027 完全なる世界1-3
学校までは屋敷から歩いて十五分だ。そう遠くないと言えばそうだが、冬場は大変だ。
この腑卵町では冬になると雪が降る。年によって大雪になることもあれば、雪の量が少ないこともある。だが、絶対にある程度は雪が降る。
冬本番になれば道は凍りつき、気をつけて歩いていても転けそうになる。そうなると毎日の登下校は本当に面倒だ。もちろん寒い。
その面倒事が間近に迫っていると思うと、今から気が滅入る。
少し前まで秋だと思っていた。というか昨日まで夏だった気さえした。だが、こうして歩いていて吐く息が白くなったのを見て、たしかに冬が近づいていると確信した。
そろそろマフラーを巻いて歩くべきかと思う、十二月の上旬、この頃。
学校に近づくにつれ、生徒の数が増えていく。
見れば友達と一緒に歩いている生徒がほとんどだ。俺はそういう友達だとかもいないので、いつも独りぼっちだ。
たぶん、この町の人間ならばできることなら俺に関わりたくないと思っているのだろう。だからか、昔から友達らしい友達ができた事はない。
そんな俺に昇降口で話しかけてきた酔狂な女が一人。
「ヨシカゲくん、おっはよ!」
わざとらしく、後ろから背中をかるく叩かれる。
「あ? お前、誰だ?」
「ひっど~い、私だよ、私! 綾小路フサ子!」
「ああ、はいはい。ヤブコウジのブラコウジね」
「なにそれ~」
ケタケタと、フサ子は笑う。
こいつは少し頭が弱いのではないかと思う。
そもそも俺に慣れ慣れしく話しかけてくる時点で怪しい。
「ねえねえ、ヨシカゲくん。何日か学校に来てなかったけど、なにしてたの?」
「仕事」
「え、仕事してるの? えら~い」
「って言っても、アルバイトだけどな」
退魔師の仕事が世襲制だといえ、俺はまだ学生の身だ。だから肩書としてはアルバイト、ということになる。予定では高校を卒業してから大学に行くか、あるいは地方公務員として町役場つき――町長の直属の部下として働くことになる。
「すごいすごい、なんのアルバイト?」
「なんだ、お前しらないのか?」
だからこんなふうに俺に話しかけてきているわけだろうか。ある意味納得だ。
「退魔師だよ」
「あ、退魔師ね! 私きいたことあるわ!」
フサ子は教室までずっと俺の横をついてくる。そしてそのまま一緒に教室に入った。
すると、教室が一瞬ざわつく。
まったく、そんなに俺がフサ子と一緒にいることがおかしいだろうか。
「ねえねえ、もっと話聞かせてよ」
俺が自分の席に腰を下ろすと、フサ子は当然のように俺の隣の席に座った。――俺が学校に来ていない間に席替えでもあったのだろうか。
「話って、なんの?」
「退魔師ってやつの!」
おそらく彼女と仲が良いであろう友人が、慌てたように駆け寄ってきた。
「ちょ、ちょっとフサ子。辞めなって」
「え、なにが?」
フサ子はキョトンとした顔をする。
「だって、あんたその人あれだよ」
それで分かるだろう、と友人の方が言葉を濁す。
それでもフサ子は分からないようで、しびれを切らした友人はとうとう彼女を立ち上がらせ、こちらに来いと連れ出した。
俺はやっと静かになったと、机の中から本を取り出し読みふける。
学校の教科書は持ってきてないくせに、本だけは用意しているのだ、俺はそういう男だ。
文字を読んでいると落ち着く。何も考えずに、本の世界に入り込める。そこでは読者はいつも独りぼっちで、だから自分の周りに人がいなくても関係ないのだ。
だが、俺の周りを羽虫のようにチラチラと行ったり来たりする女が一人。
「ねえねえ、ねえねえ」
フサ子だ。
先程つれていかれたのに、性懲りもなく戻ってきたのだ。
「もしもーし、ヨシカゲく~ん?」
「なんだよ」
「なにしてるの~?」
「本読んでる」
「ほうほう、じゃあ私にも見せてよ!」
俺は本を閉じる。
すると、思ったよりも近くにフサ子の顔があった。
真っ直ぐに、俺たちの目が合う。
今まで全く全然これっぽっちも気にしていなかったが、フサ子のやつ、間近で見るとけっこう可愛い顔をしている。
丸顔だが目はぱっちりとした二重だ。唇は薄く、頬は桃のように淡い赤をしている。髪は少し茶色っぽくて、チョコレートのようだ。表情はくるくると万華鏡のように変わる。それは愛嬌のある親しみやすい表情たちだ。
「えへへ、なんかちょっと恥ずかしいね」
「あっそ」
俺はもう一度本を開く。
が、フサ子がその本を取り上げた。
「なあに、この本? 難しそう」
「返せよ」
「ねえねえ、その竹刀袋なに?」
「……キミ、人の話ぜんぜん聞かないよな」
ねえねえ、と急かすようにフサ子が俺の肩をたたく。
こういうボディタッチの多い女の子は嫌いだ。
「竹刀袋なんだ、中に入ってるもんは決まってるだろ」
「ふーん。それにしては重いよね」
「おい、勝手に持つな。危ねえぞ」
「危ないの?」
俺はひったくるように竹刀袋を取り戻す。
何を隠そう、この中には真剣が入っているのだ。それもそんじょそこらの刀ではない。俺の家に代々つたわる魔剣ともいえる退魔刀なのだ。
てきとうにそこら辺の他人に触らせて良いものではない。
俺達の会話を、クラスメイトたちは遠くから眺めている。
まるで俺が猛獣で、フサ子が今にも食い殺されるとそんなふうに恐れる表情だ。一方のフサ子はまったく周りの目を気にしていない。
「あ、もしかしてその竹刀袋の中、なんかヤバイものが入ってるんでしょ」
「そうだよ」
「それってもしかして、お仕事で使うの?」
「そうだけど、それがなんだよ」
「聞いてみただけ~」
まったく、調子が狂う。
この女の頭の中はシフォンケーキみたいにスカスカなんじゃないのだろうか。そう思うと何だかフサ子から砂糖を焦がしたような甘い匂いが漂ってきた。甘ったるい香水の匂いで、それは嫌いじゃない。
俺がなにも喋らないでいると、フサ子は場をもたせるように「えへへ」と笑った。
「キミさ、俺なんかと話してると友達いなくなるぞ」
「えー、どうして?」
間延びした声に、俺はため息をつく。
「いいか、キミはクラスで人気者。俺はクラスの嫌われ者。分かるだろ、そういうの」
「ぜんぜん分かんない」
「ハブられてもしらねえぞ」
「えー、そしたら私、ヨシカゲくんしか話し相手いなくなっちゃう!」
それは嫌だなー、とフサ子はうんうんと唸りながら考える。
「だろ? だからさっさと俺を独りにしてくれ。鬱陶しい」
「でもね、でもね、私はヨシカゲくんと喋れないのも嫌だよ!」
「……あっそ」
もう勝手にしろよ。
何だか知らんがフサ子はリンゴのように顔を真っ赤にしてそれっきり黙った。俺はやっと静かになったと、もう一度本を読もうと思った。
が、教師が教室にやってきてしまった。授業の時間だった。
隣の席にいるフサ子は、チラチラと俺の方を見てくる。
「なんだよ」と、聞いても顔をそむける。
俺はもうどうでもよくなって、ポケットの中からアメを取り出し、舐めた。
それをフサ子は涎をたらしそうな様子で見つめてくる。
「ほしいか?」
うんうん、とフサ子はすごい勢いで頷く。
俺はフサ子に小さなアメ玉を一つくれてやった。フサ子は小声で「ありがとう」と言って、美味しそうにアメ玉を頬張った。
甘いものが好きなやつに、悪いヤツはいない。
ついでにいうと、女の子はたいてい甘いものが好きだから、殆どの女の子は素敵だ。まあ、一部リサのような例外を除いてだが。
俺はアメを舐めながらつまらない授業をうける。
どうせ将来は退魔師になることが確定しているのに、こんな授業は必要なのだろうか? 時々疑問に思うことがある。それでもきっといつかは役に立つのだろうと思って、耳には入れておく。
それにしても学校というのはなんてつまらなくて、そして平穏な場所なのだろうか。俺はここに居るときだけ、自分が普通の人間であると思ってしまうことがある。
だがしかし、その平穏だって時に崩れ去るのだ。
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