第5話『あなたにそこにいてほしい』後編

 結局、強引な“ブロッサム”の押しに負けた霧緒は、彼女の服を着て、彼女の代わりに「私立聖護女学院中等部の2年B組・桜木理央」として劇場前の集合場所に行くことになったわけだが……。

 ちなみに、集合場所で“ブロッサム”の学校が女子校だと知ってびっくり、さらに胸ポケットの生徒手帳を見て実は中学2年生だったと知って2度びっくりしたのは余談である。

 ともあれ、無事に点呼に応じ、学院の教師は元より周囲の“同級生”の誰にも見とがめられずに、見たかった演劇の舞台を無料で(正確には“ブロッサム”に形式的に100円だけ払ったが)鑑賞することができた。

 劇の途中、隣席に座る“同級生”に話しかけられて色々会話するハメになったり、観劇後、皆で楽屋を見学することになったりと、想定外のハプニングもあったものの、終わってみれば楽しい体験だったと言えるだろう。


 しかし、誤算だったのは、いざ劇場から移動する段になっても、学院の生徒は列に並ばされて集団移動しているため、抜け出す隙が見当たらないことだった。

 霧緒も、トイレなどの言い訳で脱出して待ち合わせ場所に行こうと何度か試みたのだが、その度に絶妙なタイミングで邪魔が入るのだ。

 そのため、徒歩で移動した次の見学場所である博物館を見て回った後も、一行から抜け出すことができていなかった。

 もっとも、これは本人の押しの弱い性格に加えて、観劇中に仲良くなった子たちとの臨時グループになし崩し的に組み込まれてしまった、という要因もあるので、自業自得ともいえるのだが。

 そして、博物館を出たあとは、駐車場で待機していたバスに乗って旅館に移動するしかない。

 ここで、クラス別に分かれて乗ることになったため、さすがに「自分が本物の理央でないとバレる」と霧緒は思ったのだが……。

 どういうわけか、運転席のすぐ後ろに座った担任の月城先生も、周囲のクラスメイトたちも何も言わなかった。

 いや、より正確には、「彼のことを桜木理央としてごくあたりまえに受け入れた」のだ。

 (え、なに、これ、どういうこと?)

 頭の中では混乱しつつも、そうなった以上は霧緒も懸命に“理央”としての演技を続け、そしてそれを見咎める者はいなかった。


 ──いや、そればかりではない。

 本人はテンパり気味で気づいていないが、“理央”を演じる霧緒(以下、ややこしいのでリオと表す)の方も、クラスメイトの名前や人物像を自然に把握して対応している。

 無論、“本物”からそのテの情報を聞いたりする暇はなかったのにも関わらず、だ。

 バスから降りる時も、キャリアスペースに積んであった“桜木理央”のスポーツバッグを誰に言われるでもなくキチンと見分けて持っていくことができた。

 そのまま、今日泊まる旅館で、クラスメイトのうちの5人との六人部屋に入り、夕飯までの雑談タイムとなる。

 リオは、できるだけ目立たないようにおとなしくしていたかったのだが、元々クラスで親しい者同士が組んだグループなので、なんだかんだでリオも話を振られるため、会話に参加しないわけにもいかない。

 その際、「今日の桜木さん、なんだかおとなしいね」と言われてドキッとすることもあったが、「もしかして観劇と博物館見学で疲れたの?」とアッサリ気を回されて、つい頷いてしまった。

 (なんで、教室で隣に座ってる長谷部さんも、去年から一緒のクラスの春宮さんも、別人だって気づかないの!?)

 まぁ、そう考えているリオ自身も、なぜ自分が長谷部や春宮のことを知っているのかという疑問に気づいてなかったりするのだが。


 * * *


 その後、大広間で学年全員が揃っての夕食、さらに大浴場での入浴、風呂上がりには寝間着代わりの体育ジャージに着替えてのおしゃべりタイム──といった、修学旅行定番の流れに巻き込まれることになった。

 そうやって、聖護女学院の生徒としての時間を過ごしているうちに、リオ自身も、本当は自分が誰なのかかという意識が曖昧になり始める。

 というのも、最初こそ緊張していたものの、いざ“クラスメイト”の中に混じって雑談していると、ココにいることがごく当たり前なように思えてきたのだ。

 実際問題、周囲からは完全に“桜木理央”だとみなされているようで、何ら不都合はない。入浴時さえ、さすがに股間はタオルで隠していたが、ペタンコなリオの胸を見ても、誰も不審に思わないのだ。

 (いや、まぁ、“ブロッサム”さんも、正直、かなりの絶壁だったけどね)

 開き直って湯船でくつろぎながら、そんな失礼なことを考える余裕さえ、リオにはあった。

 消灯後も、女子中学生に囲まれるという(普段の霧緒なら落ち着かないはずの)かつてない環境にも関わらず、リオはあっさり眠りに落ちていた。


 翌朝は、朝食後、午前はバスに乗って工場見学へ行き、さらにその後は富山に“帰る”ために羽田から飛行機に乗ることになる。

 「それではここに並んで座ってください」

 旅行添乗員に言われるがままに、搭乗フロアの端に列を作って座る。通りがかるお客さんや空港職員の好奇の視線が、聖護女学院の生徒たちに向けられることもあった。

 (でも、みんな、「なんだ、修学旅行生か」って感じで、すぐに興味を失っちゃうみたいなんだよね。ホントはその中に、ひとり男子高校生が混じってるって言うのに)

 つまり、周囲の誰の目から見ても、リオは女子中学生の集団に混じっていても違和感がないということなのだろう。

 (もし、このまま飛行機に乗ったら、本当に女子中に通う事になるのかな? 桐山さんや春宮さん、川上さんたちといっしょに……)

 なんとなく、それは素敵な考えのように思えてきた。

 それに、実際問題、周囲を見回しても“本物”らしき姿は見えない。“本人”なら、修学旅行の終わりのこの時間に、この羽田空港に来ることはわかっていたはずなのに。

 (本当はいけないコトなんだろうけど連絡とりようがないし、やっぱり“ブロッサム”さんが戻ってこない以上、代わりをやらなきゃいけない、よね)

 自分に言い訳するように、リオはそう言いきかせた。


 「それでは、聖護女学院のみなさん、これから飛行機に乗るため、団体入口から保安検査を行って、搭乗口に向かいます。A組のみなさん、立ち上がってください」

 A組が立ち上がって、リオたちの列の前を通り、団体入口へと消えていく。

 すぐにB組の順番も回ってきたので、リオたちも立ち上がって、前に進み始める。

 (このまま富山に着いたら……飛行機に乗ったら……この搭乗口を通ったら、本当にみんなと同級生になるんだ……)

 ドキドキしながら検査ゲートをくぐり、搭乗口に歩みを進めるリオ。

 搭乗口から国内便の飛行機に乗り込み、「旅のしおり」で指定された座席に座る。隣の席になったクラスメイトの佐藤や白鳥とおしゃべりしながら、離陸の時を待つ。

 そして、ついに機内アナウンスのあと、飛行機が飛び立つ時が来た。

 (ああ、これで本当に、ボク、桜木理央になっちゃった──ううん、“わたし”が、2年B組の桜木理央なんだ)


 * * *


 結局、“地元”──富山に帰ってきても、リオにかかった“シンデレラの魔法”は(「彼女」の望み通り)解けることはなかった。


 富山空港から再びバスに乗り、“たった4日間離れていただけなのに不思議と懐かしい気がする”学校の前まで戻ってくる。

 「古河さん」

 「はい」

 「佐伯さん」

 「はーい」

 「桜木さん」

 「──はいっ」

 バスを降りて、念のため担任の月城先生がとる点呼にも、リオは自信をもって返事することができた。


 点呼のあと解散となり、夕闇のなか、そのまま“4日ぶりの我が家”へと向かう。

 桜木理央の家など知るはずがないのに、何となく足任せに歩いていれば其処へ着くという確信が、リオにはあった。

 「ただいまー」

 「あら、お帰りなさい、理央」

 そして、理央の家族に理央として受け入れてもらえることも。

 「お父さんも、もう帰ってて、理央のお土産話を期待してるわよ」

 「はーい、じゃあ、とりあえず部屋で制服を着替えてくるね」

 理央の母親に明るく返事して、勝手“知らない”はずの桜木家の階段を上り、2階の右奥にある部屋に入る。

 「ふぅ……ここが“桜木理央の”──“わたしの”部屋かぁ」

 初めて見るはず──なのに、どういうわけか見慣れた場所に思える。こういうのも既視感(デジャブ)というのだろうか。

 リオは、ごく当たり前のように学校の制服を脱ぎ、箪笥から出したギンガムチェックのノースリーブワンピに着替える。

 洗面所で顔を洗い、口をすすいで、軽く髪も整えてから、リビングにいる父親と母親に、笑顔で修学旅行の思い出を語る姿は、どこからどう見ても「両親に愛される可愛らしい女子中学生」そのものだった。


 * * *


 さて、場面は再び1年後のふたりに戻る。


 「でも、わた…“ボク”だって、何もしなかったわけじゃないの…ないんですよ?」

 先ほどまでいたファーストフードショップにUターンし、ふたり席にかけて“彼”と差向いで話をする段になって、精一杯説明するリオ。

 「富山に帰って1週間くらいは、メールが来ないかケータイを頻繁にチェックしてたし、いつものチャットルームで連絡とれないかと思って、できるだけ出入りしてたし」

 しかし、“彼”からのメールは来ず、馴染みのチャットルームにそれらしい人物もアクセスしていなかったのだ。


 「──直接携帯に電話することは考えなかったのかな?」

 “少年”は、アルカイックな笑みを浮かべたまま、穏やかにリオに問いかけた。

 「しようとした、したんだけど……どういうワケか番号やメアドが思い出せなくなっちゃってて……」

 “桜木理央”のケータイや自宅の電話番号は一発で“思い出せる”のに、だ。

 (言い訳してるって思われちゃうかな……嘘じゃないんだけど)


 しかし、それに対して、“少年”は思ってもみない反応を返した。

 「まぁ、それは僕も同じだから、キミだけ責めるわけにはいかないね。というか、そもそも別段怒っているわけじゃないから」

 「え!? そ、そうなの…なんですか?」

 “彼”の意外な言葉に理央は目を白黒させる。

 「──その様子だと、気づいてなかったのか。実は、あの時、僕も待ち合わせ場所に行かなかったんだ。それも、キミのようにやむを得ない事情があったわけじゃなく、故意に」

 「えぇっ! ど、どうして……」

 問いかけるリオの顔を、先ほどまでとは異なる真剣味を帯びた視線で、今“佐倉霧緒”と名乗っている少年は見つめ返す。

 「キミは、“桜木理央”の環境や立場をどう思う?」

 「え、えーと、ウチはそこそこ裕福だし、お父さんもお母さんも優しいし、学院の生活も楽しいし、コレといった問題はないと思うけ…思いますけど」

 「無理に丁寧語でなくて普段通りでいいよ。それから──そうか、キミには、予想通り“桜木理央”の立場が合ってたんだな。よかった」

 「え? え? ど、どういうこと??」


 “彼”いわく、生まれた時から娘に女の子らしさを求める両親も、お嬢様学校らしい躾や校風を強いる学院も、桜木理央にはたまらなくストレスだったらしい。

 (あれ? そんなに厳しいかなぁ……)

 確かに母は、リオに夕飯の支度を手伝わせたり、部屋の掃除をサボるとうるさかったりするが、その程度はむしろ中高生の親なら当たり前のことではないだろうか?

 父に至ってはひとり娘に激甘で、ちょっとおねだりするだけで欲しい服や靴の類いを簡単に買ってくれるし……。

 ──もっとも、これは、リオが父や母の望むような“礼儀正しい素直な娘”としてふるまっているからこそ、両親も以前と異なり随分対応が緩くなっているという、“彼女”の知らない事情も関与しているのだが。

 学校の方も、確かに聖護女学院は地元では「お嬢様学校」扱いされているが、そのブランドイメージからすると遥かに闊達で校則も緩いほうだと思う。

 強いて挙げるなら、週1回「礼法」の授業があることくらいか。これも、茶道や華道、日舞などを無料体験できるので、むしろお得に思えるくらいだ。


 「僕も、そんな風に肯定的に考えられれば良かったんだけど、ね」

 少し寂しそうに微笑む“少年”を見て、はたと気づく。

 「じゃ、じゃあ、観劇のチケットを譲る話って……」

 「うん、僕にとっては渡りに船だったのさ──二重の意味でね」

 あの“おまじない”──冗談めかして交換した名札カードは、オカルト好きの理央が色々手を尽くして購入した“本物”だったらしい。

 あの“儀式”によって、ふたりの立場が入れ替わり、周囲からの認識はもちたろん、理央と霧緒自身も、名札通りの立場に従い、行動できるようになったのだとか。

 そう言われれば、確かに思い当たるフシはたくさんあった。

 そして、そんなものを用意していた時点で、最初から桜木理央は佐倉霧緒に自らの立場を譲る(あるいは押し付ける)気満々だったということなのだろう。


 「チャットで色々、僕──もとの“私”の環境に適合しそうな人を捜してて、見つけたのがキリオさんだったのさ。もっとも、キリオさんが男だったというのは、少々誤算だったけど……」

 まじまじとリオの姿を見つめる“少年”。


 この一年間で、リオは髪を伸ばし、元の理央より長めなセミロングのフラッパーヘアにしている──まぁ、正確には単なるボブなのだが髪質の関係で自然にウェーブしちゃうのだ。

 制服のスカートも、親友のリンやミュウの影響で、今年の春に新調する際、丈を変えて、校則通りの膝丈だった一年前より短めの膝上10センチといった長さになっている。

 制鞄にも最近流行りの可愛らしいナマケモノのマスコットを付け、左の目の上の跳ね気味な前髪は赤いダッカールでまとめてアクセントにしている。

 制服の上からは見えないが、下着も、もっぱらスポブラ&無地のシンプルショーツ派だった“本物”と異なり、最近ではレース飾りやリボンのついたフェミニンなものも少しずつ着用するようになっていた。


 いや、単に服装面の変化だけではない。

 富山に“戻って”半月くらいした頃だろうか、ある朝目が覚めると妙に体がダルいことに気付いたリオは、重い体を引きずりながらトイレに入ったが、便器の中が真っ赤に染まっていたことで“事態”を理解した。

 「あ~、そういえば、もうそろそろアレが始まるんだっけ……って、え、何、コレ、もしかして生理!?」

 “その時はまだ”リオの股間には陰茎があったのだが、経血はその付け根と肛門の間の、何もないはずの場所からじくじく染み出しているようだ。

 だが、よく観察してみると、その部位に小さな窪みができているような……。

 それに、今まで意識していなかったが、陰茎も以前の半分くらいに小さくなっているし、“袋”も随分と萎み、何より中の“玉”の存在が見当たらない。

 男なら普通は恐怖と困惑を抱いてしかるべき“異状”だろう。

 しかし、すでにこの時、リオのメンタリティは完全に思春期の少女らしいものに変貌していた。だから、この変化をむしろより好ましいものとして“現状”を全面的に受け入れた。

 「とりあえず、ナプキンつけないとね♪」

 リオには、これからもっと自分の身体が変わっていくという確信めいたものがあった。

 そして、その予感に違わず、その日以来、リオの肉体は徐々に女らしい方向へと変貌していった。

 肩やヒップのラインは丸みを帯び、肌も白く滑らかになり、そして股間の突起は日に日に小さくなり、年が明けるころには小指の先ほどに縮まっていた。

 そうなるのと入れ替わりにあの“窪み”が深く大きくなり、尿道孔はいつの間にかそちらに移動し、さらに女性なら備えているべき“襞”も形成される。

 胸部の発達は……まぁ、あまり芳しくはないが、それでも完全な平野からなだらかな丘陵になり、カップサイズがAAからAになったのは大きな進歩だろう。

 3年に進級して最初の身体計測の時には、リオの身体はどこからどう見ても(そして医学的な各種検査でも)15歳の少女にふさわしいモノへと変貌していた。


 「……なんだか、“私”よりもずいぶん女の子らしい気がするね」

 呆れとも称賛ともとれる口調の“少年”の呟きを聞いて、顔を真っ赤にするリオなのだった。


 * * *


 それから数分間、いろいろな話をして、わたしたちはそのまま別れることになった。

 無論あの“おまじない”の効果はそのままで、ふたりとも元の立場に戻ることは選ばなかった。


 「僕としては、むしろキミにはそのままの立ち位置、桜木理央のままでいてほしいんだ。最初はちょっと戸惑ったけど、慣れると男子高校生の生活ってのも案外悪くないしね」


 キミもそうだろう、と問われて、わたしは、はにかみつつも首をはっきり縦に振った。


 高校の修学旅行で偶然こちらに来て自由行動中だという彼の背中を見送ったあと、わたしも少し足早に“家”へと向かう。


 彼と──“佐倉霧緒”くんと連絡先の交換はあえてしなかった。

 それは、わたしがこのまま“わたし”として生きていくことの決意の証、ケジメみたいなものだ。


 「ただいまっ!」

 「お帰りなさい、理央。今日はカニクリームコロッケよ」

 「わーい、わたし、お母さんのクリームコロッケ、大好き♪」


 そう、わたしは桜木理央。私立聖護女学院中等部の3年B組に所属する、この家のひとり娘だ──これからもずっと。


-おしまい-

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