078 悪魔3-4
3
そして約束の3日が経った。
この日は火曜日で本当なら学校なのだが、ヨシカゲが朝から迎えに来たため、サボることにした。そもそも花園も気が気でなく、学校など行っている場合ではなかったが。
外に出ると雲の隙間から少しだけ太陽が顔を覗かせていた。
「今日は晴れているな」
ヨシカゲはその言葉を花園に言ったわけではなく、ただの独り言として発言した。
この男は何を言っているのか、と思った。だってそうだろう、こんな曇天。ただ気まぐれに陽光が差したところで晴れとは言い難い。
ああ、あれか。と花園は納得した。つまりは不良がたまに良い事をすると、とたんに良い人に見えるというあれだ。雨の日に子猫に傘をやるように、この腑卵町では一時の晴れ間を天気が良いとして扱うのだ。
もしかしたらこの人は青空を見たことがないんじゃないかしら、とまで思った。
「どうした、早く行くぞ」
知らず知らずの内に足を止めていた。
「あ、うん」
フランの店まではゆっくり歩いても10分程でつく。それなのにこの日はフランの家まで、30分以上はかかった。というのもヨシカゲが途中でコンビニに入った。
寄り道。
そこでヨシカゲは大量のチョコレート、飴玉、そして飲み物のコーラを買った。
「なんでそんなに買い込んだの?」
「朝ごはん、食べてないんだ」
まさかこのお菓子が朝ごはんなのだろうか?
そのまさかだった。
ヨシカゲはコンビニの前に座り込むと、大量のチョコレートを口に詰め込みだした。それをコーラで流しこむ。
「美味しい?」
見ているこっちの口の中まで甘くなりそうだ。
「いつもと同じ味だ」
それは美味しいという事なのだろうか。
しかしチョコレートの銀紙を破るときのヨシカゲは心なしか嬉しそうに見える。まるで子供だ。だがその笑顔すら――花園は知らない。その笑顔はヨシカゲの演技であり、彼が人間生活に溶け込むための擬態である。
チョコレートが終われば次は飴玉だ。ヨシカゲはそれをバリバリと
「ねえ、いつもそんな朝ごはんなの?」
「今日は特別だ」
「へえ」
たしかに学校で見るヨシカゲの弁当などは、いつも普通の見た目をしている。もちろん食べたことはないので味までは分からないが、おそらく普通の味だろう。
「リサが居ないからな」
「へえ」
あのメイドさん、いないんだ……。
どうしたのだろうか、まさか実家に帰ってだとか。ないない、と自分で思う。ヨシカゲとリサは傍から見ても愛称が良さそうだった。きっと仲良しなのだろう。
さて行くかとヨシカゲが立ち上がる。コンビニに備え付けられたゴミ箱。都会では家庭ごみ持ち込み帽子のためもう大抵が店の中にあるものだが、この腑卵町ではまだ外にある事が多い。そこにゴミを詰め込む。
不思議な人だった。
人間じゃないのだとすら思った。それくらいヨシカゲは変な行動ばかりする。だからこそこの人なら悪魔もどうにおかしてくれると思ったのだ。
「フランさん、準備終わったかしら? 最後に文句を言ってたけど」
「あの女の事だ、きちんとやってくれているだろうさ」
フランの経営するセレクトショップに到着した。すると、店の前にリサがいた。竹箒をつかって掃除をしている。
「ご主人様、花園様、お早いおつきで」
「おう、リサ。フランは?」
「先程少し眠ると言って床につかれましたよ。明け方までずっと作業を続けられていましたから、疲れが溜まっているのでしょう」
「そうか」
「リサさんは、ここに居たの?」
「はい、一昨日から作業を続けられるフラン様の元でお手伝いをしていました」
「ふうん」
「それよりご主人様、朝食はきちんととられましたか?」
「ああ、食べたぞ」
あれが食べた、と言えるのだろうか。
「まさかまたチョコレートなんぞを朝食代わりにしていませんでしょうね」
「なんぞとはなんだ。チョコレート美味しいだろ」
「美味しさと栄養価にはなんの相関関係もありません」
花園は自分だけが取り残された、仲間はずれにされているような気がした。二人の会話には自分の出る幕がない。でもこんな事、この町に来てからは慣れっこだった。
あちらに居たときは違った。自分が世界の中心であると感じていた。
誰もが自分を持ち上げてくれて、気分を伺ってくれた。
けれどこの町では、声優花園ミナはただの路傍の石に過ぎないのだ。
そう考えると花園は少しだけ寂しい。だってこのまま悪魔が倒されれば、もうヨシカゲと自分をつなぐものはなくなるのだ。今のようにヨシカゲに構ってもらうこともできなくなる。
けれどそれは良い事なのはずなのだ。
「おいリサ、フランを起こせ」
「致し方ありませんね」
リサが中へと入っていく。
やがて、寝ぼけ眼のフランが出てきた。
「ぶぅ……まだ眠ったばっかりじゃ」
「よ、フラン」
「うむ……朝からいい男を見ると気分が良いのぅ。お主、ちょっと笑ってみせるのじゃ」
「こうか?」
「ん? それは笑っておるのか。不気味じゃのう、お主は真顔が一番じゃ」
フランはパジャマにご丁寧にナイトキャップまで被っている。こうして見ればまるっきり子供だ。
けれどそんな子供っぽいフランも、一つ伸びをして気合を入れると、いきなりプロの表情になった。
「準備は出来ておるぞ、いつでも悪魔を呼べる」
「よくやってくれたな、まだ朝だから待たされるかと思ったが」
「なあに、妾にかかればこんなもんじゃ。さて、そちらのお嬢さん――そういえば名前を聞いてなかったのう、名はなんという?」
「花園ミナです」
「はなぞの、みな。ふうむ、良い名前じゃな。華美な様相が素敵じゃ」
「フラン様、花園様は声優です。ご存知ですか?」
「知らんのう」
「若いやつしか知らねえよ」
「なんじゃと、妾も心はいつまでも若いつもりじゃ」
「精神年齢の間違いじゃねえのかよ」
「むむむ。お主、年上に対する敬意というものを持っておらぬな」
「箸より重いものは持てないんだわ」
「バカな事言ってないで、早く悪魔を倒してきたらどうですか?」
私、ここで掃除してますから。とリサは言う。
リサはヨシカゲが心配ではないのだろうか。それだけ信頼しているのだろうか。少なくとも花園にはそんな事は無理だ。今だって、心のどこかではヨシカゲがダメだったらどうしようと考えている。
「では、ついてこい」
店内に入り、暖簾の奥へ。その先はいかにも日本家屋といった感じの狭い通路があった。しかし、通路の一番奥のトイレ。その隣には二階への階段と、地下への階段があった。二階への階段は木造だが、地下の方は明らかにコンクリでできている。
「悪魔の召喚と言ったら地下か天井裏じゃからのう」
「なんだその決まり」
「あ、それ。私が読んだ本にも書いてありました」
花園がかつて老婆にもらった本、悪魔を召喚する儀式が書かれたグリモワール。あれが全ての始まりだったのだ。
「ほう、魔書を持っておったか。して、それは今どこにあるんじゃ?」
フランはローソクに火を灯し階段を降りていく。ふざけた事にパジャマ姿のままだ。着替えないのだろうか、それともこんな悪魔召喚は朝飯前という事だろうか。
「いつの間にか消えちゃいました」
「なんじゃ、残って追ったら妾が貰おうの思ったのじゃがなあ」
地下は薄暗かった。
燭台以外には何もない部屋だ。
「ヘルマントトス、と言たのう。
「たしか、そうでした」
「そういえば、そうだったかもなあ。俺が召喚したわけではないが」
「これに関しては記録があったのでやりやすかったのう。そしてこの魔方陣、これが問題じゃ。妾の調べによるとこのヘルマントトスの魔法陣、これは大悪魔の魔法陣の亜種じゃ」
「だから?」
「つまり、彼奴はそれ単体の悪魔ではないんじゃ。裏にさらに大きな者が控えておる。そいつは……まあ、出てこんじゃろう」
「なんだよそれ、嫌だぞ、もし俺が悪魔を斬ったら次の悪魔が出てくるなんて。こちとら体力はないんだ、疲れる事はさせるなよ」
「なんじゃお主、それでも退魔師か。まったく、お主の父親や祖父なんかはそれはもう立派な退魔師じゃったぞ。文句を言う所なんぞ見たこともないほどのな」
「俺は俺だ、他の退魔師とは違う」
「ま、そうじゃな。えーっと、どこまで話したかのう」
「あの、ヘルマントトスのさらに上がいるという話しです」
「ああそうじゃった。なあに、こいつの主とも言える悪魔はそりゃあもう忙しいやつじゃて、手下の悪魔が一人消えたくらいで呼んでもないにこんじゃろうて」
「そういうもんか?」
「そういうもんじゃ」
フランは燭台に一つづつ火をつけていく。そうしていくと床に書かれた巨大な魔法陣が光に照らされて見えるようになってきた。
花園がヘルマントトスを召喚したときのものより、二回り以上は大きい。床いっぱいの魔法陣だ。
しかしその魔法陣、どうやら細部は花園が描いたものと違っているようだ。
「では召喚するかのう。退魔師、お主は魔法陣の中に入るのじゃ。妾たちは外じゃぞ」
「なぜだ?」
「これは妾が創り出した特性の魔法陣じゃ。この魔方陣の中でのみ、悪魔は肉体を持つことになっておる。つまりは――」
「俺の刀で斬れる、という事か」
「そういう事じゃ」
ヨシカゲが魔法陣の中で刀を抜いた。いつでも初めてくれ――。
「ではゆくぞ。退廃、蠢動、微熱――」
その呪文を、花園も覚えていた。たしかその後に続くのは、
骸、怪生、モノクローム。
フランはまるで歌うような調子で悪魔を呼び出す。
両手を上げ、まさに天に祈りを捧げるようだ。
「午睡、空虚、鉄門扉。血を引く糸の、曼珠沙華。アブ・レブ・ヤーコン。アブ・レブ・コラーンジョ。示すその名は、ヘルマントトス」
言葉を発するたびに地下室が地震のように揺れる。
花園が呼び出したときとは雰囲気が違う。
燭台の炎が一度に三個消えた。
残りの三個が消えればヘルマントトスがこの場所に出現する。
「さあ、どうじゃ!」
フランの気合の入った声。
それと同時に残っていた三個の炎も消える。
一瞬、地下室に太陽が弾けたような閃光が。目がくらむ。なんとか目を開ければ、魔法陣の中央にはヘルマントトスが立っていた。
いつもと同じスーツ姿。トレードマークとも言えるシルクハットと杖。
しかしその顔に、いつものようなニヤケ笑いは張り付いていない。
「魔法陣の中に六芒星……わたくしを呼び出したのは、そちらのお嬢さんかな?」
「うむ、妾じゃ」
ヘルマントトスはヨシカゲ、そして花園を
「それで、これは何の真似ですかね」
「分からないのか? お前をイジメてやろうって思って、寄ってたかって集まったんだよ」
ヨシカゲは流麗な動作で刀を抜いた。それを平手に構える。突きを狙っているのだ。
「ほう、それでわたくしを呼び出したと。叶えたい願いもないのに……。望みも、魂をかける気概もないのに、このわたくしを呼出したというのか!」
激高するヘルマントトスに、ヨシカゲは流星のような素早さで平手一本突きを繰り出す。しかしそれはヘルマントトスが持つステッキで完璧に防がれた。
が、ヨシカゲは瞬時に刀を引き、二撃目をお見舞する。
ヘルマントトスはかろうじて刀のきらめきを躱す。しかしその頬から一筋の血が流れ出た。避けきれていない。ヨシカゲはヘルマントトスをとらえていたのだ。
「なんだ……これは」
ヘルマントトスは頬から流れ出る血を不思議そうにぬぐった。
「悪いのう、悪魔よ。お主も今ので気づいておるじゃろ、その体は実体を持っているのじゃ」
「そういう事ですか。舐められたものだな、受肉させたからと言ってこのヘルマントトスを殺せると思うか!」
ヘルマントトスは杖を剣のように構える。
「退魔師、あとは全てお任せじゃ!」
「任された」
そう、全て任せるしかないのだ。ミナはもうヨシカゲを応援して見ている事しかできない。
ヨシカゲとヘルマントトスはお互いが足を動かしながら慎重に距離を測っている。
死闘が始まる――。
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