070 悪魔2-3


 飛ばすのかな、と思っていたらクルマは法定速度をきっちりと守って走った。


 そして町役場へ。案外すぐそこだった。


「ここが?」


「そうですよ」


 町役場の駐車場にクルマを停める。当然というべきかヨシカゲはまだ来ていない。たぶんこの距離なら歩きで20分はかかるだろう。


「このクルマ、ご主人様のお父様がお買い上げになられたものなんです」


 クルマを降りて夕焼けを見ながらリサは微笑んだ。ここのところ日が長くなった。


「あの人の、父親?」


 当然だがヨシカゲには花園の知らない一面があり、付き合いの長いリサはそれを花園よりよく知っているのだ。なんだか妬けた。


 花園もクルマを降りて、隣に立つ。


「だから、大切にしてるんです。良いクルマですよ、本当に」


「あの人のパパは今どうしているの?」


「パパ?」


 花園は赤面する。思わずいつもの言い方が出てしまった。


「気にしないで!」


「都会育ちは違いますね。あの人のお父様は、亡くなられました」


「亡くなった?」


「ええ。私も詳しい事は知りませんが。あの人が幼い頃に」


「それって、つまり――」


「少し話しすぎました。忘れてくださいまし」


 それっきり、リサは無言になった。


 なにか会話を切り出さなくちゃいけないと思うのだが、何もない。会話の基本は共通の話題だ。二人にとってそれはヨシカゲの事だ。その話しができない今、二人は貝になった。


 花園は取り出してスマホの画面を眺めて時間をつぶした。その間、リサは直立不動だった。


 気まずさがピークに上り詰めようとしたその時、駐車場にヨシカゲが入ってきた。


 なぜか竹刀袋の他にビニィルの袋を持っている。中にはイチゴが入っていた。


「いやあ、近所のババアに捕まってさ。よもやま話に付き合わされてた」


 これ、お土産。と、ヨシカゲはリサに旬の果物を渡す。


「あら、いいですね。今晩のデザートにしましょうか」


「なんでこんなものもらったの?」


「俺は退魔師だからな」


 もしかしたらこの男はそれを言えば全ての疑問が解決されると思っているのではないだろうか? ――と花園は思う。が、事実そのとおりなのだ。この腑卵町に限り。


 町役場に入り、受付けを無視するように二階へ。長い廊下を歩きながらヨシカゲがポツリと。


「俺、あいつの事苦手なんだよなあ」


「まあそんな事言って」


「貴方にも苦手とかあるのね」


 廊下の先には町長室があった。リサがノックする。中から「どうぞ」とマイルドな声が聞こえてきた。


「失礼します」


 と、リサは丁寧に入室した。


 中は町長室というよりは応接室と言われた方がしっくりくる。奥には仰々しい机があり、そこにはコンピュータが置かれている。そして三角の名刺。外からの光で逆行になって、町長の名前が見えない。


 町長は三人が入ってきたのを認めると、立ち上がり「ようこそ」と、あきらかにリサだけを見つめて言った。


 ヨシカゲが何も言わずに手前にあったソファに座る。ここはどうやら町長室、兼、応接室になっているようだ。ソファの前の机は鏡のように磨かれていた。そこに映る自分の顔に、花園はちょっと笑った。疲れている顔をしている。


「ん? おい、退魔師。そちらの方は?」


 町長はどうぞ、と花園とリサに言って自分もソファに腰を下ろした。


「退魔師のところに直接来た。悪魔と契約しているんだ、守ってほしいとさ」


 ――ちょっと、なんで私に断りもなしに勝手に言うのよ。


 批難の視線をヨシカゲに送るが、彼は我関せずとばかりだ。


「そうですか、それは大変ですね。おい、退魔師。きちんと対応するんだぞ」


「うるせえ、お前に言われなくても分かっている」


「すいませんね。こいつ、口悪いでしょ? 一緒に居て大変ですよね」


「ええ、まあ」


 花園は愛想笑いを浮かべた。得意な表情だった。


「リサさんも、毎日こんなやつと居て息がつまりませんか?」


「いえ、もう慣れましたので」


 真顔で言ってのけるあたり、このメイドのしたたかなところである。


 町長はニコニコとして、柔和そうだ。意外に若く、まだ三十代かもしれない。そのくせ髪白髪交じりだ。ストレスのせいだろうか、けれどその白髪もロマンスグレーの渋さを醸し出していた。明るめの黒いスーツがよく似合っている。腕時計はスイスの老舗ブランドのもの。その声には活力があり、なんだか先程からのヨシカゲとの会話を見ていると、少し歳の離れた兄弟に見えないことはない。


「それで、仕事の内容は」ヨシカゲが急かすように言う。「できりゃあ今日中にさっさと終わらせたい」


「おいおい、ちょっと待てよ。今コーヒーでも持って来させるから」


「いらん」


 にべもなく言って、ヨシカゲは机を二度叩いた。


 やれやれと町長はリサに笑いかける。気難しいやつ、とでも言っているように。


 なんだか花園は一人だけ取り残されているような気分で、面白くない。


「あんまり焦るなって。ああ、そうだ。リサさん。この前頼まれていたコーヒー豆を仕入れておきましたよ。と言っても通販で取り寄せただけですが」


「あら、ありがとうございます。私もご主人様も、インターネットには疎くて」


「おい、どうでもいい話しは後にしろ」


 なんだろうか、先程から。もしかしたらこの町長はリサの事が好きなのだろうか。アピールが激しい。もしかしたらヨシカゲもそのせいで苛立っているのではないだろうか――?


 というのは花園の邪推である。ヨシカゲはそんなうわついた感情、持ち合わせていない。


 町長はニコニコと笑ったまま、封筒を出してきた。ヨシカゲはその中身を確認する。そしてすぐにリサに渡した。


「幽霊屋敷の調査って、そんなものは俺の仕事じゃないだろう」おそらくそれが、資料に書かれていた内容なのだろう。「適当に業者でも呼んで取り壊せよ」


「そうはいかない」


 花園は話の内容がわからない。また仲間はずれだ。つまらなそうに感じているのを察したのか、リサが横から事情を説明してくれる。


「何ヶ月か前に、屋敷に住んでいた老夫婦が殺されたんです。どうやらその屋敷に幽霊――おそらくこの老夫婦のどちらかが、あるいはどちらもが出現すると」


「幽霊なんて本当にいるの?」と、思わず花園は聞いてしまう。


「いるさ、悪魔がいるくらいだ。どうして幽霊が居ないと思えるんだ」


 ヨシカゲに言われて確かにその通りだとうなずいた。


「つまりその幽霊を退治するのね。退魔師ってもんの仕事が少し分かってきたわ」


「違う、退魔師の仕事はこの町の人間を守ることだ。そしてその屋敷に出る幽霊が本当にそのジジイとババアなら、死んでいたとしても腑卵町の人間に変わりはない。退治などしない」


 じゃあなぜ、と花園は首をかしげる。どうやらヨシカゲも理由が分からないようだ。もう一度、机を二度叩いた。


 町長はもったいぶったように咳払いをして、


「中学生が一人、行方不明になっている。名前は松山カエデ。こんな名前だが、男だ」


「それで?」


「どうやらこの中学生、クラスメイトの証言によるとその屋敷の中に入っていったらしい」


「どうしてそんな場所入るんだ、物好きな奴め」


「どうも中学生の間じゃあ、早くから噂になってたらしいな、幽霊屋敷の事は。おおかた、度胸試しのつもりで入ったんだろう。ガキの頃そういうの流行っただろ?」


「さあ、どうだか。俺には友人なんて居なかったからな」


「あー、そりゃあご愁傷様だ。なんにせよ退魔師、お前の仕事はこの中学生を救出してくることだ。分かったな」


「了解」


 それだけ答えると、ヨシカゲは立ち上がり部屋を出ようとする。が、思い出したかのように立ち止まった。


「おい、あんたはここにいろ」


 あんた、と呼ばれた花園は憤慨した。まさか私の名前を覚えてないのではないか、と。


「私の名前は花園ミナよ! あんたなんて名前じゃないわ」


「なんでもいい。すぐに帰るから、待ってろ。それにどうせあのクルマじゃあ、俺とリサしかいけないからな」


「そうですね、二人乗りですから。花園様にはこちらで帰りを待ってもらいましょう」


「そんなの嫌よ、今、悪魔が出てきたらどうするのよ!」


「どうにもならないから大丈夫だろあんたの命が取られるのはまだ先だ、出てきてもただの顔見せさ」


 嫌だ、とにかく置いていかれるのが怖かった。


 自分でもどうしてこんなにヨシカゲと一緒にいたいのか分からない。恋というよりも、強い強迫観念に思える。誰かが感情の扉を勝手に開け示しているかのような、気味の悪い感覚があった。けれどその濁流のような感情には逆らえず、まるで狂ったように花園はヨシカゲを求めた。


 とうとう、勝手に涙が出てきた。


「お願いだから。置いてかないでよ、一人にしないでよ、守ってよ……」


「なにも泣くことないだろ」


「そ、そうですよ。困りましたね。鬱陶しいので、記憶、消しますか?」


「何するつもりよ!」


 リサが伸ばしてきた手を花園は振り払おうしたが、逆に手を掴まれて捻り上げられてしまった。


「どうします、ご主人様」


「お前の好きにしろ」


 自分の知らない場所で、勝手な会話が繰り広げられている。それは恐怖でしかなかった。


 なにか、悪い事をされる。


「では――」と、リサがもう一度手を伸ばしてきた。


 ここまでか、と思ったその瞬間思わぬ所から助け船が出た。


「待て待て待て、あまり乱暴な事をするな退魔師!」


 町長が慌てて止めに入ってくれたのだ。


「リサさんも、一般人相手にイースターエッグの能力を使わないでくれよ。それは町の掟に反する!」


「あら、そうでしたね。そうしたら私もご主人様に斬り殺されるのかしら? 怖いですね」


 リサが手を離す。今の今まですごい力で掴まれていたのに、不思議と痛くはない。けれど先程まですっごい痛いと思っていたのだ。


 なんだ、このメイドはと恐怖を覚える。が、彼女はマネキンのような澄ました顔をしているだけだ。それがまた恐ろしい。


「ようするにクルマがあれば良いんだろ。分かったから俺のに乗っていけ。リサさん、これ鍵」


 王冠のマークがついた鍵だ。リサはそれをうやうやしく受け取ると、メイド服のポケットに入れた。


「安全運転を遵守します」


「頼みますよ、あと一年ローン残ってるんだから」


 ヨシカゲは無言で町長室を出ていく。話はまとまったという事だ。花園は小走りでそれを追った。


「ねえ、さっきあのリサって人、私に何をしようとしたのよ?」


「あいつは他人の記憶を操るイースターエッグを持っている。たぶん、一時的にお前の記憶を消しておこうとしたんだろうな。戻すつもりだったかどうかは知らないが」


「なにそれ、人の記憶を消す? というか、そもそもイースターエッグって何よ」


 そんな事も知らないのかとヨシカゲはため息をついた。


「イースターエッグとは、いわく、神がこの世に隠した茶目っ気だ。世間一般、普通とされる人間達からは巧妙に隠されている。人々はその概要、あるいは残滓しかその知識に留めることはない。例えばお前が出会った悪魔、幽霊、そしてリサのような特殊能力者、あるいは俺のような退魔師なんかがそうだ。つまりは、なんて説明したら良いかな――」


「アニメに出てくるようなやつら?」


 花園がそう言うと、ヨシカゲは真剣な顔をして頷いた。


「ああ、その言い方は分かりやすいな。つまりはアニメや漫画で紹介されるのも、記憶の残滓だ。本当にあるのに、神によってそれはまるで無いものとして隠されている。だが、それに疑問を持つものもいる。いや、ひと目イースターエッグを目撃した者たちは目覚めるというべきか。俺は神というものが何を考えていたのか分からない、だがやつはたぶん、イースターエッグを隠すことによって、発見した時の喜びを俺たち人類に知ってもらいたかったのかもな」


 そして、ヨシカゲはポツリと、


 ――あるいは、神自身も、最終的には誰かに発見されたかったのかもしれない。自分はここに居ると認められたかったのかもしれない。


 と、聞こえるか聞こえないか、ぎりぎりの声で呟いた。


「じゃあ、貴方の能力ってなんなの?」


「つまらないもんさ」


 言う気もないようだ。


 リサが追いついてきた。


「お二人とも、速いですよ。きちんと町長さんに挨拶しなくちゃダメですよ」


「いいんだよ、あんなやつ」


「あの人もイースターエッグっていうやつなの?」


 そうだ、とだけヨシカゲは答えた。 


 駐車場の奥に白いクラウン・アスリートが停まっている。リサは鍵を開け、助手席の扉を開けた。ドアマン。


「どうぞ」


 ヨシカゲが顎をついと動かす。花園にお前が入れ、としめした。


 ちょっと嫌だったが、花園は助手席に座った。おそらくリサもちょっと嫌だったろうが、表情を変えなかった。ヨシカゲだけは関係ないとばかりに後ろの席を陣取る。そして竹刀袋から少々長めの刀を取り出した。


「行ってくれ」と、ヨシカゲ。


 クルマは高級車の格式を感じさせるような、重厚な走り出しをみせた。


 さすが日本車だ、乗り心地が良い。リサは自分のものではないクルマに少々緊張しているのか、少しだけ前かがみに運転していた。


 花園はふと、自分はいったいここで何をしているのだろうかと思った。リサの美しい横顔を見ながら、だ。


 ヨシカゲの隣にこんな人がいるのならば、自分の入る余地などないのだ。


 ――そもそも私は、あんな男など好きではない。


 花園は頭を振った。ブンブンと。


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