006 退魔師6


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 逃げたいのならば逃げればいいのに、百合人は今日も律儀に学校に行った。


 いつもそうだ。無視されて、蔑まれて、疎まれて、それでも彼は自分にできるのはそれだけだと意固地になって登校するのだ。それならば無人島にでも漂流していったほうがマシなのに。


 早々に教師に呼び出されるものだと思っていた。だが、それは違った。それどころか、教師からは何も音沙汰はなかった。これはおかしいと思ったが、だが怒られないのならばその方が良いという思いもあった。


 だが、クラスメイトの反応は冷たかった。


 百合人をまるで戦時中に埋まってそのままにされている不発弾のように扱うのだ。まとみに話しかけてくれたのはやはり、フウカだけだった。


「昨日、ケンカしたんですか?」


「まあ」


「あきれた、その後にわたしの店にきたんですね」


「まあ」


「ダメですよ、ケンカは」


 それは分かっていたが、自分で止められるものでもなかった。フウカにも昨日激昂したところを見られている。きっと導火線が短いタイプの人間だとおもバレていただろう。それでも、フウカは優しかった。


 いや、だからこそかもしれない。


 自分を刺激しないために、優しく接しってくれているだけかもしれない。


 そのまま、放課後まで教師に呼ばれることもなく過ごした。どういうことだろうか、と考えても答えは出ない。が、放課後とつぜんケンちゃん――昨日殴り倒した相手に後ろから話しかけられて、百合人はなんとなく、どういう事か察した。


「おい、ヤマネ」


 なれなれしい言い方だった。


「なんだよ」


 と、百合人は答えながら自分が逃げる道を探す。が、後ろを取り巻きの二人に塞がれていた。完全に囲まれて形だった。


 ケンちゃんの頬は痛々しく腫れている。自分がそれをやったのだと理解していている。そして、今から復讐されるのだということも。


 つまりはやつらは、教師にまかせず自分たちの手で落とし前をつけるということだ。


「ちょっと来いよ」


「用事があるんだ」


 いきなり後ろから取り巻きに小突かれる。痛くはないが驚いた。怒りがわくかと思ったが、そうでもなく、どちらかと言えば戦意が砕かれた。


「ほら、はやく来い」


 ニヤニヤと笑いながらケンちゃんは教室を出て歩きだす。


 周りにいる生徒たちは何も言ってくれない。もちろん助けようともしない。むしろ厄介な奴らが面倒なことをしているとしか思っていないのだろう。


 教室を出る直前、フウカと目があった。


 彼女は呆れたような顔をしていた。


 今からおそらくケンカをする――あるいは一方的に殴られる自分が恥ずかしくて、百合人は目を伏せた。


 まさに自分が子供であると認めているようなものだった。


 連れられたのは当然のごとく、体育館の裏手だった。やはりケンカと言えばここだ、告白もそうかもしれない。


 そして、体育館の裏には先客がいた。体格のいい、どうみても高校生の男だった。髪を薄い茶髪に染めて、よく見れば耳には小さなピアスをつけている。制服を着崩して、百合人を睨んでいた。


「兄ちゃん」


 と、リーダー格であるケンちゃんが駆け寄った。


「おう、こいつか?」


 声変わりを終えた、低い声で不良が聞く。


「うん、そうなんだよ。あいつに昨日、ボコボコにされたんだよ」


「そうかそうか。おいお前! 弟が世話になったな」


 お前、というのが自分のことだと、百合人は気がつくのにたっぷり三秒かかった。なんて典型的な喋り方をする不良だろうか! デパートの陳列棚に『不良・398円』と書いてあっても不思議じゃない。


「おい、聞いてんのかよ」


 返事をしない百合人に不満を持ったのか、不良はいきなり百合人の胸ぐらをつかんだ。


 殴られる、そう思って目を閉じた瞬間、高らかな笑い声が響いた。


 体育館の裏にいた全員が、笑い声の方を向く。



「人っていうのは、隠したいものを裏に裏にとおしやる。零点のテストや、寝ションベンをひっかけたシーツ、後は集団でのイジメ。そうだろ?」



 男が、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。


 黒い髪だが、頭の天辺の部分だけが雪をかぶったように白い。不良と同じ高校の制服を着ているが、下に着るべき白いカッターシャツは派手なショッキングピンクをしている。あきらかに制服の一部ではなく、私服をそのまま着ているのだろう。


 百合人はその男をもちろん知っている。麻倉ヨシカゲだ。


 ヨシカゲは手に、剣道部が竹刀をしまうためによく使う、長細い袋を持っていた。不良はその袋をちらちらと何度か見て、忌々しそうに舌打をした。


 あきらかにヨシカゲの登場により、不良は気圧されていた。


「おい、なんだよテメエ。兄ちゃん、あいつもやっちゃってよ!」


 ケンちゃんがそう言って、自分の兄を焚き付ける。だが、不良の兄の方は百合人の胸ぐらから手を離し、虚勢を張るように「なんだよ、麻倉!」と叫んだだけだ。


「いや、面白いことしてそうだなって見に来ただけさ」


 ヨシカゲがこちらまでやってくる。途中、取り巻きの男子がいた。ヨシカゲはそのまま自分はどかずに、「邪魔だ」と冷たい声で言い放ち、取り巻きをどかした。


「弱い者いじめ、大いに結構。なぁ、楽しいよな。自分よりも弱い相手をなぶるのってさ」


 百合人は確信する。自分はこいつが嫌いだ、と。


 それはヨシカゲがフウカと仲が良いからだけではない。たぶん、ヨシカゲが悩みとは無縁、自分には怖いものがないというというふうに浮世離れしているからだ。


 百合人はこの町に来てから悩まなかったことはなかった。自分は捨てられた、どうしてこの怒りが収まらない、そして自分の居場所とはどこか。そんな百合人からしたら、ヨシカゲの態度は頭にくるものだった。


 怒りが、わいた。


「おい、あんた――」


「ああ、そうだ。おい、お前らどっか行け」


 百合人がヨシカゲに文句を言おうとした瞬間、それにかぶせるようにヨシカゲが周りの不良や、ケンちゃん、取り巻きに対して言った。


「なんでだよ、お前だれだよ!」


 ケンちゃんが言い返す。


「おい、よせ」


 それを止めたのは、不良の方だった。


 ケンちゃんは何かに気がついたようで、おかしな顔をした。百合人はケンちゃんの下へと向く視線をたどる。そして、百合人も気がつく。不良の足が震えていた。


「お、おい。今日は麻倉、お前に免じて許してやる」


「あっそう。ありがとね、お金はやらねえけどな」


 中学生三人組は、リーダー格の兄でもある不良の、尋常ではない怖がり方に何かを感じたのか、自分たちも顔を見合わせて恐ろしそうな目をしていた。


「ほら、さっさと行け」


 一段と、ヨシカゲの声が冷たくなった。


 持っていた長い袋の口を、ヨシカゲがほどこうとする。カチャリ――とでもいうような、金属の音が聞こえた。


「わ、わかったから! その物騒なもんを取り出さないでくれ!」


 不良は叫ぶように言い放つと、踵をかえして逃げ出した。中学生三人組もそれに続いて、我先にと逃げていく。


 百合人はヨシカゲが嫌いだったが、彼が助けてくれたのは確かだった。下げたくはなかったが、「ありがとう」と頭を下げた。怒りはいつの間にか消えていた。


「ふう、締め付けが甘いな。帰って手入れをしなければ」


 ヨシカゲは百合人の感謝などきこえなかったかのように、手に持っている袋を左右に降っている。そのたびに、カチャカチャと小さな音が聞こえる。


 百合人の頭のなかにはクエスチョンマークが浮かび上がった。ヨシカゲは何のために自分を助けてくれたのだろうか。いや、そもそもどうしてこの場所が分かったのだ? たまたま通りかかった? そんな偶然、ありえない。だってここは中学校の敷地内だ。おそらくヨシカゲが通っている高校は隣にある腐卵高校だろうが、それにしても中学の敷地に入ってくる理由は考えられない。


 ヨシカゲは、百合人の方を見向きもせずに、しかし確実に百合人に聞いてきた。


「あ、暇じゃないです。じゃ、帰ります」


「まあ待てよ。あいつら、追い払ってやったろ」


「いや、それは本当に感謝してます」


 一応、相手は歳上なので敬語をつかう。


「あいつら、いらねえんだよ」


 キラリ、と一瞬だけヨシカゲの目が光った。


「ほら、行くぞ。次は俺がイジメる番だ」


「え?」


 無理やり肩を組まれて、引っ張るように歩きだされる。


 ヨシカゲの顔は不気味な、つくりもののような笑顔だった。口角をこれでもかと上げ、歯茎が見えるほどにニンマリとしている。それはどこからどう見ても、イジメっ子の笑顔だった。


 ――助けてくれたんじゃないのか?


 百合人はとにかく訳がわからなかった。

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