オリュンピア:黄金騎士の独壇場

 一切、彼らから共通項が見出せなかった。

 出自不明、年齢不詳、神出鬼没の仮面の騎士。様々なうわさが飛び交うも、いずれも耳を疑うものばかり。やれ無敗だ、やれ片手間で国を救っただ、某国に狙われている、高貴な生まれ、貧しい生まれ、顔が焼け爛れている、黒き森の魔獣を倒した、大勢殺した、大勢救った、など。

 真偽不明の噂にまみれた男。しかし、唯一共通した認識としてただモノではないと誰もが思っていた。知る者、知らぬ者、謎のままでこれほど世界に波風を立てる者も珍しい。火の無いところに煙は立たない。

 彼は傑物である、のかもしれない。

 アレクシス・レイ・アルビオンという男を測るだけでも、このイベントは大衆にとって大いに価値がある。

 否、上流の者にこそ、見定めるべき点はいくつもあるだろう。

「……あの時点で完成していたと思っていましたが、勘違いだったようですな」

 ゼノの言葉にエルビラは静かに頷いた。

「報告にあったサンス・ロスは、やはり彼の陣営ですか」

「そのようで。サンス・ロス、この場にはいないイヴァン・ブルシーク、あの赤髪はおそらくガルニアスの縁者でしょうか。ドーン・エンドの亡霊も加われば、まさに一大事。それに――」

「ええ、最も大きな違和感は、彼らではない」

「その後ろ、ただの海賊一党であれば良いのですが」

「場合によっては、危険度が跳ね上がりますね。いえ、もう、そう仮定して動いた方が良い。私の勘はあまりあてになりませんが、そんな気がします」

 謎の一団の鮮烈な登場に沸く場内。ここでくじが用意され、組み合わせが決まれば予想に、賭けに、大賑わい間違いなしであろう。

「さて、そろそろ始まり――」

 設営を終え、アンゼルムが壇上に再度立つ。そして――

「しばし、待って頂きたい」

 始まりの空気を裂いて立ち上がったのは、誰にとっても意外な人物であった。

「どうされましたか、ネーデルクス王国国王、クンラート陛下」

 クンラート・ラ・ネーデルクス。国内外から影が薄いと揶揄される男は常に弱気な笑みを浮かべていた。しかし今、立ち上がった彼の表情に弱さはない。

 そもそも、光り輝く青貴子ルドルフらの影に隠れていた彼を見ていた者が果たして何人いただろうか。

「参加選手の一人、そこな御仁を我々は知っている。ネーデルクス対エスタードの大戦、そこに彼はいた。サンス・ロス、戦場を知らぬ私は彼の顔を見たことはない。しかし、我が右腕、マルサスが、多くの将兵が受けた傷は、今も私たちの中にある。忘れることなど出来ようはずもない」

「…………」

「サンス・ロスはあの時代、すでに完成した将であった。あれから幾年月が経ったであろうか。あの時代、若輩であったクロードもすでに先達の世代。であればサンス・ロス。彼が三十歳未満と言う参加資格を満たしているとは到底思えぬ」

「と、クンラート王はおっしゃられているが」

 アンゼルムの問いにバルドヴィーノは顔色一つ変えずに――

「特にない」

 と一言で切り捨てた。

「認めると言うことか」

 クンラートの問い。やはりバルドヴィーノは平然としていた。

「いいえ。陛下の話の中に、バルドヴィーノ、つまり私が登場しておりませんので、語るべき言葉がないだけです」

「……此処に居る将兵だけで、幾人の証人がいるか。我らの記憶が間違っていると申すか」

 クンラートは激怒こそしていなかったが、マルサスという柱を失った傷は未だに癒えていない。その傷を負わせた張本人を目の前にすれば、多少何かを言いたくもなると言うもの。

 しかもその人物が経歴を詐称して表舞台に立っているとなれば――

「お話し中失礼いたします。私の名はアレクシス・レイ・アルビオン。彼、バルドヴィーノ・ペルティーネの主でございます。彼の非礼、平に謝罪させて頂きたい」

「……噂のアレクシス、か」

「王の耳にもこの非才の名、届いていることに感動を禁じ得ません」

 アレクシスは改めて深く頭を下げる。そして顔を上げ――

「しかし陛下、彼の言もまた一理あるのです。彼はバルドヴィーノであり、サンス・ロスではございません」

「貴公もまた、我らの記憶に違いがあると申すか」

「いいえ、ネーデルクスのお歴々、エスタードを含めてもいいでしょう。その記憶、一切合切間違えはございません。彼はサンス・ロスであった。実に正しい。時に陛下、見ず知らずの他者、その存在を確認する際、我々ローレンシアの民は何を用いるでしょうか。記憶か、言葉か、それとも――」

「……各国発行の身分証であろう」

「私も同じ意見でございます。彼は、この国にバルドヴィーノ・ペルティーネとして入国しており、それが彼の身分であり存在証明です」

「ゆえに、彼はサンス・ロスではないと申すか」

「その通りにございます陛下。もっと言えば、この世界にサンス・ロスという人物は、すでに存在しないのです。身分証が存在証明とするのならば」

 身分証。偽造、洗浄、裏の道であれば如何様にでも出来るが、ほとんどの者はそれをどうこうしようとは思わない。そこに刻まれているのはただの出身地でも、ただの年齢でも、性別でも、見た目でもないのだ。それはその人がその人たる全てであり、多くの国にとってそれありきでの生活が行われている。

「私が、彼の目の前で、サンス・ロスの名が刻まれた身分証を焼却いたしました。ゆえに、同姓同名の人物はいようとも、エスタードの将として武勇を振るったサンス・ロスという人間はこの世にいない。ゆえに彼は、微塵の余地も無く、法の下ではバルドヴィーノなのです。どの国であっても、彼をサンス・ロスとして扱う者はいないでしょう。その名は既に存在しないのだから」

 それを、焼却し、生きている証を消した。

 容易いようであるが、このローレンシアにとっては人を殺したに等しい。それが貧民であればいざ知らず、それなりに高貴な家の出であれば、身分証を粗雑に扱うことなど絶対にしない。その紙は、生まれ持った血よりも明確に貴族の証としてあるのだから。

「……それほどの覚悟か」

「さて、私にも彼が何を考えているか、全てを知ることは出来ませんので」

「わかった。すまなかったバルドヴィーノ。私の言いがかりであった」

「いえ、我が身から出た錆ゆえ。記録は変わろうとも、記憶はやはり変えられますまい」

「……バルドヴィーノに問うても仕方がないが……マルサスは強かったか?」

「……真っ直ぐで、折れぬ心を持った勇将であったと風のうわさで」

「そうか、であれば良い」

 クンラートは満足したのか自らの席に座る。

 バルドヴィーノもまた一歩下がり――


「で、テメエは身分証、どうしたんだよアルフレッド・フォン・アルカディアァ」


 突如割って入ったフェンリスのひと言で落ち着きかけた場が乱れた。

「……持っているよフェンリス」

 さらに、そこからアレクシスの、アルフレッドの取った行動で、

「ただし、君は一つ間違えている。俺が持つもう一つの名は、アルフレッド・レイ・アルカディアだ。重要なので間違えないように」

 混沌が一気に極まった。

「テメエがあっさりバラすってことは、ルール的には何の問題もねえのか」

「エル・トゥーレは入国の際、検分した身分証が全てだ。それ以外はただの紙屑、アレクシス・レイ・アルビオンで入った以上、俺はその名であり、この世界にアルフレッド・レイ・アルカディアはいないってことになる。ちなみに君の国ヴァルホールではれっきとした法律違反、確か結構重い罰だったような」

「あ、そう。つまんねーな」

 淡々と会話を進める二人をよそに、会場は騒然となっていた。それもそのはず。知っている者はいても、大半は知らぬ者ばかり。特に大衆にとってはビッグニュースとなるであろう。行方知れずであったアルカディアの王子が、まさかあの有名なアレクシスであったなど、センセーショナルが過ぎるというもの。

「つまりテメエはアレクシスなんだな」

「今、この国においてはそうだろう。でも、もう一つの身分証で入国し直せば俺はアルカディアの王子、アルフレッドになる。逆は謎の仮面男。同じ人間なのに、随分差がある。ただの紙切れ一枚、これだけで天地の差だ」

「おーおー、いいね。何が言いた――」

 煽ろうとしたフェンリスの口は、スコールに止められていた。もがもがと抗弁するフェンリスの視線を無理やりある場所へもっていき、その意気を挫く。フェンリスが逆らえない、最も大事な二人のうちの一人。その人の表情が――

「伝統と格式に喧嘩を売るには力不足だ王子様」

 しかし、スコールがフェンリスを制止したにもかかわらず、

「その程度なんだよ、身分なんて。王も、奴隷も、紙切れ一枚の差しかない」

 アレクシスが、アルフレッドが、喧嘩を売った。この大陸を支配する、身分という概念。遥か昔から存在する、本来の目的から若干外れた役割分担の機能に、今のお前に意味はないと、彼は言った。それが、彼の血筋と、今までの足跡と相まって、どれほどの揺らぎを生むのか、わからないほど彼は愚かではない。

「大事なのは中身だ。身分に見合う中身を持っているか。それが過大でも、過小でも、問題だ。いつか、もう少し効率的なルールが出来ると良いね」

 他人事のように見せているが、明らかにそれは――

「元気なのは良いが、開式の前だよ。少し静かにしようか」

 その流れを止めたのはアルカディアの元王族、エアハルトであった。

「これは、失礼いたしました。少し、熱が入りまして」

「あはは、若者が勢いのある発言をするのは微笑ましい。そこに力が伴っていないと、特にね。それとも、君には大きなことを言えるだけの力があるのかな?」

「さて、どうでしょうか。それは、乞うご期待と言うことで」

 アルフレッドの貌に張り付く笑顔。先程から、微塵も揺らいでいない。熱が入ったなど嘘の極み。彼の心の何処に熱などあろうか。すべて、冷たい計算で成り立っている。此処で正体をバラし、大衆の前で考えを発信する。

 ある意味でサンス・ロスでさえも撒き餌だったのだろう。

「……君は御父上に似てきたね」

「あはは、それは、私にとって最高の誉め言葉です」

 やはり、彼の笑顔に揺らぎはない。

 これより始まる戦いの、これはただの幕間でしかない。

 運命の組み合わせが決まれば、明日からオリュンピア本戦が始まる。明日からの熱狂で、この幕間での出来事など覆い隠されてしまうだろう。それで良いのだ。これは種蒔き、思想として芽吹くのはまだまだ先で良い。

 今はただ、芽吹く日を信じて撒くのみ。そして芽吹いた時、己が相応の場所に立っているよう、相応の土壌を作っているよう、これからの本戦、全力で臨む必要がある。勝って示すのだ、己が力を。

 いつの時代も、大衆は力について行くのだから。


     ○


 明日からオリュンピア本戦が開かれる会場で、一般の大衆が退場した後に貴賓たちによる貴賓たちのための晩餐会が開かれていた。各国の貴賓の多くは一度退席しお色直しをして艶やかに会場を彩る。

 貴公子、淑女が居並ぶさまはまさに圧巻の一言。

 そんな中で――

「こりゃあうまいなお嬢!」

「言うとる場合じゃなーが。はよう喰わんとなくなるじゃろうが!」

「そう言っても兄弟、誰も喰うとらんぞ」

「何でじゃ、お嬢?」

「わしが知るか。喰うとる間でしゃべるな言うとるじゃろうが」

 アルフレッド一行だけが浮いた状態であった。特に数人、野盗のような見た目をした者たちの浮きっぷりは、一周回って何かの演出なのではないかと勘ぐってしまう者がいるほど、この場からは大きく逸脱していた。

「いやー、美味しいね。でも、ちょっと味が濃いかな」

「お前さんの舌に合わせとったらメシがしょーもなーてかなわんじゃ」

「そうかなあ」

「貧乏の味じゃ」

「塩は貴重だからね」

「海に溢れとろうがよ」

「すべての国に海があると思っちゃ大間違いだよ」

「海に漕ぎ出さん奴が悪い」

 海の民の理屈に圧し潰されたアルフレッドは「たはは」と苦笑する。

 海賊たちから「お嬢」と呼ばれている女性は、他の野盗然とした彼らとは別の意味で浮いていた。これ以上なく着飾った花々、そこにみすぼらしい恰好でありながら並ぶほどの素材を持っていたのだ。雪のような肌に、白金のような色合いの髪。体躯は大きく豊満、がさつであること、言葉が汚いことを除けばこの中でも上位に食い込む素養であろう。

 だからこそ着飾る者たちからは嫉妬交じりの視線が送られていた。

「しかしあれじゃな、陸のもんは強いのお。お前さんより強い男がおるとは思わなんだ」

「……んん? 俺より強い? んー、俺には見えないなあ」

「後ろにおろうがよ」

「ええー、後ろのよりかは俺の方が強いと思うけどなあ」

「よお遅刻魔。くじの借りを返しに来たぜ」

 アルフレッドの背後にいたのはヴァルホールの王子、フェンリスであった。手にはなみなみと注がれた酒。ぐびぐび飲みながら頬を赤くして近寄ってきていた。

 ちなみにフェンリスの言っている借りとは――くじを引く際、速い者から順に引くという大した意味のない適当なルールであったが、速い者順という一言がフェンリスの速さ至上主義に火をつけた。恥ずかしくない程度に良い位置をキープし、いざ自然な流れで一番くじを引く。その完璧なプランは、喧嘩を売った際に一歩先んじていたアルフレッドが極々自然に意図せず先陣を切ったことにより、脆くも崩れ去ったのだ。

『卑怯だぞ!』

『え、何が?』

 あの時ばかりはアルフレッドも何言ってるんだこいつ、という風な顔つきになっていた。そこで邪魔、と言わんばかりにリオネルが理不尽に怒り狂うフェンリスを弾き飛ばし、そのまま華麗に着地と言ったところでゼナとミラに跳ね飛ばされて、屈辱の五番目。最速がモットーの男にとって緒戦敗退に等しい傷である。

 そのこだわりをアルフレッドが理解できるとも思えないが――

「そのツレ、さては女だな」

「ん、そうだよ」

「妻じゃ」

「ははん、それは冗談として……んん!?」

 フェンリスのお目目が真ん丸になる。

「彼女はコルセア・バルバリア。リューリク・バルバリアの末子だ」

「ぬしとは幾度かやり合ったのお。ガルニアに逃げ込んだビビリじゃ」

「誰がビビリだオラ! 追いつけなかったのろまですって言えや!」

「わしの船は振り切られんかった! 他の、年だけ喰った盆暗どもが足を引っ張らんとけば撒かれはせんかったじゃ!」

「……ふーん、この女、あの時の船長か」

 フェンリスの表情からすっと熱が消える。酒気も、ふざけた様子も、無駄な熱も無い、狼が勝負の時の顔。そうなってしまうほど、コルセアの船は速く、粘り強かった。唯一、フェンリスが脅威と思った船で、彼女の船が上手く追い立ててきたせいで、包囲を抜けるための風を、波を、つかめなかった。

 ガルニアに逃れる以外の手を潰した張本人。

「俺の国に来い。そいつより俺の方がお前に近いぜ」

 だからこその真面目な、本気の口説き。

「嫌じゃボケ」

 それがあっさりと撃沈してしょんぼりするフェンリス。少し離れたところでスコールとハティが爆笑していたのをフェンリスははっきり見ていた。

 この大会より少し後、時化た海を走らせて普段よりわざと揺らし二人をゲロまみれにしたことは一部で有名な話となる。

「ぎゃはは! ……ってめっちゃ笑ってるけど、ハティよお。やばいんじゃね?」

「あっはっはっはひ、ひいいい。げぼ、げほ、い、いえ、そうですね。やばいです。やば過ぎて笑っちゃいました。あ、王妃様めっちゃぷるぷるしてる」

「あー、あれマジにキレてる奴じゃん。うわー近寄らんとこっと」

「アルカディアが海を手に入れた。おそらく、このローレンシアで最も海を知り尽くした者たちとの血族同盟。あのリューリクが顔を出したのも頷ける。まあ、問題はアルカディアがどうこうじゃないんですけどね」

「笑ってんの俺らだけだぞ。皆、すげえしーんとしてるもん。でもなあ、あの間抜け面みたかおい。断られるって微塵も思ってなかったぞフェンリスの奴」

「自己評価の高さは霊峰すら突き抜けてますからね。何故か女性とまともに付き合ったことも無いのに自信だけは雲を突き抜けてますから。ぷく、くふ」

「前から思ってたけどお前笑い方結構きもいな」

「……え」

 和やかなのは成せば成れの二人だけ。他は、一様に黙りこくる。

「アルカディアが、ヴァイクと繋がっていただと」

「道理で最近、彼奴等が活気づいておったと思っていたが」

「白の王の狙いは何だ?」

 アルカディアとヴァイク、およそ関係がなさそうな組み合わせであったが、思い起こせばちょっとした引っ掛かりはあった。リクハルドが最後の大戦で戦死した後も大人しかったヴァイクが最近になって活発に動き始めたのだ。

 エスタードが、ヴァルホールが、ガリアスが、多くの海を持つ国が彼らの動きが活発化しているのを感じていた。その理由まではわからなかったが、アルカディアがバックについたとなれば勢いづくのもわからなくはない。

 だが――

「ラファエル、見られているぞ」

「しまっ、申し訳、ございません」

 ウィリアムが窘めるまでのほんの数秒。白の王の腹心であるラファエルが驚いた表情を見せていたことに目敏い何人かは気づいていた。

「さて、問題だリオネル。腹心であるラファエルが、正気を失うほどびっくりした意味。君はわかるか……おーいリオネルくーん」

 リオネルの見つめる先には、呆然とするシャルロットの姿が――

「……駄目だこりゃ」

「私の所感を述べて宜しいでしょうか、王の頭脳殿」

 怜悧な眼でコルセアを見下ろすエレオノーラ。その眼に普段の温かさはない。

「喜んで、我がレディ」

「まず、アルカディアとヴァイクが繋がっていなかった場合。私のアルフレッドとヴァイクの端女が婚姻を結ぶ、これだけでは驚かないでしょう。むしろ、王位をめぐる争いからいち早く追い落とす理由が出来ます」

「……話は良いんだけど、やっぱり君は歪んでいるねぇ」

「次に、アルカディアとヴァイクが繋がっていたと仮定しましょう。可愛いアルフレッドちゃんを利用してヴァイクと血族同盟を築く。これは、一番しっくりきます。多くは、今、これを考えているでしょう。ただし――」

「それじゃあラファエルくんが驚くことは、ない」

「最後に、アルカディアとヴァイクが繋がっており、その上で婚姻を知らなかった場合、これは、驚くしかないでしょう。自分たちが上手く仲を築いていこうとした矢先、一足飛びで行方知れずだった、ほぼ廃嫡同然、私の子になるはずだったアルフレッドちゃんが全てをかっさらっていった。おそらく、故意に」

「のほほんとしたヴァルホール勢は、たぶん裏でアルカディアが糸を引いていたことは知っていたね。でも、切れ者の王妃がキレてるってことは、アルフレッドの件は寝耳に水だったらしい。裏にいるのと、共に並ぶのでは意味が違い過ぎるさ」

「何故知っていたのかしら?」

「んー、推察だけど、息子が暴れ回って、それを収めに天獅子が会いに行ったそうな。その時じゃないかな?」

「会えなかったと聞いてるけど」

「私もそう聞いている。リューリクは、いくつもあるヴァイクの隠れ家を転々としているそうだし、海で彼を見つけるのは至難の業。でも、話を付けたから息子はガルニアから出てこれたわけだろ? つまり、ユリシーズでは捕まえられなかった海王を、捕まえた人物がいて、そこ経由で裏を取ったってとこじゃない?」

「……ヴォルフ・ガンク・ストライダーですか。ずっとウィリアム王といちゃいちゃしてますが、あまりに気安くないですか?」

「ん、そこはほら、ライバルだったし多少は、ね」

 推察だが、アルカディアとヴァイクはすでに繋がっていた。海が欲しいアルカディアと力を取り戻したいヴァイク、利害は一致している。だが、これが血族同盟ということになれば少し話が違ってくるだろう。

 やり過ぎ、という声も上がってくるかもしれない。

「え、何があったのレオニー」

 混んでいたため、お色直しが遅くなったイーリスとニコラ。会場に入るといきなり異様な雰囲気に包まれており、空気の差に驚いてしまう。

「あ、えと、私も、よくわからなくて」

「…………」

 とてつもなく険しい表情のパロミデス。

 これほどに彼が怒りを見せるのは珍しい。

 それだけのことを彼はした。ずっと、心配しながら待っていた彼女を裏切ったのだ。パロミデスにとってそれは最も許せぬことで、自らが思う以上に感情が制御できない。

「理想のために最愛を捨てる。歪ではないですか。ほんの少し、妥協するだけで、幸せになれると言うのに。嗚呼、貴方の音は、王の音を刻んだまま。彼女といる時の安らぎは、ない」

 オルフェは哀しげにつぶやいた。また一つ、彼が遠くに行ってしまったから。純粋ゆえの危うさ、それでも眩しかった。美しかった。だからこそ、オルフェは想う。ほんの少しのくすみを許せば、小さなウソ一つで、幸せがあるのであれば、二人にはその道を行って欲しいのだ。その傍らで、たまにリュートを己がつま弾く。その何と幸せなことか。

「私が止めましょう。全身全霊を懸けて。それが、綺麗な空≪セカイ≫を、視せてくれた御礼だから」

 二人の描く空≪セカイ≫。必要ならば、そこに自分はいなくてもいい。

「俺を利用したか、アルフレッド」

 ウィリアムは誰も聞こえない、小さな声でつぶやいた。否、もしかするとこれは、現実で言の葉に乗せることは出来なかったのかもしれない。近くでニュクスが笑っている。と言うことは、また自分はこちら側に引き寄せられていたのだ。

「どうだ、俺の後継者は」

 ニュクスは答えない。まだ、自分は彼女たちのいる彼岸に辿り着いていないから。気力でここまで来た。朝、起きる時、夜、寝る前、幾朝、幾夜を恐れながら過ごしてきたか。死は救済であるが、今死ねば全てが水泡と化す。

 ようやく、間に合ってくれた。生きている内に――

「後は勝つだけ。勝って、奇跡を手に入れる。大衆が、誰もが理解する奇跡が要るんだ。真の王に成るためには。それに、海に目を付けたのは良い。及第点をやろう。お前は、本当によくやった。俺の自慢だ」

 面と向かっては言えぬ言葉。

 誰も、生者も、死者も、聞こえぬ狭間ゆえに紡げる言葉。

「だが、壁は厚いようだぞ」

 ウィリアムの見立てでは、勝てない相手が何人もいる。それを引っ繰り返す力を備えてきていたならば、ようやく自らの死期がやってきたと言うこと。

 あと僅か、気力を振り絞り生きれば――いい。

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