オリュンピア:発勁対空道
「流派まではわからぬが、シン国の拳法だな。我が祖国に伝わる空道の父であり母、リスペクトはしているが、今現在、劣るとは思っておらんよ」
アルフレッドは、神を呪った。何も、今、この時に、彼のような人間をこの地に呼び寄せるなど、あまりにも悪戯が過ぎている。
「拳なら勝てると思ったかな? そうはいかんさ。勝負続行だ審判よ! 見るにかの国でもそうは見ない練達の域。まさかローレンシアの地でかの地の武に出会うとは思っていなかったが、抜け殻、腐り切った九龍の使い手共よりか骨がある!」
「少し、まずいな」
「ハハハハハ! 楽しいな、レベルの近い相手との攻防はッ!」
芸術的な美しさを持つ流麗なる武。アルフレッドのそれは彼自身の理合いと相まって隙の無いモノであった。それでいて美しい。砂漠の民から、黒星から、ラウルから、吸収した技の数々。本場を知る黒星からのお墨付きもある。
ならばきっと自分が未熟と考えるよりも、相手が練達であると考えた方が良い。
幾重にも重なる拳、鳴り響く重低音。速さを潰す動きは健在、威力は互角。
(違い過ぎる。何が違うかも分からない)
(戸惑っているな。それもそのはず。拳に関しては技単体の完成度は互角。しかし、打ち合いでは俺が押す。足の捌き、繋ぎの技、やはりここでも基幹の技術がものを言うのだ。実に惜しい)
国綱は笑う。これほど楽しめるとは思っていなかったのだ。自分とてギリギリの攻防。気を抜けば一気に詰まされるであろう頭の冴え。全身から伝わるインテリジェンス、その瞬発力は人間のそれを大きく逸脱している。
(異能の武人。普通の武人は、思考しないのだよ。修練で思考し、五体に沁み込ませたそれは、思考せずとも発揮出来るようになる。そうして初めて実戦に使えるのだが、どうやら貴殿はその域にない。理詰めが、間に合ってしまう。反射と同じ速度で。天才だよ、貴殿は)
技を極めんとする国綱にとっては、アルフレッドの存在こそ奇跡に等しい。この地に集った武人たちの多くは身体能力に恵まれた者ばかり。彼らの武などとても見るに堪えない。
例え彼らに負けたとて国綱にとっては獣に咬まれたに等しいだろう。
「貴殿には、負けられんよッ!」
だが、技比べが可能な相手であれば話は別。
「このッ!」
互いに集中が乱れ、蒼き雰囲気が霧散した状態。気づかぬうちに国綱は勝利を渇望していた。東方にいた時も、此方に来た時も、僅かすら抱いたことがない想い。生まれて初めて、自らの望む方向性で己を凌駕する才を見つけてしまったから。
その変化に気づかぬまま攻防は続く。
密着し、呼吸をさせない立ち回り。深く集中に至るためにはそれなりの状態を用意する必要がある。勝負に徹し始めた国綱はそれをさせない。
国綱の受け、その隙間を狙った一撃。この刹那の間に良く急所を見抜くものだと感心してしまう。ただし、この受けに派生があることを、彼は知らない。
「甘いッ!」
回し受け、極めたそれは円運動の最中、破壊力の有る一撃をもいなすことが出来る。
「ッ!?」
(シン国の拳法にも似た受け方はある。問題はそれ込みで突破出来ると思っていたことのだろう? そう、貴殿らの捌きでは、そうなるとも)
アルフレッドは埋まらぬ差に愕然としていた。
(無駄な力みだ。要点さえ抑えれば、力などその半分で良い。同じ力なら、倍だ)
とうとう、アルフレッドの拳が押し返される。
(脱力と力み。一瞬の、無駄を削ぎ落とした芸術こそが武)
国綱、強し。
○
「……あのガキ、バケモンかよ」
黒星は苦い表情で戦いを見守っていた。自分よりも一回り以上若い男が、剣だけでなく拳までこれほど極めているのだから平静でなどいられない。ブランクはあっても己とてシン国最強の武術集団九龍の末席であった男。
その席に最年少で座った元天才である。
その自分でさえ勝てるか微妙な相手。しかも、彼はあの蒼い境地に到達している。自分の師が、到達していたあの領域に。
「見てるか、先輩。捻くれてる場合じゃないぜ。こいつは紛れもなく本物だ。そして、シン国の時と同じで、凡人には通じていない。笑っちまうよな、この天才たちが織りなす芸術が、この場のほとんどに響いていねえんだ。ふざけてやがるぜ」
偽物が蔓延る世の中に絶望して祖国を離れた男。しかし、あの男を見ていると他人の目など気にする方が馬鹿らしくなる。何処までも自らのため、技のために技に溺れる覚悟がある。今の自分に、あそこまでの気概は果たしてあるのだろうか。
黒星から少し離れた場所に、気配無く立つ男がいた。無骨な風体の男であったが、その顔には何の感情も浮かんでいない。ただ、戦っている二人を見つめていた。その握りこぶしが、血で滲んでいたことを知る者は、いない。
○
「私にあんだけでかい口聞いたあんたが何ぼさっとしてんのよッ!」
「ちょっとミラ、応援してあげなきゃ」
「あんな軟弱者に応援なんて要るか! さっさと負けてしまえドへなちょこ!」
「……み、ミラなりの激励、だよな?」
「わ、わからないけど、たぶん、違うと思う」
アルカディア勢の席からはどこよりも大きな罵詈雑言が飛び交っていた。
○
「そ、そんな馬鹿な! アルフレッド様が、何故!? そうか、あれはショーだ。アテナの時みたいに、あえて相手の技を引き出し――」
「違います。そんな余裕が、あるように見えますか?」
「ッ! そんなこと、分かっている!」
イヴァンとアテナの口論に耳を貸すことも無くバルドヴィーノは静かにその戦いを見守っていた。凄まじい何かが飛び交っているのは、何とかわかる。だが、その凄まじさの尻尾が掴み切れない。
それが自らの、サンス・ロスの積み重ねの限界だと知る。
『何を悠長に。勝てぬ相手ではないだろう!』
『勝てる相手です姫様。しかし、あれを使うわけにはいきません。姫様もご存じでしょう? 先代の、御父上を国守様が討ち取った後、どうなったのか』
『ぐ、ぐぬ。しかし、このまま何もせず負けるのは』
『それはあり得ません。最後には、カードを切ってでも勝つでしょう。しかしそれは、この会場の多くに底をさらすことになります』
『我が父、暴虐の国守アスワン・ナセルを倒せる者など選手におらんだろう!』
『今は、です姫様。国守様は、先の、成長した彼らを恐れているのです。だから、ギリギリまで晒す気はない。勝つために、どうにか凌がねばならぬ局面。辛いですが、見守るしかありません。信じましょう、我らが英雄を』
『当然だ。番いを信じぬ女王が何処におる!?』
気丈に戦いを見守る少女から視線を外し、戦いを見守るディムヤート。
(わからない。貴方と、最初に戦った時、感じた感覚そのまま、です。強い、のでしょうな。俺よりも。分からぬと言うことは、そういうこと)
信じるより他はない。対外試合とは言え負ける国守について行く者はいない。
彼らの蜜月が続くか否かは勝敗次第なのだ。全てにおいて。
○
先に距離を取ったのはアルフレッドであった。それはそのまま、この近接戦における勝敗を暗示していた。笑顔に強がりが混じる。無理が、透けてきた。
「満喫した。正直、次の相手と戦えたならそれで良いとばかり思っていたのだが、どうにも当たりは貴殿のようだったな。見くびっていたよ。すまない。そしてありがとう」
「……まるで終わったような口ぶりだね」
「事実、貴殿の技で俺は崩せない。崩れねば、俺が負けることはない」
「……そう、なってしまうか。仕方ない」
アルフレッドは無理やり距離を取りながら、深く、深く深呼吸をする。まるで、何かに入り込むかのように。
「させんよ」
会場に入る猛者たちが、またも一斉に静まり返った。静謐な風が、舞い上がる。皆の心を透くような雰囲気。
「計画は狂うもの。俺の無能は、己が身体で支払うさ」
そして――
「させんと言っている!」
その先を見る前に、国綱は全速力で接近していた。国綱本人すら唖然とする動き、同じ領域で技比べ、それを楽しみにしていたはずの男は、自分でもわからぬ衝動から接近し、アルフレッドの襟首を掴んでいた。
(そういえば、何故俺は勝ちにこだわっている?)
そこから国綱は今までこの地で見せたことも、見せるつもりもなかった技を展開する。呼吸を整えていたアルフレッドは、それを無防備で受けてしまう。いや、そもそも警戒は無意味であった。その技は、やはり体系的に違い過ぎたから。
己が意に反した動き。反射よりも根深く、才への嫉妬、勝利の渇望が、国綱にこの行動をとらせていた。
この技は体系的に彼らの国で柔気術と呼ばれる。拳打を用いず相手を制圧する武術。拳打よりも効率的に相手を拘束し、生殺与奪を握る技がこれ。
(まずい!? 俺としたことが! このままでは頭から――)
襟首を掴んでから上下左右に相手の流れを乱し、逆にこちらが流れるように相手を崩し背負い投げる。これもまた力を征する理合いである。
「ああ、なるほどね」
頭から落とされる。自らの体重と投げの威力、そして地面の堅さを鑑みて絶体絶命の窮地であるが、アルフレッドの目に揺らぎはなかった。
刹那、紅き雰囲気が迸る。
右手を差し出し、震脚の要領で力を地に逃がす。段階を経て、威力を殺す。
真っ直ぐと肘を伸ばし一段、肘を折り曲げながら二段、そして最後は肩を外して三段と、三段階で威力を殺し切った。
普段の出力では叶わなかった小さな奇跡である。
「ば、馬鹿な!?」
驚愕の国綱にアルフレッドは笑顔を向ける。
「こっちの肩は、前にも外しているから。多少外しやすいんだ」
(み、乱されるな。確かに、肩を外して威力を殺すという発想はなかった。それがなんだ。大局に変化はない。あっちの呼吸は乱した、全の彼岸は、不発だ。俺も入る暇はないが、相手にも入れさせぬ)
焦る胸中を必死に落ち着かせる国綱。対するアルフレッドは、多少痛がるそぶりを見せるが肩を入れ直してすでに臨戦態勢であった。自らの身体を、あまりに壊し慣れている。この場面だけではない。攻防全般から、違和感はあった。
(……この男、まさか、そう言うことか?)
本能が、働いていない。反射が、機能していない。
(個の極致……唾棄すべきものだ。それは、未来を切り売りする破滅の道ぞ!)
痛みを、超越している。そうでなければおかしい。
(刹那とはいえ限界を超えた以上、あの程度で済むわけがない。痛みに耐性があるのか、痛みに鈍いのか、どうであれ普通の状態ではない。先ほど見せた隙、痛みで揺らいだと思っていたが、真意は別にあるのか?)
だから、容易く超えられるのだと国綱は考えた。
(この男が、分からない)
ようやく国綱は状況を理解する。
未知もまたお互い様であった、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます