026 完全なる世界1-2
2
朝起きて、すぐ顔を洗うのが日課だ。
まじまじと見ると、鏡に映る自分の顔がどこか他人のものに思えた。
おかし所などどこにもない。むしろおかしいのは俺の周囲であるとそう思う。
髪の色は相変わらず。天辺だけが雪を被ったように白い。その他は日本人らしく黒いものだから、妙な色合いだ。その内にこの白い髪の下からまた黒い髪が出てきて、白い髪がでてきて。まだら模様になっていく。この色は、見慣れているので変とも思わないが。
「なに自分の顔を見てニヤニヤしてるんですか?」
「してたか? 顔を洗ってただけのつもりなんだけどな」
「してましたよ、不気味でした」
そうか、と俺は鏡から目を離す。リサは無表情でタオルを用意してくれていた。あっ、と気がつくと洗面器の近くにタオルがなかった。
「ありがとう」と、俺は受け取る。
「今日は学校、行くんですよね」
「もちろん」
「良かった、でしたらご飯を用意したかいがあります」
全国津々浦々、どこでもメイドもそうであるように、うちのメイドであるリサも甲斐甲斐しい。それが給料の発生する仕事としての側面を持っていたとしても、あるいは無償の母親の愛情のようなものではないかと勘違いする事もあるほどだ。
リサは朝食にパンを食べたがるので俺もここのところはパンをよく食べた。
パンは良い。甘いジャムをたっぷりつけても人様に文句を言われない。これが米にイチゴジャムだと、周りの人間からゲテモノでも見るような視線を送られる。まったく不思議なものだ。どちらも同じ、主食だろう?
俺とリサの住むこの屋敷は、二人で住むにはいささか広すぎた。元は明治時代にたてられた洋館を祖父の代で改修したのだが、それでも今の基準と照らし合わせれば古臭い。そんな古臭い家には、当然のように食堂とでも呼べる食事用の部屋があった。
が、その部屋が使われることはめったになかった。
俺とリサは厨房の横の小さな部屋で、二人でならんで食事をとった。元はそれこそメイドたちが食事をとるための部屋だったのだろう。俺とリサの二人ならちょうど手頃な狭さだった。
「早く食べちゃってくださいね、またグダグダ居残られて、授業が始まったから行きたくないなんて言われたら困りますし」
「じゃあ学校までクルマで送ってくれよ」
「良いですよ、けれど目立ちますよ」
「……歩いていくよ」
目立つのは嫌いだ。
そもそもが退魔師なんて人様からしたら疑問符しかでないような職業に身をおいているのだ。その上奇抜な行動で後ろ指を指されるだなんて考えたくもない。
人間、目立たないのだ一番。横並びで平穏な日常の中にこそ幸せがあるのだと俺は信じている。少なくとも、普通の生活の中に殉職なんて出来事はそうそう起こらないだろう。
俺の父も、祖父も、退魔師としての仕事中に死んだ。俺はそんなふうに死にたくないのだ。だから俺は正直な所こんな仕事を辞めてしまいたいのだ。
「手が止まってますよ」
「あ? ああ、すまん」
食卓に並ぶパンと、スクランブルエッグと、味噌汁。なんで味噌汁なんだろうか、と思いながら俺はそこに角砂糖を入れて飲む。
「あのですね、ご主人様」
「なに?」
「常々言っておりますが、甘党というのも度が過ぎればどうかと思いますよ」
「良いじゃないか、俺は甘いのが好きなんだ」
飲み干した味噌汁の底には砂糖が沈殿している。
それをジャム用の小さなスプーンですくい取り、舐めた。
リサはそんな俺をグロテスクなものを見るような、冷たい瞳で見つめた。
「作る方の気にもなってください」
「あー、はいはい。いつもありがとうね」
スクランブルエッグにも砂糖をかける。もともとプレーンな味だったので、卵の食感に甘みがたされてグッドな味わいだ。
もうリサは文句を言わない。俺は残ったパンを口の中に詰め込むと、席を立つ。
食器の片付けはリサの仕事だ。
「行ってらっしゃい、ご主人様」
「ああ」
俺は竹刀袋を肩に担ぎ、家を出る。中には仕事道具である日本刀が入っている。腑卵町ではいついかなる時に異能の者に襲われるかわからない。それは俺だけではなく、この町に住む全員がそうだ。
だが、その事に危機感を持っているものは少ない。
ようするに地震のようなものだ。いつかは必ず起こると言われても、全員が危機感を抱くことはない。なんなら自分の身に天災が降りかかることはないと思っている。だが、たしかに怪異はこの世に存在し、イースターエッグは神のいたずらとして隠れているのだ。
とはいえ、それをどれだけ恐れても、杞憂で終わることもある。
だからこの町の住人は、困ったときだけ俺に頼るのだ。そして自分が困らない限りは、俺のことを腫れ物に触るように扱う。まるで俺の存在そのものが必要悪であり、自分たちの好意によって機能している、一個の有害なマシーンであるように。
だが、本当は逆なのだ。俺がいるからこの町は機能している。それに気が付くものはそう多くない。
「ご主人様!」
俺が屋敷から出て、正門までの約五〇メートルの道を歩いていると、リサが呼び止めてきた。
「なんだよ」
振り返ると、リサはフリル満載のメイド服を風に揺らしながら、ゆっくりと――もっとも本人としては急いでいるつもりなのだろう――走ってきた。
「ご主人様、はい、これ」
口の部分が巾着になっている、浅葱色の袋を渡される。
「なんだよ、これ」
「お弁当です」
リサは胸を張り、どこか自慢気だ。
弁当? と、俺は顔をしかめる。昨日まではそんなもの作っていなかったじゃないか。そもそも弁当って、俺の昼ごはんは学校の近所にあるパン屋で売っているアンパンとクリームパンと決まっているのだ。
「いらない、とは言わせませんよ」
「いや……まあ、そんな事は言わないけど……。あのさ、これ、甘い?」
「卵焼きだけは」
「他は?」
「それ相応の味です」
だろうと思った。
どうやらリサは俺の甘党――あるいは偏食を治そうとしているようだ。他人に矯正されることではないと思うのだが、メイドというのはお節介なものであると本人が信じているのだろう。やれ学校に行けだとか、宿題をしろだとか、うわさに聞く普通の母親と大差ない。
そうか、母親というのはこんなに鬱陶しいのか!
「食べてくださいね」
念を押される。
「分かったよ」
まあ、いい。これも食べる、甘い菓子パンも食べる。それで良いだろう。
「あ、砂糖は振りかけちゃダメですよ、ちゃんとチェックしますから」
「マジかよ」
「マジです、箱の底に砂糖がついてないか、舐めて調べますから」
「そこまでやるか、普通?」
「それくらいしないと、治りませんから」
逆に言うと、それだけやられても治す気などサラサラないのだが。
俺は面倒になって分かったとその弁当を受け取った。
「では、あらためて行ってらっしゃいです」
「ああ」
リサが正門を開けた。
といっても、門の鉄格子は電動なので敷地内からならスイッチ一つで誰でも開けることができる。外からは鍵がいるのだが。ここは父の代でリフォームしたので、ハイテクだ。
リサは行ってらっしゃい、と俺に手を降って見送った。周りからどうみられるかなど考えないようだ。正直はずかしい。
角を曲がる時、振り返る。
リサはまだ手を降っている。
俺はどういうわけか、気まぐれで手を振替してみた。するとリサは嬉しそうに大きく手を振ってきた。
でも、その嬉しそうにと言うのは俺の気のせいかもしれない。なぜならリサの表情はいつも、凍結した湖のように変わらないからだ。
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