069 悪魔2-2


       2


 浮いた。


 完璧にクラスから浮いた。


 花園は退魔師と仲良く話をした。たったそれだけの事でものの見事にクラスでアンタッチャブルな存在になったのだ。


 すごい影響力ね、と花園はどこか感心すらしてしまった。


 転校生といえば当然のごとく、囲まれて質問攻めのイベントがあるものだと思っていた。けれど誰も話しかけてこない。


 まあ田舎者は東京生まれ、東京育ちの生粋のシティガールに対して気後れしちゃうのかしらね。なんて、そんなわけない。


「ねえ、学校の案内しなさいよ」


 昼食の時間に、花園はヨシカゲにそう言った。誰も相手をしてくれないのだから、もうこちらから行くしか無い。


「なんで俺が」


 感情のない瞳でヨシカゲがこちらを見ている。


 花園はハニカンだ。必殺のスマイルだ。これで落ちない男はまずいない。


 はずなのだが、ヨシカゲは鼻で笑った。


「良いから案内しなさいよ!」


「いやだ」


 ヨシカゲは可愛らしい弁当箱に昼食を食べている。


「それ、あのメイドさんが作ったの?」


「リサな。そうだけど」


「甲斐甲斐しいのね。というか同棲してるの?」


「あいつが勝手に住み着いてるんだ」


 ヨシカゲは白米になにやら白い粉をかける。塩かと思ったら違う、砂糖のようだ。


「あなた、甘いもの好きなの?」


「甘くないと食べたくねえんだよ」


 にしても異常だ。


 花園はヨシカゲの隣の席に座る。といってもそこが彼女の席だ。昼食の惣菜パンを取り出す。朝、来る前にコンビニで買ったのだ。この時期、コンビニでパンを買えばポイントがたまる。それがたまればゆるキャラが描かれたオリジナルの皿と交換できるのだ。


「かけるか?」


 そういってヨシカゲは砂糖を差し出してくる。


「ノーセンキュー」


 結局、ヨシカゲは校内を案内してくれなかった。


 黙々と昼食を食べて午後の授業。花園は前の学校では頭の良い方ではなかったが、この高校の授業はとてもイージーに感じられた。都会と田舎じゃあ学力にも差があるのかしら? なんて失礼な事を思ったりもした。





 そして放課後になり、今度こそとヨシカゲに話しかけた。


「ねえ、ちょっと」


 自分でもどうしてここまでヨシカゲに構うのか分からなかった。なんだか好感度のパラメーターを誰かに勝手に上げられているようだった。現実にそんなものがあれば、の話だが。


「校内じゃないなら、町の中でも案内しなさいよ。光栄でしょ、こんな綺麗な私と一緒に歩けるんだから」


「別に」と、ヨシカゲは答えて席を立つ。


 カバンも持っていない、持ち物と言えば竹刀袋だけだ。


「あ、ちょっと。待ちなさいよ!」


 置いてかれてはいけないと花園はヨシカゲを追いかけた。


「ついてくるなよ」


「良いじゃない、別に。それにあなた、私の事を守ってくれるんでしょ。あの悪魔から」


「悪魔ねえ……ヘルマントトスって言ったか?」


「そうよ」


 忌々しい名前だ。けれど、自分の夢を叶えてくれた者の名前でもある。


「そういえばあんた、悪夢で眠れないって言ってたな」


 昨日は悪夢を見たか? と、ヨシカゲは薄く笑った。それはまるで笑みというものを真似ているかのような笑い方だった。


「見てないわ。久しぶりにちゃんと眠れた」


「それは良かったな。眠りは大切だ、この町にいる間はあんたも安眠できるさ」


 そういえばメイドのリサも同じような事を言っていた。なぜだろう? 昨晩はなにか夢を見た気もするが忘れてしまった。


 校舎を出ると、校門の近くに白と黒の目立つ格好をした女が立っていた。栗毛色の髪にはご丁寧にヘッドドレスのようなカチューシャがついている。どこからどうみてもメイド。リサだった。


「ご主人様、お勉強、お疲れ様でした」


「どうした?」


「はい、先程町長さんから電話があり、仕事ができたとの事です」


 ヨシカゲは地面に落ちていた石を蹴った。


「なんだよ、当分は休みって話だったんじゃないのかよ。この前の――悪魔の一件でよ」


「そうなのですが、急な事だという話で。いつも通りと言えば、まあそれもそうなのですが」


「分かった、行こう」


 去っていこうとするヨシカゲの手を、花園は慌てて掴んだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


「なんだ?」


「わ、私から離れないでよ!」


「なんで?」


「だってあなた、私を守ってくれるんでしょ!」


 小さなため息が聞こえた。リサのものだった。「ご主人様という人は……また色目を使って」そんな声が聞こえてきた。


 ――うるさい、私は色目なんて使われてない! ただ、この男が私を守ってくれるというから近くに居てほしいだけなのだ。


「なあ、お前。なんか勘違いしてるんじゃないのか。退魔師はボディーガードでも、お前専属のマネージャーでもないんだぞ。俺には俺の仕事がある。仕事はきっちりこなさなければならいない。それがプロってもんだ。分かるだろ?」


「じゃ、じゅあ私はなんのために引っ越しまでしてきたのよ。私の近くに居てくれなきゃ、いざという時に守れないじゃない。次はいつヘルマントトスが来るのか分からないのよ!」


「別にいつ来たっていいだろ。あんたとあの悪魔の契約は444日だ。ならその最終日だけ俺がお前を守れば良いんだから」


「それはそうだけど……でも怖いのよ! お願いだから私を安心させてよ!」


 やれやれ、とヨシカゲは首をふった。


「俺と一緒にいるくらいで安心できるもんかねえ」


「ご主人様、早くしてください。町長さんが待っておられます」


「分かってるけど、こいつが離さないから」


 花園はもう無我夢中だった。しがみつくようにしてヨシカゲから離れようとしない。自慢の巨乳をこれでもかと二の腕に押し付ける。


「ぜーったい、離れないから!」


「あの、これってスキャンダルじゃないんですか? 最近、週刊誌とかも声優の熱愛事情に敏感ですから。あまりそういう事はよしたほうが良いのでは?」


「うるさいわね、なんかあっても事務所がもみ消してくれるわよ」


「そうですか」


 そのまま学校の駐車場に向かう。リサを先頭に、ヨシカゲとそれにしがみつく花園だ。こうしてみれば二人はカップルのようにも見える。もっともヨシカゲの顔は浮かないが。


 駐車場には教師たちのおとなしいクルマに並んで、一つだけ派手なオープンカーがあった。古いマツダ・ロードスターだ。


 綺麗に磨かれていて、つややかな光沢を放っている。


「でも花園様、このクルマは二人乗りでして」


 ひと目みた瞬間、たぶんそうだろうと思ったのだ。まさか教師がこんなクルマを乗り回しているとは思えないし、乗っていたとしてもホロを開けたままにしておくはずがない。やはりこれがリサの――あるいは麻倉家の?――クルマなのだ。


「なによそれ、もっと良いクルマに乗りなさいよ!」


 別にけなすつもりはなかった。が、思わずそう言ってしまった。


 リサの目が三角に釣り上がった。「なんですって!」と、今までの敬語を吹き飛ばして叫ぶ。


「おいリサ、落ち着け。このクルマがポンコツな事に変わりはないだろ」


「そうですが、このクルマが良いクルマではないという事とは別問題です」


「どこが良い車なのよ。あのね、私はいつももっと高級なミニバンで送迎してもらってるの。シートなんてふかふかで、ベッドみたいに倒れて、中に冷蔵庫までついてるんだから」


「だからどうしたっていうんですか。オープンカーの良さはオープンカーにしか分かりません」


「それに、パパはBMWに乗ってるのよ。こんなおっきなセダンなんだから!」


「お生憎様、私は昔ロールスロイス・ファントムに乗っていましたから!」


「う、嘘つかないでよ! つくならもっとマシな、レクサスくらいにしなさいよ!」


 ちなみにロールスロイス・ファントムの値段は約6000万円である。


 もちろんそんなクルマ、花園だって乗ったことはない。


「なんでも良いけどさ、あんたも妙に詳しいな。オタクか?」


「違うわよ!」


 花園が妙にクルマに詳しいのは、彼女がついこの前まで公道レースのアニメに声の出演をしていたからだ。


「まあ俺は興味ないからな。リサとこうやって楽しそうに話せるやつはいなかったからな。ああ、そうだ。お前ら二人で町役場へ行け。俺は歩いて行くから」


「なんでよ」と、花園は思わず文句を言った。


「だってお前、俺から離れたくないんだろ。けどクルマは二人乗り。ならとりあえず町役場までは二人で行けよ。ああ、心配するな。こう見えてリサもイースターエッグだ。何かあってもあんた一人くらいなら守れるさ。なあ、リサ」


「ご主人様がやれというなら、このリサ全力を持って守らせていただきます」


「じゃ、そういう事で」


 ひらひらと手を上げて歩いていくヨシカゲを花園は眺めていた。その姿が見えなくなる前に、花園ははたと気がついた。


「え、じゃあ私も歩くわ!」


 追いかけようとしたが、リサに手首を掴まれた。 


 とんでもなく痛かった。関節をキメられたのだ。


「花園様はこちらです。このクルマの良さをその身をもって知っていただかなければ」


「痛い痛い! 分かったわよ、だから離して!」


 どうぞ、とリサがツードアの扉を開けた。花園が座ると、リサも運転席に乗り込んだ。


 エンジンをかける。リサはうっとりとその音を聞いている。


「では行きましょうか」


 ギアをローに入れる。ロードスターはなめらかに発車した。駐車場を出て国道へ。リサは快調にギアを切り替えていく。


 風は生暖かくて、いつもなら気持ちが悪いが、今はなんだか優しく感じた。


 リサはしゃべらない。無言だ。けれどその口元は絶えず微笑をたたえている。美しい、とその表情を見て花園は思った。


「あの人、変な人ね」と、花園は言った。


 あの人というのはもちろんヨシカゲのことだ。リサは「ええ」とどこか嬉しそうに頷いた。


 あの人は今、一人なのだと花園は思った。でも、もしかしたらその方が似合うのかもしれない。花園の心は確実にヨシカゲに惹かれていた。

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