ファイナルウォー:騎士の献身

 まるでそこに紅蓮の女王がいるかのような圧力。人が最後に燃やす命の輝きとはかくも美しいものなのだろうか。ランスロの流麗なる剣、ボルトースの剛成る剣、リュテスの疾風、エウリュディケの迅雷、それらを前に臆さず大立ち回りを繰り広げる姿は英雄のそれ。

 無論、残った部下たちの奮戦があってのことだが、それでも本来あるはずの力の差、質を凌駕する質と量を兼ね備えた怪物たちを前に拮抗するはずがないのだ。だが、現実は拮抗している。命を燃やすメドラウト、その部下たる騎士たち。

 限界を超えたその戦いぶりに、敵ながら湧き上がる畏敬の念。結果の決まった大局よりも、小規模ながら燃えるその光景にこそ戦士は心を動かす。

 その炎は、少なくない人数の足を止めた。

「見事な剣だ。父君を思い出す、王の剣」

「騎士の剣さ。あの男は、王に成り切れなかった。姉さんと同じように」

「自身の王を悪しざまに言うのだな」

「そうかな? 僕は王よりも騎士の方が好きだよ。そんな人間は、少なくないさ」

 ランスロの剣がメドラウトを捉える。しかし、揺らがない。崩れない。追撃の剣をいなし、体勢を立て直す。その不屈の精神は騎士道精神そのもの。

「サー・メドラウト! 申し訳ございません。先に、戦士の館へ行っております!」

「しばしのお別れでございます!」

 次々と倒れ伏す騎士たち。

 冷静に考えたなら、彼らはすでに大局に影響のある数ではない。多少の手傷を許容してでも本丸であるアポロニアを追うべき。事実、そうする百将も幾人か見受けられる。だが、多くはその場で足を止め旧き時代に胸を焦がす。

「ああ、待っていろ」

 メドラウトが珍しく咆哮を見せる。最後の炎、金の髪を揺らし、命を燃焼させていた。


     ○


 美しい炎が好きであった。誰よりも美しく、誰よりも気高い赤き炎。騎士王が見初め、湖の騎士や太陽の騎士が恋慕し、皆の中心で輝いていた『戦乙女』。男もまたそれに焦がれた騎士の一人であった。簒奪するために騎士王に挑んだ日もあった。

 幾度かの勝利と度重なる敗北の末、騎士王に下り、せめて近くで戦える立場を選んだ。その手に掴めずとも共に戦う栄光。大陸に渡った時も勝利を確信していた。自分の力にも自信を持ち、それを上回る騎士王、戦乙女、彼らを囲う最強の騎士たち。

 かの烈日と出会いし瞬間、カンペアドールの厚みを知り、心が折れた日。

 あの日逃げた後悔。戦乙女が散り、騎士王が姿をくらまし、ガルニアに平穏が訪れた。逃げた己は安穏と生き延び、腐っていく日々に心を潰す。

 彼女に出会った時、男は彼女に戦乙女の姿を見た。もう一度大陸に挑戦する。そんな愚行に付き合ってでも、紅蓮の乙女を欲した。輝ける英雄の現身、それが幻想であることを彼は知っていたのだ。負けて、心身共に朽ち、今度は生かして連れ帰る。逃げた敗者として共に落ちるのも一興、そんな暗い欲望があった。

(わからんものだなァ)

 堕ちる日は思ったよりも早かった。そしてそれを与えた者たちも男の想像になかった。若き白騎士、黒狼、異常な速度で伸びていく彼らに英雄の心は揺れる。非公式ながら白騎士に負けた時、輝ける英雄はすでに堕ちていた。

 それは望んだ光景であったはず。あとは逃げる時を待つだけ。だが、考えとは裏腹に男の想いは変質を遂げ、女王もまたどれだけ傷つこうとも退かずに大陸に止まった。地に堕ちた英雄、英雄王を前に多くを失ったあの日でさえ、女王は退かず止まった。

 その泥臭い生きざまを見て、男は嗤い出しそうになるほど頓珍漢な想いを抱いた。

 欲したはずの気高き英雄。その欲望が消え、残ったのは――


     ○


 残るはメドラウトと数人の騎士。眼前にはほぼ無傷のガリアス。戦いの趨勢は決まった。精神力のみでその場に立つも、すでに無数の傷と疲労により満身創痍となった騎士たち。

 ランスロは、ボルトースは、リュテス、エウリュディケは彼らの心意気に一気の攻めを見せた。とうとう見せた揺らぎ。もはや、剣を握るのも限界だろう。一度止まれば体は動いてくれないはず。停止した心を動かすのは、常人には不可能。

 それでも動き出す彼らは例外なく人を超えた騎士であった。だが、ガリアスの力を前に吹き消される程度の抵抗。均衡は、完全に崩れた。

 周囲が勝利を確信した瞬間――

「悪いな、これも戦だ」

 ボルトースの腹から伸びる剣。突き刺したのは――

「……サー・ヴォーティガン?」

 アポロニアを囲う騎士王の一人であった男、ヴォーティガン。

「ボルトース!?」

 すらりと抜かれた剣。其処から湧き出す血を己が剛力で押さえ込み、圧をかけるボルトースに揺らぎなし。それを見てヴォーティガンは卑屈な笑みを浮かべた。

「さすが黒獅子、揺らいでもくれんか」

「水を差しに来たのか敗北者よ。貴殿では俺の心を燃やせぬ」

「やってみぬとわからんよ。試して、みるか?」

 ヴォーティガンの顔から卑屈な表情が消える。

「一騎打ちだガリアス! 古き良き戦をしよう! 俺とボルトース、俺が勝てば次はランスロか、リュテスか、誰でも良い。俺は負けんからな。さあ、逃げるなよ超大国、アークランドが騎士団長、このヴォーティガン様が相手をしてやる!」

 明らかな時間稼ぎ。それを隠す気もない。だが、同時に戦士の、誇りと理屈の矛盾をこの場に叩きつけた。戦士がここで退くわけにはいかない。例え、それがわかり切った罠であったとしても。

「良いだろう。俺が一瞬でケリをつけてやる」

 ボルトースは一も二もなくそれを受けた。

「侮らない方が良い。彼がガルニアで最後まで騎士王と競っていた王の一人だ」

 ランスロはヴォーティガンの眼に在りし日の騎士を思い出す。騎士王と共に轡を並べ、戦い明かした日々。その中で最も苦戦した相手こそ目の前の男。

「知っている。『大騎士』ヴォーティガン。親子二代に渡り騎士王アークを苦しめたガルニアの雄。今となっては古き名だが、どうやら錆び付いてはいないようだな」

 ボルトースは侮っているわけではない。眼前の敵、その戦力を十分に評価した上でこの決闘を受けたのだ。当然、

「馬っ鹿じゃないの!? どう考えても浅知恵、乗っかる理由なんてどこにあんのよ?」

 リュテスらの反発を受ける。見え見えの時間稼ぎ、メドラウトの件は戦の流れとして見逃せども、これは明らかな遅延行為。受けるは利敵行為の何物でもない。

「ほほーう、ガリアスの戦士には誇りがないようだな。好きにすると良い。この俺のような敗北者にすら背を向ける戦士との決闘などこちらから願い下げよ」

「おっけー、あたしがやる! 三秒で殺してやるわおっさん」

 あまりにも容易くリュテスは浅知恵に乗っかった。

「駄目だ。俺が受けた決闘、やるなら俺の次にやれ」

 ボルトースは頑として譲らない。手傷を負った男、確かにどう見てもボルトースとヴォーティガンでは役者が違う。だが、この状況では万が一も――

「俺の次って……馬鹿なこと」

 ボルトースの戦力が高まりを見せる。それに呼応してヴォーティガンもまた圧力を上げた。ここにもまた爪を隠していた者がいたのだ。皆と違う方向を向き、あの日の夢見た愚者たる己に目を背け、逃げ続けたがゆえに見せることのなかった底力。

「こいつ、何でこんな奴がまだ残ってんのよ」

 ヴォーティガンの眼から卑屈な色はなくなっていた。それに伴い現れるのはあの日、砕け散ったはずの心を繋ぎ合わせた一人の騎士。焦がれた輝き、戦友と共に夢見た栄光、砕け散った幻想すら糧として一人の騎士は立つ。

「そこな若造を連れて去れ。俺の決闘の邪魔ぞ」

「僕より弱い卿が残っても――」

「結局、卿とは一度も雌雄を決することがなかったな。まったく、父親に似て嫌な目つきをしよって。国の大きさや序列など屁とも思っていない眼だ。本当に気に食わん。いずれ必ず決闘で討ち果たしてやる。ゆえ、俺がしばし空ける椅子、卿が座れ」

 メドラウトは目を大きく見開いた。

「二度は言わんぞ。おい若輩共、邪魔だ。この戦場は我が騎士、我が国が担当する。さっさと去ね。弱小国が雁首揃えて一流気取り、反吐が出る」

 ヴォーティガンの騎士たちが彼らを守護するように展開した。彼らは一切、自分たちの方を見ない。恩を着せるような視線を送らない。むしろもう一度『騎士』を取り戻した主と戦えることに喜びすら見出していた。

(本当に腹の立つ……眼はあの男、顔は……これではやる気もせん)

 ヴォーティガンは刺突の構えを取った。ボルトースも呼応して大剣を構える。

「古き戦か、やはり悪くない」

「最後くらい良かろうよ。どうせそれほどやる気もあるまい。ロマンの欠片もないつまらん戦争に花を添えてやる。馬鹿な男が騎士気取りで立ち回る喜劇の方が面白かろう」

「騎士気取り、か。眼は、そう言っていないぞサー・ヴォーティガン」

 二人の戦士が咆哮と共に剣を重ねる。地力で勝るボルトースをアークらと重ねた経験が止める。強く、気高く、あの日の自分より地を這った分、醜くも足掻けるはず。

 欲望の下に眠っていたのはやはり欲望。自分と同じ、足掻く者である女王を守護する。守護欲こそヴォーティガンの原動力。それは、まさに『大騎士』の名にふさわしい姿であった。

 幾重にも重なり、火花を散らす剣。それは先ほど見せたメドラウトの剣に負けぬほどの輝きを帯びていた。長く、長く続く一騎打ち。多くがその古き良き戦に眼を奪われた。愚かとわかっていても、その不器用な生きざまは、騎士道は彼らの胸を焦がすのだ。

 ボルトースの一撃が勝敗を決したと同時に黒獅子は先刻受けた腹の傷、そこからの失血により意識を失った。致命傷を受けたヴォーティガンであったが、それでもガリアスを前に立ち塞がり一騎打ちを続けんとする。

 二陣はランスロ。幾度となく刃を交わした騎士同士の戦いはすぐさまケリがついた。一合目を交わす前に『大騎士』ヴォーティガンは事切れていたのだ。

 その死にざまに敵味方問わず賞賛を覚えた。

「王死してなお、立ち塞がるか」

「我らが王は生きている。王を生かすが騎士の道。我らもまた、ヴォーティガン様と共に騎士道を貫くのみよ」

 そして始まる激戦。ただの一人すら生に執着せず、命を燃やす彼らにガリアスは相当な足止めを喰らってしまった。彼ら全てを切り伏せ女王を追おうとする頃には、その背は遥か彼方。メドラウトですら追えぬ距離。

「お見事」

 リュテスは言葉短く彼らに賞賛を送った。

 気高き敗者、此処に散る。


     ○


 逃げ延びたアポロニア。その前には騎士王アークが立っていた。

「逃げよアポロニア。逃げて逃げて、最果ての地にて敗者の王と成れ。今日散った騎士たちの魂から眼を背けてはならぬ。我のように、逃げてはならぬ」

 アポロニアは泣き出しそうな表情になった。砕けそうな心が父との再会で緩んだ。そこでこの言葉である。まだ背負えと己に言うのだ。逃げた後も、背負えと言うのだ。あまりにも残酷な言葉。それでも、アポロニアは目じりに浮かべたものを強く拭う。

「生きよ。それが、アポロニア・オブ・アークランドの天命である」

 一瞬の邂逅。逃避行の中でのすれ違い。アポロニアは父に目を向けず前を進んだ。立ち止まる父を抜き去り、そのまま馬を走らせていく。真っ直ぐに。

「今日が貴殿の天命であったな。戦友よ、騎士の献身、感謝する」

 アークは静かに目を瞑った。自らが背負いし呪い、それが彼から玉座を奪った。自らの天命を知るがゆえに彼は生きる。いつか来る己が死に場所を求めて。

 もう一度、騎士の国は逃げる。この大陸から。だが、それには意味があるのだ。戦い疲れた者たちが還る場所として、ガルニアは在り様を変える。

 それもまた、運命なのだから。

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