034 完全なる世界2-4

「ありがとうございます」


「ああ、どういたしまして。それで、他に欲しいものはあるか?」


「そんな、欲しいものなんて。まるでわたしが卑しい女みたいです」


「いや、そういう訳じゃないよ。ただ、どうせ金なんて自分から使わないんだ。だから、キミが欲しいものがあるのなら、買えばいいと思って」


 もちろん俺もほしいものがあれば買う、と付け足す。


 リサはそこまで言うのであれば、と洋服が見に行きたいと主張した。


「わたし、私服がないんです」


「そうだったか?」


「ええ、はい」


 だから毎日メイド服を着ていたのか。得心がいった。


 そもそもリサが初めて家に来た日は、どうだったか。たしかその時からもうメイド服を着ていた気がする。あまり興味がなかったのでよく覚えていないが、変な女がいるなと思ったのはよく覚えていた。


「なので数着、余所行きの物がほしいです」


「それはいい考えだ」


 俺のように服に頓着のないものからすれば、そもそも服が欲しいという考えが理解できない。が、一般論で言えば女の子は衣服にお金をかけるものであり、可愛らしいお洋服が大好きなものだ。


 服さえ買い与えておけば、女は文句を言わないとしたり顔で語る男もいるくらいだ。さすがにこれは冗談にしても、リサも嫌な気持ちはしないだろう。


 どこかスキップルするような様子で、リサは歩いていく。


 次は、リサが俺を先導する番だった。


 大型のショッピングモールにはアパレル店が両手の数よりも多く入っている。リサは案内看板を見て、自分の行きたい店にあたりをつけたようだ。


 迷うことなくリサは目当ての店へと行く。


 俺はその店を見て、目を疑う。なんだかフリフリした、宝石箱をひっくり返したようなきらびやかな服が並んでいる店だった。ロリィタファッションとでもいうのだろうか、そういう意味ではリサが今きているメイド服と大差ないように見える。


「ここ?」


「ここです、ここ。冬の新作が出てるんです」


 そう言って、リサはずんずんと店に入っていく。


 俺はなんだか自分が場違いな場所に来てしまったような気がしながらも、一応ついていく。


 リサは無表情のまま、目だけをキラキラさせた。


「この服、どう思いますか?」


「どう思うって……」


 リサがまず出してきたのは、白いブラウスと、茶色と黒のチェック模様のスカートが一緒になった、ドレス調の服だ。ブラウスとスカートはいかにも肩釣りでつながっているようだが、真ん中で縫い合わされていた。


「カワイイヨ」


 と、俺は言う。


 リサは満足そうだ。


「こういうの、なんていうか知ってます?」


「ロリィタファッションだろ」


 それくらい知ってる。


 だが、リサは馬鹿にするように鼻で笑った。


「違いますって、クラロリ――クラシカルロリィタっていうんですよ」


「それってゴスロリみたいなもの?」


「違います、ゴスロリはゴシックアンドロリィタでしょ?」


 でしょ、と当然のように言われても知らないものは知らない。


「ゴスロリって言ったら、想像するのは黒や白です。そうでしょ?」


「そうですね」


 俺は投げやりにリサの講義を聞く。


 リサはやけに張り切って、俺にその洋服の種類を話してくる。


「もちろん黒や白だけに限ったことではないですけど。それで、定義はかなり曖昧模糊としていますから、わたしの感覚的なもので言いますね。ゴスロリは豪華絢爛で、フリフリしていて、スカートはパニエでパンパン! お化粧は影を濃くして、唇は赤く! はい、復唱!」


 復唱するのかよ、と思いながらも不承不承したがう。


「豪華絢爛、フリフリ、パンパン、影は濃くて唇赤い」


 なんだかジュゲムみたいだ。


「対してこちらのクラロリは、ゴスロリやロリィタと比べれば地味な色が多いです。茶色や淡いベージュ、薄水色などを好み、スカートの中にパニエに入れることも少ないです」


「それで?」


「ということで、それらのロリィタファッションと比べれば日常使いが許される服装となっております」


「そうなの?」


「そうなんです」


 よっぽど真剣な顔で言われて、俺は納得するしかなかった。


 まあ、良いけど。キミが良いなら、良いけど。そういう気持ちだった。


「分かってくれれば、よろしいです」


 リサは、ほっとしたように手に持った服を元あった場所に返した。


「買わないの?」


「サイズが少し、小さくて」


「そうかい」


 そもそもリサは、自分の服装が俺に否定されるのを恐れているようだった。だから、わざわざ俺に説明して、理解できない気味の悪いものではないという事を伝えようとしているようだった。


 俺はそう狭量な人間ではない。いつものリサのメイド服で慣れているのもあり、リサの服装を反対などしない。そもそも俺が人様に文句を言えるわけがないのだ。


 俺は、他人に対して感情をいだくことは殆どない。だからリサがどのような服を着ようと、興味もないというのが正直なところだ。


「こっちはどうでしょうか?」


 どうもこうも。


 次に見せられたのは、先ほどの服の色違いだ。


「サイズは大丈夫なの?」


「茶色はなくて、黒と青しかないんです」


「サイズが合うのが?」


「どっちも捨てがたい……」


「そうだね」


「どっちが良いと思います?」


「ドッチモカワイイヨ」


「どっちかだと?」


「じゃあ、黒」


「そうね、黒も良いですね。でもいつも黒のメイド服だから……」


「じゃあ、青?」


「そう簡単には決められないんですよ」


 なんだろう、この会話は。


 俺はリサに何かを尋ねられているはずだ、なのにそれが何の意味を持つのか全く分からない。俺が答えても、リサは俺の答えなど頭の中を素通りさせているようだ。


 ともすれば、本当はリサの中で答えなど決まっているように思えた。


 その答えは、俺の予想だにしないものだったが。


 リサはそのあと、たっぷり五分悩んで言い放った。


「やっぱりどっちも、よしておきます」


「はい?」


「なんだか、どちらも買う気にはならなくなったんです」


「そ、そうか……」


 リサは他の服も物色する。


 だが、どれもこれも手に取るだけで買おうとはしない。何度か先ほどのような問いを投げかけられたが、結局は全て戻してしまう。


 俺はつまらなくなって、周りの客を見てみる。どういう訳か、他の女性客も全員、多かれ少なかれロリィタファッションをしている。まるでそれがドレスコードのようで、店員も同じだった。


 ふと疑問に思ったのだが、もしもロリィタファッションがドレスコードなら、最初はどうするのだろうか。まさかいちげんさんお断り? 最初はロリィタファッションを着ている人に同行してもらわなければいけないのでは……。


 なんて、そんなわけはない。


 リサが最終的に選んだのは、冬の新作だという白い生地に水色の雪の結晶が描かれたスカートと、セール品になっていた秋物のカーディガン、それとフリフリの白いブラウスだった。


 だが、それをすぐに買おうとはせずに、レジの隣におかれていたブーツを見て、迷うそぶりを見せた。


 この店は服だけではなく、そういったロリィタな靴やカバン、アクセサリの類も売っていた。リサはそういったものにももちろん興味があるようで、買おうかどうしようかと迷っているのだ。


「買えば? どうせだから」


 この店に入ってから、早くも一時間は経っていた。その間に俺はすっかり飽きてしまい、さっさと帰りたかった。ちょっと疲れていた。


「どうしようかな……」


「買えば?」と、俺はもう一度いう。


「そうですね」


 どうせ俺のお金なんだから、と思った。


 だがリサは何が気に入れらないのか、その編み上げのブーツを見つめたまま買おうとはしない。


 俺はつまらなくなって、そのブーツの値段が書かれたタグをつまみ上げる。


「三に、ゼロが四つ。三万円」


「そうですね」


「もしかして、値段が気になるの?」


「いえ、値段もさることながら、わたしにこの靴が履きこなせるかと……」


「意味が分からないな」


「あまりにもこのブーツが高貴なもので、わたしなんかが履いていいのかと」


「当然いいだろ、値段がついてるってことはそういうことだ。その分の金を払えばそのブーツはキミのものだ。履く権利はキミのものになる」


「そうなんですけど、欲しいもの全てを手に入れることが幸せとは限らなくてよ」


 リサは、メイドの格好をしながらまるで貴族の令嬢のような厳かな口ぶりで、言い放った。


 その言葉の端に籠った熱が、リサの中の哲学であると俺は心の底で感じた。


 これ以上、俺には言うことがない。


 個人の持つ哲学は、その個人だけのものだ。人に言われて揺るぐこともある。だが、それが変わるとしたら、最後に決めるのは自信の自由意思だ。それによってのみ、変化を許される。


 リサは結局ブーツを買わなかった。


 本当のところ、それは最初から決まっていたようだ。


 だが綺麗な黒い革製のブーツに対する、ある種の礼儀のようにリサはそれを欲しがって見せただけだった。


 俺たちは相応の会計をすませ、店を出た。


 リサが買った洋服の袋を、俺はなぜだか分からないが持たされた。店員が俺に渡してくるのだ、仕方がない。なんでもいいが、この店の袋は普通の紙袋ではなく、凝った作りのビニール袋だ。小学生の女の子がプールに行くとき、水着を入れるような袋に似ている。


「夢だったんですよね」


「何が?」


「お買い物をした後、殿方に買ったものを持ってもらうのが」


「夢のままにしておいたほうが良かったんじゃないのか?」


「どうしてですか?」


「俺なんかでよかったのか、その夢を叶えたのが」


「ええ、もちろん。ご主人様は上等なご主人様です」


「そうかい。俺は、どうしてショッピングモールの通路に椅子があるのか、分かった気がするよ」


「そうですか、新しい発見があってよかったですね」


「本当にな」


 あの椅子、フカフカの長椅子。通路の真ん中を観葉植物と寄り添ってさも居心地が良い場所であると自己主張している。あれはきっと、女の買い物につき合わされて疲れ切った男が憩いを求めるオアシスなのだ。


 そんな発見、しなくても良かったのだが。



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