079 悪魔3-5
「どうしました、こないのですか?」
ヨシカゲは挑発に乗らない。無言だ。
しかし構えを変えた。突きから青眼へ。そこからさらに刀を掲げ、
まるで野球のバッチングフォームのような構えである。この構えからとれる動作は振り下げだけ。したがって全ての斬撃が上段となる。
一本気な振り下ろし。それだけである。それゆえに、
――疾い。
「ほう、わたくしが来るのを待つわけですか?」
「待つのは得意だぜ、好きじゃないがね」
もちろん八相の構えから攻め入る事もできる。そのまま走り込み、刀を振り下ろせばいいだけだ。例えば細い路地なので有効だが、この時ヨシカゲは待つ事を選んだ。
理由は明快。地下の天井が低かったためだ。この天井の低さ、走り回ればはずみで刀を天井にぶつけてしまう。
だがこの選択は悪手だった。
「おおぃ、退魔師! そんな悠長にやっとると、この魔方陣は崩れるんじゃ! さっさと終わらさんか!」
「ババア、それを先に言え」
「ババアと言うな!」
その瞬間、ヘルマントトスが先に動いた。
それで虚をつかれるヨシカゲではない。必殺の上段振り下ろし。それは完璧なタイミングで放たれた一撃。しかしヘルマントトスも中々のもの、ヨシカゲの振り下ろしを丸まった杖の曲面でいなすと、そのままヨシカゲの肩に打ち込んでくる。
「クッ――」
たまらず距離をとるヨシカゲ。
ヘルマントトスはこれを好機と追撃してくる。
火花が散るような勢いで刀と杖がぶつかり合う。
「どうしました、防戦一方でえすね!」
ヨシカゲは理解ができなかった。なぜヘルマントトスの杖が斬れない? 通常であれば杖ごと一刀両断できる。それが互角で打ち合っている。
「早く終わらさんか、退魔師!」
ヨシカゲは魔法陣の際まで距離をとる。すぐ近く――しかしへだれられた向こうからフランが焦ったように叫ぶ。
「分かってはいるんだが」
花園はヨシカゲとヘルマントトスの戦いを見て、恐れていた事が起こっているのではないかと思った。素人目で見てもヨシカゲは押されていた。
「しっかりせんか!」
フランの叱咤激励が花園の耳に、ずいぶんと遠くから響いているように聞こえた。
ヨシカゲがふと花園を見た。その目はビー玉のように透き通っていて、まるで自分の裏側まで見透かされているかのようだった。
「信じろ」と、ヨシカゲが呟く。「俺は勝つから」
「え――」
「お前が信じなければ、俺は勝てないから」
それって、どういう事――そう聞こうとした瞬間、ヨシカゲは攻めに転じた。
あきらかに刀の振り方が変わる。攻撃ほど最強の防御といえるほどの激しいラッシュ。
「斬る!」
珍しい、ヨシカゲの荒らげた声。
「ほうほう、なかなかの攻め込みですね」
しかし先程までとは違い、ヨシカゲが攻め、ヘルマントトスが受けるという形だ。
このまま行けばヨシカゲが勝つのではないか、花園の思いと同時にヨシカゲの刀がヘルマントトスの脇を突き刺した。それを横にスライドさせ、人間であれば内蔵をずたずたになるだろう、そのまま抜き去る。
ヘルマントトスは脇を押さえながら、ずりずりと後ずさる。その脇からは溢れ出る血が。
「悪魔の体の中にも人間と同じようにたくさんの血がつまっているんだな、初めて知ったよ」
「だからどうだというのです。どれだけ血が流れようと、わたくしは死にません」
「殺してみせるさ」
だがその時、花園の横に居るフランが「あっ」という間の抜けた声を出した。ずっとかかげていた手を降ろす。
「どうしたんですか」
「魔力が……尽きたのじゃ」
ナイトキャップを脱ぎ、フランは苦笑いをした。
「え、それってまずいんじゃ!」
「退魔師! すまぬ、失敗じゃ! もう魔法陣が保たぬ!」
「ええい、ババア。どうすんだこれ」
「悪魔を還す! 時間を稼ぐのじゃ!」
フランが言葉ではない、空気の抜けるような音を口から出す。それは不思議な韻を踏んでいる。それが呪文であると花園は気がついた。
ヘルマントトスがスーツの裏から光球を取り出す。それを落とすように転がすと地面で爆ぜる。それで床が壊れ、必然的に魔法陣も消え去る。
「さあ、これでわたくしの受肉も解けましたよ。ここからどうしますか、貴方の強大な魂に賭けて、わたくしを倒してみせなさい!」
そう言いながら、ヘルマントトスは杖をまるで矢のように花園に向かって投げる。
ヨシカゲが慌ててそれを塞ぐ。
「きゃっ!」
「卑怯なやつだなあ、あんたは!」
「卑怯、卑怯ですと! 貴方がたがそれを言いますか! わたくしはその魂が望む願いに応じ望みを叶えただけでしょうに! それを今更ご破産にしたいだのと!」
「少なくとも俺は望みなどなかったぞ」
「だとしても願いは叶いましたでしょう」
手品のようにどこからともなく光球を取り出すヘルマントトス。それを放ると落ちることもなく浮き上がる。光球はまるで機雷のように中空に静止する。
「罰を受けてもらいましょう」
ただ浮かんでいただけの光球が動き出す。
テニスボール大の無数の球。それらが花園、ヨシカゲ、フランの三人に襲いかかる。
ヨシカゲは間に入り、必死にその光球を弾く。花園とフランに到達しないように守る。だがそのせいで体の付近でいくつもの光球が爆発し、怪我をおっていく。
見ていられない、目を覆いたくなるような光景。
ヨシカゲの体は壊れ、血が吹き出し、やがてその端正な顔すらも焼けただれる。しかしそれでもヨシカゲは止まらない。刀を振り続け、光球を弾く。
「素晴らしい……やはりその魂は感嘆に値する」
言っているそばからヨシカゲの傷は癒えていく。
あれだけ無数にあった光球も、今では残す所あと僅かである。
「よし、準備が整ったぞ!」
フランの呪文が終わる。
「悪魔ヘルマントトスよ、還れ!」
地面にわずかに残っている魔法陣が光りだす。断末魔のようなヘルマントトス叫び声。
「このわたくしが、人間ふぜいに強制送還されるだと!」
「ふっふっふ。実は妾、悪魔を召喚するより還す方が得意なのじゃ」
「だがタダでは還らんぞ! せめて一人は道連れに――」
ヘルマントトスの手が物理的に伸びる。その手はゴムのようにしなり、花園の二の腕を掴んだ。
「やめて、痛い!」
「さあ、お前も来い! 少し早いが魂を回収する。それがお前への罰だ!」
花園は願う、ヨシカゲに助けてほしいと。この腕をどうにかしてほしいと。
そしてその瞬間、腕を握っていた手の感覚が消えた。
「え――」
ヘルマントトスの呆けたような声。
「下品だな。慇懃無礼はどこへ行った?」
ヨシカゲが腕を斬ったのだ。
「なぜだ、なぜ斬れる!」
「俺が斬れると思ったからだ、そう願ったからだ」
「ふざけるな、お前たち人間なんぞに――人間なんぞに――」
まるで沼に呑まれるようにヘルマントトスが魔法陣の中央に吸い込まれていく。
だがそれかに抵抗するように、魔法陣からどす黒いヘドロのような影が溢れ出している。
「おめおめと呼び出され、お前たちの都合で帰らされてたまるものか。そんな事になれば親愛なる我が主に示しがつかん。せめて、せめて手土産の一つでも!」
溢れ出て影が伸びてくる。それはヨシカゲを包み込む。
「いかん!」
フランが叫んだが、その時にはもう全てが遅きに失している。ヨシカゲは動くことができず、ヘルマントトスと共に魔法陣の中に呑み込まれていった――かに思えた。
「さっさと還るのじゃ、悪魔!」
消炎のような臭いがしていた。
ヘルマントトスも、ヘドロのような影も消えてしまった。
だが、ヨシカゲは床に倒れて残っていた。
「良かった――」
と、花園だ。
「まずいことになった……」
しかし、フランは蒼白だ。
花園はそんなフランの様子に気が付かず、ヨシカゲに駆け寄る。「大丈夫?」聞きながら、ヨシカゲを揺さぶる。
だがヨシカゲは微動だにしない。
それどころか呼吸もしてないようだ。
「え、なんで。なんでヨシカゲが!」
死んでいるの、と言おうとしてフランに肩を掴まれた。
「落ち着くのじゃ、退魔師は死んでおらん」
「じゅあどうなってるのよ!」
「魂を悪魔に囚われたのじゃろう。たぶん」
「たぶんって何よ、たぶんって。貴女エクソシストでしょう、なんとかならないの」
「無理じゃ。退魔師の魂をこちらから拾い上げることなどできぬ。そもそもどこに囚われたのかも分からんのじゃ。後はこやつ自身の問題じゃ」
「そんな無責任な!」
「じゃが同しようもないことは事実じゃ。妾たちが騒いでも、退魔師はどうにもならん。お主、悪いがリサ嬢を呼んできてくれぬか」
「……分かりました」
「妾は次の手を打っておく。退魔師が帰ってきたら、すぐに反撃を開始できるようにな」
「帰ってくるんですか、だって魂を取られたんでしょう」
「大丈夫じゃ、やつは退魔師じゃからな」
まるでそれが答えだとばかりに、フランは言い切った。
その真っ直ぐな信頼感に、花園は目がくらむような美しさを感じた。
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