044 完全なる世界3-5
3
――元気がないですね。
開口一番、リサは俺にそう言った。
「いや、いつもどおりだ」
「そうですか? ここ最近、いつもよりさらに暗いです」
「根っこから暗いんだ。だから根暗なんだろ。根掘り葉掘りしたって、どこまで行っても暗いんだよ」
俺はそう言いながら、白いオープンカーに飛び乗る。普通の窓をあけないで、上からハードルのようにドアをまたぎ席につくのだ。これが意外と練習のいるやり方だ。
リサは俺の横着な乗り方をため息混じりに「すごいですね」と褒めて、自分は普通にドアを開けた。
あのサッカーの騒動から数日。週を挟んで、俺達は学校の駐車場にいた。
どういうわけか、終業の時間を見計らってリサから電話が来たのだ。迎えに行くので準備をしてほしいというのがその内容だ。しかし準備とはなんのことだろうか、わからなかったので俺は退魔刀だけを持った。
ちなみに教科書の類は教室においてある。小学生の時から変わらない。置き勉派なのだ。
「どうしたんだ、迎えなんて珍しい」
「町長さんから電話がありまして」
「デートしてほしいってか?」
「そんな訳ないじゃないですか」
マグマだって凍りつくような冷たい視線だ。呆れているのだ。
どうも俺の冗談はつまらないらしい。
「死体が見つかったらしいです」
「誰の?」
「さあ、それは不明らしいですが」
リサはエンジンをかけようとキーを回す。最近あまりエンジンの調子がよくないのか、リサはなだめるように何度かキーを回してはアクセルを吹かす。
「新しいの、買ってやろうか?」
「まるで誕生日のプレゼントの感覚ですね」
その通りだった。俺はクルマの値段というものをよく知らない。また、興味もない。だが貯金は潤沢にあるようだし――ここ最近はリサが管理しているので詳しくは知らないが、クルマくらいは買えるだろう。
父親が死んだ時、まとまった金も入った。それもまったくの手付かずだ。俺はコインに興味がない。興味があるのは甘いものくらいだ。
「こういったものには愛着が宿るんです。おいそれと買い換えられるものではありませんよ」
「そういうものか」
「はい、ですから治して騙し騙し乗っていくんです。でもエンジンの不調は困りました。こればっかりは自分で治せませんから」
そうだわ、とリサはわざとらしく手を叩く。だが、そのままでも表情はなく、どこか人形がそういう動きをしているだけに見える。
「ご主人様、新しいクルマはいりませんが、今度クルマのメンテナンスに行きましょうよ」
「行ってくればいい」
「一緒に行きましょう、それが良いです」
「どうして?」
「だってこれは、ご主人様のお父様がお乗りになっていたクルマなんでしょう」
「そうだな」
「でしたら、ご主人様にもこのクルマを愛する義務があるはずです」
「義務か? 権利の間違いじゃなくてか?」
「いいえ、義務ですよ。ご主人様が忘れてしまえば、このクルマに乗っていたお父様の記憶はどこにもなくなります。誰からも忘れられた記憶はどこにもありません。それは本当の死です。ですから、ご主人様は少しでもこのクルマを愛して、お父様のこともお忘れにならないようにしてくださいませ」
「別に、いいよ。記憶なんて消えてしまえば」
「それはいけません」
リサはえらく熱のこもった調子で言った。まるで彼女にとって、記憶というものが何よりも大切であるかのようだった。
きっと彼女にとって、実際に目に見える物体よりも心の中にある思いの方が大切なのだろう。
それは、良い考えだと思った。俺はどちらも大切にできない、ただあるがまま、なされるままに流されているだけの男だ。だから、リサのような確固たる考えを尊敬できた。
「分かった、行こう」
リサは安心したように頷いた。安心したように、というのは俺の予想だ。リサは終始無表情だったからだ。
クルマのエンジンがやっとかかる。
ゆっくりとクルマは発車した。
駐車場での会話を、下校中の生徒に見られていた。その中にはデブや、フサ子の姿もあった。
フサ子は俺と目が合うと、驚いたような顔になった。そして、運転席に座るリサを見て、さらに悲しいような顔になり、最後には怒ったように唇を噛んだ。
それが何を意味するのか、俺には分からなかった。
だが、フサ子は確実に俺とリサに何かを思ったらしい。
「なあ、リサ」
俺の声は風に乗って、どこかへ飛んでいく。
それでも、リサは聞き取ってくれるのだから偉い。
「はい、なんでしょう」
「さっき、クラスの女子が俺たちのことを見てたんだ」
「あら、そうですか」
それは気づきませんでした、とリサは続けた。
俺は夕日の眩しさに目を薄める。この腑卵町で朝日を見ることはそうそうできない。いつも厚い雲がおおっている。だが、どういうわけか夕日の時間だけは、時々の雲が晴れるのだ。そして夕日の眩しさもつかの間、すぐに夜がくる。
それは断崖を落ちていくような急さだ。
「なんか、妙なんだよな」
「妙、ですか?」
「ああ、俺が見たことのない表情だった。気になるわけじゃないが」
「もしかして、それは恋ではないのですか?」
「恋?」
「そうですよ、その女の子には悪いことをしました。きっとご主人様のことが好きなんですよ」
「まさか、ありえない」
「どうしてそういい切れるんですか?」
リサがクルマのヘッドライトをつける。気がつけばあたりは暗くなっている。いつの間に、と思う間もなく日は落ちてしまったのだ。
「いや、たしかに言い切れないけど」
「そうでしょう。きっとそうですよ。ご主人様のことが好きで、けどそのご主人様の隣に知らない女性の姿が。それは嫉妬もしますよ」
「嫉妬……」
そうか、あれが嫉妬の表情か。言われてみればフサ子の浮かべていた表情はそうかもしれない。一度思うとそうとしか考えられくなった。
だが、フサ子が俺に嫉妬を?
ありえるのか?
分からない……。
クルマはどんどん山の方へと上っていく。
「おい、リサ。これはどこに行ってるんだ?」
「
「まったく、誰がそんな場所で死体を見つけたんだか」
「ああ、それは五反田さんらしいですよ」
「五反田が?」
あの陰陽師は確か、人探しの力を失ったはずだが。
「なんでも、もう一度習得したそうです」
「そうか、ああ見えて意外と頑張りやなのかもな」
「ふふ、そうですね」
まったく、人というものは見た目では分からない。
「それにしても寒いな」
「それもオープンカーの醍醐味ですよ」
俺はクルマの暖房を入れる。たしかに、こうしていれば露天風呂に入っているようで気持ちが良い。
少しずつ、道にも雪が増えてきた。
木々が雪を被りだし、辺りが静かになっていくような感覚がある。民家もなくなり、周囲はひっそりと静かだ。
「タイヤ、変えておいてよかったな」
この前の休みに、せっせとタイヤをスタッドレスに変えていたリサを褒めた。
「ええ、本当に」
俺はあたりの静けさに、ここらへんの地方に伝わる伝承を思い出す。
「なんだか姥捨て山みたいだ。まさかリサ、俺を殺そうとなんてしてないよな?」
鎌をかけるように、何気なく聞いてみる。
「そうですね、そうすれば口減らしにはなりますね」
リサは平然と言ってのける。
「おいおい、勘弁してくれ。そしたらキミはご主人様を失うぞ。それはもうメイドとはいえないだろ」
「そうですね、未亡人です」
それは未亡人というのだろうか?
分からなかった。
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