033 完全なる世界2-3
2
最初に向かったのは本屋だ。
本なんてネットで買えばいいのだが、やはりこうして実際に見て回ったほうが分かりやすい。とくに、ここら辺では一番の品ぞろえの大型書店だ。目移りするほど本がある。
俺はさっそくライトノベル売り場へと行く。
リサは後ろについてきた。
「ご主人様、こういう本も読むんですか?」
「なんだよ」
「いえ、少し意外でしたので」
「悪いか?」
「まさか。悪いなんて言ってませんよ」
「そうか」
もしかして馬鹿にされているのだろうか?
劣等感というのは相手に与えられるものではなく、自分が与えられたと思い込むものだ。
別に良いじゃないか。確かに表紙に可愛らしい二次元の女の子がデカデカと描かれていることが多いから、女の子からしたらオタクっぽいとか、キモイとか、そういうふうに思われるかもしれない。でも面白いものは面白い。
もっともそれは俺が面白いと思い込んでいるだけかもしれない。面白い、ということにして俺は本を読み続けるのだ。そうしている限り、俺は無口な何もしない化け物ではなく、ただ寡黙な読書家の人間としてふるまえる。
とはいえ、言えばいうほど、言い訳じみてきそうなので、俺は何も言わない。
代わりに布教をしておくことにする。
「面白いんだぜ、例えばこの『ガールズ・コンポジション』」
「はあ……」
「とにかく女の子が可愛い」
「そうですか」
「ほかにもこっちの『フラッシュ・リ・モブ』」
リサは「はぁ」と気のない相槌をうつ。
「女の子が可愛い」
「それ、さっきと同じですよ」
「あとはこっちの『砂の女』。阿部公房だな」
「はい? それ、ライトノベルじゃないですし」
「女の子が可愛い」
「あの、ご主人様」
「なんだい」
「それしか感想がないんですか」
「まあ、簡単に面白さを要約するとこうなる」
「本当ですかねぇ」
リサはジト目で、はなっから俺を疑った掛かっているようだ。ご明察、俺はには他人に対する可愛いなんて感情は存在しない。
だからもちろん、俺の言ったものはすべて冗談だ。
それに、一つ一つの作品をいちいち解説していったら、いかにもオタクという感じだ。こういうのはとにかくさわりだけを言うべきだ。それで興味を持ってもらえればいいし、別に興味をもってもらえなくても俺には関係ない。
さて、この二冊のライトノベルは買う事が確定していた品物だ。だからあまり悩むこともなく、すぐに手に取った。本番はここから、本屋の楽しみ方はここからと言ってもいい。
適当にあてもなくブラブラと歩き、本を物色する。自分に興味がある分野から、まったく専門外の分野まで、幅広く。
「リサは何か欲しい本ある?」
「え、いいえ……わたしは別に」
「そうか、一冊くらいなら買ってやるぞ」
というか、よく考えたら今は俺の給料をリサが管理しているわけだから、財布の紐はリサが握っているのだ。俺は自分の財布を確認する。案の定、お金は入っていない。すっからぴんだ。
「訂正、小遣いくれ」
リサは無言で自分の財布を取り出した。どこかのブランドの、高そうな長財布だ。俺はブランド品に興味はないが、リサの使っている財布はどう見ても上等な製品だった。
「そういえば、ご主人様はいつもお金をどうしているんですか?」
「別に使わねえからな。キミがいると特に、な。食事さえ作ってくれれば、それ以外で散財はしない。時々、甘いものが無性に食べたくなるが――」
俺はポケットから飴玉を二つ取り出す。
「たいてい入ってるからな」
それがなくなれば家で備蓄してある分をまた補充するだけだ。おそらく、あと一か月は持つだろう。
「そうだったんですか。だから、わたしに通帳とカード類を全部渡したんですね」
「それ以外にも理由はある。俺はな、お金ってものが大嫌いなんだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
嫌いだ、人間と同じくらい。
いや、逆かもしれない。人間というものは金が好きだから、俺は金が嫌いなのかもしれない。この世の中、金のために生きていると恥ずかしげもなく豪語する人間が多すぎる。
俺はそんなものを大切に生きるのはまっぴらだ。俺にとって大切なのは、今も肩に担いでいる、竹刀袋に入った日本刀だけだ。
最初の、専門書から見ていく。たいてい本屋の一番奥にあるのは受験用の赤本。その横に考古学や民俗学、オカルト関係の本が並び、そこから社会学へと流れていく。
俺はほんの背表紙を一つ一つ確認していく。面白そうだと思ったものを手に取り、中を数ページ読んで買うかどうかの最終決定をする。たいていの本はそのまま戻されるが、この日は一冊だけ、良さそうな本を見つけた。
タイトルは『記憶喪失の果て』という名だった。
「どうかな、この本?」
「どんな本ですか?」
リサは俺の後ろを、背後霊のようにずっとついてきた。俺は別にそれで困ることもなかったので、そのままにしていた。
「記憶喪失になった人間が、その記憶を取り戻したときどうなるか、知っているか?」
「いえ、知りません。ご主人様はご存じで?」
「一説によると、記憶喪失の人間が記憶を取り戻せば、記憶を無くしていた間の記憶が消えるらしい」
「記憶を無くしていた間の記憶が、消える?」
「そう。つまりはもう一度記憶を無くす」
「なんだか聞いたことがあるような……ないような……」
「だろう。だが、これは科学的にあり得ない事だ」
「そうなんですか?」
「ああ、しかしこの本に書かれた四人の被験者。こいつらは、そうであるにも関わらず記憶を無くしたと言い張るんだ」
「そもそも、記憶喪失から回復する人が稀なのでは?」
「そう、その稀な中で、さらに稀な四人だ。一人は日本人だが、他三人は外国人だ」
「面白そうな本ですね」
「だろう、だから読んでみようと思ったんだ」
「で、最後はどうなるんですか?」
「最後?」
最後、とはいったいどういう意味だろう。
「最終的にどうなるんですか? 読了感を聞いています」
「そりゃあ、まだ読んでないから分かんないよ」
「そうなんですか」
リサはどういう訳か、少しがっかりしたようだ。
「そもそも小説じゃないんだから、最後なんてないさ。人間の最後は死ぬことだから、そういう意味じゃあ、ここに書かれる四人は全員死んだんだろう」
「ふうん」
もう、興味などないようだ。俺はしかし、今の間にまとまった一つの考えを言いたかった。
「思うんだがな、記憶喪失から回復した人間が、記憶を無くしていた間の記憶を無くすというのは、全身麻酔からの覚醒後の混乱に似ている気がする」
リサは返事をしないが、文句も言わない。聞いてくれるつもりなのだろう。
「全身麻酔から目覚めた患者が、いきなり突飛な行動を起こすという話を聞いたことがある。例えばいつもは穏やかな人間が、突然相手を罵倒したり。大の大人がワンワンと声を上げて泣き出したり。妙なところではナースの女性をレイプしたり、夢精したり――」
俺はリサがどのような反応をするのか注意深く観察しながら言葉を続ける。
「これはな、人間の深層心理が体現した状態だと言われている。ようするに、人間の本質だ。精神によってコーティングされた魂――プシュケーが、麻酔によって精神の楔を解き放ち、肉体を動かす」
これが、人間の本質だ。
だから人間は醜い。
そう言ってしまうのは簡単だが……残念だが俺はこの理論について実証たらしめる証拠がない。つまりは知識だけで、経験による確証が取れていないのだ。
もしかしたら、俺はそれを確証させるために、人を助けているのかもしれなかった。
人間はギリギリの淵でこそ、その本性を見せるのだろうから。
「話がそれたな。つまりは、ただの精神の一時的な混乱により、記憶がなくなったと言い張るだけかもしれないって話さ」
「そうですか。でも記憶というのはそう簡単に戻るものですかね?」
まるでそこばかりが気になるというように、リサはもう一度いう。
「さあ、知らないな。俺は記憶をなくしたことなんてないからな」
そうですか、とリサはもう一度いう。
それから俺は、漫画を見て数冊か出ていた、集めていた漫画の新作を手に取る。数か月ぶりに本屋に来ると、こうして何冊も買わなくてはいけないから面倒だ。
本をレジに持っていこうとすると、いつの間にかリサがいなくなっていた。
どこに行ったのだろうか、とあたりを見回すとまさかのまさか、絵本売り場にリサがいた。
色とりどりの大きな長方形の表紙に囲まれて、とび色と白のメイド服のリサが真剣な表情である本を手に持っていた。
「それ、欲しいの?」
「あ、いえ……」
「買ってやろう」
と、言いながらお金を出すのはリサだ。いや、まあそのお金も俺が退魔師として稼いだものだけど。
「いえ、欲しいわけではありません。ただ珍しく思って。まだ売っていたんですね、この絵本」
俺はリサがもっている本を見る。
『トマトマト剣士の冒険』
なんだ、これ。面白いのか?
「懐かしいです」
「絵本は、一度売れれば十年、二十年と売られ続けるからな」
「そうですか。わたしが幼いころ、母が読み聞かせてくれました」
「どんな内容なの?」
「トマトマトという名前の剣士が、ピーマン魔王にとらえられたナスビーナス姫を助け出す話です。今思えば単純な筋書きの話なんですけど――うふふ、わたしはどうしてか、この絵本が大好きで。よくお母さんに読んでほしいとねだりました」
不思議なもので、俺はリサに母親がいるということがちょっと信じられなかった。
パラパラと、リサが絵本をめくる。
「どうですか、今晩読み聞かせてあげましょうか?」
「キミが冗談を言うなんて珍しいな」
「あら、本気ですよ」
リサの顔は、いつになく優しかった。
本当に今日は珍しい日に思えた。だが、リサも人間なのだ。感情だって当然あるのだ。彼女が無表情なのは、あくまで感情が表に出にくいだけなのだろう。
――笑えば、可愛いのに。
「っ!」
リサが、一瞬で顔を真っ赤にさせた。
「な、なにを言うんですかご主人様」
なぜか、慌てている。
どうやら思ったことを口にだしていたようだ。
「すまん」
「可愛いだとか、なんだとか、ふざけないでください」
ふざけたわけじゃないんだが。
リサはまた顔を赤くする。
「ふざけたわけじゃない、っていうのが既にふざけています」
「そうか、重ねて謝る」
「……謝られるのも何かおかしい気がします」
「世の中おかしなことばかりさ」
俺は一般論を言ったつもりだが、リサは妙な顔をする。
「時々、ご主人様とは話が嚙み合いません」
「そうか」
結局、リサの手に取った絵本も買うことにした。
本当に読み聞かせをしてもらうつもりではない。なんだかリサが、その本にえらく執着しているように思えたからだ。たとえば俺にとっての怪獣のソフビ人形のように、リサにはトマトマトの絵本が大切な思い出なのかもしれない。
生きとし生けるものは未来にしか行けない。だから時には過去を考え見ることも大切なのだろう。
リサは俺の買ってやった絵本を満足そうに手の内に抱えた。
そして彼女は、こう言った。
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