097 退魔腕2-5
3
それからしばらく時間が経った。
学校は長い春休みに突入した。ヨシカゲは日がな一日の大半を読書にふけっている。このところ依頼もこない。小康状態だった。
ビビもこの屋敷が気に入ったのか、ずっと住み着いている。
もっとも、ヨシカゲはこのビビとは顔を合わせないようにしていたのだが。だがどれだけヨシカゲが気をつけようと朝になればあちらから来るのだ。
「さあ、ヨシカゲちゃん! 今日も特訓よ!」
どうもこのオカマはヨシカゲの体術のお粗末さを憂いているのか、毎日の稽古を日課としはじめたのだ。やらなければキスすると脅されて、ヨシカゲは渋々毎日ボコボコにされている。
それで何かしら成長できたかと問われれば、ヨシカゲにも分からなかった。
今日もヨシカゲは部屋で本を読んでいた。それを閉じて、さてそろそろあいつが襲撃してくる時間だと思う。それだけで気分がブルーだった。
どんどんどん。どんどんどん。
やっぱりと言うべきか、予想した通りだった。リズミカルにドアがノックされる。時刻は朝の9時。何時も通りだ。
「ヨシカゲちゃ~ん。遊びましょ~」
いつもは渋るところだが、今回はいきなりドアをあけた。
「断る」
「あら、今日はずいぶんと素直に開けたと思ったらつれないお返事。でもせっかく形になってきたんだから、ここでサボったらダメよ。よく言うでしょ、一日サボれば取り戻すのに一週間はかかるって」
「そうか。だけど今日は用事があるんだ」
「用事? 珍しいわね」
「そうだな」
ヨシカゲも同意だった。なにせ春休みに入ってから外に出るのはこれが初めてだ。引きこもり一歩手前だったのだ。まあ長期休暇はいつもそのようなものだったが。
「もしかしてデート?」
「まあ似たようなものだ」
「あらあら、もしかしてリサちゃんと!」
ビビが嬉しそうな悲鳴をあげる。
「私がどうかしましたか?」
リサが隣の部屋からいきなり現れた。どうやら空き部屋の掃除をしていたらしい。これにはビビもさすがに驚いたのか苦笑いだ。
「いまからデートなんでしょ? んもっ、お姉さん羨ましいわ!」
「はて、なんの事でしょうか?」
リサは先の部分がもこもこになったハタキを持っている。
「おお、リサか。良いところに居たな。俺は今から出る。夕方には帰ってくると思う」
実際、何時に帰るかは分からない。
だが時間的には美術館をみた後に昼食をとるだろうという事は予想できた。
「昼はいらないぞ」
リサがハタキを落とした。
「あっ、失礼」
慌ててそれを拾い上げる。
「この様子じゃあリサちゃんも初耳のようね」
「そりゃあ初めて言ったからな」
ヨシカゲは自室に戻る。着替えをするつもりだった。
「ちょっと、ちょっとヨシカゲちゃんっ!」
「なんだ、出て行け。俺は今から着替えるんだ」
「俄然ここにいたくなったわ」
「斬るぞ」
「冗談はそこまでにして、デートって? ちょっと、いったいどこの誰とよ」
「デートというのは言葉の綾だ。別に俺が誰と会ってもあんたには関係ないだろ」
「私にはなくてもリサちゃんには大ありよ! ねえ、リサちゃん!」
「はい、そうです。私はメイドですからご主人様の行き先を知る権利ではなく義務があります」
面倒なことになった、とヨシカゲは思った。女という生き物はこういうふうに結託するとうるさいのだ。もっともビビが女であるかは微妙なラインだったが。
こういうときはさっさと相手の求める答えを提示するに限る。
「クラスメイトと美術館に行くんだよ」
「美術館ん~?」
ビビがどうしてそんなところに、とでも言うような素っ頓狂な声をあげる。
「ああ、たしか古代のアフリカ展でしたか? 今やっている企画展示。CMでやっていました」
リサの場合は意外とテレビっ子だからCMを見る機会も幾度となくあって当然覚えていた。
「そりゃあ私も知ってるわよ? でもどうしてそんな場所に? あ、分かったわ。春休みの宿題でしょう。懐かしいわぁ、私のときもあったかも」
「ま、そんなところだ」
いい加減面倒になってきた。
「あ、でもご主人様。そのクラスメイトは男性ですか、それともまさか女性ですか?」
「第三の性というのもあるわよん」
「女だよ、女。まったく気色悪いこと言うなよな。ほら、さっさと出て行け」
それでもぎゃあぎゃあとひな鳥のように質問をしてくるからとうとう退魔刀を振り回す羽目になった。そうまでするとさすがの二人も部屋を出ていく。
「まったく……」
長いこと無機質だったヨシカゲの部屋だが、最近クローゼットが仲間入りをした。これでおいてある家具はベッド、テーブル、椅子、小さな本棚。そしてクローゼット、あとは甘いものがたっぷり詰め込まれたミニ冷蔵庫。やはりクローゼットがあるだけで生活感がぐっと増した。
――自分もずいぶんと人間らしくなった。
さっさと着替えを済ます。冬場のファッショというのは適当にコートさえ着ていればそれらしくなるものだ。リサの買ってきたコートはどこぞのブランドのもので、少しゴシック風味のものだった。それをヨシカゲは文句も言わずに羽織る。
時計を見れば約束の10時までもうあまり時間がなかった。あの二人との会話で時間をとられたのだ。ヨシカゲは少しだけ急いで屋敷を出る。外は小雨が降っていた。
「どうぞ」
リサが玄関を出たところで傘を渡してくる。
「雨は?」と、ヨシカゲは聞いた。
「そのうち上がりますよ」
「そうか。ならいらないさ」
ヨシカゲは傘をあまり差さない。それで片手を塞がらせてしまうといざという時に退魔刀を抜けないからだ。だからいつも手は開けていた。
リサはそうですか、と手を振ってヨシカゲを見送った。その表情は不安が半分、寂しさが半分という悲しいものだった。だがそれに気づくヨシカゲではない。
駅前まで走ることになった。
委員長は電車の時間の関係か、駅の前にもういた。色気のないビニール傘を差している。
「おはよう、麻倉くん。走ってきたの?」
「時間は?」
委員長がスマホを取り出して時間を確認する。
「10時04分。少しだけ遅刻ね」
「すまない」
「別に良いわよ」と、委員長は恥ずかしそうに言った。「じゃあ行きましょうか」
ふと、視線を感じた。
視線である。
そういえばこの前もこんな事があったなあ、と想いながらヨシカゲは「ああ」と頷く。
美術館はここからほど近い。
「ね、ねえ。雨振ってるわよ?」
「そうだな」
しかし小雨だ。
委員長は何かを言おうとして、しかしすぐに口をつぐむ。
「どうした?」と、ヨシカゲは水を向けた。
「あ、あの……せっかくだから入る?」
そう言って傘を差し出してくる。
「いや、遠慮しておく。そうしたら委員長が雨に濡れるだろう?」
委員長は一瞬、ぽかんとした顔をする。そしてすぐに気がついたのだろう。露骨に「そういうんじゃないんだけどね」という顔をした。
委員長は相合い傘を提案したのだ。しかしヨシカゲは委員長が傘をまるまる明け渡すと思っていたのだろう。いかんせん常識のない男である。しかしそれが麻倉ヨシカゲという男だ。
エスコートもなしに無言で歩き出す。
委員長はそれについてくる。どこか気まずい思いをしているのは彼女の方だけだ。
雨はしとしとと降っていた。
近くのバス停に行くまで、二人は無言だった。
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