パロミデスは集中の極致にいた。何とか打ち合いの形を取れているが、少しでも気を抜けば隙を突かれて一瞬でケリがつくほどに力の差はある。それを認めた上で、少しでも彼らの応援に報いるため足掻くのだ。

「ハァ……ハァ」

 オルフェもまたこれほど食らいついてくるパロミデスのしつこさに息が切れ始めていた。小さく鋭く、手数を出せるような剣にシフトしたことで、重さと速さを持った剣となった。動きを小さくしたことで突ける隙も限られてくる。

「俺はまだ、やれるぞ!」

「殺し合い、極限状態でないのが残念です。貴方の音を、もっと純度の高い状態で『見て』みたかったのですが、これ以上は明日に差し障りますね」

「ハァ、ハァ、まだ、余力があると言うのか」

「多少は」

 そう言ってオルフェは構える。その姿は、先ほどよりもよほど静かな構えで、拍子抜けしそうになってしまう。だが、パロミデスとてここまで戦ってきた中で、この変化が危険ではないと思えるほど、愚かではなかった。

「……今、やれることを」

 小さく構え、突貫の姿勢を取るパロミデス。

 決着の時は、近い。


     ○


「彼、頑張ってるわね」

「うん、皆も必死に応援している。いいなあパロミデスは、頑張ったらみんなが好いてくれてさ。俺だって頑張ってるのに、なんて愚痴りたくなってしまうよ」

「人に弱みを見せないからそうなるのよ」

「結構見せていると思うけど?」

「見せていい弱みは、弱みとは言わないの。道化のつもり?」

「かもね。俺の目指すところは、まさに道化さ。いるのかもわからない存在に挑み、正しいのかもわからない道を進む。そんな喜劇の進行役が、俺だからね」

「……私にも言えない?」

「もう少しで言うよ。本当は巻き込みたくないけれど、君は、俺にとって重要なピースだから。利用させてもらう。ただ、損はさせないつもりだ」

「そ、なら良いわ」

 アルフレッドはニコラの顔を見なかった。見たら、きっと利用したくなくなってしまう。彼女を利用しない道はあり得ないのに、その決意が揺らいでしまう。だって、彼女は利用されることを喜んでいるはずだから。打算であっても、道が重なることを、彼女は受け入れるどころか、それを望んでいる。

 それは、あまりにも不幸な話で――笑えない。

「さあ、決着だ。パロミデスには感謝しなきゃね。まさか、彼の底が見られるとは思っていなかった。明日の参考になるから」

 応援の声がひときわ大きくなる。多くの者に伝わったのだろう。パロミデスが勝負を仕掛けに行ったのが。だが、その源泉が静かな、とても静かな対面の男であることは、一部の武人にしか伝わっていない。


     ○


 鷹が、舞い上がった。

 パロミデスの喉元に突き付けられる槍。全速力で駆けてきた足が止まるほど、爆発的な殺意の奔流。それに乗って神速の鷹がパロミデスのコンパクトな動きをも追いつかせぬほどの速さで、勝負を決めていた。

「……バ、馬鹿な。見え、なかった」

 目視すらかなわず――

「勝負あり! 勝者、オルフェ!」

 何よりも足を止めてしまったことに、少なからずショックを受けていた。

 止めなければ死んでいたし、止めたこと自体は正しい判断であったが――問題は足を止めたことすら彼の放った殺気によるもので、自分では何一つ、何も、出来なかったのだから。

「あれもこれもと選べるほど人の手は広くありません。ただ一人、愛する者を守ることすら、私のようなものが敵と成れば、叶わなくなる。小さくとも、貴方の世界を守るために、心を砕くとよいでしょう。大丈夫、貴方はもっと強くなる」

 敵の慰めは響かない。

「貴方の音、周囲の音も含めて、とても心地よいモノでした。では、縁がありましたらいずれ、どこかでお会い致しましょう」

 オルフェが踵を返した瞬間、歓声が沸き起こった。どれも好意的なものばかり。両者を称える声が鳴り響く。

 そんな中を、パロミデスは悔しげな表情で歩き去って行った。


     ○


「テメエの言っていた盲目の奴、やっぱ強いな」

「最後の突きは、ちょっと想定外だったがね。上手く取り込みやがったもんだぜ、あの亡霊を。怪物レスター・フォン・ファルケの槍をよ」

「見えませんでした。貴方はあんな突きをしてくる相手と戦っていたのですか?」

「三人がかりで、な。参ったぜ、少しは腕を上げたつもりだったんだが、自信なくなってきちまった。ストレスで胃に穴が開きそうだ」

「嘘つけ、テメエの貌、随分楽しそうな面してんじゃねえか」

「そりゃあお互い様ですぜ大将」

 強敵の出現に、その強さの底を見て、自然と笑みをこぼす二人。それを見てハティは改めて彼らが別世界の住人だと理解した。

 剣を置いて正解であったと痛感する。

(……持たざる者は、辛いですね。アルカディアの人)

 持たざる者の悲哀。これから先のステージに、彼らの居場所はないのだ。

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