幕間:グレヴィリウスが見た夢
「最近随分とくっきり見えるようになりましたね」
「何じゃ馴れ馴れしい小僧じゃな。わしを誰と思うておる?」
「俺の妄想?」
「クソガキが」
夢の中で黒き魔女に会うことも慣れたのか、アルフレッドは何も驚くことなく『光景』に集中する。土地が見せる夢、と魔女は言っていた。
此度は滅びを前に立ちはだかる王の物語。ウラノスやニュクスは対抗策として自身含め国民も犠牲とした。ヘルマは唯一人であるが、彼女は特別であればこそ。
それでもこの国の王は民を犠牲にする道を選ばずに、小さくとも己が領土を守るために命を賭した。結果としてこの国は足りぬ犠牲こそ多少払うことになったが、本来失うはずだった人数よりも多くの民が生存を得た。
「グレヴィリウスは、王の側近だったんですね」
「うむ。誉れ高き騎士の家系じゃて。魔術師とは対極の存在ではあるが、力を失ってなお騎士であることを捨てられぬ不器用さは滑稽を通り越して敬意に値する」
「捻くれた言い回しですね」
「ちょっとわしの力が落ちたからって不敬が過ぎると思わぬか?」
「さあ? どこの誰だかも知りませんし」
「……いつか貴様の親父に悪夢を見せてやろうぞ」
「あはは、酷いなあ」
夢は続く。王を守れなかった、王に守られた事実はグレヴィリウスにとって世代を超越するほどの傷を残した。王の犠牲、繋げる覚悟、偉大なる献身。
「呪いじゃろう? 羊飼いの苦悩を羊が知ってしまったから、このような捩じれが生まれたのじゃ。王は演出家であらねばならぬ。見せ方一つでほれ、後世にまで呪いが伝播してもうた。民にとっては幸せであろうが――」
「……王の子にとっては、悲劇だ」
美しき景色は紅蓮に燃え盛り、それを目の当たりにした少年は絶望の声を上げる。庇護すべき男は民のためその身を捧げ、二人ぼっちの母と息子は地獄を駆け抜ける。助けて、死にたくない、王が見れなかった負けた後の姿が少年の眼を焼く。
王の手から零れてしまった民の怨嗟が耳を裂く。
「そうか、だからあの人は」
母と子、身一つで生きていけるほど戦乱の世は甘くない。其処にぽんと放り出されて生きていけるわけがない。
何よりも母は分かっていた。
「あっ――」
この戦が誰を目的としたものであるか、を。
長いようで短かった逃亡生活。『何でも』して生き延びたが、ネーデルクスへの道は厳重な警戒によって通れず、活路は無かった。母と子、痕跡を消すために道は二手に分かたれた。母の方はすぐに断崖へと至る。
否、始めからそのつもりであったのだ。
「何故、いえ、せざるを得ないのは理解出来ます。しかし――」
「何故、グレヴィリウスの土地を離れた光景が見えるのか、か?」
「ええ。こんなこと、今までなかった。いや、そもそも今まで見てきた歴史に比べてあまりにも近過ぎますよ」
エスタード軍に拘束され、エル・シドが来るまで王子の行方を吐かせるために数多の拷問を受けた女性。かつての面影を残さぬ姿であったが、それでも何一つ零すことなく我が身を持って時間を稼いで見せた。
「さてのお、何ぞ奇縁でもあるやもしれぬぞ」
「縁……繋がり」
自らの時を使って息子をエスタード側から逃がす。人買いに買われた戦災孤児として遠い異国で売り捌かれるのだ。恨みを晴らす相手がいない異国へ。
遠く、遠く、売られ、買われ、流されて――
憎悪に彩られた瞳は世界全てを憎み切っていた。救いなどない。失うものなど何もない。奪えるものならば奪ってみろ、俺には何もない、そんな眼。
お前たちから全部奪ってやる、と。
「そういう、ことか」
ある日、ある街で、絶望と憎しみにまみれた少年は出会う。
『身体大きいね、どこから来たの?』
『失せろチビ。頭が高ェんだよ、殺すぞ』
『ほら、だから言った。かかわらない方がいい。二人で遊ぶ方が楽しい』
『二人より三人だよ。君はそう思わない?』
『『思わない』』
最初は険悪極まりなかった。次も、その次も、険悪なまま。ただ、へらへら笑っている少年は諦めてくれなかった。全部寄せ付けず、失うのが怖いから誰とも交わるつもりの無かった男の心にずかずか踏み込んで、荒らし回って――
『よし! りんご置き場に行こう!』
『腹減ったぁ』
『ちょちょいのちょい』
気づけば男にとって彼らは守りたい相手になっていた。
二度と失いたくない、そう思える相手に出会った。憎しみ、絶望すら放り投げて共にいたいと願ってしまった。
「縁、か。この土地とあの人は繋がっているんですね」
「薄い、あまりにも薄い縁ではあるがのう。ゆえに、これは土地が見せる夢であると同時にある男の見る夢でもある。記憶の連なり、彼岸を介して、亡霊たちが見る夢、じゃ。で、気づいたことはそれだけかのう?」
笑い合う三人組。巧みなコンビネーションで果物屋を襲撃し、追いかける主人をてんてこ舞いさせてりんごを奪取する光景を見てアルフレッドは顔を歪めた。
「あはは。俺も、馬鹿じゃないですよ。これがただの夢でなければ、黒髪の少年が他人の空似でなければ、ええ、全てが間違っていることになる」
「くっく、道化の仮面を暴く準備は出来たかの?」
「ルシタニアに答えがある、ということですか」
「さて、あそこはわしとて容易に窺い知れぬ土地よ。じゃが、あの男にはわしにすら見えぬモノが見えておる。宿命の地に何もないとは思わぬがの」
「あの男、アークさん?」
「それ以外誰がおる? 怪物じゃよ、あれは。厳密にはあれが内包するモノであるが、まあ、内包したモノに呑まれておらぬだけでも充分怪物。仮初の未来を与え、使用者を堕落させ憑り殺す魔眼。すでに終わりを迎えたわしなど可愛いものよ」
「全部、アークさんが仕組んだとでも言う気ですか?」
「少なくとも、多くの土地を巡って、土地に残った神秘の残滓に触れたことで、わしは形を取り戻しつつある。狙いは知らぬが、結ばれた縁、何に使うつもりであるかのう? 良きことか、悪しことか、くく、はてさて、賽はどう転ぶのやら」
問いたいことが山ほどある。しかし、意識が、少しずつ遠退いていく。経験上、こうなってしまえば覚醒するしかなくなる。
「……貴女たちは俺に、何をしろと言う!?」
「わしらが願うは営みが繋がること、それだけじゃ。細部は違うやもしれぬが、その柱だけは全員同じよ。『いつか』へ繋げよ、ほんに、それだけじゃて」
意識が遠退く。もう、視界がかすれて――
「忘れるでない。貴様ら親子の宿命。始まりは、ここぞ』
薄れゆく意識の中で、りんごをかじる三人の背中が嫌に眩しく見えた。
「アル?」
「ん、何でもないよ。変な夢を見ただけ」
「ならいい」
目を覚ました瞬間、眼前にはイェレナの顔がとんでもなく近い距離にあった。年頃ゆえに唇を凝視してしまい、少し気まずくなってしまう。
イェレナ本人は微塵も気にしていないが。
「よき夢を見たか?」
「どうでしょう。でも、悪くない気分です」
アークの問いかけにアルフレッドは笑顔で答える。謎の魔女が語ったことを、アルフレッドは覚えていた。前に見ていた時は朧気であったが、今は全てが鮮明に思い出せる。この変化もまた、彼が望んでいることなのか、それは分からない。
だが――
「では、行きましょうか。俺の剣を直すために」
「手も治さなきゃいけない」
「ガハハ、そうであるな。いざ征かん、宿命の地へ!」
アルフレッドは何を言われても信じるつもりであった。アークに秘め事があるのは何となく分かっている。されど、それが自分にとってマイナスだとはどうしても思えなかった。彼はそんな人物ではない。
もっと真っ直ぐで、温かくて、大きくて――
「……あれ?」
気づけば、雁字搦め。
一路、グレヴィリウスを発ちルシタニアへ向かう。
そこは宿命の地、『ウィリアム・リウィウス』の故郷である。
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