032 完全なる世界2-2
「ご主人様、できましたよ」
すぐにリサが呼びに来た。
よく見ればメイド服が先ほどまでのものと変わっている。白いフリルの部分はそのままだが、普通であれば黒であるはずの布地がとび色になっている。
そのメイド服からは、古式ゆかしい大和なでしこの雰囲気が伝わってきたが、それ以上にコスプレチックな淫靡さが漂っていた。
「なんですか、じろじろ見て」
「いや、別に」
可愛い、と褒めてやればよかっただろうか。
それとも、綺麗の方がよかっただろうか。
どちらも選択できずに、俺は黙り込んだ。迷ったら黙ってしまう、こういう悪癖が人からすれば無口で、陰険な奴と思われるのだろう。本当はただ口下手なだけなのだが。
リサも馬鹿にされたと感じたのか、腰に手を当てて自分の美貌を見せつけるように、ふんと鼻を鳴らした。
――なにか馬鹿にすることがあって?
と、そう俺に言い張っているようだ。
「ああ、そうだ、ご主人様」
「なんだ?」
いつの間にか、リサにご主人様と呼ばれるのも慣れてしまった。
「昨日、お鍋の底に穴が開いたんです」
「鍋の底に?」
「はい、鍋の底に」
「そんなこと、あるのか?」
「ありますよ、時々ですけど。鍋なんて消耗品ですから、使えば使うほどすり減っていきます」
そういうものなのか、と俺は納得したような、そうでないような気になった。料理をしない俺にとって、道具の消耗のことは分からない。商売道具が日本刀だから、包丁も研いでやらなければ切れ味が鈍くなるというのは理解できるが。
「じゃあ、買いに行かないとな」
使えなくなったら新しいものを調達しなければならない。当たり前のことを言っただけのつもりなのに、リサはとても嬉しそうにした。
「はい、じゃあ今日さっそく買いに行こうと思います」
「あっそ」
「街の、ショッピングモールまで行こうと思うんですが。ご主人様はどうなさいますか?」
街のショッピングモールと言われて想像するのは、隣町にある巨大な複合施設のことだ。田舎特有の広い駐車場をそなえた大型ショッピングセンターで、休日になれば周り中から人々が集まってくる。
これまでは行こうと思うと、駅から二駅行き、バスに五分くらい揺られなければ到着しなかった。だが、リサがいる今ならクルマで三十分ほどだろう。しかも助手席に座っているだけでついてくれる。こんなに楽なことはない。
俺は新しい本が欲しかったので、大きな本屋に行きたいとちょうど思っていたのだ。
「俺も、行っていいか?」
「もちろんです」
「じゃあご飯食べたら行こう」
クルマでショッピングモールに行くのは久しぶりだ。幼いころ、父親にせがんでよく連れて行ってもらった。確か『フェアリス』という名前のショッピングモールだったはずだ。
中には本屋はもちろんのこと、フードコートにゲームセンター、映画館から婦人服、紳士服、靴屋に携帯会社のアンテナショップなどが入っている。
そこに行けば何でもそろう場所だった。
孵卵町の高校生が初デートに行くとしたら、十中八九『フェアリス』に行くだろう。そんなものだ、田舎町なんて。
子供のようにせわしなく、俺は朝ごはんを食べると、食器を洗うと言っているリサを引っ張って、さっさと行こうとガレージまで連れ出した。
俺はいつも手に持つ竹刀袋を、クルマに詰め込むように入れる。
「なんですか、舞い上がって。気持ち悪いですよ」
辛辣な言葉にも作り物の笑顔を返す。
「良いじゃないか。俺もたまには思い出ってやつを振り返ってみたくなったんだよ」
父親の事は嫌いではなかった。だが、格別好きでもなかった。たぶんあっちも俺のことなんて何とも思っていなかっただろう。
「まあ、良いんですけど」
リサが、クルマのエンジンをかける。
父は俺のことを、おそらく自分の快楽から生まれただけの、肉の塊とでも思っていたのだろう。母親から感じるような無償の愛情など、死ぬその時までついぞ感じなかった。
「場所、分かるか?」
「なんとなくですけど」
今時カーナビもついてないクルマだ。仕方がない、俺が案内してやろう。
だが、そんな父親があるとき、なんの気まぐれか俺に玩具を買い与えたことがあった。別に俺が欲しいとねだったわけでもない。それなのに、当時はやっていた特撮ヒーローの怪獣のソフビ人形を買ってくれたのだ。
「よし、じゃあクルマ出してくれ」
リサはクルマのギアを、ニュートラルから一速に入れる。
父親が買ってくれた怪獣のソフビ人形を、俺はわざとらしいくらいに喜んでみせた。本当は怪獣の人形なんて好きじゃないし、欲しくもなかったのに。
けれど、俺は喜ばなければいけないという義務感から喜んだ。
それで、父も喜んでいるように見えた。
だが、今になって思えば、それは父も喜ぶ俺を見て、喜ばなければいけない義務感にかられただけではないのだろうか。
はじめはゆっくりと、クルマが屋敷の敷地を出ていく。細い道から大通りに出て、山沿いの国道まで入ると、周りのクルマに合わせたスピードで進んでいく。オープンカーだから幌を開けることもできたが、今にも雨が降り出しそうな天気だったため、閉じていた。
「なあ、開けようぜ」
「あんまりはしゃがないで下さいよ、狭いんですから」
「いいじゃないか」
中から幌を開けようとしたら、怒られた。
白いオープンカーは路肩に停車する。リサが、
「まったくもう」
と文句を言いながら降りていく。そして、幌をたたんだ。
曇天の空がとても近くに見えた。
もう半ば冬のようなもので、風は冷たい。
「これで満足ですか?」
「ああ、大満足だ」
リサはクルマの暖房をつけて、また発進させた。
俺はいったい、どうしてこんなに無遠慮なふりをして、無作法に騒いでいるのだろうか。自分でも分からなかったが、どうにも父親の事を思い出してから、俺の中で何かがおかしかった。
なんだか、今のこのカラ元気も、ある意味ではあの日、父が買ってくれた怪獣の玩具に似ていた。
山を一つ越え、なだらかで真っすぐな坂道をクルマは進んでいく。最初は民家がポツリポツリと立ち並ぶような田舎だった。国道と電車のレールが並走しており、時々乗客の少ない電車が通った。
「山頂の方は、もう雪が積もっていますね」
リサが遠くに見える山の頂を横目でみながら、いう。
「そうだな。……なあ、あの山の景色、何かに似てないか?」
「さあ、分かりません」
「俺の髪型だ」
「考えたこともありませんでした」
つまらなさそうなリサ。
しばらくすると、道が狭まり商業施設も増えてきた。電車は駅に入り、道は平たんになる。クルマの数も増えていく。少しだけ、にぎやかな場所まできたのだ。
といっても、都会というにはあまりにお粗末だ。
地方都市というやつだ。高層ビルなんてまったくないし、少しでも離れれば田んぼだってある。それどころか、日本海がわ特有の気候のせいで、万年天気も悪い。最低の都市だ。
だが、それでも俺たちにとっては、手の届く範囲での最大限の繁華街だ。
『フェアリス』はその地方都市から少し離れた、田んぼのど真ん中にでかでかと建っている。駐車場は広く、約四千台のクルマが停まる。また、駅からはコミュニティバスも巡行しており、アクセスも上々なことから、休日にはかなりの客入りだ。
リサはオープンカーを屋上駐車場の隅に停めた。
俺はさっさと降りて、屋上から周りの景色を見る。農閑期のため、田んぼは禿げ上がっている。遠くに見える山々は白くなり、冬の訪れを告げている。空気が引き締まっていて、吸えば冷たく旨かった。
「どうしてこんな隅の方に停めたんだ?」
周りの駐車場はまだガラガラだった。時刻は10時31分で、店も開店したばかりだ。
「ただ、なんとなくです」
「そうか」
まるで、ひっそりと目立たないようにクルマは停められている。そういえば昔きいたことがあるが、日常的に誰かに追われているものは、飲食店などで無意識のうちに目立たない場所や、逃げやすい場所を選ぶという。
リサはオープンカーの幌をとじる。
「雨、降るかな」
「予報だと一日中曇りですけど」
「そうか」
クルマを停めた場所から、屋上の入口までは少し歩かなければいけない。帰りに雨が降っていたら面倒だと思った。まあ、その場合は中でビニール傘でも買えばいいか。なんせ『フェアリス』には何でも売っているのだから。
ふと、思う。
もしかしてこれはデートというやつだろうか?
まさか、な。それならばもっと胸がときめくというものだ。俺は女の子とデートをしたことがないが、一般知識として知っている。女の子とデートするのは楽しくて、男にとっては前の日から眠れないほどの一大イベントだということを。
これはどちらかと言えば家族で買い物をしているのに近かった。
それに、リサの服装はいつものメイド服のままだ。
おいおい、よく考えたらこれはおかしい。あまりにも日常的にメイド服を着ていたものだから、何も違和感を持たなかったが、どう考えも休日のショッピングモールにメイド服は不自然だ。ここは日本だぞ?
これじゃあ変なコスプレ女だ。
ああ、でも、もしかしたら周りからは――変なカップルかと思われるかもしれない。
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