プレリュード:活気づく若手たち
パロミデスの帰還により、アルカディアの若手貴族、子弟たちの間で武芸への熱が高まっていた。今まで不在であった若手たちの旗手が戻ってきたことにより、各々のモチベーションが高まり、競い合うための決闘が盛んに行われ始める。
また、より効率的に強くなるために師を求める者も少なくなかった。この熱の中心である男がいの一番に動いたことも大きい。
「パロミデスがオスヴァルトに!?」
「昔からの付き合いがあるか、よっぽどの腕がないと門戸すら潜れんぞ」
「軍属こそ退かれたが、剣聖の指導を受けているわけだろ、そりゃあ、強くなるぜ」
今でもきっと若手の中ではぶっちぎりに強い。その上でさらなる高みを目指す姿勢に同世代の野心溢れる若者たちが感化されないわけがない。
「少しでも兄上に近づかねば」
「負けてられんな」
「ああ、パロミデスだけに良い恰好させられるか」
若手たちの中では、貴族街の一区画に集い勉強会を開く者もいた。武芸の研鑽はもちろんのこと、軍略や兵法など智謀に関しても勉強、研究を重ねる。
そしてもう一人、パロミデスのライバルを自称する男は――
「ああ? 俺に学びたい? テメエ、ゼーバルトのガキだろ?」
「はい、剣のアルカディア、その一角を担う家です」
「その剣の、ゼーバルト家の坊ちゃんが槍使いの俺に何を学ぶことがある?」
「きっと、数多く。ゼーバルトも、私も、変わらねばならないのです。そのためには違う血を入れる必要がある。私は、俺は、そう思うんです!」
「ハッ……気合だけは一人前だな」
ランベルト・フォン・ゼーバルトが、アルカディア軍最強の男と目されるクロード・フォン・リウィウス大将に師事するという驚愕のニュースが貴族たちの中で話題になったり、今のアルカスはとにかく熱い。その熱量を持て余すほどに。
「エル・トゥーレ大橋の件、アルカディア六、ネーデルクス四の出資で建設予定が固まりました。現在職人と人工を確保すべくテイラー商会主導で世界中奔走しております。来春には着工を開始する予定です」
「そうか。特に口を挟むべき部分はない。引き続きお前に任せる」
「はっ!」
ラファエルは説明のための資料を片付け始めた。国家規模の大プロジェクト、しかも二つの大国が共同で建設するとなれば責任は重大。それを任されているのだからやはり彼は期待されているのだろう。その自負がさらに彼を引き上げる。
「陛下、別件で少々お時間をいただきたいのですが」
「長くなるか?」
「いいえ、すぐに終わります」
「では今聞こうか」
「ありがとうございます。昨今、アルカディアが活気づいているのはご存じでありましょうか?」
「耳には入っている。それが何だ?」
「三年前、陛下のご推挙にてエル・トゥーレへ留学していたパロミデスという若者、その帰還が此度の活気、その原因なのです。彼の成長が、他の者への刺激と成り、相乗効果により若者たちの研鑽、熱情は増すばかり」
「ふむ、つまりは……熱を吐き出す場が必要、ということか」
「ご明察にございます。かつて、戦場がその役目を果たしておりましたが、それもほぼなくなった今、別の手立てにて彼らの研鑽、その発表の場を設けねばならぬと私は考えております。方法は、若手主体の武芸大会、というのは如何でしょうか」
一瞬考え込むウィリアム。その反応にラファエルは少しばかりの違和感を覚えた。この提案に拒絶する理由はない。大した手間もかからず、人々に娯楽を提供することが出来、若手たちにとっても良い契機と成るだろう。だが、王は考えた。一顧だにする必要もない場面で、一瞬であっても思考の余地があったのだ。
「くく、面白いじゃないか。好きなようにやってみろ」
ラファエルは久方ぶりに王の笑みを見た。何かが王の琴線に触れたのだ。その何かはラファエルには分らない。わかるのは提案が通ったこと。好きにして良いと言質を得たこと。それだけである。
「御意」
王の御心はわからない。だが、やるべきことをする。これは地盤固めなのだ。ラファエル・フォン・アルカディアが主導で若手たちを引き上げてやる。今は彼らの力など数合わせにもならない。しかし、五年、十年先、二十年先であれば――
恩を売り、いつかの機会に回収する。ラファエルには見えていた。ウィリアム・フォン・アルカディアの右腕として成長し、いつか、その時が訪れた時、理想を継いだ後継者たる己の姿が。自分なら成れる。その確信にも似た自負が今の彼の骨子である。
○
アルカスの若手貴族たちが武芸大会の開催を聞き揺れている中、アルフレッドは一人黙々と自身の書斎にこもって作業をしていた。彼はきっと武芸大会のことなど知りもしないだろう。否、知っていたとしても気にも留めない。今、彼にとって重要なのはこの仕事の成就、ひいては商会にとって安定した、継続的な仕事とすること。
「……少しばかり先走り過ぎたかな」
アルフレッドは机の上に広げられた計画書を見て苦笑する。
「随時修正するだろうし、これ以上は妄想と変わらない、かぁ」
綿密な未来予想図。精度はそれなりのものを作り上げられた自信がある。それでも仕事には最低でも仕入先と取引先、自分たち、三様の思惑があり、都合がある。仕入先の仕入先、取引先の取引先まで考えたら、何が起きてもおかしくなく、対岸の火事であっても火の粉が飛んでくる可能性はある。状況は生き物、未来などなかなか見えるものではない。
(未来を作る側だったら、もう少し楽なんだろうけど)
状況を操作し、未来をある程度制御できる立場、神の手であればもっと楽に色々出来るのに。そう考えるアルフレッドは、謙虚なつもりでもやはりどこか傲慢なのだ。自信など微塵もない、そんな顔をしているのに、アルカスを上手くやりくりする自信はあった。
だが、同時にこうも思うのだ。アルカス程度、アルカディア程度の統治であれば、自分以外の誰でも出来る、と。これは傲慢ではなく厳然たる事実。覇国であるアルカディアは容易く揺らがぬローレンシアの王者と成った。下手を打たずとも、無駄に手を加えずとも、時折修正してやるだけで自然と勝ち続けるように出来ている。父がそう作った。
現状維持、今の状況を保つと考えるなら――
(どう考えたって、僕は要らないんだよなあ)
ラファエルでも弟達でも、誰でも出来る。自分がしゃしゃり出る必要などない。無理をして、傷ついて、あの血生臭い王宮になど近寄らなくても良い。
父が王と成った五日後、前日に父から用意された侍女がアルフレッドの食事を毒見して死んだ。優しそうな女性であった。そばかすが特徴的で、笑うと少し犬歯が見えていた。そんな彼女が痙攣して、この世のものとは思えぬ叫びと共に死んだ時、あの女は嗤っていたのだ。こっちを見て、死んだ侍女を見て、にやにやと。
王宮では当たり前の光景。水を一口含むことにさえ死が付きまとう。常に王を狙う魔女、誰が死のうと小動もしない鉄の女、優しげに微笑み悲しげに顔を伏せ、それでもなお場に止まるは賢しき黒の女、三王妃とその子供たち。そしてその冷たい眼ですべてを見通すは己が父、白の王ウィリアム・フォン・アルカディア。
王宮が怖い。三王妃が怖い。その子供たちも怖い。何よりも、父が怖い。
あれだけ敬愛し、尊敬していた父が、今は怖くて仕方がないのだ。
(僕である必要はない。なら、良いじゃないか。あんなところから離れて、影から父上を支えればいい。父の抜けを、僕が埋める。こぼれたものを、僕がすくう。それでいい)
そのための準備は整いつつある。第一弾の交渉は済み、対応するために人も増やした。現場の教育は今までの経験を持った先輩が事前に指導を行っている。人も揃えた、教育時間も設けた。あとは仕事を遂行し、実績を積み上げる。
その間に第二、第三の矢を放って――
「今日は起きていたみたいね」
ノック無しで入ってきたニコラを見てびくりとするアルフレッド。咄嗟に机の上の計画書を隠す。その動作を見て訝し気な表情と成るニコラ。
「今隠したの、何?」
アルフレッドはバツの悪そうな顔をしながら、
「商売の計画書、一応機密だから外部には見せられないんだ」
「……私たちテイラー商会がゴミさらいを歯牙にかけるとでも?」
「そりゃ、そうだけどね。一応、機密は機密だからさ」
ニコラはぶすっと不機嫌な顔でアルフレッドを睨んでいた。彼女は隠し事が多い癖に、アルフレッドが隠し事をすると途端に不機嫌になるのだ。とても理不尽であるが、イーリスに言わせると当たり前のことらしい。女の子はわからない、とアルフレッドは常々思う。
「ちなみに、用は?」
「用が無きゃ幼馴染は来ちゃ駄目って?」
「棘があるなあ。そんなこと言ってないよ。君の言葉を借りるなら、実績があるからね。君がこっちに来るのは用向きがある時だけ。少なくとも、僕がテイラー商会を抜けてからは十割、そうなっていたはずさ」
「……そう、でも今日は用も予定もないの。たまたま、ね」
「へえ、珍しいね。仕事の鬼なのに」
「貴方にだけは言われたくないのだけど。食事でも行かない? 奢るわよ」
「……裏、ある?」
「あるって言ったら来ないでしょ?」
「あるんじゃん」
アルフレッドは「うー」と唸りながらもニコラの圧力に負け、引き摺られるように屋敷から出る羽目と成った。途中、ばあやに助けを求めるも、ばあやは嬉しそうな顔で「いってらっしゃいませお坊ちゃま」と手を振っていたので、たぶん耳が遠くなっている。哀れ、アルフレッド少年はニコラに引き連れられてどこぞへ連れていかれたのである。
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