038 完全なる世界2-8


 さて、そんな事をしていても一向に男の子の親は迎えに来ない。


 リサはもう一度館内放送をかけてもらうが、それでも親はこない。いつの間にか時刻は昼の二時を過ぎている。男の子を保護してから実に一時間は経っていた。


「来ませんね、親御さん」


 おかしいな、というふうにリサが首をかしげる。


「置いて行かれたんじゃないのか、その男の子、捨て子だったりしてな」


 俺の言葉に、男の子は目にいっぱいの涙をためる。


「もう、なんてことを言うんですかご主人様」


「だがな、実際問題男の子の親は来ないんだ」


「放送が聞こえてないとかじゃないのか?」五反田が言う。


「いや、この店内どこに居ても放送は聞こえるはずだ。それに子供とはぐれた親なら、店内放送はかなり気にしているだろう。むしろあちらからも放送がないとおかしいくらいだ」


「という事は、この子の親は気づいていないのではなくて、気にしていない?」


「そういうことになる。可能性は三つ。


 一つ目。親は子供がいなくなっても気にしてない。――そもそも捨てるつもりだった。


 二つ目は、そもそも親は子供がいなくなったと思っていない。例えば親が買い物をしている間、ゲームセンターででも遊んで来いと言われたとかな。これはある意味虐待に近い。


 そして最後、三つ目だ。そもそも、親は店内放送を聞いていない」


「そんな、さっきは店内放送は店のどこにいても聞こえるとおっしゃったじゃないですか」


「あ、もしかして退魔師。それってこの子の親がもうこのショッピングモールから出て行ったあと、っていう意味か?」


「いや、それは最初の可能性と一緒だ。そもそも子供がいなくなっても気にしてない」


「じゃあ、どういうことだ?」


「考えてみろ。このショッピングモールには、ただ一つ。店内放送が聞こえない場所がある」


「どこですか?」


「だから、考えてみろって。ちなみに、そこならば二番目の可能性。そもそも親が子供がいなくなったことに気づいていないも、同時に説明ができるかもしれない」


「分かりません、五反田さんは分かりましたか?」


「ぜんぜん、俺は自慢じゃないが、バカなんだ」


「本当に自慢じゃないな」


 どうもこのままでは答えがでなさそうだ。


 だから、俺は自ら答えを言う。


「映画館だよ」


 ああっ、とリサと五反田は納得がいったように驚いた。映画館ならば上映中の映画の音だけしか聞こえない。


 だがそれでも、子供がいなくなれば親は気が付くのではないか。


 これに関しては、おそらく親は寝ているのだろう。俺も経験があるが、あまり興味のない映画を見ていると途中でどうしても眠くなって寝てしまうのだ。俺はゴダールの「気狂いピエロ」の冒頭十分でどうしても寝てしまう。これまで四度挑戦したが、すべて惨敗だった。


 それと同じように、この男の子の親も映画館の中で寝ているのではないだろうか。


 俺の推理を聞いて、リサはしまったという顔をしている。


 そう、もしもこの推理が当たった場合、謎が二つ残るのだ。


 どうして男の子は、映画館の外にあるこのフードコートで泣いていた? 確かにここから映画館は近い。すぐ近くのテナントだ。だが、いや、だからこそ男の子が泣いている意味がないのだ。もう一度、映画館に戻ればいいじゃないか。


 いや、子供のやることだ。映画の最中にトイレがしたくなって、映画館を出てきて、それでトイレを済ませると映画館がどこにあったのか忘れることも、あるかもしれない。


「おい、キミ」


 俺は男の子に語り掛ける。


「ポケットの中でも見てみろ。映画の半券がないか?」


 男の子はガサゴソと自分のポケットの中に手を突っ込む。果たして、くしゃくしゃになった映画の半券がでてきた。やはり、俺の考えは正しかったようだ。


 リサの目が、細くなる。


 その瞬間、男の子はまるで何かを思い出したかのように、「そうだった、僕、映画みてたんだった」と突然言い出した。


「そうなの、じゃあ戻らなくちゃね。ご主人様、わたしはこの子を映画館まで連れていきます」


 少しだけ焦るようにリサが言う。


「ああ」


 リサが男の子を連れて、映画館の方へと歩いていく。


 俺はテーブルの上に残っているドーナツを食べる。五反田は妙な顔をして、俺に何か言いたそうだ。


「どうした」


「いや、変だなと思って」


「だな」


 俺は頷く。こいつはバカだと思っていたが、どうやらこれくらいの妙な出来事には気が付くらしい。俺の場合、気が付いてもどうにもしないが五反田はどうなのだろうか。


「お前も思ったか」


「なら、退魔師も?」


「そりゃあ、思うさ」


 五反田は真剣な顔になる。俺は食べかけのドーナツを置いた。


「本当に変だ。恋なんて忘れたと思ってたのに」


 俺は、五反田の言葉の意味が分からず、一瞬思考がフリーズする。


「はい?」


 やっと出たのは、そんな言葉だ。


「見ろよ、リサさん。綺麗だぜ、ああやって子供にも優しいし」


「お前、マジで言ってるのか?」


「え、退魔師はそう思わないのか?」


 俺は別にリサを綺麗だと思ったことはあるが、それ以上の感情をいだいたことはない。例えば好きだとか、付き合いたいだとか、性交をしたいだとか、そういった先がないのだ。


 だが、リサの豊満な肉体も、涼しげな整った顔も、冷静沈着な声も、普通の男からしたら欲情の対象になりうるのだ。


 そのせいで、他のことが見えなくなるほどに。ならば俺はそんな感情はいらない。恋は盲目とはよく言ったものだ。


 リサが戻ってくる。今度は一人だ。


「ちょうど映画の終わった時間で良かったです。中から親が出てきましたよ」


「そうか」


「本当に寝てたみたいです」


 俺は頷く。


 これでこの話はおしまいだ。


「そろそろ帰るか、リサ」


「そうですね、ご主人様」


「え、帰っちゃうのかよ。もう少し遊ぼうぜ」


「俺も暇じゃないんだよ」


 まあ、嘘だが。家に帰ったところで新しく買った本を読むだけだ。


 それにしても、最後に残った謎が一つ。


 あの男の子はどうして映画館の事などおくびにも出さず、この場所で大人しくリサといたのだろうか。まるでそう、自分が映画を見ていたことなど忘れていたように。


 俺はこの問題の仮の答えを持っている。だが、それについては考えないことにする。考えてもどうしようもないことは考えない。それが俺の哲学だからだ。


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