第6話『ボクがバスガイドになったワケ』前編

[プロローグ]


 千年の歴史を持つ古都・京都……と言えば聞こえはいいが、実は盆地にあるため、夏はクソ暑く、冬は底冷えがする、気候的にはあまり快適とは言い難い土地だったりする。

 そのため、7月下旬ともなればうだるような暑さのせいで、折角の休日もおちおち朝寝もしてられない。

 「ふぁーーっ……おはよぅ、母さん。今日も暑いなぁ」

 少しだけ普段より遅く起きて、二階の自室から降りると、台所では母の妙子がFMラジオを聞きながら皿洗いをしていた。

 「今年の夏はこのまま猛暑になるらしいで。いややわぁ……って、なんやの、愛子、その格好は!」

 ショーツ1枚の上に寝間着代わりの大き目のワイシャツを着ただけとという就寝時の格好のまま階下に降りてきたのは、“年頃の娘”としては少々慎みに欠けるかもしれないが、どうせ朝ごはんを食べたらシャワーを浴びるつもりなのだから、着替えるのも億劫だ。

 「父さんは、今日はもぅ出勤してるんでしょ? たまの休日なんやから、大目に見てよ」

 「もぅ、横着してからに、この子は。それに、お父さんはエエとしても、明日からは孝雄くんが来るんやで」

 ! 

 「そっか……そんな話、昨日してたねぇ」

 孝雄──“須賀孝雄(すが・たかお)”は母の妹の息子で、ワタシより2歳下のイトコだ。

 年が近く、お互いひとりっ子ということもあって、幼い頃からワタシたちは本当の姉弟みたいに仲がよかった。

 夏休みには“孝雄”が京都にある呉多家うちに来て数日間泊まり、代りに冬休みには“愛子”が神奈川県の須賀家にお邪魔する……というのが毎年の恒例行事みたいになっている。

 もっとも、就職したての新人バスガイド1年生だったワタシは、昨年末は仕事のローテーションが巧く合わなかったため、渋々神奈川に行くのを断念したため、“彼”と会うのは夏以来の一年ぶりになる。

 「タカちゃん、今年高3のはずやのに、この時期にこっち来るなんて余裕あるのかなぁ」

 「大丈夫ちゃう? 智那の話やと、国立志望やのに模試の判定は軒並みAらしいで」

 それは凄い。このままなら、やはり東大を目指すのだろうか。

 そんなコトを考えつつ、もしゃもしゃと味噌汁とお漬物と炊き立てのごはんからなる朝食を平らげる。

 女性としてはやや多めの量だが、ああ見えてバスガイドは結構ハードな仕事なので、これくらいは食べないとやっていけないし、幸いにしてそれほど太りやすいタチでもない。

 (……なーんて、会社で先輩とか同僚のコに言うたら、殺気の籠った目で見られるんやけどね)

 歯を磨き、軽くシャワーを浴びてから、バスタオルを巻いたままドライヤーで髪を乾かす。

 腰近くまで伸ばした濃い蜂蜜色の髪は、ちょっぴり癖毛なので手入れに相応の時間がかかる。ちなみに、アメリカ人の母方の祖母からの隔世遺伝のようで地毛だ。

 小さい頃は、周囲の子たちに「ガイジン」とからかわれたり、中学で染めたものと生徒指導に疑われて難癖つけられたりと色々あったけど、大人になった今ではチャームポイントとして受け入れてるし、むしろ大切にしている。

 「とは言え、さすがに夏場はちょっと暑いんよねぇ。もうちょい短くしたほうがエエんかなぁ」

 思案しつつも下着を着け、自室に戻って外出用の白いワンピースに着替える。

 そのまま鏡台の前に座って、UVケアを考慮した夏用のメイクをしながら、鏡の中に映っている自分の貌を見て、ふと苦笑が漏れた。

 「あれから1年ちょっと、か。すっかり慣れてしもたなぁ」

 その姿は、金髪碧眼で(多少のうぬぼれ込みで言うなら)それなりに整った顔立ちをした二十歳前の若い女にしか見えない。

 身長168センチと女性にしてはやや長身だが、悪目立ちするほどでもなく、(甘いものを食べ過ぎた時とかは別にして)スタイルもそう悪くはないと自負している。

 もっとも、ほんの一年ほど前──正確に言うなら去年の五月半ばまでは、ワタシは“呉多愛子(くれた・あいこ)”ではなく、それどころか女でさえなかった。

 では、何者(だれ)だったのかと言えば……先ほど母の話にも出て来た、愛子の従弟である男子高校生の孝雄だったのだ。

 そうなると、今の“須賀孝雄”が誰かも予想がつくだろう。そう、本物の呉多愛子だった女性だ。

 つまり、ワタシ達、もといオレ達ふたりは互いの立場を交換して暮らしているのだ──もっとも、オレ達以外の人間は、その事実にまるで気が付いていないが。


 何故、そんな奇怪けったいなコトが起こっているかと言えば……愛子──本物の愛子ねーちゃんが、あやしげなおまじないグッズを買ってきたことが事の発端だった。



*(1)*


 高校2年生の春──正確に言えば、5月のゴールデンウィークが終わって早々に、須賀孝雄が通う私立白守高校の修学旅行があった。

 修学旅行といえば、通常は小中高で各1回の合計3回しか生涯に経験できないレアイベントである。よほどの出不精かコミュ障、もしくはひどいイジメを受けているなどと言った特段の事情がない限り、普通の学生なら大なり小なり楽しみにしているものなのだが……。

 「高校生にもなって京都はないよなぁ」

 新横浜駅から京都まで新幹線に乗る孝雄のテンションは妙に低めだった。

 別に、孝雄が前述の3条件に引っかかるワケではない。むしろ、(多少お調子者と見られることはあるが)どちらかと言うとクラスのムードメーカーとか盛り上げ役といった立ち位置にあり、本来こういった学校行事では率先してテンションを上げようとするタイプのはずだ。

 実際、彼だって修学旅行に行くこと自体は楽しみにしていたのだ──行き先が「京都を中心に大阪、滋賀などの史跡を巡る」という内容だと判明するまでの話だったが。

 「今更、そこらへんを廻るって言われても……」

 小学4年生の頃に父の仕事の都合で関東に引っ越したとは言え、それまでは京都市内に住み、また今でも年に一度は京都にある伯母の家に遊びに行く孝雄にとっては、その辺りはまったく食指の動く旅行先ではない。

 「そうだよなー、どうせだったら沖縄とか北海道とかがよかったぜ」

 隣席のクラスメイトの青葉繁(あおば・しげる)も同意する。

 「えーっ、そう? あたしは、京都ってロマンチックでなんか憧れるけどなぁ。ねぇ、みーこ?」

 通路をはさんで隣りの席に座るショートカットの女生徒、加古川由佳(かこがわ・ゆか)は、どうやら京都行き賛成派のようだ。

 「うん、そうだね、ゆかちゃん。でも、せっかく京都に行くなら、秋の紅葉の季節ならもっとうれしかったかも」

 その隣りの笠井美衣子(かさい・みいこ)も京都行き自体は楽しみにしているらしい。

 「へぇ、笠井さんはともかく、加古川がそういう女の子らしいこと言うのは、ちょいと意外だ」

 少し赤みがかった髪(染めているのではなく地毛らしい)を肩まで伸ばし、サイドテイルにまとめている美衣子は、サッカー部のマネージャーで、とび抜けた美人というほどではないが、明るく優しく世話好きで男女問わず人気が高い。

 一方、由佳はソフトボール部のキャプテンだ。ボーイッシュな見かけ通りカラッとした男勝りな性格で、女子生徒から頼りにされ、男子生徒からは異性というより友達として見られることが多いタイプだ。

 「にゃにおーッ、あたしだってれっきとした乙女なんだからね!」

 「なるほど。「漢女」と書いてオトメと読むのか」

 「コロす!」

 からかう繁に食って掛かる由佳を、孝雄と美衣子が「まぁまぁ」となだめる。この4人は同じ班で、自由行動などは一緒に回ることになるのだから、あまり険悪な関係になるのは得策ではない。

 「そういや、やけに無口だけど、鷹則はどうなんだ?」

 話を逸らす意味もあって、孝雄が窓際の席に座っているもうひとりの班員・古田鷹則(ふるた・たかのり)に話しかけたのだが……。

 「──どこでもいい。船とか飛行機に乗らないといけない外国でなければ……」

 剣道部のエースで普段はキリッとした男前の鷹則が、青い顔してボソボソと呟く。

 「お前、ホントに乗り物に弱いのな」

 幼稚園時代からの彼の幼馴染である繁が呆れたような声を漏らす。

 「──これでも幼き頃に比べれば、バスなどのクルマには多少は慣れたのだが……うっぷ」

 どうやら電車はその慣れの範疇外らしい。

 「古田って、わりと文武両道の優等生なのに、英語も苦手なんだっけ。海外には全く向いてないねぇ」

 ふたりと同じ中学出身の由佳も気の毒そうな、それでいてどこかおもしろそうな顔で見ている。

 「古田くん、酔い止め持って来たけど、飲む?」

 「──すまない。恩に着る」

 世話焼きな美衣子が見かねて差し出した薬を受け取り、ペットボトルのお茶で流し込む鷹則。

 (まぁ、コイツらと一緒なら、見慣れた京都の街もそれなりに楽しめるか。自由時間は元・地元民として俺がガイド役を引き受けるってのもアリだし)

 4人の騒ぎを見ながら、孝雄はそんなことを考えていたのだが……。


 「え! もしかしてタカくん!?」

 「あ、愛子ねーちゃん!?」


 京都駅前から彼の高校が乗る観光バス付きバスガイドのひとりが、よく見知った従姉だとはさすがに予測できなかった。

 ──そして、はからずしも、翌日からは自分がその“バスガイド”そのものになるということも、神ならぬ身では予見できなかったのである。



■(2)■


 「え! もしかしてタカくん!?」

 「あ、愛子ねーちゃん!?」

 最初に京都駅前から観光バスに乗った時は人が多過ぎて気付かなかったんだけど、そのすぐ後、最初の見学場所である三十三間堂に行った際、バスが停まっている駐車場で、ばったり愛子ねーちゃんと顔を合わせることになった。


 「校名に聞き覚えはあったけど、まさか今日のお客さんがタカくんとこの学校やなんて……びっくりしたわぁ」

 「コッチだってびっくりだよ。愛子ねーちゃんが就職したとは聞いてたけど、まさか観光会社でバスガイドになってるとはなぁ」

 幸い、まだ出発までは時間があったし、他の生徒も殆ど戻って来てない(オレ? こんなトコ、もう3回も来たことがあるからいーんだよ!)ので、少しだけふたりで話すことができた。

 「それにしても……」

 ガイドの制服姿の愛子ねーちゃんを見つめる。

 「なんやの、そないにジーッと見て? なんか、おかしいかなぁ」

 紺色の長袖上着と同じ色の膝上丈のタイトスカート。頭にかぶったベレー帽も同じく紺色だ。

 白いブラウスの首元にスカーフを結び、手には白手袋をはめて、足元は黒いストッキング&真っ赤なハイヒールという“きょうと観光”のバスガイドの制服は、スタイルのいい愛子ねーちゃんによく似合っていた。

 「うーん、バスガイドって言うよりスチュワーデスみたいだな」

 もっとも、それをそのまま言うのは照れくさいので、あえてヒネくれた言葉を投げてみる。

 「あ~、それ、よぅ言われるわ。それと、今は“スチュワーデス”やのぅて“キャビンアテンダント”いうんやで」

 「マジか。『スチュワ●デス物語』の立場ねーじゃん」

 そんな感じで会話していたところで、他の修学旅行生がポツポツ戻って来たので、とりあえず話を切り上げることにする。


 「お、何だ、孝雄、姿が見えないと思ったら、バスガイドのお姉さんナンパしてたのかよ」

 「ばーか、アレ、従姉のねーちゃんだよ」

 「ああ、そう言えば、須賀くんの実家って元はこっちの方なんだっけ」

 そんなことを繁や加古川さんと話しながら、オレは愛子ねーちゃんのことを考えていた。

 (愛子ねーちゃん、本当に大学行かなかったんだ。それにせっかく伸ばしてた髪も切ったんだな……)

 どちらかと言うと体力派でおツムのデキはイマイチなオレと違って、愛子ねーちゃんは昔からとても頭がよかった。オレも夏・冬の休みで会った時は、宿題なんかをよく教わってたし。

 京都は公立より圧倒的に私立の方が偏差値が高い土地柄だけど、経済的な理由で愛子ねーちゃんは公立高校に通わざるを得なかった──にも拘わらず、全国模試とかでは、いつもかなり上位をキープしてたくらいだ。

 身内の欲目かもしれないけど、愛子ねーちゃんなら、その気になったら京大入りも目指せたんじゃないかって思う。

 ただ、愛子ねーちゃんが中学二年のときにお父さん(オレから見るとおじさん)が病気で亡くなって、妙子おばさんは結構苦労して愛子ねーちゃんを育てることになったらしい。

 そんなおばさんの姿を見て育ったせいか、愛子ねーちゃんはあえて進学じゃなく就職を選んだんだろう。

 (ちょっともったいないと思わないでもないけど……ま、頭がいいからって大学行かないといけないワケじゃないし、そこは本人の選択だから、傍からごちゃごちゃ言うべきじゃないよな)

 その時のオレはそんなことを思っていたんだけど、旅館に帰ったあと、夜、ケータイに愛子ねーちゃんからのメールが来たんだ。


 * * * 


 愛子のメールを受けた孝雄は、白守高校二年生が泊まる旅館の別フロアにある観光会社スタッフたちの宿泊部屋に来ていた。

 愛子の部屋は4人部屋で、ほかの同僚ガイドたちは風呂に行っているらしい。

 「ごめんな、タカくん。わざわざ夜に呼び出してしもて。消灯時間とか大丈夫なん?」

 バスガイドの制服を脱いでラフな私服に着替えた愛子は、どうやら風呂に入ったばかりらしく、ほのかに上気し、女らしい香りがした。

 「──そっちは11時予定だから余裕はあるよ。それで、話って何?」

 いくら仲の良い従姉とは言え──いや、仲が良いからこそ密かに憧れていた年上の女性のそんな姿を見て、何も感じないほど孝雄も枯れてはいない。

 平静を保とうとして、やや口調がぶっきらぼうになるのも致し方ないだろう。


 「あのな、突飛な話なんやけど、最後まで聞いてほしいんよ」

 そう前置きして愛子が口にした内容は、確かに突拍子もないものだった。

 いわく、真面目な愛子の数少ない趣味の“おまじない”(ここまでは孝雄も知っていた)関連で入手した“お札”を実験するのに協力してほしいとのこと。

 しかも、そのお札の効力というのが、「2枚のお札にふたりが自分の名前を書いて、それを交換して付けることで互いの“立場”が入れ替わる」ことだというのだ。

 「愛子ねーちゃん、それ、絶対うさん臭い。そもそもソレ、どこで手に入れたんだよ?」

 「えーっと……ネットの通販」

 「通販って……値段は?」

 「──2枚1セットで5000円のところを、セールで3000円」

 答えているうちに、自分でもどうかと思い始めたのか、愛子の声が小さくなっていく。

 「ねーちゃん、それ二重の意味で有りえないって。“立場交換”なんてトンデモ効果もそうだし、仮にそれが本当なら、もっと高い値段付けるだろうし」

 従姉の顔を憐れみを込めた目で見つめる孝雄。

 「そやかて、こんなトンデモないお札が、こんなに安ぅ、しかも4割引きで売っとったから、ついつい買ぅてしまうやん!」

 自分でも薄々自覚はあったのか、半べそかいて逆ギレする愛子。そもそも、会社の同僚とか学校時代の旧友とかに声をかけなかった時点で、彼女も内心怪しいとは思っていたのだろう。

 (まったくこの人は……普段はあれだけ頭良くて頼もしいのに)

 呆れ半分微笑ましい半分の生暖かい視線を、孝雄は愛子に向ける。

 「はぁ~~、しょうがないなぁ、愛子ねーちゃんは。それで、実験ってことはオレ達ふたりでそのお札を付けてみればいいんだよな」

 「! タカくん、協力してくれるん?」

 「ああ。愛子ねーちゃんにはいつも世話になってるし、たまの道楽(いきぬき)くらいはつきあっても罰は当たらんだろ」

 「わぁーい、おおきにぃ、タカくん、大好きや~!!」

 満面の笑顔になって愛子は孝雄の右腕に抱きつく。

 (むぅ、その言葉は、もっと違うシチュエーションで聞きたかったよ)

 あまり大きくはない(むしろ小さい)がそれでもしっかり感じられる女性特有の膨らみをが二の腕に押し付けられるのを感じつつも、孝雄は内心で苦笑する。


 そんなこんなで、善は急げと早速そのお札(というか見た目は完全に名札)に名前を書き、互いに交換して胸に安全ピンで留めたまでは良かったのだが……。

 「ほら、愛子ねーちゃん、別に何も…起こら……な…………zzz」

 「あれ、なんやしらん、意識が、とぉ…なっ……て…………zzz」

 ふたりは気づかなかったが、付けた瞬間、淡いオーラのようなモノが名札から立ち昇り、それぞれの全身を包んだかと思うと、孝雄と愛子はそのまま畳の上に崩れ落ちて意識を失ったのだった。

 


◇(3)◇


 後から時計を確認したところ、意識を失っていたのはほんの2、3分だったらしい。


 「……なぁ……ぉきて……起きてぇな!」

 ゆさゆさと身体を揺さぶられつつ、聞き覚えのあるようなないような“声”に呼びかけられて、意識を取り戻す。

 「ん……あ! なにが……?」

 さっきまでのことを思い出して、オレはうつ伏せの姿勢からガバッと起き上がった──のはいいんだけど、途端に激しい違和感に襲われることになった。

 それは、愛子ねーちゃんらしき人物を目にしたせいでもあるし、思わず漏らした自分の声がいつもとトーンが違ったからだし、顔を上げた瞬間に頬や首筋にまとわりついてくる髪の感触に戸惑ったからでもあるんだけど……。

 それ以上に、「自分の中の“何か”が書き換えられてしまった」ということを直感的に悟ったからでもあった。

 「愛子ねーちゃん、だよね?」

 「うん、そやで」

 オレの問いをあっさり肯定する目の前の人物の容貌そのものは、確かにオレのイトコである“呉多愛子”とそっくりだったけど……。

 着ているものは、白守高校の男子用紺ジャージの上下で、おまけに髪型もベリーショート……というか、明らかに男子のスポーツ刈りになっている。

 さっきまでの愛子ねーちゃんの髪は、確かに以前よりは短かったけど、それでも普通に女性のセミロングとショートの中間ぐらいはあったはずなのに。

 しかも、よく見れば完全にノーメイクのすっぴんだし、眉毛やウブ毛も剃ってないみたい。

 ──あとから考えると、そんな些細な違いに気付いたこと自体が、ある意味、オレもすでに“変わって”いたことの証なんだろうけど、その時のオレはそれどころじゃなかった。

 「ちょ、どうしたの、その服と髪の毛?」

 「それを言うたら、タカくんもやで」

 「え!?」

 慌てて自分の身体を見下ろすと、確かにクリーム色のフレンチスリーブブラウスとデニムのミニスカートという恰好になっている。髪の毛も肩を覆うくらいの長さまで伸びてるみたいだ。

 しかも、手の爪は薄いピンクのマニュキュアで彩られていたし、薄手のブラウスからは下に着ているブラジャーの線が透けて見えている。おそらくだけど、下着も女物のパンツ──ショーツを履いているのだろう。

 「な、な、なに、コレーーー!?」

 思わず声をあげかけたオレの口を愛子ねーちゃんの掌がふさぐ。

 「シッ! 旅館で大声あげたら近所迷惑やで」

 身長166センチの愛子ねーちゃんと168センチのオレでは、背丈そのものは大差ないけど、そこは男女の差異もあって体力的には歴然とした差がある……はずなのに、なぜか振り払えない。

 そのことを理解したオレは、もがくのをやめた。

 「落ち着いたか?」

 うんうんと頷くのを見て、オレが多少なりとも落ち着きを取り戻したと見定めたのか、愛子ねーちゃんは手を放してくれた。

 「そしたら、もうちょい話せんといかんから、別のトコ行こか」

 「え? なんで?」

 「いや、そろそろ、この部屋の他のメンツがお風呂から帰って来る頃やろうし」

 確かに、ソレはマズい。利香先輩や同期のポーラは割と大雑把だから、見逃してくれるだろうけど、真面目な摩美子先輩がなんて言うか……。

 そのことに気付いたオレは、慌てて首を縦に振り、愛子ねーちゃんに手を引かれて旅館の屋上に続く非常階段へと移動した。

 ──自分が、名前も知らないはずの“呉多愛子の同僚たち”の性格をなぜか把握していることに疑問も抱かずに。


  * * *  


 薄暗い非常階段の踊り場で密談した結果、愛子と孝雄は、現在の状況が、先ほどの“立場交換のお札”によってもたらされたものだろうという結論に達していた。

 単に服装や髪型が変わっただけでない。

 明らかに愛子の力が強く(相対的に孝雄が弱く)なっていたし、互いが知らないはずのこと──2-Bのクラスメイトの顔と名前や、観光会社の場所や人間関係、その他、日々の生活に必要な知識諸々を持っていたからだ。


 「うわぁ、あのお札、ホンマモンやったんやなぁ」

 愛子は感心しているが、孝雄としてはそれどころではない。

 「本物だったのはいいから、早く戻ろうよ、愛子ねーちゃん」

 孝雄に急かされた愛子は急にバツの悪そうな表情になる。

 「あー、その、な。確かに戻る方法はあるんやけど、今すぐには無理やねん」

 「え?」

 愛子いわく、元に戻るには先ほどと同じく札を互いに交換して付ければよい──のだが、最初に札に充填されていた“力”が今は使い果たされているので、その力が溜まるまで待たないといけないらしい。

 「そ、その力が溜まるのって、いつ!?」

 「うーん、確か説明書には、最低48時間て書いてあったような気が……」

 つまり、丸々二日は待たないと元に戻れないということになるのだろう。

 「ど、どーすんの、これ!?」

 慌てている孝雄と対照的に、愛子のほうは落ち着いたものだ。

 「いやぁ、別に大丈夫とちゃう? さっき、必要そうな知識はお互いにキチンと持っとることがわかったし。明後日の夜、またふたりで抜け出して立場交換したらエエやん」

 まぁ、修学旅行生として基本的にはのんきに観光していればいい“男子高校生”の立場になった愛子は確かに気楽だろう。

 しかし、いかに知識自体は備わったとはいえ、いきなりブッツケ本番でバスガイドをやらねばならない孝雄の方はたまったものではない。

 ──ないのだが、どうやらそれ以外に方法はないようだ。

 あとは、他の人に立場交換していることを悟られないよう気をつけるだけか。

 「あぁ、そやな。せやったら、元の立場に戻るまでは、僕が“須賀孝雄”で、アンタが“呉多愛子”やさかい、間違えんときや」

 「ぅぅ……しょうがないか。わかったよ、“タカちゃん”」

 「うん。ほな、おやすみ“愛子さん”」



*(4)*


 屋上に続く非常階段の踊り場から5階に降りたところで、“愛子(本来の孝雄)”は、“孝雄(の立場になった愛子)”と別れ、バスガイドたち4人が宿泊するための部屋へと「帰って」来た。

 愛子のポーチから取り出した鍵で扉を開けて、再び足を踏み入れる。

 同じ旅館内なので、部屋構造自体は学生組のものと大差ないのだが、壁にかけられたバスガイドの制服や小洒落たカバン、脱ぎっ放しのストッキングなどが、年頃の女性が宿泊していることを主張している。

 (そろそろ10時半だし、みんながお風呂から戻ってくる頃合いだけど……)

 四角い机の前に(無意識に)横座りで座り、手持ち無沙汰なので急須で入れたお茶を飲みながらも、“愛子”は落ち着かなげに視線をキョロキョロさせる。

 いくら“きょうと観光に勤めるバスガイドの呉多愛子”としての知識が備わったとは言え、2-Bを担当していたバスガイドの根府川利香以外は、実質初対面だ。

 その利香にしたって、あくまで仕事ガイドとして客である2-Bの生徒たちにニコやかに接してきただけだろうから、到底“親しい”とは言えないだろう。

 いや、そのはずだったのだが……。


  ◇ ◇ ◇  


 部屋に“戻って”3分ぐらいした頃だろうか。

 「はぁ、いいお湯でしたー」

 「うむ、やはり広い風呂はよいのぅ」

 摩美子先輩と利香先輩、それにポーラの3人が浴衣姿で部屋に帰って来た。

 「これで~、おフロでニホン=シュをイッパイできればサイコーだったんですけどね~」

 プライベートでは無類の酒好きのポーラの言葉に、思わずツッコんでしまう。

 「露天の温泉じゃあるまいし、さすがにソレは無理でしょ!」

 「あぁ~、アイコぉ。用があるって先に上がったけど、そのヨージはすんだの~?」

 もしかして(本物ではないと)バレるのでは……と密かに心配していたオレの懸念は杞憂だったようで、愛子とそれなりに親しい友人であるはずのポーラは、ニヘラ~といういつもの緩い笑顔を向けてくる。

 ちなみに、入社は同期ではあるけど、彼女は3歳年上なので法律上飲酒しても問題ない年頃だ。

 19歳の頃、イタリアから交換留学生として京都に来たものの、すっかりこの街に魅せられて、帰国せずにこちらで就職したというなかなかにユニークな経歴の女性だったりする。

 (というか、こんな情報ことまで頭に浮かんでくるんだから、スゴいな、おまじないのお札!)

 「ええ、ちょっと知り合いに会ってただけだから」

 無論、詳細を説明するわけにもいかないので、曖昧に言葉を濁したところ、何か「ピン!」ときたのか、利香先輩がニヤリと笑った。

 「おや、ひょっとして恋人かえ?」

 「違います! ただの従弟ですから」

 そう答えつつも、何となくモヤモヤしたものが心の奥底にわだかまるような気がした。

 「そう言えば呉多さん、今回のお客様の高校名に聞き覚えがあるって言ってましたけど、もしかして?」

 「はい、従弟の通っている高校でした。お客様の中にその従弟がいましたので、軽く挨拶というか雑談をしてたんです」

 本来はガイドがお客様と個人的に会ったりするのはあまり好ましくないのだが、一応今は勤務時間外だし、親戚みうち相手なので、優等生な摩美子先輩も「ほどほどにね」と軽く釘を刺すだけで済ませてくれた。


 それからも3人の“同僚”と何気ない素振りで雑談を続けながらも、オレは内心ひどく戸惑っていた。

 (い、違和感が……ない!?)

 誠に遺憾ながら恋人いない歴=年齢だし、この年代の女性と親しく喋る機会なんて、それこそ愛子ねーちゃんとくらいだったはずなのに、特に意識しなくても初対面の年上の女性たちと、普通に会話できてるのだ。

 150センチ弱の小柄で華奢な体型にツインテールにした髪型もあいまって、下手すると女子高生にも見える(でも実は一番年長の)根府川利香先輩。

 対照的に長身でグラビアモデルばりにスタイルも良く、黒髪ロングストレートの典型的和風美人な筑紫摩美子先輩。

 酔った時の酒癖こそ悪いものの、シラフの時は銀髪・童顔・巨乳の3萌え要素の揃った快活なイタリアン美女のポーラ・コンティネント。

 そんな本来ならお近づきになる機会なんておよそ無さそうな女性たちと、こんな近くで会話するなんて、普段の須賀孝雄オレなら、キョドるかせいぜい無難な相槌を打つのが関の山だろう。

 それなのに、“風呂上がりで浴衣を着たそれなり以上の美人3人”を相手に、いくら“愛子”としての知識があるからって、どうして平然と対応できているのだろう。


 この時初めてワタシは、この立場交換によって、単に愛子イトコの立場や知識を与えられた──というだけではないことを、漠然と自覚し始めたのでした。

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