月下の夜会:昇進

「ヒルダ・フォン・ガードナー。前へ」

「はい!」

 とうとう若手まで順番が回ってきた。もうそろそろカールの出番である。ウィリアムは隣のカールに視線をやる。自分のことで手一杯だったのでカールに注意を向けていなかったのだ。案の定――

「…………」

 ガチガチに固まったカールがいた。それを見て逆に笑みがこぼれるウィリアム。

「……落ち着け。と言っても難しいだろうが」

 カールは震えながらウィリアムに視線を合わせた。

「ど、ど、どうしよう。ぼ、僕殿下の前で何か粗相でもあったら家族みんなが」

 テイラー家に被害が及ぶ。当たり前である。今、カールたちはそういう場に立っているのだ。国を背負った怪物と対面するということ、どんな言葉が相手の気分を害するかわからない緊張感。緊張するなと言うほうが無理だろう。

 もし、ウィリアムにとって大切なものが巻き添えを食う可能性があれば、こうして平静ではいられないだろう。家族など遠い過去、一人であるが故の身軽さ。それはある意味でひとつ大きな重圧から開放されているとも言えるのかもしれない。

 それゆえに、少し、ほんの少しだけ、肩を貸してやってもいいと思えたのだ。

「そうだな……もし失敗したら」

 失敗と言う言葉でカールの緊張が増す。

 特別報酬をもらったヒルダがちらりと心配そうな顔でカールの方を見ていた。カールが失敗すればルトガルドにも当然害が及ぶ。そういった意味で心配しているのだろう。もしくは知り合いとしての情か、はたまた――

「もし失敗したら……いっしょに暴れてやろう」

「ブヒォ!?」

 変な形で噴き出すカール。幸いにも二人は離れた場所にいるので、誰にも聞かれることは無かった。もちろんその程度は織り込み済みであるが。

「王子を人質にとって王と交渉する。そしてオストベルグやガリアスにでも亡命するんだ。長旅になるが離れたアークランドでも面白いかもな。どうだ、わくわくしてこないか?」

 めちゃくちゃなことを言っている。カールでさえそれが夢想だとわかる。

「今、冗談を言っている場合じゃ」

 次々呼ばれる若手。すでにいつカールが呼ばれてもおかしくはない。

「俺は冗談のつもりじゃないさ。お前が失敗したら俺はそうするだけだ。その絵図も考えてある。ローラン様もアインハルト様も、ルトガルド様も、俺が守ってやる。初めから、あのときから俺はお前の剣だ。俺はアルカディアに仕えているんじゃない、カール・フォン・テイラーに仕えているんだ」

 ウィリアムの内心としては嘘八百。その割りにさらさらと言える自分に少しだけウィリアムは違和感を覚えた。まるでそれが、本当のことを言っているように思えたから――

「俺じゃ不服か?」

 ウィリアムはカールと視線を合わせる。目は口ほどにものを言う。だからこそ――

「不服じゃない。充分さ!」

 カールの震えはとまった。カチコチに固まった身体にほんのりと柔らかさが戻る。

「カール・フォン・テイラー、前へ」

 とうとうカールの出番。先ほどまでのカールではこの時点で失神してもおかしくなかった。しかし今は――

「はい!」

 胸を張って前に進める。

「安心しろ。俺がついている」

「うん!」

 カールは前に進んだ。カールの背を見守るは己が剣。自身が絶対の信頼を寄せる忠義の剣。カールはその絶対を露とも疑っていない。それゆえ自信を持って前進できるのだ。

「ほう、あれがテイラー家の」

 堂々とした立ち姿に、周囲の目も少しだけ変じた。

「カール、あんた」

 幼きころからカールを知るヒルダもまた、その変化に驚きを見せる。

(ウィリアムがついている。そう明言してくれた。だったら、僕は信じるだけだ)

 迷いなく、視線は天へ。エアハルト・フォン・アルカディアを見る。

(僕にとって、ウィリアムは……殿下より上なんだから)

 風が、吹いた。一瞬だけ、ほんのそよ風ではあるが、確かにそれはあった。

「……カール?」

 ウィリアムでさえ、否、ウィリアムだからこそ見えていなかったカール・フォン・テイラーの成長。場数を踏んだのは何もウィリアムだけではない。

 カールはひざをつき、頭をたれた。その所作はさすが貴族、洗練されている。

「カール十人隊、噂は我が元にまで届いている。見事な戦果であった。アルカディア史上、貴君らほど優れた戦果を残した十人隊はいないだろう。それゆえに――」

 エアハルトは自身の腰に挿してあった剣を引き抜いた。

 場が騒然となる。カールもまた何か間違えを犯したかと冷や汗が背を伝う。それを見るウィリアムにとっても緊張の瞬間。もしもの場合は動かねばならない。

「カール・フォン・テイラーを十人隊長から百人隊長へ任ずる。また、カール・フォン・テイラーには騎士の称号を与える!」

 場がどよめいた。大声で驚きを表すものたちもいる。他ならぬカールもまた驚いていた。口には出さないよう必死に努めているが、背中の汗は増すばかりである。ウィリアムにとってもこの事態は思考の外。十人隊長が騎士位を受け取るなど前代未聞のこと。しかもカールは貴族の中ではコネも持たない下級の家の出。皆一様にありえないと思っていた。授けた者以外は。

「我らが国家の剣となることを誓うか?」

 そっと剣がカールの肩に置かれる。ありえない事態が起こっていた。それでもカールは必死に平静を装い、乾き切ってカラカラの口を開く。

「剣に懸けて、誓います」

 その答えを聞いてエアハルトは微笑んだ。剣を仕舞い後ろへ下がる。

「カール・フォン・テイラー、下がってよい」

「はっ!」

 短い時間であったが、カールにとっては永遠に近い時間であった。覚悟して前に進んだが、まさかそれを上回る事態が待っていようとは思ってもいなかったのである。

「や、やばいウィリアム。い、息が」

「よく頑張った。俺も驚いたぞ。まさか騎士とはな。道理で王族がいるわけだ」

 緊張の糸が切れたカールを抱きとめてやりながら、ウィリアムは思考する。

 王族がいた理由。それは簡単である。騎士位に限らず爵位を与えられるのは王族のみ。カールに騎士位を授ける、ゆえに王族がわざわざこの場に来たのである。

「最後に……ウィリアム・リウィウス、前へ」

「え?」

 カールが騎士に任ぜられたことで沸き立つ場。それが一斉に静まり返る。

 呆けるカール。ウィリアムもまた、まさか自分が呼ばれることなど思考の外も外。百人隊長ならばいざ知らず、十人隊長の任命をわざわざこの場でやるわけがない。ならばいったいどんな理由があるのか。

「ウィリアム・リウィウス」

「はっ!」

 とにかく前に進むしかない。抱きとめたカールをどかし、前に進む。「あれ、異人だろ?」「まだ十人隊長でもない」「白仮面がこの場で何を?」「不興でも買ったんじゃないのか?」こそこそと話し声がウィリアムの耳に届く。

 階段の前に達した。ウィリアムは視線を天に向ける。黄金の怪物がすぐ目の前に。

(美味しそうだ)

 よだれが口内に溢れる。じゅるり。零れ落ちそうになるのをあわてて舌ですくい取った。ウィリアムは笑いそうになる。こと此処にきて、何が起こるかわからない状況で、相手を羨み欲情し、奪いたいと心底思ったのだ。あの光が欲しい。そうすればこの渇きも、餓えも、きっと満たされるはず。

「さて、いきなり呼び出して申し訳ない。つかぬ事を聞くが……君は醜男なのかね?」

 エアハルトがいきなり想定外のことを問うてきた。

「醜悪と言われたことはありませぬが、御前に晒して良いものか自信はございません」

 ウィリアムは仮面の下でほくそ笑んだ。仮面についての問いになる。ならば幾通りでも答えは考えてある。それだけのためにこの場に上がらせてもらったのなら、むしろありがたい。この場はとても良く目立つのだから。

「醜さを隠すわけではない、か。ではその仮面、何がためにつける?」

 思ったとおり。

「これは戦士としての自分と普段の自分とを分かつ道具。戦場では時に感情を殺さねばならないときがあります。その時、仮面ひとつ挟むことで冷静で客観的な判断を下すことが出来るのです」

「それがカール十人隊、躍進の原動力だと?」

「無論、カール様の力あっての功績です。私など微力に過ぎません。その上で、私にとって仮面が重要であるかと問われれば、答えはイエスでございます、殿下」

 頭を下げ続けるウィリアム。それを見下ろすエアハルト。

「ふふ、白仮面から仮面を奪うような無粋な真似はせぬよ。ただ聞いてみたかっただけだ。さて、本題といこう」

 まさか世間話をしたかったわけではあるまい。わざわざ呼んだのだ。何かあるはず。

「貴君の功績はよく耳にしている。ラコニアでは上級百人隊長であるハイアンを。タイヤルでも上級百人隊長ウルケウスを。そして先日、北方の小国ラトルキアの筆頭百人隊長の『白熊』、シュルベステル・ニクライネンを討ち取ったばかりだと」

 この情報にはバルディアスら軍関係者が目を剥いた。ヒルダら若手も驚きに目を見開いている。

 『白熊』、シュルベステル・ニクライネンは、ラトルキアで民衆から絶大な人気を誇る市井の出の古つわもの。古くは百人隊長時代のバルディアスらとも交戦した記録が残っている。市井の出ゆえ上には上がれなかったものの、年老いてなおラトルキアの最前線で戦い続けてきた。それほどの男を、ウィリアムらは討ち取っていたのだ。

(耳が早いな。今回、査定にゃ組み込まれないと思ってたんだが)

 シュルベステルを討ち取ったのは本当に直近なのだ。バルディアスらでも知らなかったほどである。その情報をいち早く掴んでいたエアハルト、ただの王族ではない。それとも何か理由があるのか――

「もちろん今までの戦果も充分すばらしい。しかしかの『白熊』を討ち取ったともなればことはすばらしいではすまない。なぜかわかるかな?」

 シュルベステルとの戦いは確かに壮絶であった。今の状態のウィリアムでさえ戦うかはかなり迷った。シュルベステル自体老いによってかなり腕は落ちている。その上でギリギリだとウィリアムは見ていた。

 現地の百人隊と連携してシュルベステルを包囲、その包囲陣形をシュルベステルが無理やり破ったところでウィリアムが突撃。策を用い弱らせたはずのシュルベステルはそれでもなお精強。怪物とウィリアムはそこから幾度も剣を重ね、ようやく討ち果たした。

 それほどの怪物ならばお褒めの言葉程度いただいてもおかしくは無い。無い、が結局討ち取ったのは筆頭とはいえ百人隊長。しかも全盛期はとうに過ぎている。特例で何かが得られるほどのこととは思えないのだ。所詮ただの兵士が死んだに過ぎ――

「わからないだろう。私も驚いたほどだ。なに、ラトルキアがね、アルカディアの軍門に下ったのだ。つい昨晩の話だがね」

 頭をたれているウィリアム。それを見ていたカール。ヒルダら若手だけではない。それこそこの場にいる全員が口をあんぐりあけた。それほどの衝撃。

「もともとかの国には人材がいなかった。土地はやせ、国としての体裁すら保てない状態だった。落ちるのは時間の問題であっただろう。だが、最後の一押しは英雄『白熊』の敗北。無敵のカール十人隊や現地の百人隊の勝利だ。国一つ落とした功労者に、何も与えないのはさすがにね、と思ったのさ。だから私が来た」

 カールが騎士に任ぜられたのもこれが最大の理由。ようやく合点がいった。バルディアスらが知らず、エアハルトが知っていた理由も。国一つ、もはや軍の枠を飛び越えて政の領域。そちら側から情報を入手したのだろう。

「だが君はまだ十人隊長ですらない。今回の件抜きでもそうなるのは確実、むしろあまりに過小な評価だとも思うが、一足飛びに昇格というのは難しい。また、カール君は貴族の出自だが君は異国の人間、騎士位を与えるのもいきなりでは難しい」

 エアハルトは剣を引き抜いた。

「それゆえ、ウィリアム・リウィウスには特例ながら二級市民の身分を与える。もちろん十人隊長として今後ともわが国のため働いてくれることが前提ではあるが」

 三級市民、つまり異国の人間が二級市民になった前例は無い。結婚などをしたとしても、生まれてくる子供は二級市民の身分だが、三級市民である本人の身分が変わる事は無い。これは特例中の特例である。カールたち貴族にとってたいしたことに感じないかもしれないが、ウィリアムにとっては驚愕するしかない。

 三級市民の肩書きが外れるときは貴族になるしかないと思っていたからである。それはとても狭き道。はるか先の話であるとウィリアムは思っていた。

「我が国の国民になることを誓うかね?」

 市民として認められたことで何かが変わるわけではない。今より権利が目に見えて増すわけでもないし、地位や名誉とは程遠い『普通の国民』になっただけ。

「誓います。身命に懸けて」

 だが、ウィリアムの顔には笑みが浮かんでいた。ようやく手にした確かな一歩。別にウィリアムは軍人として成り上がりたかったわけではない。あくまで軍はステップアップの道具。手段でしかないのだ。

「ウィリアム・リウィウス、下がってよい」

 目的はこの国で成り上がること。ムシケラ以下だと嘲笑った全てを喰らい尽くすこと。そのための目的は『今』決まった。

「はっ」

 王は人に地位を与えることが出来る。それは神のごとき力。万人の上に立つからこそそれが可能となる。なれば目指すはただ一つ――


 人の頂点、すなわち『王』である。


 ウィリアムは身を翻して背後に広がる光景を見た。貴族、貴族、貴族、選ばれし者たちの群れ。ウィリアムは未だ道半ばであることを再認識する。自分は今この場でもっとも下等な地位であり、出自はさらに最下層。だからこそ意味がある。

(くひっ)

 底辺が全てを飲み込むからこそ面白い。真の喜劇足りうる。

(全員喰ってやる。後ろのやつら含めてなァ)

 白き仮面の下には、ぐつぐつと欲望の獣が煮え滾っていた。


     ○


 伝達式も終わり、広間は立食パーティに移行していた。高級なぶどう酒や焼きたてのパン、新鮮な肉や野菜、海に面していないアルカディアにとって高級な魚料理なども存在した。みな、いくつかのグループに分かれて食べ、飲み、話に花を咲かせている。グループはその場にいる者の格に合った集団であり、結果――

「ひまだね」

「ああ」

 ウィリアムとカールは暇をしていた。黙々と食べ続けるのも貧乏くさいし、何を言われるかわかったものではない。かといって他のグループに混じろうにも、カールでさえ格が足りず、ウィリアムに至っては二級とはいえ市民でしかない。

(ただ、ちらちら見られてはいる。警戒か、興味か、はたまたどんな思惑があるのやら)

 ウィリアムは自身らに視線がときおり集中することを理解していた。騎士位を戴いたカールはもとより、前代未聞の二級市民を手に入れたウィリアム。この場で特別視される理由もわかる。あとはもう少し活躍して格を手に入れれば、この場で主役になることも可能だろう。今日はその日ではなかった。それだけである。

(焦る必要はない。急ぐ必要はあるが、な)

 武功を上げる。カール十人隊改めてカール百人隊となった今、出来る戦術の幅が広がった。戦場で与えられる影響も十人隊のときとは比較にならないだろうし、武功の桁も上がってくる。

「カール、白いの、ちょっと面貸して」

「え、ヒルダ?」

 先ほどまで大勢と談笑していたヒルダが、孤立していたカールとウィリアムの場所にやってきた。ヒルダが指し示す先には幾人かの姿。カールが息を呑む。行きたくなさそうな顔をするも、耳を引っ張られずりずりと引きずられていった。

(なるほど、貴族のお坊ちゃまたち、か)

 カールが入れなかったという学校、その卒業生たち。エリートコースをひた走り、おそらく初めから百人隊長の座を与えられた貴族の子弟。そして――

(比較的マシな連中だな)

 ウィリアムの見立てでは、ヒルダが紹介しようとしている連中は、先ほどまで一塊であった玉石から、ある程度の選り分けしているように見受けられた。ヒルダとしてもある程度の信頼がおけるものたちなのだろう。そこそこ良い雰囲気を出している。

「まあさっき目立ってたから知ってると思うけど、このひょろいのがカール。この白いのがウィリアム」

 適当に紹介するヒルダ。そもそも紹介できるほどヒルダはウィリアムのことを知らないし、カールについては説明する必要もないだろう。それでも興味深そうに眺めてくるのが二人、視線を合わせることすらしないのが一人。

「私は百人隊長のアンゼルム・フォン・クルーガー。戦場で会うことがあればよろしく頼む」

 黒髪に青い眼のアンゼルム。名門クルーガー家の長男にして騎士位を持つ男。父は侯爵であり、アルカディアの法律では侯爵の跡取りは自動的に子爵位を持つ。ゆえに子爵位は飾り、見るべきところは戦場で活躍した証拠である騎士位である。均整の取れた体型、精悍な顔つきはかなりの場数をうかがわせる。

「俺の名はグレゴール・フォン・トゥンダー。父が急逝したおかげで今は伯爵だ。よろしくな!」

 大柄な体格をしているグレゴールはクルーガー家には劣るが名家出身。父が急逝したことにより伯爵をいち早く世襲した。戦場では大柄な体格を利用した巨大な得物を振るい、多くの兵を蹂躙している。名乗らなかったが百人隊長である。

「私はこの者らに名乗る必要性を感じないな。失礼する」

 名乗らなかった男は一度としてウィリアムらに顔を合わせることなく去っていった。ヒルダはため息をつく。カールはほっと一息。

「許せよカール。あいつがあーいうやつなのは昔っから変わらんしな」

 仲良さそうに肩を組むのはグレゴール。カールはたじたじである。

「彼の名はギルベルト・フォン・オスヴァルト。家は公爵家。おそらく家柄としてはこの場で王子を抜けば一番じゃないかしら? 嫌なやつだけど……結構強いわよ」

 ヒルダがウィリアムに向けて説明してきた。「ありがとうございます」と謝意を述べるが、見ればわかることだ。雰囲気が違う。まあそれはこの場の三人にも同じことが言えるが。

「ルトガルドは元気か? 今度会わせてくれよ」

 グレゴールがそういった瞬間、ヒルダから膨大な殺気があふれ出す。「じょ、冗談冗談」とグレゴールがお茶を濁すも、ヒルダの視線はきついままであった。

(変わっているな。あんな地味な女がいいのか?)

 ウィリアムとしてはまったくもって良さがわからない分、ルトガルドに声をかける男というのがいまいちよくわからない。本人の言うとおり冗談かもしれないが――

「ハイアンとは一度やりあったことがある。彼を討ち取った君には一度会ってみたかった」

 握手を求めるアンゼルム。実力もあり、そして市民であっても分け隔てなく接するタイプなのだろう。相手の実力さえ伴えば。

「よろしくお願いします。アンゼルム殿」

 握る手から伝わるのはアンゼルムの確かな実力。おそらく相手方にも伝わっているはず。

「アンゼルムは子爵だがそう呼ばれるのは嫌いだからな。呼んでやるなら騎士位のサーと呼んでやれよ。白仮面」

 グレゴールもまた握手を求めてくる。見た目どおりの力が伝わってきた。

「しかしかのシュルベステル・ニクライネンを討ち取ったか。いやー『白仮面』は伊達ではないな。かの者の武勇伝は隣国のアルカディアはもとより、遠き地にも伝わっているまさに生ける伝説。十人隊長になった後での査定ならば、文句なしに騎士位と百人隊長がセットで手に入ったものを……もったいない!」

 シュルベステルを討ち取った武功を称えるグレゴール。しかし瞳は笑っていない。むしろその伝説を討ち取ったことに対するほのかな嫉妬が見えた。それに関してはヒルダも、この場にいる軍人全員が思っていることだろう。

 伝説が老いたところを上手く喰ったと。

「どうやって討ち取ったか、後学のため聞かせていただきたい」

 アンゼルムも表情こそ変わらないが興味津々。

「では僭越ながら。まずは現地の百人隊と連携を取って包囲陣を敷き――」

 ウィリアムとしても実力のある百人隊長らと仲を深められるのならばそれに越したことはない。今後の戦場で大きな展開をしようとすれば、連携は必須。一応策はカールが考えた体で会話を進めていく。

 ヒルダは飽きたのかカールを使って遊んでいた。ほっぺをぐりぐり引っ張って遊ぶカールを用いた遊び。カールが幼き頃よりヒルダを苦手する理由の一つである。

「やべてよー」

「たてたてよこよこまーるかいてちょん!」

「いだい!?」

 一応これでも百人隊長同士の交流である。


     ○


「バルディアス。あそこに固まっているのが有望な者たちだったかな?」

 エアハルトは階下で行われている立食パーティの一つのグループに目をつけていた。若い百人隊長同士が交流している。離れたところにもいくつかグループはあれど、あそこまで濃密な雰囲気を醸し出す集団はいない。エアハルトは人をオーラで判別する。人の良し悪しは見た目に現れる。雰囲気というのは個性であり、そのものを表す指標。優秀なものならどの分野でも自然と身につくものである。

「そうですな。しかしそこにカール・フォン・テイラーが食い込んでくるとは思っていませんでした」

 金髪碧眼の少年。年齢的には青年なのだろうが、容姿は幼く見える。一見してオーラは見受けられない。エアハルトならば重用しようと考えない者。

「あれはあの男の隠れ蓑さ。優秀なのは白仮面の方。彼はかなりいいね、実に欲しい。もう少し私が幼ければ、陛下に頼み込んでいたところだ」

 じゅるり。よだれを垂らすエアハルト。エアハルトは人材コレクターである。優秀な駒はいくらあっても困ることなどない。何よりも優秀な人材は輝いている。エアハルトはその輝きが好きなのだ。

「くだらぬ席に何故妾が呼ばれねばならぬ」

 エアハルトの背後に、侍女を侍らし足を洗わせ団扇で扇がせ、優雅にくつろぐ絶世の美女がいた。

「そう言うなクラウディア。なかなか悪くない面子ではないか」

「格が足りぬ。妾と謁見するにはな」

 エアハルトにとっては優秀な人材が多く楽しい場であるが、クラウディアと呼ばれる女性にとっては格足らず。見るべきものは何もない。

「これだけの人を見るのは初めてです兄様」

 クラウディアとは対照的に、楽しそうに階下を眺める少女。こちらも絶世の美女。クラウディアが妖艶とすれば少女は可憐。美しさのベクトルが違う。もちろん双方とも百人の男がいれば百人の男が求婚してしまうほどの美人であり、生まれ持った華があった。

「そうだろう、エレオノーラ。ほら、クラウディアもこっち来て見てみなさい」

 心底面倒くさそうなクラウディア。王宮の外に初めて出てきたエレオノーラは見るもの聴くもの全て新鮮で興味がそそる様子。

 二人はアルカディアを姓に持つ王女二人である。第一王女はクラウディア、第二王女はエレオノーラ。王の血筋であり、その他大勢とは格が違う。

「あら、見たことある顔よの」

「彼はオスヴァルト家です殿下」

 クラウディアの興味を引いたのは見たことのある顔。つまりこの場で王族を除けばもっとも高貴な身分である、公爵の家系に連なるギルベルトであった。

「かなり腕が立ちますし、武功も上げております。いずれは国を背負って立つ人材かと」

「ふん、しかし次男坊であろう? なれば妾とは格が合わぬ」

 公爵家の有望株といえどもクラウディアのお眼鏡には適わなかった。他は眼中にない。あまりに格が足りなすぎる。

「あの白熊を倒したのは彼ですか?」

 エレオノーラがバルディアスに問う。こくりと頷くバルディアス。とたんにエレオノーラの顔が華やいだ。若かりし頃のバルディアスとシュルベステルの戦いは両国にとって伝説と化している。北方の雪降り積もる平原で幾度も刃を交え、時に勝利を、時に敗北を、数々の武勇伝がそこに生まれた。その伝説を終わらせた男、物語が好きだった少女にとって興味をそそらないわけがない。

「しかしかなり老いていたと聞いているが?」

 エアハルトはさすが冷静である。彼にとってネームバリュー以上に実力が優先される。当時は伝説であったが、今となってはただの老兵。未だ一線級のバルディアスとは大きな差がある。

「老いてなおあの男は強靭でありましょう。この場であ奴を仕留められるのは我かあの小僧、それだけです。我ならば正面から叩き伏せますが、あの小僧はおそらく策を弄した……それも腹が立つほど小憎らしい策を」

 歯軋りするバルディアス。将軍たるバルディアスには見ただけである程度の実力はわかる。以前より遥かに強くなっていたが、まだシュルベステルを正面からどうこう出来る実力はない。策を弄したとしても、容易く埋まる差ではないだろう。

「そうだね。現地の百人隊はほぼ壊滅したそうだよ。それゆえこの場に呼べなかったのだけど」

 壊滅した百人隊。おそらく骨の髄までウィリアムの策に利用されたのだろう。回収されたシュルベステルの身体は矢傷や投石での打撲痕が多く、そもそも補給線を上手く断たれていたのか拠点に食糧はなくかなりやせ細っていた。万全での戦いではない。

「まあラトルキアが悪いよ。かの伝説をあんなちっぽけな拠点に配置していたのだから。殺してくださいと言っているようなもの……それでも仕留められなかったのが、今までの我々なのだけれど」

 策の人道性、伝説に対する敬意のなさはともかく、仕留めたのは事実。のらりくらりとアルカディアの侵攻を抑えていた古つわものはいなくなったのだ。これで北方は安泰。対処に難しい小国はもう存在しえない。

「まあ優秀でありましょうな。気に喰わん優秀さですが」

 武人としては歪に見えるウィリアム。そこがバルディアスにとってどうしても好きになれないところであった。

「腕が立つだけの男じゃつまらんさ。賢くなきゃね」

 バルディアスの気に食わない部分も、エアハルトにとっては評価するべき部分となる。結局、エアハルトはウィリアムを気に入っているのだ。あの分不相応にも天を目指す野心家の男を。

「さて、そろそろ食べるのも飽いた。食後の運動といこうじゃないか」

 エアハルトは立ち上がる。まだパーティは始まったばかりである。

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