シュガーテイスト・ユーフォリア

moga

シュガーテイスト・ユーフォリア

「砂糖っていうのは本当に不思議な代物だ。真に人々を幸せにするチカラを持っていながら、なんにも知らないような顔をしている」


 彼はうっとりとした顔で、角砂糖を眺めている。私は滔々と語り続けるこの男を横目で睨んで、言った。


「もういい加減にしてください。一体全体何なんですか、貴方」


 薄暗いコンクリートの上を冷風が吹き抜ける。いまだに尾を引く胸の痛みに沁みるようで。秋の気配がひしひしと、震えとなって伝わってきた。

 出雲へお出かけの神様達も、もうすぐ帰ってくる時文。夕暮れというには少し遅い学校の屋上で、私は妙な男に絡まれていた。


「何、と言われてもな。はじめに言った通りだよ。君は今から身投げをするようだから、ちょっとおしゃべりに付き合って貰いたくてね」


 そう言って、彼は角砂糖を口に放り込む。まったく、何から何まで意味がわからない。なんだってこれから死のうという人間に関わろうと思うのか。理解に苦しむ。


「おしゃべりって……貴方が一方的に話しかけてるだけじゃないですか」

「君が応えてくれないからね。僕としては君が甘いもの好きかどうかくらいは知っておきたいんだが」

「嫌い……ではないですよ。貴方ほどではないでしょうけど」


 通学鞄に角砂糖を忍ばせている時点で私としては病気を疑うレベルなのだが、それはまあ置いておこう。ともかく、はやく何処かに行ってほしい。私だってプライドの一つや二つあるんだ。死ぬ時の顔は誰にも見られたくない。きっとひどい顔をしているだろうから。


「あぁ、勘違いしているようだけど僕も別にそこまで甘いものが好きな訳じゃない。人並みだよ」

「……? それなら何でそんなもの持ち歩いているんですか?」

「今朝の占いでね、僕の星座のラッキーアイテムが角砂糖だったんだ……ちなみに君の誕生日は?」


 絶句した。服や小物を占いのラッキーカラーに合わせるというのなら、まだわかる。でも普通角砂糖を持ち歩くか? わざわざ瓶を用意してまで? その上、自殺志願者と雑談をしようとするなんて、気が触れているとしか言いようがない。

 あんまり可笑しくって、笑いがこみ上げてきた。笑いすぎたからか、お腹が痛い。彼は突然大声で笑いだした私を見て、面食らったような顔をしていた。


「はあはあ……八月五日。獅子座ですよ」

「それは奇遇だね、僕と同じだ……それならこれ、あげるよ」


 笑いすぎて息も絶え絶えの私に、彼は角砂糖の瓶を差し出した。これから死のうという人間の幸運なんて祈らなくても、そう言うと彼は少し笑って、


「関係ないよ。死ぬのなら、僕は君ができるだけ痛みを感じずに死ねることを望む。それだけの話さ」


 変わってるね、そう言いながら私は瓶を受け取る。

 そうでもないよ、そう言って彼は立ち上がる。スラックスをはたく姿はやけに芝居がかっていて、なんだか目が離せない。


「それじゃあ僕はそろそろ帰るよ、さよなら」

「……さよなら」


 彼は軽く手を振って、屋上から出ていった。静かに閉まった扉をぼんやりと眺める。

 日はすっかり暮れて、さっきまであんなに明るかったのが嘘みたいだった。半月よりは少し大きい月が、紺色の空に鎮座している。


 瓶を月に透かして見ると、砂糖の粒がきらきらと光った。蓋を開けて、一つ食べてみる。甘い、甘い、ただただ甘い。それは確かに、幸せの味だった。肌寒い風が吹く中で、温かい何かが頬を伝う。また一つ、口に含む。先程まで存在を主張していたいくつもの痣が、癒えたように鳴りを潜めた。


 私は瓶の蓋を閉めて、歩き出す。いつの間にか、悪魔の幻影は消えていた。あるのは甘さと彼への想い、それだけだ。

 屋上の端から幾ばくか離れた所で立ち止まる。足元に瓶を置いて、私はまた空を見上げる。獅子座を探そうとするが、何処にあるのかわからない。


「まぁ、いいや」


 今の顔なら、彼に見られても構わないな。そんなことを考えながら私は端に向かって走る。そうした方がより楽に――彼の望んだ通りに死ねると思ったから。


 勢いのままに、私は寒空に飛び出した。そのまま地面に引かれて落ちて、落ちて――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シュガーテイスト・ユーフォリア moga @fmogat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ