始まりの悲劇:闇の怪物
「バルディアス殿。中々難儀な状況だな」
「カスパルか。ヤンの奴め、珍しくやる気を見せたと思えばこれだ」
「まだ二十になったばかりか?」
「十八だ」
「……兄の方と勘違いしていたようだ。天才と言うのは本当に」
苦笑するカスパルだが、其処に浮かぶ喜色を見逃すほど二人は浅い関係ではない。ベルンハルト共に轡を並べ、長く戦い続けてきた。大将軍、三貴士、明らかに頭一つ二つ、自分たちよりも上にいる彼らを相手にどれだけの辛酸をなめてきたことか。
ようやくその苦労が報われようとしているのだ。
「大事に育てねばな。ネーデルクスがああなるとは思わなかったが、ガリアスの台頭を見るにパワーバランスなどあってないようなもの。だからこそ――」
「若き芽を育まねばならん。ゼークト家を見るまでも無く、才能と言うのは突然変異。ネーデルクスが急に枯れたように。ゆえに希少なのだろう」
「ゼークトの例が全てとは思わんがね。確かにあれの兄は弟の才に圧し潰され、分不相応の戦いに身を投じ戦死した。弟も、それなりだと聞いている。そもそもヤン軍団長自体、家人を身内とは思っておるまい。よほどグスタフやヘルベルトの方が近しいと思っている。それは仕方がないのだ。彼らには出来ないことが理解できないのだから。それでも私は血統にも意味があると思っているよ。少なくともカンペアドールはそうして成り上がった」
「あれも一時的かもしれんがな」
「ネーデルクスはそう願うしかあるまいな」
「違いない」
バルディアスとカスパル。年齢的には少し離れているが、此処にいないベルンハルト同様同世代よりも馬が合う。これもまた彼らの釣り合いが取れているからなのだろう。そう言う意味で若きあの三人がつるむのも理解出来る。
とはいえ、ヤンと真の意味で釣り合いが取れている者などこの国にはいないのだろうが。
「……ストラクレス、か」
「作戦概要を聞いた限りでは悪くない」
「野心のため我らを介在させぬのは如何なものかと思ったがな」
「それのみではあるまい。戦場において指揮者は一人で良い。我らが駒として戦う分には支障はあるまいが、それは今の地位が、序列が許すまいよ」
ゆえに自分たちロートルではなく若手主体の作戦だったのだろう。野心も多分に含まれてはいるが。問題は、『上』がストラクレスを恐れているということ。多くの敗北がこの国の頂点、エードゥアルト王に恐怖を刷り込んだ。
これだけの規模、王の承認なしに動くまい。
「山が動くかどうかは山次第」
「我も働きかけてみるが……難しいであろうな」
今の巨星と対面するには、まずはその分厚い心理的な壁を超える必要がある。
長く彼らの活躍を見てきた者ほど、それは大きく分厚いのだから。
○
「……理屈に合わない」
「世の中理屈だけじゃねえだろっと」
むしゃくしゃした気分を晴らすために稽古を重ね、今は気晴らしのお散歩中である。
「それに、いつもほどゆとりのある策でもなかっただろうが」
相棒であるグスタフにはその余裕の無さが透けて見えていた。
ヤンは苦い表情と成って頭を掻く。
「巨星相手に万全を用意出来るなら、彼らは巨星なんて呼ばれていない。本当に万全を期すなら、あと十年、二十年待てばいい。それが最善手だ。最もリスクなく、彼らを滅ぼすことが出来る。そこに価値があるとは思えないけれど」
以前までのヤンならばその策を取った。本気で彼らと向き合わなかったのも時が解決してくれる問題に首を突っ込む気力がなかったためである。しかし、今は『必要』と成った。未だ健在であり、万全である彼らの首がいるのだ。
「何でそこまで焦る? お前の望みなんて焦らなくたって手に入るもんだろうが」
ヤンはぶすっとした顔でグスタフを見つめた。
「君に僕の欲しいモノなんてわからないよ。焦らなきゃ手に入らないから困ってるんだ」
嗚呼、と叫びながら髪を掻き毟るヤン。本当に最近、この天才は大きく変わってしまった。振れ幅なんてほとんどなかった感情表現が喜怒哀楽全てが大きく揺れ動く。良いことなのだと思うが、同時にあまりの変わりように不安を覚えてしまうのは気のせいだろうか。
「あのなあ、何年付き合ってると思ってんだよっと。お前の望みくらい――」
グスタフの脳裏に浮かぶのは、自分にとって初恋の、そして秒速で内々の内に失恋した『彼女』の笑顔である。これほど似合いの二人はいない。ようやくそれに気づいて東奔西走しているのだ。きっとそれはすごく良いことで――
「グスタフ、剣戟の音が聞こえる」
「んなあほな。ここをどこだと思って――」
アルカスのど真ん中、されど、確かに彼らの耳はそれを捉えた。
「おい、両方強いぞ」
「片方は……真っ当な戦士じゃない」
「暗技使い、暗殺者か。急ぐぜっと!」
「ええ、面倒くさいよ」
「……気づいたのお前だろうが! 責任もってケツもてケツゥ!」
「わかったよ、グスタフはうるさいなあ」
グスタフはどたどたとヤンはしぶしぶ走り出した。
謎の闘争が繰り広げられている場所へと。
○
「参ったね。少し女遊びが過ぎたかな」
「ふしゅッ!」
先日、アルレットとヤンの再会を取り持った伊達男は冷汗を流しながら目の前の敵と交戦していた。全身を黒衣に包んだ闇の住人。男か女か、容姿も何も見えてこない異形。問題はそこではなく、この者の戦力に在るのだが。
「ぐっ!?」
伊達男もまた軍学校時代、それなりに腕が立った方であった。ヤンやグスタフ、ヘルベルトには及ばずとも常に上位で、狭き門である第三軍行きを掴んだ男。
それを相手に一歩も引かぬどころか優勢に事を進める暗殺者。毒の滴る大ぶりのナイフを二つ持ち、素早く型に囚われずそれを振り回すスタイル。当初は速さに面食らったが、それには対応できるようになった。最大の問題は、暗殺者の膂力、指先の力から生じる押し合いの強さにあったのだ。鍔迫るまでは互角でも、競ってからが妙に強い。
(毒はそれに頼っていると見せるためのブラフか。くそ、マジで強ェ)
とはいえ男もまた退く気はない。自分一人ならばすたこらさっさと逃げる場面だが――
(背中に婦女子背負って逃げたら、騎士の名折れだろーが!)
男もまた覚悟を決めた。毒を喰らってでも、相手を倒す覚悟を。
ナイフの一撃を受けながら相手を断つ。肉を切らせて骨を断つ策である。
男の覚悟が雰囲気と成って立ち上る。騎士そのもの、守るために彼は戦う。
それを見て怪物は歪んだ笑みを浮かべたように見えた。じわりと覚悟を決めた男が間合いを潰す。ナイフの一撃を誘っている。
怪物は、その誘いに乗っ――
「第三軍で遊び過ぎだ。君らしくない」
張り詰めた空気を裂いたのは、ヤン・フォン・ゼークトであった。その後ろではグスタフが肩で息をしている。巨体は走るのに向いていないと言い訳をこぼしながら。
「…………」
「ナイフは飾りだよ。持ち手が武器だ。持ち方に執着がない。いつでも手放せるようになっている。相手にナイフを意識させて、集中した一撃を打たせて視界の外から取る。相手の持ち手が狙いだね。掴んで、へし折るくらい訳ないって感じだ」
立ち姿だけで、全てを見抜かれたことに怪物は慄いた。
「僕相手にそれが出来たら褒めてあげよう」
ヤンから、雰囲気が消えた。静謐、静けさだけが其処に在る。
一見すると勝てそうに見えてしまう。現に、怪物もまた後ろの巨体がいなければ攻めていたかもしれない。いや、どちらにしても、自然と湧き上がってきた不可思議な攻め気の気持ち悪さに後退を余儀なくされた可能性もある。
「さあ、おいで」
「ヤンさん! 逃げてください!」
「……え?」
伊達男の後ろにいた女性の顔を見て、ヤンの静けさが消え失せた。一瞬で馬鹿みたいに揺らぐ雰囲気に伊達男は頭を抱え、グスタフは目を見張る。
「な、何で君がそいつと」
「そっちは気にするところじゃねえだろヤン! 敵が行ったぞ!」
揺らぎを見逃すほど、その怪物は易しくない。
「いや、一番重要なんだけど」
「……は?」
だが、ヤンはもっと易しくなかった。視線を前ののアルレットと伊達男に向けながら、無造作に接近してきた怪物のナイフを受け流し、同時に鋭い足払いで相手から地を奪って、身動きが取れず倒れるしかないところを、駄目押しで剣の柄を後頭部に叩き込んだ。
「そいつは女ったらしだからダメって言ったのにィ!」
「や、ヤンさん?」
「ぐ、がァ!」
「もっと詳しくそいつの罪状を教えておくべきだった」
何でも良いから肉を掴まんと伸びてくる握魔の手。その手首を掴んで握力を無効化し、再度逆側に倒れるよう足払い、倒れ伏す怪物を無視して二人の方へ歩いていく。
「軍学校時代、そいつはクラスに三人しかいなかった女学生を同時攻略してクラスを修羅場にしたんだ。女学生は彼を巡って決闘して、三人とも血まみれになりながら一人が勝って告白するも婚約者がいるからって……三人とも軍学校をやめたよ」
「若気の至りって言うか、ってか、そ、そんな場合じゃ」
「…………」
アルレットの視線はとても冷たいモノになっていた。冷汗をかく伊達男、もとい女ったらしの騎士は困ったような顔で硬直していた。
「ぐ、ぎ」
当たり前だがダメージなどない怪物はもう一度戦おうと――
「やめとけよっと」
立ち上がろうとしたところをグスタフに抱きかかえられた。腕ごと全部抱えられ、自慢の手を動かそうとするも力が入らない。伝達しないのだ、動けという意志が。それほどの膂力、凄まじい圧が全身を粉砕せんと伝わってくる。
「お前じゃ千年経ってもあいつには勝てねえぜ」
ミシミシと軋む五体。空気が全て抜けていく。息が出来ない。力が入らない。
死ぬ。
「グスタフ! そいつを殺すな。何の理由があって彼女を襲ったのか、吐かせなきゃいけないだろ?」
ゾクリ、噴き出す悪寒が怪物を襲う。死の間際ですら恐ろしいと思ってしまった力、強さ、純度の高い殺意。グスタフでさえ緩む。
あの男が一番危険なのだと、遅まきながら怪物は理解した。
「ひっ」
「あ、待て」
生存本能が、生き汚さが怪物を生存へと導く。グスタフの拘束が緩んだ隙を見て、全力で腹を引き千切った。痛みでさらに緩んだ拘束を抜け、全力で駆け出す怪物。
「いって。だから、待てつってんだろーがよ!」
それを痛いで済ませる男も充分怪物。
怪物はグスタフから逃れるためにヤンの方向へと逃げだした。無論、そちらの方が詰んでいるのは十分承知している。怖いのはこっち、今ので分かった。
だが、彼らは知らない。
「……そこを曲がる?」
ヤンが焦ってなかったのは、グスタフと自分が挟んでいる以上、『道』が無かったからに過ぎない。二人の間には曲がり角が一つ、されどそれは行き止まりなのだ。
それを闇に生きる怪物が知らないはずもない。
「……まさか」
ヤンとグスタフは同時に見た。曲がり角の先、其処には行き止まりしかなかった。
怪物の姿はどこにもない。上へ登った形跡も無い。
幻のように、消えたのだ。
「どういうこった?」
遅れてきた伊達男も虚を突かれたような顔となる。
「……闇の王国」
「ん? 何か言ったかよっと?」
「いや、何も」
ヤンには少し思い当たる節があった。噂だけの虚構、実体無き妄言と思っていたが、目の前にするとそれはあまりにも現実から、合理から外れ過ぎていた。
(外れているのはこの時代における合理に、だけどね)
何も無い虚空。その先に、その陰の奥に何かが蠢いたような気がした。
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