084 悪魔4-3
3
「妾じゃ!」
叫び声と共にフランが部屋に入ってくる。
それは陽が傾きだしたくらいの時間だった。
部屋にはしみったれた音楽、ヨシカゲは本を読んでいて、花園も借りた本を読んでいて、リサだけはずっと突っ立っていた。
「なんじゃお主ら、辛気臭いのう。この音楽、どこかで聞いたの。どこじゃったか」
「ようこそいらっしゃいました、フラン様。これは『ニュー・シネマ・パラダイス』の『愛のテーマ』ですよ」
「おうおう、そうじゃった。うく、リサ嬢よ。妾は紅茶が飲みたいのじゃ。アッサムティーでお願いするぞ」
「承知しました。少々お待ち下さい」
フランは花園の隣に腰を下ろした。にっこりと笑いかけてくる。
「息災じゃったか?」
「え、ええ」
「そうじゃ、これお土産じゃ。バチカンまんじゅう」
そういってフランはテーブルに箱を置いた。むしろあちらで買ったと言うよりも、日本の空港で土産を忘れていたため慌てて買ったというようなまんじゅうだった。
「それで、ヘルマントトスについて調べてきたんだろ」
「うむ、そうじゃ。まったく骨が折れたぞ。とにかく資料を請求するにしても、その資料を請求するための資料がいるのじゃ。お役所仕事というやつじゃな。妾がエクソシストと言っても最初は信じてもらえずのう、最終的にはヨボヨボの大司教を連れ出して妾の身元を証明させたんじゃ」
「苦労
「うむ。ヘルマントトスの資料はきちんとバチカンに残された。それも二つもじゃ。やつはそれまで一度、資料に残される形で召喚がなされておる」
「待て。二つ資料が残されていて、どうして一度しか召喚されていないんだ?」
「うむ、妾が驚いたのはそこじゃ。二つの資料、そして一つの召喚。なぜじゃと思う?」
「分からん」
「そちらのお嬢さんは?」
「……召喚されていない。もしかして、その逆? 召喚されてないのなら、召喚した方、とか?」
「その通りじゃ! お主と同じじゃよ。ヘルマントトスの名が残された最初の資料。それは彼奴自身が悪魔を召喚した、という資料じゃ。さすがに自分でも悪魔を召喚した事があるだけ、理解も早いのう」
「つまり、あの悪魔は元々人間だった?」
「そういう事じゃ。元々は12世紀、神聖ローマ帝国において騎士をやっておったそうじゃ。だが彼奴は永遠の命を求めたと言われる。死ぬのは怖いからのう、悪魔を召喚してまでその願いを叶えたくなる気持ちも頷ける」
「やつは永遠の命を与えられる代わりに、悪魔になった?」
「そういう事じゃ。悪魔とは永遠の知識と同義じゃろうなあ。それがヘルマントトスの求めるものだったかは、知らぬがな」
「ふむ、騎士か……通りで俺の刀を簡単にさばいたわけだ」
「お主は力もないのに力押しじゃからな。相手が正統派の剣術を使う場合、弱いじゃろ」
「普通ならば斬れるんだがな」
「まあよい。とにかく次は勝てば良いのじゃ。とはいえ彼奴の過去を暴いた所でそれが突破口につながる訳ではないからのう。まあ、相手の事を知れば知るほど悪魔の召喚はしやすくなるから、今度は前のように時間切れもないじゃろうて。で、どこで召喚をする?」
「この家のエントランスが良いだろう。あそこなら広い」
「よろしい」
リサが戻ってくる。
「ああ、リサ嬢。白亜のチョークを用意してほしいんじゃ。白と、赤じゃ」
「かしこまりました」
フランは紅茶を一息に飲み干して、リサと共に部屋を出ていった。
二人っきりになって、ヨシカゲは花園に言った。
「実際、あんたはここで待っていても良いんだぞ」
「え?」
「前のようにあんたが狙われて危険になる可能性もある。だから俺が悪魔を斬るのをここで待っていても良いんだ」
たしかにそうだ。
けれど花園は首を横に振った。
「私にできることはなにもないけれど、せめて近くにいたいです」
「そうか」
それは、ヨシカゲを好きだったからだ。
自分のために頑張ってくれるヨシカゲを見ていたい。それは至極当然な思いだった。
「じゃあ、俺たちも出るか」
「ええ」
戦いの基本は先手必勝である。
夜まで待てばヘルマントトスは自然と現れるだろう。だがヨシカゲたちはこちらから呼び出す事を選んだ。
「今度は受肉させんでも良いのじゃな」
「ああ」
「大丈夫なのか?」
「斬れる。いな、絶対に斬る」
分かった、とフランは認めた。
「それなら妾の魔力も持つじゃろうて。では行くぞ」
花園が描いたものより、先日フランが描いた魔法陣よりもさらに巨大な魔法陣が描かれていた。
ヨシカゲが魔法陣の中に。
そしてフランが魔法陣の近くに。
花園はリサと共にエントランスから二階に上がる幅広い階段に立った。
「退廃、蠢動、微熱。骸、怪生、モノクローム。午睡、空虚、鉄門扉。血を引く糸の、曼珠沙華。アブ・レブ・ヤーコン。アブ・レブ・コラーンジョ。示すその名は、ヘルマントトス」
その呪文と共に描かれた魔法陣が光りはじめる。
花園の心臓はさらに高まっていく。
隣にいるリサの無表情さに支えられた、なんとか花園は自分を取り持つ。ここで慌てれば、自分の負けだと思っていた。負け、というのはリサにだ。
「そう心配しなくてもいいですよ」
リサは冷静だ。
「そう見えるかしら」
「ええ、信じていれば良いんです。あの人はかならず勝ちますから」
そうね、と頷く。
フランが「来るぞ!」と叫ぶ。
魔法陣の中央で爆発のようなものが起こった。もうもうと立ち込める煙。それがどこからともなく吹いた一陣の風によって払われた。
そしてその中心には、当然のように悪魔ヘルマントトスが立っている。
「また、貴方がたですか」
ヘルマントトスは呆れたような声でうつむいている。
だがヨシカゲは召喚の刹那にすでに走り出していた。
袈裟懸けに斬りかかるヨシカゲ。それを慌てたようにバックステップで躱すヘルマントトス。
ヨシカゲは振り下ろした刀を、返すように下から突き上げる。
それに対してヘルマントトス、器用に杖ではじく。
「今度は受肉されておりませんねえ。このまま私を斬れるとも思っているのですか!」
「斬れるさ――俺ができると信じるならな!」
刀と杖がぶつかり合う。互角、まったくの互角に見える。
やがてそれは鍔迫り合いにまで発展した。
「感情の扉も持たぬ人間が、私に勝てるものか!」
「勝てるさ!」
ヨシカゲが思えばなんだろうが斬れる。例えそれが実体のないものだろうと。
だがそれはヨシカゲの思いだけでは不足だ。
それに気がついているのはリサだけだったのかもしれない――。
「花園様」
「なによ」
花園は二人の戦いを手に汗握りながら見入っていた。どちらが勝つのだろうか、ヨシカゲに勝ってもらわなければ困る。だが互角である。
それを、リサは察した。
「花園様、ご主人様の退魔刀は斬れると思ったものを斬る刀です。貴女が心の底から信じない限り、あの刀の力は全て出しきれません」
「ど、どういう事」
「信じてください、ご主人様を!」
リサの言葉に素直に頷けない自分がいる。
この期に及んでどちらが勝つのか分からない自分がいる。
そうこうしている内に、ヨシカゲが鍔迫り合いで負けた。そのまま押し切られ、紙のように吹き飛ばされる。
そしてフランを巻き込んで、地面に倒れる。
「ぎゃっ!」
フランの叫び。
「まずいぞ! 魔法陣が解ける!」
ヨシカゲは急いで立ち上がるが、しかしヘルマントトスが取り出した光球が魔法陣を爆破していく。
「さあ、これでわたくしを縛る魔法陣もなくなりました」
ヘルマントトスの手が花園の首元を目指して伸びてくる。
リサが花園を突き飛ばすようにして守る。結果としてリサの腕が掴まれる。
「離しなさい、この変態!」
リサが腕の関節をひねり上げようとするが、ヘルマントトスは当然のごとく痛みなど感じない。
ヨシカゲが立ち上がり、ヘルマントトスの腕を斬ろうと跳ぶ。だが、それをもう一本の腕が阻止する。杖を持って居る方の腕だ。
リサを掴む手は蛇のようにその体に絡まり、やがてリサの首をしめた。
「くっ……」
フランがリサを助けようと駆け出す。だがその前に光球が現れる。咄嗟に顔をガードするフラン。眼の前で光球が膨張して、爆発する。
ダメだ、と花園は思った。
もうどうしようもない。このまま負ける。
突き飛ばされて尻もちをついた花園は、そう思った。そして、そう思い込んだ瞬間あきらかにヨシカゲの動きが精彩を欠いてきた。
押されはじめるヨシカゲ。そして倒れたまま動かぬフラン。素っ首を絞められるリサ。
この場所から逃げ出したい。そう思ったその時――リサが手を伸ばしてきた。
「……こっちへ」
首を締められて声もまともにでないような状態で、リサは手を伸ばしてきたのだ。
「……早く」
それが状況を打破する方法なのだとリサの目は物語っていた。
花園は這うようにしてリサの元まで行く。
花園の頭にリサの手が、まるで撫でるように置かれた。
「大丈夫、あの人は斬れますよ。勝ちますから、信じましょう。もしも信じられないのなら、私がその不安を消してあげます」
リサの手がホタルビのように光った。そんな気がした。
その刹那、花園はヨシカゲを信じられた。不思議な事にヨシカゲが負けるという可能性の一切を忘れてしまったのだ。
「っあ!」
ヨシカゲの刀が、ヘルマントトスの杖を切り裂いた。
「なにっ!」
続いて、触れてもいないのにリサを掴んでいた手が斬れる。まるで斬撃を飛ばしたかのようだ。
「なぜ、なぜ斬れる!」
「簡単さ、俺が――みんなが斬れると思ったからだ。この刀は願いを叶える退魔刀。誰もが信じるならば、俺だけが信じるよりも強く、そして確実にお前たち魔を滅する」
ヨシカゲの刀がヘルマントトスを切り裂く。
――溢れ出る血に似た液体。
――崩れ落ちる悪魔。
――最後に立っていたのはヨシカゲだ。
刀をしまい込み、そして花園の方を向く。
「終わったぞ」
その言葉に、花園は頷いた。
「フラン様!」
リサがフランに駆け寄る。あきらかに傷が一番深そうなのは爆発の直撃を受けた彼女だ。
「死ぬ……」
「大丈夫です、死にません。応急手当をします」
リサがフランを抱きかかえる。だが、その瞬間フランの目がくわっと見開いた。
「まずいぞ、何か来る!」
その何かが分からない、だが魔法陣がグニャグニャと揺れだした。そして屋敷のエントランスも、まるで時空が解けたかのように歪みだす。
「な、なに!」
次の瞬間、全員が不思議な空間に飛ばされていた。
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