第3話『召喚契約にご用心』前編

 サイデル大陸の北西部にある宿場町トゥアハは、昨日から季節外れの祭りのような騒ぎに湧いていた。

 この町は、「焔の勇者の再来」として名高い魔法戦士ジークの出身地として知られているが、彼に匹敵する英雄……は言い過ぎにしても、「英雄候補」と呼ぶにふさわしい勇士がこの町から現れたのだ。

 何でも、かの勇士は未だ16歳ながら、近くの山を根城にする雪魔狼の群れを僅か2日足らずで完膚無きまでにせん滅したのだと言う。

 さらにトゥアハに帰って来る前は、デダナンの街の魔法学院を優秀な成績で卒業し、その帰路では下位とは言え魔族も破っているとのこと。

 勇者ジークが有名な巨猪退治をしたのも同じく16歳の時だから、彼と同様の戦果をこれから挙げていく可能性は十分にあった。何より、その勇士は、ジークの甥でもあるらしい。

 自らのパートナーとして戦乙女ヴァルキリーを召喚し、行動を共にしているところまでそっくりだ。「血は争えないものだ」と町の人々は噂しあっている。


 しかし、噂になっている本人はと言えば……。

 「エイラ、本当にいいのか? なんだったら、もう2、3日、この町に留まってもいいんだよ? 実家にも顔を出すとか……」

 宿の窓からアンニュイな視線で町の喧騒をぼんやり見つめている相棒に、気遣うような言葉をかけるが、相手は緩やかに首を横に振った。

 「いえ、お気づかいは無用です──それに、むしろ、ここにいない方が、今の私にとっては気が楽ですし」

 「! そう、かもしれないな。すまない、考えが足りなかった」

 いつも陽気な勇士が、珍しく沈んだ声を出すのを聞いて、相方は慌てて言葉を紡ぐ。

 「あ、いえ、気にしないでください、ガンドル。そもそも、こんなややこしい事態になったのは、もともと私のミスが原因なんですから!」

 困り顔の背の高い赤毛の青年を、エイラと呼ばれた少女が懸命に慰めている様子は、傍から見ていればなかなか心温まる光景ではあったが、当人達にしてみればあまり楽しい話ではない。

 そもそも、なぜにエイラと呼ばれた少女がこの町に留まることを嫌がったかと言えば、他でもない。「この町が自らの故郷だった」からだ。

 ──もう少しわかりやすく説明しよう。

 羽付兜ウィングドヘルムと白銀色の胸甲ブレストプレート、そして両脇にスリットの入った裾の長い白いドレスという、如何にも「ヴァルキリーでござい」という格好をしたこの少女は、本来は“少女”ではなく“少年”で、逆に、長身で筋肉質な体格の青年も元々の生物学的な性別は“女(♀)”だった。

 言うまでもなく、「勇者ジークの甥」というのはこの偽戦乙女エイラの方だ。パッと見は、どこからどう見ても立派な青年武人にしか見えないガンドルこそが、エイラ──いや、エイルが召喚したヴァルキリー、ガンドーラに他ならない。

 では、何故、こんな倒錯的な入れ替わりじみた格好をしているかと言えば……それは、エイルがガンドーラを召喚した2年前に、原因があった。


 * * * 


 その当時、エイル少年は、ヴォルスン国内で唯一の国営魔法教育機関であるデダナン魔法学院に在籍していた。

 武力偏重のうきんてんごくのこの大陸では、男の魔術師というのはあまり「憧れの職業しごと」とは見なされないが、近年は魔法技術の高い他大陸との交流が出来たせいか、多少は地位が向上し、それなりの収入と尊敬が得られるようにはなってきている。


 文武両道で長身&イケメンかつ相思相愛の恋人(しかも超美人!)持ちという、天が二物も三物も与えまくったような叔父のジークとは異なり、エイルは小柄で貧相な体格の持ち主であり、運動能力についてもお世辞にも優れているとは言えなかった。

 いや、まったくダメと言うわけではない。より正確に表現するなら、はしっこく手先も器用ではあったが、一流の戦士になるには絶対的に筋力と耐久力が足りてなかったのだ。

 本人もそのことは自覚していたし、幸いにして魔力の量や頭の回転についてはそれなり以上に秀でていたため、将来は魔術師として生計を立てることを考えていたのだ。

 また、そういう現実的な展望とは別に、エイルには魔術師として、ひとつどうしても叶えたい夢があった。

 それは──戦乙女ヴァルキリーを召喚し、相棒パートナーにして共に戦うことだ。


 7歳の頃、故郷の町の近くの森へ木苺摘みに行った時、エイルは熊に襲われ、万事休す……というところを、ある美しい女武人に助けられた。

 鮮やかに槍を振るう彼女は、まるで高貴な姫君のような可憐さと、女神のような神聖な雰囲気を兼ね備えた十代半ばくらいの美少女にしか見えず、幼い少年が(吊り橋効果もあって)憧れを抱いたとしても無理はない。

 もっとも、直後に駆け付けた母方の叔父ジーク(と言っても未だ18歳だったが)の話で、彼女は叔父が召喚した「ヒルダ」という名のヴァルキリーであり、ジークとは相棒兼恋人同士であると聞かされ、あえなく失恋することになるのだが。

 しかしながら、その時の印象があまりに強烈だったせいだろう。それ以来、エイルは魔術師になって自分も将来ヴァルキリーを召喚したいと渇望するようになり、並ならぬ努力の末、見事13歳で王都デダナンの王立魔術学院に合格する。

 学院に入った後も真面目に研鑽を積み、同期入学生の中では五指に入る成績を示すようになった。


 そして翌々年、学院の最終学年である三年生に進級するための課題として、「自らのパートナーとなる幻獣か妖精を召喚する」ことを師に命じられた時、エイルは迷うことなく戦乙女の召喚を試みたのだ。


 念のため断っておくと、この世界「アールハイン」において“戦乙女(ヴァルキリー)”とは、天空神ユークレウスが直々に生み出した年若い女性の姿をした高位妖精たちのことを指す(そこから転じて、勇ましい女戦士のことを比喩的に“ヴァルキリー”と表現したりもするが)。

 割合フリーダムな性格の父神つくりてとは正反対に、彼女たちは皆、生真面目で誇り高く──そして強い。槍を筆頭とする長柄武器の扱いに秀でているのに加え、光系を中心とした魔法の扱いにも長け、さらに生来の飛行能力まで有するというほとんど反則級の存在で、ネトゲ好きの外来人に「ビーターや!」と非難されても反論できまい。まぁ、外来人自体も文字通りチートな固有権能ギフトを持っていることが殆どなので「お前が言うな!」とツッコまれそうだが……。

 強いて欠点を挙げるなら、素の筋力や耐久力は外見相応に人間の(鍛えている)女性と大差ないことだろうか。もっとも、普段から豊富な魔力によってその両能力を引き上げているため、それが短所として露呈することは滅多になかったりする。


 閑話休題(それはさておき)。

 同期の内ではトップクラスの優秀さを示しているとは言え、客観的に見れば半人前と言うのもおこがましい見習魔術師が、妖精の中でも妖精王(ロード)級に次ぐ高位の霊格を持つヴァルキリーを召喚しようなぞというのは、正直無謀にもほどがある。

 あるのだが……何十回かの失敗の後、偶然か必然か彼は成功してしまったのだ。


 「ガハハハ、アタシの助けが欲しいってかい? いいよ坊や、力になってあげようじゃないか」


 ただし、今、エイルの目の前の召喚陣の中に立っているのは、並の成人男性よりも頭半分背が高く、毛皮で作った袖無し胴着と皮のボトムに身を包み、肩幅や二の腕の太さも下手な戦士顔負けにたくましい、「戦乙……おと、め?」と首を傾げたくなるような女丈夫だったのだが。



*エイル SIDE*


 目の前の魔法陣の中に魔力の光が渦巻き、凝縮して人の形を取る。

 「やった! ついに召喚に成功したん……え?」

 今日だけで12回目の挑戦で魔力も残り少なく、正直これで駄目ならもうあきらめようかと思っていたところでのまさかの成功に、僕は歓声をあげ……かけて、今度は自分の目を疑うことになった。

 「戦乙女ヴァルキリー、じゃないの?」

 そりゃあ僕は(遺憾ながら)周りの同世代と比べてやや小柄な方ではあるけど、一応14歳の男だ。なのに目の前の人影は、その僕より優に頭ひとつ分は背が高い。

 しかも、長身なだけじゃなく、剥き出しの腕や太腿の筋肉も逞しく、そもそも骨格からして僕より骨太で頑健そうだ。

 僕の身長より長そうな太い杖(棍棒?)を片手に携え、その身にまとうのは、白銀の鎧──ではなく、狼から剥いだとおぼしい毛皮でできた胴着。しかも狼の頭の部分をそのまま残してフードにしてるので、野性的ワイルドというか野蛮サベッジというか、迫力満点だ。

 赤茶色の髪は襟首くらいの長さで、適当に切って散らしてあるだけだし、ボトムはなめし革製のショートパンツと武骨なレザーブーツだし……もしかして、ヴァルキリーじゃなく蛮族バーバリアン海賊バイキング召喚んじゃったのかなぁ。


 「ほーぅ、偶然じゃなくアタシら戦乙女を狙って召喚してのけたのか。いいねぇ、まだまだ術師としちゃあヒヨッコみたいだけど、目標を高く持つのは悪かないよ」

 え、その言い方からして、もしかして本当にヴァルキリーなの!?

 確かに声はちょっとハスキーだけど女の人のものだし、よく見れば顔立ちも整ってる。キチンと髪を梳かして服装を変えたら美形と言ってもいいかもしれない──どっちかって言うと男性より女の子にモテそうな感じだけど。

 「坊や、アタシの助けが欲しいって言うのかい?」

 「え、あっ、はい、お願いします」

 わわっ、しまった。反射的に返事しちゃったよ。

 「うんうん、素直な子は嫌いじゃないよ。いいさ、おねーさんが力になってあげようじゃないか」

 ニカッと男前に笑うヴァルキリーさん(仮)。よ、予想していた戦乙女のイメージとは違うけど、悪い妖精ひとじゃないみたい。

 「はっ、はい。有難うございます」

 そんなこんなで、僕はやたら迫力のある女蛮族……じゃなくてヴァルキリーの、ガンドーラさんと召喚契約を結ぶことになったんだ。



*ガンドーラ SIDE*


 アタシを召喚した坊や──エイルは、なんでも魔法を教わる学校の生徒で、次の進級試験とやらに合格するためには、幻獣か妖精を召喚してパートナーとして契約する必要があったらしい。

 「アンタも無謀だねぇ。試験のためなら、無難に翅妖ピクシー光鳥アスカあたりを呼んどけばよかったのに」

 かなりはみ出し気味とは言え、これでもアタシは勇士を導く戦乙女ヴァルキリーのはしくれだ。人の資質を見定めることくらいはできる。

 そのヴァルキリーとしての目で見る限り、我が召喚主殿は、光属性の魔法に高い適性はあるみたいだけど、総合的な力量自体はまだまだ未熟で、経験も圧倒的に足りてない。

 正直、アタシみたいなガサツ者でも召喚できただけで御の字だろう。

 「──そう、かもしれません。でも、長年の夢だったんです。戦乙女の方をパートナーとして召喚するのが」

 噛みしめるように呟くエイルは、けれど一瞬アタシの方を見て、フイと視線を伏せた。

 (あちゃー、失望させちまったか)

 まぁ、無理ないか。どういう経緯かは知らないけど、戦乙女に憧れて、懸命に魔法の勉強に励んだ挙句、召喚よびだしたのがアタシじゃねぇ。

 自分が人間が抱くヴァルキリーのイメージから少々──いや、大幅に外れているってぇ自覚は、アタシにだってあるんだよ? だからって、世間に迎合してお行儀よくしてやる気はサラサラないけどね。


 「ま、少なくとも戦いに関しては、大船に乗ったつもりで任せときな。こう見えて──いや、見かけどおり肉弾戦じゃ生半可な戦士にはヒケはとらないつもりだからね」

 「! す、すみません。僕みたいな未熟者に応えてくださったのに、失礼な対応をしてしまいました。謝罪します。改めて、僕のパートナーになってくださいますでしょうか」

 へぇ、意外に切り替えが速いね。ちゃんと謝ることもできるようだし、キチンと育ててやれば、なかなか大物になるかもしれない。


 「ああ、もちろんさ。それで、アタシを召喚したことで、進級試験とやらには合格したことになるのかい?」

 「あ、いえ、普通の幻獣や妖精ならそれで十分なんですが、ヴァルキリーみたく霊格の高い相手の場合は、それだけでなくパートナーとしての正式な召喚契約を結ぶ必要があります。えーと……」

 エイル坊やは机の引き出しをあさって、何か文章が書かれた羊皮紙と、極細のチェーンに親指ほどの金属片がついた、首飾りのようなものをふたつ取り出した。

 「このネームタグに互いの血を混ぜ合わせたインクで名前を記入して身に着けたあと、さらに契約書に署名することで、召喚契約が成立する……そうです」

 こらこら、そこは伝聞形じゃなく断定しなよ。まぁ、いいか。名前を書くだけなら、魔法理論とかにあまり詳しくないアタシでも簡単だし。


 アタシとエイルはペンナイフの先端を親指の腹に軽く刺して、血を数滴、インク壺に落とした。

 「で、このインクで名前を書けばいいんだね?」

 エイルに渡された首飾りのうちのひとつに、自分の名前を書き込む。何の変哲もない金属片なのにスムースに羽ペンで記入できたのは、何らかの魔法がかかってるからだろう。

 エイルがもう片方に自分の名前を書いたのを確認してから、アタシたちはそのネームタグとやらのチェーンを首にかけた。


 「ん? 何か魔法発動の予兆を感じるね」

 「ええ、この状態で契約書にサインをすれば、強固な儀式魔法が発動しますから」

 軽く流しかけて、エイルはポンと手を打った。

 「あ、そうだ、ちゃんと説明しとかないといけませんね。まず、このパートナー契約は原則的にどちらかの死をもってしか解除できません。加えて、互いが互いを意図的に傷つけることも不可能になります」

 死がふたりを分かつまで──と表現すればちょいと雅だね。ま、実際にはお互いが簡単には裏切れないようにするための予防措置なんだろうけど。

 「それと、契約が正式に結ばれると、「最適化」の魔法が発動して、僕たちふたりとも、それぞれの立場にふさわしいポテンシャルを発揮できるようになるそうです」

 「ふーん、つまりアンタは魔術師として、アタシは戦乙女として、現在以上の力を振るえるようになるワケか」

 「そうみたいですね。大体の人は、己の内なる素質を完全に覚醒させているということはまずないそうですから、そうなると思います」

 「それは、互いに縛られるというデメリットを補って余りある大きなメリットだねぇ」

 アタシは、正直に言えばヴァルキリーとしての能力はそう高くない。かろうじて身体能力だけは中の上レベルだけど、それ以外の魔法や礼法、あるいは戦術指揮といった頭を使うことはミソっカスもいいところだ。戦棍(バトルスタッフ)を使ってるのだって、あまり器用じゃないから、剣や槍を使うのは苦手だったからだし。

 おまけに、「勇士の介添人じゅうしゃ」として自らが選んだ主の日常生活をサポートするのもヴァルキリーの役割のひとつなんだが……お察しの通り、裁縫・料理・掃除といった衣食住に関わる作業はかなり苦手で、「まぁ、猫の手よりはマシかな」という程度。綺麗に整理整頓された部屋の様子や先ほど淹れてもらったお茶の味から考えると、下手しなくともこの年若い坊やの方が、よっぽど家事適正は高いだろう。

 そういった数々の不得意分野がマシになるのか、あるいは得意分野がさらに伸びるのかはわからないが、少しでも能力を高められるなら、アタシとしては大歓迎だ!


 「わかった。続けようじゃないか。この紙にサインすればいいんだろう」

 坊やの手から羊皮紙をひったくり、ササッと斜め読みした後、文末の空白欄に、自分の名前を記入する。

 「わわっ! もぅ、ガンドーラさん、せっかち過ぎますよ」

 それにこういう時は、普通は召喚主の方が先に書くものなのに……と、ボヤきつつ、エイル坊やもアタシから紙を受け取って署名する。


 その瞬間、アタシたちが首に欠けている金属片がまばゆい光を放ち始めた──アタシのは青色に、エイルのは赤色に。

 「! こ、これは……大丈夫なのかい?」

 「えぇっ!? 召喚契約って、こんな大きな魔力が発動するものじゃな……」

 直後、目も眩むような光と、爆発的な魔力の波動に飲み込まれて、アタシたちはふたりとも意識を失ったのだった。


 * * * 


 結局のところ、それは単純なケアレスミスが原因だった。

 エイルが事前に作成していた「ヴァルキリーとの間にパートナー契約を結ぶための契約用巻物コントラクト・スクロール」、それ自体に不備はない。同時に購入しておいたふたつの魔法の名札ネームタグも同様だ。

 ただ、その“使い方”を間違えていた。正確には、ふたりが名前を記入するべき“場所”が逆だったのだ──それも、ご丁寧にもネームタグとスクロールの両方で。

 そもそもネームタグは一見よく似てはいるが、どちらが召喚主用でどちらが被召喚者用かキチンと決まっている。スクロールへの署名も(これはエイルも気付いてはいたが)、上から召喚主→被召喚者の順に記入するべきものだ。

 この種の取り違えが発生した場合、普通、儀式魔法は失敗するものなのだが、両方のアイテムで間違っており、かつ、なまじそのつじつまが合っていたため、イレギュラーな形ではあるが、パートナー契約の魔法効果が強制発動することになった、というわけだ。


 「──で、その結果が、コレかい?」

 赤茶色の髪を短かめに刈り込み、麻の開襟シャツと黒いズボンを着て、その上に見習魔術師用のマントを羽織った“青年”が、呆れたような口調で机をはさんだ向かいの椅子に座っている人物に問い掛ける。

 「はい、私の推測になりますが、たぶん……」

 自信のなさそうな口調で答えるのは──驚いたことに、如何にも戦乙女らしい格好をした“少女”だった。

 腰までありそうな青味がかった銀色の髪を後ろでざっくりした三つ編みにして、先端近くには赤いリボンが結ばれている。前髪のあたりには額当ディアデムにも小冠ティアラにも見える銀製の防具を装備していた。

 華奢な体にはノースリーブの白いボディスーツをまとい、肩から背面にかけては純白の羽飾りのついたショルダーガードで守っている。剥き出しの腕は肘までのグローブと銀色の篭手で保護されていた。

 両サイドにスリットの入ったロングスカートを履き、さらに腰の左右と前後にそれぞれ白銀の装甲を装着している。足元は他の鎧と同じ銀色の脚甲グリーブだ。

 まさに、エイルが召喚したいと思い描いていた(そして一般的に連想される)“ヴァルキリー”そのものの姿と言える。

 ──問題は、一見したところ戦乙女にしか見えないその人物が、他ならぬエイル自身だということだろう。

 「つまり、今のオレは“魔法学校に在籍している見習魔術師”という立場になってるわけか。それにしては、さっきまでのアンタの格好と微妙に違うみたいだけど?」

 当然、それに相対している“青年”がガンドーラだ。

 「おそらくですが、それがガンドーラさんがイメージする“魔術師の少年”の姿なんだと思います」

 「へぇ、じゃあ、逆に言うと、今のアンタの格好がアンタの理想とする戦乙女の姿なんだねー」

 からかうように言われて、頬を染めるエイル。

 「そ、それは……えっと…………はい」

 まぁ、こんな絵に描いたようなヴァルキリーの姿を想像してたのなら、確かに自分が召喚されたら落胆もするか、とガンドーラは妙な方向で納得する。

 加えて、本人達が気が付いているのかいないのかは謎だが、ふたりとも外見だけでなく口調まで微妙に変わっているのだが、それがまた現在のルックスにはピッタリはまっていた。


 「にしても、服装や髪形はともかく、根本的な性別や体そのものは変わってないんだな」

 シャツの襟元から自分の胸を覗き込むガンドーラ。ダボっとしたシャツなのであまり目立たないが、膨らみ自体はちゃんと残っているらしい──まぁ、筋肉質なせいか元々たいした大きさでもないのだが。

 ふと思い立って、椅子から立ち上がると、エイルにも立つよう促す。

 「? なんでしょう?」

 きょとんとした表情で立ち上がったエイルの横にガンドーラは並び立つ。

 「うん、身長差も変わってない──いや、ちょっとだけアンタ、高くなってる?」

 「えっと、それは、このブーツのヒールのせいではないでしょうか」

 金属製のグリーブと一体構造になったブーツのかかとは、拳ひとつ分に近い高さがある。

 「ああ、そうか。にしても、そんなかかとの高い靴履いて、アンタ大丈夫なのかい?」

 参考までに言うと、元のガンドーラが履いていたのは革製ブーツではあるが、かかと部分がほとんどペタンコの、俗にバスキンと呼ばれる代物だ。彼女いわく「戦場にヒールのある靴なんて不要だろ」とのこと。

 「言われてみれば……」

 不安げな表情になったエイルは、慌ててその場で足踏みしたり、軽く2、3度その場でジャンプしてみたりする。

 「えっと、特に問題ないみたいです。これも最適化のおかげ、なんでしょう、たぶん」

 「ふーん、便利なモンだねぇ。あ、そうだ!」

 何かを思いついたらしいガンドーラは、エイルの前に立つと、いきなり両掌をエイルの胸元に伸ばして、ボディスーツに包まれた胸板をペタペタ触り始める。

 「……キャッ! な、何するんですか!?」

 一瞬自分がされている行為が理解できず、呆気にとられていたエイルだが、一拍遅れて顔を真っ赤にすると、胸を押さえて飛び下がった。

 「うん、やっぱ貧乳──ってか、全然オッパイはないな」

 悪びれずにうそぶくガンドーラの言葉に、何となくカチンとくるものを感じたものの、すぐにそれを振り払うかのように抗議するエイル。

 「あ、当り前です! 私は男なんですから!!」

 「いや、でも、今のアンタの姿見たら、100人中99人が「可愛らしい女の子」だって判断すると思うぞ? だから、一応確認しとこうかな、って」

 「か、可愛いって……そ、そんなことより、これからどうするかです!」

 一瞬なぜか込みあげた喜びの感情を顔に出ないよう噛み殺しつつ、エイルは強引に話題を転換する。

 「さっきの話だと、この契約って、どちらかが死なないと解けないんだよな?」

 「普通の手段ならそうですね。でも、ここはこの国一番の魔法研究機関ですから……」

 エイルの言いたいことをガンドーラも察する。

 「ああ、なるほど。ここの先生なら「普通じゃない」規格外な契約解除方法を知ってるかもしれないのか。じゃあ、早速聞きに行こうぜ」

 ホッとした顔でそう提案するガンドーラだが、エイルは「待ってください」と引き止めた。

 「確かに先生方なら、契約を破棄する方法を知っておられるとは思うのですが、その…それを聞きに行くのは、もう少しだけ待ってもらえませんか?」

 エイルいわく、無事パートナー契約を結ぶことが進級の条件ではあるが、結んだだけではあくまで「仮進級」で、そのあと召喚主と相棒がペアになって、ある試練を受けなければならないのだと言う。

 「その試練とやらが、明日ぁ!? 随分せっかちな話だなぁ」

 ちなみに、現在はそろそろ陽が西に傾きかけた夕刻に近い時間帯である。

 「その…本来、召喚の儀式は10日前から始められますので、普通はもっと早くパートナーを得て、数日かけて親交を深めているはずなのですが……」

 「アンタは期限ぎりぎりまで粘ってたから時間がなくなった、と。確かに、それで今からこの契約の解除だなんだやってたら、明日の試練には間に合わないわな」

 「すみません、私が不手際なばかりに……」

 「あ~、いいよいいよ。オレもヴァルキリー仲間のあいだでは落ちこぼれっつーか、ハズレ者だったし。こうして地上に召喚してもらえただけでも、有難いし」

 天界って平和な分、刺激がなくってねぇ、愚痴るガンドーラ。

 「それに人間の、しかも男の立場で生活できるなんて、滅多にない経験だしな」

 「じゃあ、しばらくはこのままでよろしく頼むぜ!」と気さくに笑う“見習魔術師”の表情に、思わず見惚れる「戦乙女」。

 (ふわぁ~、ガンドーラさん、カッコいい)

 赤毛の“青年”を見上げる瞳が熱っぽく潤んでいる。

 傍から見れば、それはまさに“恋する乙女”の視線そのものだが、幸か不幸か当事者達ふたりは、そのことに気付いていないのだった。


 * * * 


 とりあえずふたりの間では話がついたので、夕飯を食べるため、おそるおそる部屋の外に出てみたエイルとガンドーラだったが──結論から言うと、呆気ない程スムーズに事は運んだ。

 「お、ガンドル、ようやっとパートナー召喚できたのか……って、まさかヴァルキリー!? マジで成功したのか? すげぇ!!」

 「え……あぁ、シャノン、か。うん、なんとかな」

 「あらあら、可愛らしい戦乙女さん♪ ガンくん、よかったですね~」

 「ははっ、ありがとう、フリギア先生」

 寮の廊下や学生食堂で顔を合わせたエイルの知人(であるはず)の学生や教師達は、しかしながらガンドーラの方をこの魔法学院の男子生徒として認識し、挨拶したり、話しかけたりしてきたからだ。


 その際、“彼”の名前が「ガンドル」という男性形になっていることを知れたのはひとつの収穫だろう。後ほど部屋で確認すると、首に掛けたネームタグの方にもいつの間にかそう署名されていた。同じくエイルのネームタグには女性形の「エイラ」と記されていた。

 ──実はコレ、かなりの大事おおごとなのだ。普通、本人が直筆で記載した本名というものは、世界の摂理としても重要な意味を持ち、それだけに容易に改変を受け付けない。それが書き換わっているということは……。

 しかし、当事者ふたりも含め、現時点でそのコトに気づく者は皆無だった。


 「まぁ、お前さんは入学当初から“頭のいい脳筋”のクセに、ヘンにロマンチストなとこがあったしな」

 「ほっとけ!」

 「シャーくん、他人の夢を小馬鹿にするようなことを言ってはいけませんよ~」

 「そうだそうだ! あぁ、フリギア先生の思いやりが身に染みるんじゃー」


 知人の側からだけでなく、「ガンドル」の方も、見も知らないはずの人間との会話なのに、なぜか適当についていけているのだ。これも立場が入れ替わったことによる補整の結果なのだろう。


 「ちょっとちょっとー、ガンドルがヴァルキリーを召喚してパートナーにしたってホント? 見せて見せてー……きゃあ、カワイいーー♪」

 「くっ……学年首位のこのボクが、席次3位の田舎者に遅れをとるとは、一生の不覚! 其処な戦乙女、このようなガサツ者の何処が良かったというのだ!?」

 「いえ、その、あはは……」

 さらに言えば、「エイラ」のことも、高位妖精のヴァルキリーを召喚したということで感心されたり羨ましがられることはあったが、誰もそれが昨日まで共に机を並べて学んでいた学友であるとは気付いていないようだった。


 いきなり「同級生」になった「少年」も、「お客様」として歓迎されることになった「少女」も、その対応に戸惑いつつ、ボロを出さないように場の雰囲気に馴染むべく全神経を集中し、何とかその日の夕食をやり過ごすことができたのだった。

 ちなみに、ようやく自室に帰ってひと息ついたかと思ったら、“ベッドがひとつしかない”という問題が持ち上がったりする。

 互いに譲り合いの精神を発揮したものの、「本来の部屋の持ち主をないがしろにする気はない」という「ガンドル」の強い主張によって、ベッドは「エイラ」が使うことになった(ちなみに、「ガンドル」はソファで毛布をかぶってあっさり寝ている)。

 あまりの「彼」の寝つきの良さに呆れつつ、自分もベッドに入ろうとした「エイラ」は、寝るのに邪魔な武具を着けていたことに、はたと気づいた(何しろ、あまりに軽く、また「それを装備していることがごく自然に感じられる」ので、ほとんど意識していなかったのだ)。

 「どうしよう、コレ。外し方とか、わかるかなぁ……」

 しかし、その懸念は杞憂だった。戦乙女としての武具──肩甲や籠手、脚甲などは、持ち主たる「彼女」の意思で自由に消したり具現化したりできることが判明したからだ。

 「んー、便利なんだろうけど、なんかヘンな感じ」

 不思議に思いつつも、魔力不足からくる眠気がそろそろピークに達していたので、「エイラ」も白いノースリーブドレス姿のままベッドに倒れ込み、眠りに落ちた。


 そして翌日の昼休みに、「ガンドル」(本来はエイル)の指導教官であるクリステラ女史の研究室に出頭したふたりに言い渡された“試練”の内容は……。


 「ガンドル君、この学園の地下に訓練用の人造迷宮が用意されていることは知ってますね?」

 「ええ、まぁ、詳しくはありませんが(ホントは初耳だけど……)」

 「よろしい。貴方達に課せられた試練は、一週間以内に魔術学校の地下に広がる人造迷宮の地下3階までたどりつき、その階のどこかにある大広間の宝箱から中身を取ってくることです」


 これは、かなりの難題だった。

 この学校の卒業課題が、生徒3人(+各自のパートナー)で組んで、半月で地下5階まで踏破して最深部のボスを倒すことである──と言えば、3年に進級したばかりの彼らにとってどれだけハードな課題かは、想像がつくだろう。

 もっとも立場を交換しているとは言え、戦乙女とそれなり以上に優秀な魔術師のコンビにとっては、容易ではなくとも決して高すぎるハードルというわけでもなかったが。


 「魔術学校の3年生の少年魔術師」という立場になっている「ガンドル」は、本来その立場にあったエイルが優等生だった余禄か、「学業優秀なうえ、体術にも秀で、さらに気さくで明るい好青年」という高い評価を得ていた。

 否、他人からの評価だけでなく、実際にここの学生が2年生修了時までに覚える魔法はすべて使いこなせたし、座学に関しても午前中の授業で先生から当てられた際、スラスラと答えることができたのだ。


 一方、「戦乙女エイラ」の方も、その華奢な体格は変わっていないはずなのに、ヴァルキリーの立場になっているせいか、前衛として戦うのに十分以上の槍の腕前と、戦乙女にふさわしい光の術法の数々を会得していた。無論、種族特性である“飛行”も問題なく行える。


 そんなある意味「いいとこ取り」状態になっているうえに、「基本は豪胆なガンドルが積極的に進みつつ、慎重な性格のエイラがフォローする」という、召喚者とパートナーの理想的な関係を築いているのだから、そうそう失敗するはずもなかった。

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